春が近づいてきたようであったり、また冬に逆戻りしたようであったりの今日この頃ですが、花たちの様子を見ていると、まぎれもなく春はそこまで来てるんだなぁと思えます。
十日ほど前には固い蕾だった沈丁花。その香りが、ずっと先のお宅の前庭から漂ってきます
わが家の裏庭の春咲きの木瓜の花も、もう数日で蕾が開きそうです
すぐそばの神社の枝垂れ梅 こちらは同じく神社境内の白梅
この連載、ひとつ前の「番外編」から、かなり時間がたってしまったので「おさらい」です。
私自身のためのおさらいなんですが(笑)
番外編
明治座公演記録
1967(昭42)4月 「春高楼の花の宴」「維新の若人」
1968(昭43)7月 「坊っちゃん」「喧嘩鳶~野狐三次~」
1969(昭44)7月 「与次郎の青春」「新納鶴千代」
1970(昭45)8月 「新吾十番勝負」「日本の旋律 荒城の月」
1971(昭46)8月 「新吾十番勝負 完結編」「忠臣蔵異聞 薄桜記」
1972(昭47)8月 「魔像」「あの海の果て」
1973(昭48)8月 「沖田総司」「われ永久に緑なる」
1968(昭43)7月 「坊っちゃん」「喧嘩鳶~野狐三次~」
1969(昭44)7月 「与次郎の青春」「新納鶴千代」
1970(昭45)8月 「新吾十番勝負」「日本の旋律 荒城の月」
1971(昭46)8月 「新吾十番勝負 完結編」「忠臣蔵異聞 薄桜記」
1972(昭47)8月 「魔像」「あの海の果て」
1973(昭48)8月 「沖田総司」「われ永久に緑なる」
上記の中から1967年の4月の初座長公演についての資料をたどってきました。「その1」は、「COMPANY TANK 1月号」のインタビューの中の「役者・舟木一夫として」という部分に関連づけて、舟木さんご自身の明治座初出演にあたってのご挨拶文や川口松太郎氏の寄稿文を紹介しました。
その次は、新歌舞伎座の二月公演千秋楽ヴァージョンのお芝居の報告とからめて、明治座初座長公演での「喜劇・維新の若人」について紹介しましたので「番外編」というタイトルにしました。
「その2」では「春高楼の花の宴」のお芝居のあらすじの一部と舞台写真をご紹介します。
舟木一夫 四月特別公演 (1967年 4月4日~4月30日開催) パンフレットより
先ずは、当時の新派の重鎮だった伊志井寛氏が寄稿された文章からご紹介します。
百パーセント、プラスになりますように! 伊志井寛
この四月に舟木一夫君と一緒にこの明治座へ出るという話は去年の秋からの約束でした。
いままでも、ひばりちゃんやチエミちゃんとは何度か同じ舞台を勤めましたが、男の歌い手とは初めてです。しかし、若いファンをたくさんもっている人だけにその人たちに新派の若い連中を知っていただけるいい機会だとも思っています。
舟木君は実に素直で芸熱心だとも聞いています。ハワイで患ったというのでちょっと心配していましたが、もう、すっかり元気になり、約束の四月公演もガンバリますというので安心しました。何といっても今の売れっ子、休むヒマなく仕事に追われているとは思いますが、芸をするには体が第一、どうか無理はしないで健康に充分注意してほしいと心から思います。
舟木という人の人気は高校生から出発した、あの清純な人柄、誠実さからだと私は思っています。だから、芸能の世界に入っていても、その中へとけ込まず、いつまでも素人っぽい姿なり態度でいることがこの人の魅力ではないでしょうか。
どうか初出演の明治座の舞台、その他のすべてがプラスになりますよう祈っています。
いままでも、ひばりちゃんやチエミちゃんとは何度か同じ舞台を勤めましたが、男の歌い手とは初めてです。しかし、若いファンをたくさんもっている人だけにその人たちに新派の若い連中を知っていただけるいい機会だとも思っています。
舟木君は実に素直で芸熱心だとも聞いています。ハワイで患ったというのでちょっと心配していましたが、もう、すっかり元気になり、約束の四月公演もガンバリますというので安心しました。何といっても今の売れっ子、休むヒマなく仕事に追われているとは思いますが、芸をするには体が第一、どうか無理はしないで健康に充分注意してほしいと心から思います。
舟木という人の人気は高校生から出発した、あの清純な人柄、誠実さからだと私は思っています。だから、芸能の世界に入っていても、その中へとけ込まず、いつまでも素人っぽい姿なり態度でいることがこの人の魅力ではないでしょうか。
どうか初出演の明治座の舞台、その他のすべてがプラスになりますよう祈っています。
伊志井寛氏について、大倉明氏著「青春賛歌」で以下のように記されています。
~舟木は昭和42年4月4日から30日まで、東京では初めての明治座での座長公演を行った。演目は昼の部が村上元三・作演出の「維新の若人」と「ヒットパレード・春姿花のステージ」、夜の部が川口松太郎・作、戌井市郎・演出の「春高楼の花の宴」と「ヒットパレード・星の広場へ集まれ」だった。
芝居の相手役を考えていた時、たまたま見ていたテレビの時代劇「池田大助捕物帳」に光本幸子を発見。直感的に「この人だ」と閃き、交渉してもらった結果、GOサインが出た。そして、前年の大阪・新歌舞伎座で体験した”寄り合い所帯”のチームワークの難しさも踏まえ、光本が所属している劇団新派に「芝居の世界の行儀や礼儀を勉強したいので、新派で座組みし、その中に僕を放り込んでいただけないか」と申し入れた。劇団が紹介してくれたのが長老格の一人、伊志井寛だった。伊志井の父は落語家の四代目・三升亭小勝という生粋の江戸っ子。18歳の時に文楽の竹本津太夫の門に入り、その後、映画俳優を経て27歳で新派劇に加入、48歳の時に劇団新派を結成した。舟木とはこの公演が縁で、伊志井を”おやじさん”と慕い、公私ともどものお付き合いになる~
春高楼の花の宴 三幕七場 川口松太郎 作 戌井市郎 演出
序幕
第一場 古城の桜
第一場 古城の桜
第二場 東京の桜
二幕
第一場 ふるさの家
第二場 舞扇
第三場 池のみぎわ
第一場 ふるさの家
第二場 舞扇
第三場 池のみぎわ
三幕
第一場 崩れ行く花
第二場 古城の歌
第一場 崩れ行く花
第二場 古城の歌
配役
藤堂太郎:舟木一夫
松平紀久子:光本幸子
大垣博士:伊志井寛
ほか
藤堂太郎:舟木一夫
松平紀久子:光本幸子
大垣博士:伊志井寛
ほか
あらすじ
明治も中頃の物語である。信州のある古城。月光に咲く満開の桜の城跡に、松平家の遺児松平紀久子を探して、従姉にあたる河野八重が出てくる。そこへ通りかかった松平家家臣の娘、稲葉初江に紀久子の所在をたずねるのだった。
二人の去ったあと、この古城に藤堂太郎、ひさ子の兄妹がやってきた。ふたりは夜桜の美しさに、しばし眺めいる。
妹ひさ子役は川口松太郎氏の娘さんの川口晶さん
太郎は医者になって貧しい人たちを救いたいという念願をもっている。東京へ出て学び、博士号をとり、旧幕臣の子は国で出世はできないといわれるこの故郷へ錦を飾るまでは帰らないと決意を語る。
その暁には、母と子三人の水いらずの生活をおくるのだといって妹ひさ子に未来への夢を話すのだった。
その時、どこからともなく琵琶の音が冴えて聞こえてくる。ふたりは一瞬、驚いてその音色に耳を澄ましていると、琵琶歌がプツリと糸も切れたように止まって、突然、人の救けを求める声が天守跡からしてきた。苦しそうに胸元を押さえる紀久子は父の亡霊を求めて天守跡で琵琶を語っているという。琵琶を弾くと白地の小袖に群青色の袴をはいた亡き父が城跡に立つというのだった。
そして、紀久子は太郎の手を取り、一緒に行き、落城の際、戦いで亡くなられた父たちの霊魂に逢おうとさそう。
ふたりは手を取り合って城跡の道を歩む。橋の上にさしかかったとき、さっと一陣の強風が吹きすさび月光は消え、桜の花びらが風に狂って舞い上がった。そのとき、橋の上に立った紀久子が一瞬にして、濠の中に落ちてしまった。
悲鳴を残して消えた紀久子の名を、太郎は大声で叫びつづける…
上野池之端にある学生専門の料理屋の一室。その一室に藤堂太郎は寝ていた。
突然、ガバと跳ね起きた太郎はあたりを見廻し、庭に咲く夕暮れの桜を眺めて、「夢だったのか。…」と布団の上にあぐらをかき、遠い信州の故郷に思いをはせているのだ…
そこへ、女将のおまさに押しとどめられながら医学校の同級生江口と石坂が入ってくる。ふたりは酒に酔って寝てしまった太郎をさそいにやってきたらしい。その太郎は夢の中での出来事を三人に語る。庭に咲く桜の花を見るにつけ、故郷の城山に咲く美しい桜の花をなつかしむのだった。
ちょうどそのとき、太郎の書いた「外科医術と社会性」という論文が話題にのぼっているところへ、大垣博士が入ってきた。博士は彼の論文をほめ、なお、一層の努力をと医学の道を教えるのだった。そればかりか、仲間の間で話題になっている軍医の募集に、海軍軍医として、太郎を推薦する旨を伝えるのである。一度は母に相談をといいかける太郎に、博士は「軍の命令は陛下の命令である」と大声で叱りつける始末。
と、そのとき、仲町芸者春栄が島田に裾を引き、姿も美しく入ってきた。博士を呼びにきた芸者春栄の顔と姿を、一瞬驚愕して見つめる太郎。
「紀久子さま」と呼んでしまう。だが、彼女は自分の名前は春栄という芸者であるといい、太郎の驚く表情に嘘か真か春栄は静かに答えるのだった。
太郎は、母と妹の住む信州の家へ帰ってきた。だが、ふるさとで太郎を迎えたのは、あのとき偶然出逢った春栄の、いや紀久子の消息であった…。
(残念ながら、パンフレットの「あらすじ」の記載はここまでで終わっています。)
春栄と名乗る芸者は、あの紀久子だったのです。その紀久子は不治の病「肺結核」に罹り太郎の手当の甲斐もなく死んでしまうのでした。
紀久子の従姉役の市川翠扇さん
海軍の軍医となって、紀久子の遺した琵琶をふたりが出逢った故郷の古城の天守閣に埋めに行く太郎でした。
学生服、袴姿の書生、着流し、海軍の軍服…当時の舟木さんの舞台姿にリアルタイムでご覧になったファンの皆さんは、さぞかしうっとりなさったことでしょうね。そして川口松太郎氏にきわめつけの悲恋物語の主人公を想起させる若き日の舟木さんだったのでしょう。
以下に「風来坊」(1999年8月 マガジンハウス刊)の中で「春高楼の花の宴」の作者、川口松太郎氏について舟木さんが記していらっしゃる一文をご紹介します。
Ⅲ 忘れ得ぬ人たち 時代劇の三恩人 より一部抜粋
舞台での時代劇をどう演じればいいのか。
どう心がければいいのか。
それを一言で割り切らせてくれたのが、川口松太郎先生。
明治座で川口先生書き下ろしの「春高楼の花の宴」を上演した時のこと。
台本を何度繰り返し読んでみても、ストーリーに矛盾がある。思いあまって直訴に及んだ。
「先生のこの芝居、一幕目と二幕目の辻褄が合わないんですけど、ミスプリントじゃないですよね」
大御所の川口先生に言うオレもオレだけど、先生の答えがふるってた。
「いいんだ、いいんだ。観てる方がおもしろきゃ」
一つ、鉛筆の芯を貰ったなという感じがした。歌にも、似たようなことが言えると思う。
舟木さん二十代の明治座・座長公演~「役者・舟木一夫」の足跡をたどる その3に続きます