ちょうど一週間前にアップした河津桜が八分咲きくらいになっています。満開も近いようです。
一週間前はまだこんな具合でした
このタイトルでの連載のバックナンバーです。
「役者・舟木一夫」の足跡をたどる 舟木さん二十代の明治座・初座長公演 その1
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70128394.html
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「役者・舟木一夫」の足跡をたどる 舟木さん二十代の明治座・初座長公演 番外編
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70173135.html
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「役者・舟木一夫」の足跡をたどる 舟木さん二十代の明治座・初座長公演 その2
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70198167.html
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「役者・舟木一夫」の足跡をたどる 舟木さん二十代の明治座・初座長公演の完結編です。
1967年の初座長公演のパンフレットには、明治座初出演ということもあってか、様々な方向からの取材がされていますので、最後は、以下のタイトルの記事をご紹介して終わりたいと思います。
1 舟木一夫に逢った日 安藤鶴夫
2 座談会 初共演 川口先生を囲んで
川口松太郎/舟木一夫/光本幸子
3 舟木一夫の魅力
藤純子(現・富司純子)/山内賢/チャーリー脇野
まず、この前年の1966年秋、新歌舞伎座初座長公演の「雨月道成寺」を書いた安藤鶴夫氏の寄稿文を一部抜き書きしてご紹介します。レコードデビュー直前の舟木さんの佇まいや印象が、いきいきとした筆致で描かれていてとても臨場感にあふれた貴重な記録となる文面です。
1 舟木一夫に逢った日 安藤鶴夫
もう、何年前のことになるか。少し汗ばんでいたから、春からそろそろ夏へうつろうという頃ではなかったか。
うちのドアが半分開いていて、見知らぬ人がふたり、玄関に立って、うちのカミさんと話をしている。すぐ、名刺を出したので、みると関矢文栄とある。わたしは野球のことなんてなんにも知っちゃぁいないので、わるいみたいなものだったけど、読売ジャイアンツの、私は私設応援団長としてプロ野球の世界では名物男だとあとで知った。
じつは、ふたぁりとも、このおなじ町内の、若葉一丁目に住んでいて、この子がうたったレコードが、もうあと五日ばかりでコロムビアから売り出されるンですが、おなじ町内のよしみで、ひとつ、そのレコードを聞いてくれませんか、とこれまた、汗をふきふきそういうのである。
うちのドアが半分開いていて、見知らぬ人がふたり、玄関に立って、うちのカミさんと話をしている。すぐ、名刺を出したので、みると関矢文栄とある。わたしは野球のことなんてなんにも知っちゃぁいないので、わるいみたいなものだったけど、読売ジャイアンツの、私は私設応援団長としてプロ野球の世界では名物男だとあとで知った。
じつは、ふたぁりとも、このおなじ町内の、若葉一丁目に住んでいて、この子がうたったレコードが、もうあと五日ばかりでコロムビアから売り出されるンですが、おなじ町内のよしみで、ひとつ、そのレコードを聞いてくれませんか、とこれまた、汗をふきふきそういうのである。
関矢文栄のうしろに、それこそ、いまにも消え入りたいような、はずかしそうな顔をして、色の、青じろい詰襟の学生服を着たのが立っていて、みると、すみません、という顔をして、お辞儀をした。舟木一夫であった。
ふたりに上がってもらって、ちょうど、ふたぁりとも娘がうちにいたので、みんな、ここへきて、舟木一夫君ってひとのレコードききなさい、といった。下の娘が、自分のステレオに、そのレコードをかけた。
せまい庭だけど、そろそろ、草の庭らしくなりはじめる季節で、柳が垂れ、書庫の壁に、竹の葉が、かげをうつしたりしている昼である。戸をあけはらって、まずしいけれど、そんな庭を前にして、うち中で、五日後に、発売するというそのレコードを聞いた。「高校三年生」であった。
~中略~
ふたりに上がってもらって、ちょうど、ふたぁりとも娘がうちにいたので、みんな、ここへきて、舟木一夫君ってひとのレコードききなさい、といった。下の娘が、自分のステレオに、そのレコードをかけた。
せまい庭だけど、そろそろ、草の庭らしくなりはじめる季節で、柳が垂れ、書庫の壁に、竹の葉が、かげをうつしたりしている昼である。戸をあけはらって、まずしいけれど、そんな庭を前にして、うち中で、五日後に、発売するというそのレコードを聞いた。「高校三年生」であった。
~中略~
その時分は、どうして、うち中で、おやじも、母親も、こどもたちと一緒にうたうことのできる、そういう、すがすがしいうたというものはないのかと腹を立てていた。そうしたら「高校三年生」は、そういう、めずらしく清潔な、かわいらしい歌謡曲であった。
そして舟木一夫のうたのうまいことにも感心した。このごろ、若いのに、うまいなどというのは、たいてい不良少年じみているのが多いのに、舟木一夫は、まるで、そういうケがなかった。そっと、椅子に掛けている舟木一夫の、ものごし、話し方も、素直でまことに、ちゃんとした若者であった。それから、若葉一丁目の町ぐるみの応援がはじまった。
2 座談会 初共演 川口先生を囲んで 川口松太郎/舟木一夫/光本幸子(三月二十七日 浜町鯛万にて)
司会:いよいよ四日から舟木さんの東京初の長期公演がの幕が開きます。この公演には新派の方々が大勢参加されていますし、川口先生の作品も上演される訳ですが、舞台の中心になります若い二人、舟木さん、光本さんに先生の方から何かお話がございましたらお聞かせ下さい。
川口:話の分かれ道になるので、最初に聞きたいんだが、舟木君がこれから芝居を本気でやって行くつもりがあるか、あるいはあくまでも歌手として、舞台は二の次とするのか…。
舟木:実は親父が前に芝居小屋をもっていましたので、自分としては役者になりたかったんです。結果的には第四志望だった歌手になってしまいましたけど。
第二志望が落語家で(笑)その次が浪曲家(笑)芝居の基礎は全然ありませんけど、すごく好きなんです。
僕のような若い人間が中心になるというには何か重いものを感じますが、このような大舞台を踏めるということを仕合せだと思っています。
第二志望が落語家で(笑)その次が浪曲家(笑)芝居の基礎は全然ありませんけど、すごく好きなんです。
僕のような若い人間が中心になるというには何か重いものを感じますが、このような大舞台を踏めるということを仕合せだと思っています。
川口:テレビで君の「一心太助」(「一心太助江戸っ子祭り」のことでしょう)を聞いて、ハハァ、これはタンカが切れるなと思った。あれは教わったってできるものじゃぁない。江戸っ子の芝居を書いてもタンカの切れる役者は少ないんだ。感心したね。
舟木:困ったな。なんとかして下さいよ(笑)
川口:だいたい君は早口の傾向だね。だけど今度のお芝居なんかはあまり早口だと味が薄れる。しかし何といっても君が芝居を第一志望にしていたというのは心強いね。光本のお師匠さんの八重子(初代・水谷八重子さんのこと)はもう六十だ。だけどまだ二十一、二の娘役がやれる。これは芸の力だ。人間一生の仕事として足りるものだ。歌手には肉体的な限界があるだけに舞台の基礎をこの際積んでほしい。この人(光本)は、最近少し出来上がってきたので人の言うことなんて聞かなくなってきたけど(笑)
光本:何かあるとすぐ怒鳴られちゃうんで、いやになっちゃう。
司会:舟木さんが第四志望であった歌手になられたいきさつを…
舟木:中学に入って器楽をやるようになりましてブラスバンドを結成したんです。市の大会で優勝もしました。その頃は三橋美智也さんのような高い声だったんです。声変わりして今のような低い声になってクラシック歌の勉強を二年半ほどしたのですが、どうしても好きになれなくて先生にあやまりに行きました。流行歌が好きだからやらせてくれって。(笑)
川口:どこで習ったの。
舟木:名古屋です。
川口:名古屋の訛りは出てこないね。
舟木:歌を習うために名古屋の学校に行きまして、その頃は歌手を志して芸大に入ろうと思っていましたので訛りがあってはいけないと標準語の映画ばかり見ていました。変なところがあったら注意して下さい。
川口:本読みの時に、二、三気になったところがあった。でも、最近は東京弁そのものがおかしくなっている(笑)
この幸子というが音感は天才なんだ。いろいろな女優を見てきたけれど、こんな女はいなかった。
この幸子というが音感は天才なんだ。いろいろな女優を見てきたけれど、こんな女はいなかった。
光本:恐い。あとでだんだん下げて行く(笑)
司会:光本さんもレコードを吹き込んでいますね。
光本:中学、高校が音楽学校でクラシックをやっていました。舟木さんと同じでどうしてもそれが好きになれなくて。
川口:新派に入ったとき学校に行っていたね。
光本:高校にやっと入って四年かかって卒業しました。
司会:舞台は長いですね。
光本:中学一年の時、川口先生の「隅田川」が初舞台です。もっとも小学校六年生の時「望郷の歌」で踊ったことはありますけど。
川口:いきなり大役をもっていった(笑)
司会:「春高楼の花の宴」で、川口先生のご注意がございましたら。
川口:僕が舟木君のためにどういう本を書こうかと考えていたとき、川奈ホテルにいたんだがNHKの紅白歌合戦で君が歌うのを見たんだよ。そしたら君が泣いている。三益(妻で女優の三益愛子さん)と二人で「泣いてるよ あの子泣いてる」
舟木:お恥ずかしい(笑)
川口:いやいや、ああいうところではなかなか涙など出るもんじゃぁない。これは一つ、感傷を交えたロマンで行こうと思ったんだ。筋はあまり考えないで、きれいな恋愛でもって、明治の中期の青年をえがいてみた。舟木君もこういったものは好きでしょう。
舟木:好きですね。
司会:舟木・光本という新しいコンビが誕生する訳ですが…
舟木:はじめて光本さんの写真を見たのは一年前くらいでしたか。その時、ぱっと「並んだ感じが僕に合う」と思ったんです。
それで去年の十月に話をもっていったらあっさりフラれました(笑)
それで去年の十月に話をもっていったらあっさりフラれました(笑)
光本:私がはじめてお逢いしたのは二月の末に大阪のYTVのスタジオだったんですが、何かあわただしくて。でも、その前からテレビの矢頭右衛門七や、敦盛を拝見したりでよく存じ上げていました。
川口:合うよ二人は。今日の本読みでも病院のところから終わりの方のあの感じ、とっても良かった。
光本:肺病で死ぬ役には少し太りすぎだけど。
川口:食べ過ぎるんだよ(笑)おふくろに似ていたらもっと美人になったんだよ。この人のおっかさんは十年前とちっとも変らない。
光本:だからさっきも言ってたんですよ。あのセリフをカットしてくれないかナって。「美人薄命」だなんて…
川口:いいじゃないか。素顔を見せるんじゃないんだから(笑)でも、この頃の幸子はきれいになってきたよ。鼻が低く見えなくなってきた(笑)それも芸の力だ。それはテレビでも舞台でもみんなに叩かれて一歩一歩大きくなって行くからで、まわりの人に感謝しなければいけない。舟木君、この人は了見が良いんだ。この間も三益が黙って見に行ってね。うちの晶は大変おこられていたが幸子は良かったと言っていた。まわりがだれていたらしいんだが、この人は投げないんだ。初日の感じを持ち続けるということは大変なことだ。
司会:明治座という劇場についての感想をお聞かせ下さい。
舟木:明治座に出る前までは、梅田コマとか京都の南座が好きだったんです。決して建物は立派じゃありませんけど、とっても暖かいんです。明治座という劇場は舞台の上からは未だわかりませんけど、正面玄関の感じなんか計算されてるわりには冷たさがない。お世辞ではなく、明治座という劇場はすごく好きですね。
司会:今度の公演で新派の方々が大勢共演されてますが…
舟木:東京に来て間もありませんし、歌の方に熱中しちゃってあまり見る機会もなかったのですが、新派のもつ雰囲気がとっても好きなんです。芸のことになるとこまかいことが分からないだけによけい感じます。
川口:やっぱり人だよ。劇場も、劇団もそれをつくっている人たちの仕事への熱意と和だね。だから四月の舞台も歌手の人を中心にした場合にありがちな、頼まれたから出ているんだというのではなく、誰もが一生懸命なかよくやらなければいけない。また、舟木君のような人気者の場合には、常に自分にきびしくしていくことが何よりも大切だと思う。明治座でのこの公演が大成功して、来年もまたやるというようにしたいし、そのためには僕も力になろうし、若い君たち二人も頑張ってほしい。
司会:では、舞台を楽しみにしています。おつかれのところありがとうございました。
3 舟木一夫の魅力
一心太助 藤純子(現・富司純子)
「べらんめぇ、おいらは天下の江戸っ子太助だい!」威勢のいい啖呵も飛び出すのは、もう皆様ご存知舟木一夫さんの一心太助です。ここ東映の京都撮影所では舟木さんの初時代劇「一心太助江戸っ子祭り」の撮影だけなわ、私も太助の恋人役お仲でご一緒させていただいております。
毎日セット内はファンの人達でいっぱいに膨れ上がり、舟木さんの一挙手一投足にため息と黄色い声援が飛び交いそれは大変なものでした。こんなにまでファンの心を惹きつける舟木さんの魅力は何でしょう。彼のもつ清潔なムードや歌手としてのうまさは無論のことです。私はこう考えました。セットの片隅などで見せる気取らない地のままの彼、冗談を言って皆を笑わせたり、私をからかったり、とにかく彼のいる所はパッと花が咲いたような明るいムードに変化するのです。それが舞台、スクリーンを通じファンの人の心に通じるのでしょう。「一心太助」では舟木さんが唄ったり暴れたり大活躍をします。ぜひご覧になって下さい。
舟木君 ガンバレ! 山内賢
僕の大好きな舟木君の魅力について大別すると二つあります。その一つは大変真面目であること。そしてその真面目さから脱皮しようと努力していること。この二つだと思います。前者は彼に対して誰もが感じることで、彼の仕事に対する情熱、人にはいつも真心をもって接し、自分の主張を持っています。こんな彼を見ていると、とても頼もしくなってきます。しかし、最近は彼も麻雀、お酒と色々勉強?しているようです。お酒は僕の影響かも知れません。この前逢った時「昨日お酒をおちょこに三杯飲んだよ」なんて真面目な顔をしていう彼をみると、ほほえましくなります。また、いつも話し合うことは芸能人のあり方から恋愛論?まで、とにかく一人の若者であり一芸能人である大変むづかしい処にいる者同士、話し合い悩みを分かち合っている二人です。彼の昨年の足跡をみても歌唱賞受賞、絶唱の大ヒット、映画出演と大活躍の年でした。今年も歌に映画に舞台に益々彼の独壇場となっていくでしょう。ただ、僕が心配するのは舟木君の健康のことです。くれぐれも自重されんことを祈ってやみません。舟木君ガンバレ!
舟木一夫と共に チャーリー脇野 舟木さんの向かって右隣りがチャーリー脇野さん
「舟木一夫」この名前を聞いてからもう四年近くの月日が流れました。そして私も舟木君の伴奏者の一人としてその四年間を過ごして来たことになります。どこかのコマーシャルではありませんが、その間には色々なことがありました。そしてそのひとつひとつを見事に彼は解決し突き進んでまいりました。私はそれを「若さ」などと平凡な一言では言いきれない何かを感じます。その何かとは彼の持つ非常に近代的な明るい青年像であり、また意外なほど大クラシックな精神面、そしてこのふたつの見事な調和です。これは彼の非凡なエネルギーの秘密ではないでしょうか。仕事先のホテルの小さなバーのカウンターでコーラを飲みながら落語の話をしている時の彼の楽しそうな表情、そしてそれが仕事の話になるや一変して一人の歌い手、いや歌の虫になってしまう彼、我々古い大人達も音を上げてしまうことも度々です。いつかの旅先でのステージの始まる前に並んでいるバンドのメンバーの一人一人に冗談を言いながらべっこう飴を配って歩く彼。そしてこれが舟木一夫という一人の青年の魅力のすべてではないでしょうか。明治座初公演、皆様と一緒に心からお目出度うを言いたいと思います。
1、2、3のどの記事を拝見しても、若い頃から少しも変わっていない舟木さんだとあらためて嬉しい気持ちになります。謙虚で控え目でありながら、ご自身の信念を主張なさる凛とした強さ、生来の真摯で真面目な本質を崩すことなく芸事の世界に生きる者としての遊び心を追求する柔軟性、常に仕事の中心にいる自分に奢ることなく自然体で周囲で支えてくれる共演者やスタッフに細やかな心配りを忘れない繊細さ優しさ、そして物事に動じない大きな器量。
この連載をまとめながら、若い日に、多くの文化人、舞台人から大きな期待を寄せられていた舟木さんの現在が、今、最高に充実し大輪の美しい花を咲かせていることをあらためてかみしめることができたようで幸せな気持ちに浸っています。
こちらもわが家の墓所のお寺の境内に咲いていた早咲きの桜です。品種は江戸彼岸桜?
みんな旅人 作詩:作曲:上田成幸
https://www.youtube.com/watch?v=kyR5ILf9V_s
https://www.youtube.com/watch?v=kyR5ILf9V_s
人と話すだけで 疲れるなんてことが
別に不思議じゃない バカな話じゃないか
何気なく笑うほど 俺は大人じゃないし
くちびるをかむほど 若くもないさー
人と人が今日も 息をひそめすれ違う
許しあえるはずの わずかな過去を抱きしめ
別に不思議じゃない バカな話じゃないか
何気なく笑うほど 俺は大人じゃないし
くちびるをかむほど 若くもないさー
人と人が今日も 息をひそめすれ違う
許しあえるはずの わずかな過去を抱きしめ
俺にあいつが勝って あいつが誰かに負けた
どこか違う気がする…判るような気もする
男ならこう生きる 女ならこう生きろ
そんな生き方など あれば知りたい…
歩きながら迷う さぐりながらまた歩く
それでいいじゃないか たぶんそれが人生
風が西に吹けば 西をめざす船の群れ
鳥が北にたてば 狩人たちは北へ
男から女へ 残せる愛は嬰児(みどりご)
女から男へ せめて な・み・だ・をー
信じすぎることも うたがいすぎることも
みんな人の弱さ 旅ゆく人のやさしさ
みんな人の弱さ 旅ゆく人のやさしさ
以下は以前に掲載した明治座公演についての記事のhtmlです。(参考)
1968(昭43)7月 「坊っちゃん」「喧嘩鳶~野狐三次~」
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68556298.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68556298.html
1969(昭44)7月 「与次郎の青春」「新納鶴千代」
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68569611.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68574489.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68569611.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68574489.html
1970(昭45)8月 「新吾十番勝負」「日本の旋律 荒城の月」
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68579844.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68583467.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68579844.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68583467.html
1971(昭46)8月
「新吾十番勝負 完結編」「忠臣蔵異聞 薄桜記」
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68648060.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68648210.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68648060.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68648210.html
1972(昭47)8月 「魔像」「あの海の果て」
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68672420.html 7年にわたる明治座公演のパートナー光本さんと
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68672420.html 7年にわたる明治座公演のパートナー光本さんと
明治座での最終公演となった「沖田総司」「われ永久に緑なる」(1973年8月公演)についてはまた後日ご紹介したいと思います。