10月6日、大阪フェステバルホールの昼の部に行ってきます
わが家のご近所の庭で秋風にゆれるコスモス(秋桜)
秋…と言えば、48年前の秋、ちょうど今頃の季節に公開されていた映画「夕笛」について、古い雑誌からの記事をメインに、日記を記していこうと思います。今日は、予告編?というところにとどめて、また、おいおい連載していきます。
1967年9月23日に劇場公開された映画「夕笛」、西河克己監督、舟木さんの雄作、松原智恵子さんの若菜で「悲恋三部作」の二作目の日活作品となるまでに、こんなウラ話があったようです。
別冊・近代映画 1967年10月号掲載記事
「まさに”秋オトコ”の躍進ぶり”」より一部抜粋
秋風とともに夏の間吹きまくったエレキ、グループ・サウンズ台風もそろそろ、その威力がおとろえてきた。かわって、哀愁をおびた歌曲が全国レコード売り上げベスト10の中に顔を出して来た。~中略~その先陣を切って8月発売の舟木一夫「夕笛」が急上昇を続けている。~”秋に強い歌手”それは舟木一夫である。デビュー曲の「高校三年生」は6月中旬の発売だったが、秋にぐんぐん伸びた。この年のレコード大賞・新人賞を得た。そして一昨年は「高原のお嬢さん」で面目躍如たるところを聞かせた。昨年は、みんなも知っている「絶唱」だ。「地味だったんですが、セールスは最高のヒットだったんですよ」と作曲家の市川昭介氏がいうように、41年度の日本コロムビア・ヒット賞の最高位を獲得した。舟木を堂々たる歌手として決定づけてしまった一曲だった。
この曲は、日活で映画化されて空前のヒットをもたらした。日活にとって起死回生のホームランとなり、あたかも救世主のようにあがめたてまつられたものである。その”秋オトコ”の舟木が、またまた放つ収穫の一打であるのが「夕笛」だ。「いい意味で”絶唱”を意識しています。カラーとしては、すごく似ていますが、それよりもちょっと大人っぽいものです。」と舟木は、この曲が日活で映画化されるとき言っていた。「曲がすごく重厚なんです。それだけに、慎重に歌い込み、慎重な映画としなければと思っています。」と曲が出来たときは、語っていたが、映画化に当たって、その通りの激戦が映画三社で戦われた。「一心太助江戸っ子祭り」でお世話になった東映が、はじめ名乗りをあげた。だが、舟木が相手役を三田佳子に指名したため、折り合わず、それ以前に「その人は昔」の東宝が「ウチでどうだろう」と口をかけたが、「相手役に適当な人がおらず…」という理由でこれもダメ。ようやく落ち着いたのが「絶唱」の実績のある日活だった。
この号に掲載された記事に先立って、「別冊・近代映画7月号」には、上記の記事内容を裏付けるようにこんな記事が掲載されています。
別冊・近代映画 1967年7月号掲載記事
「舟木クンの東映次回作は現代劇~”夕笛”とはこんな映画です!」より一部抜粋。
本社の企画審議会で、「一心太助江戸っ子祭り」「銭形平次(=立花数馬役で特別出演)」と舟木時代劇が続くから、ここは現代劇にしてほしいということになり、早速第一共栄側と協議した。そして決まったのが「京都」を背景にした純愛・悲恋もの。葵祭り、祇園祭り、大文字の山焼きなどの年中行事をうまく生かして、そこに、舟木メロドラマを謳い上げようという趣向。撮影時期は八月二十五日から一か月間だが、その前に、七月十六日、十七日の祇園祭り、八月十六日の大文字・山焼きには実景を撮るので、舟木君と相手役の女優さんには京都に来て貰わねばならない。丁度、コロムビアの八月新譜で、大ヒットを狙う「夕笛」という歌が吹き込まれて、これをテーマ・ソングにしようではないかと、狙いが決まり、京都に脚本の野上竜雄氏を呼んで市観光局の斡旋で連日シナリオ・ハンティングを行い、段々話がかたまり、いよいよシナリオの書き出しというところまでたどり着いた。六月十日脱稿を目標に、まだ、これから脚本を執筆する段階でストーリー紹介は時期尚早なのだが、特に舟木ファンの皆さんの要望に応えて、大体の梗概をここにご紹介する。勿論、監督、キャストも決まらないし、書き上がったシナリオとは多少違った箇所が出来てくるかも知れないが、その辺のところは、予めご諒承をしてもらい…十月下旬封切の舟木一夫次回作「夕笛」とは、こんな内容の映画である。
幻となった東映版「夕笛」の「大体の梗概」 参考 その1
幻となった東映版「夕笛」の「大体の梗概」 参考 その2
幻となった東映版「夕笛」の「大体の梗概」 参考 その3
幻となった東映版「夕笛」の「大体の梗概」 参考 その4