映画「夕笛」~ 昭和初期の香りがスクリーンから匂い立つ、古典派メロドラマの世界 その1
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70749639.html
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上記からのつづきです
「夕笛撮影日記/舟木一夫 雄作とともに歩んだ1か月」 別冊・近代映画1967年10月号より
●なつかしかった夏まつり!
お祭りのシーンでは、幼い日、父母に連れられておまいりした故郷のお宮のことが思い出された!
お祭りのシーンでは、幼い日、父母に連れられておまいりした故郷のお宮のことが思い出された!
○月×日
彦根第一日目のロケ。九時開始の堀端での撮影。文教都市彦根も早朝から中高生のすごい人だかり。最初は「北国新報」で雄作のアルバイト先の玄関口での撮影。冬物の学生服姿は、三十五度もある彦根では、汗がびっしょりと出て、むし風呂に入っているようなもの。テストのときには、上衣をぬいで本番になると着用することにしなければ、とってもやりきれない。
次は、彦根城に登って天守閣の近くでのラブ・シーンの撮影を行う。
大阪・名古屋方面からバスを連ねてのロケ現場に来てくださる熱心なファンの方々がいらっしゃるのには頭が下がる。それに、地元の人を合わせて四百人の群衆の中でのラブシーンはいささかてれる。スタッフの人たちの配慮があって近くには人垣を作らないようにしてくださったが、近くから遠くからスタッフも含めた九百の目が僕とチーコに集中していると思うと、ガタガタするし、もう石のようにこちこちになってしまう。
西河先生も、ずいぶんこのシーンに趣向をこらされるし、カット、カットをこまかく刻まれたので、映画で見るとほんの数分しかないものが、四十分もかかって撮り終えた。四十分もコチコチになっていたのだからたまりません。石のように冷たくなっているように感じられる。チーコも「舟木クン、まるでほかの人かと思うような感じだったワ」という。自分がまるで自分でないような感じがした。
ラブシーンは全く苦手だ。そういっても作品の性質によってはしかたがないと思うが、そう思ってもなかなかわりきれないものがある。
この問題のシーンを無事に撮り終えたときには、頭を上げて人の顔を見ることができず、チーコと二人で下を向いたままで歩くぶざまなかっこうだった。次のシーンは、堀端でお祭りシーンの撮影。忙しくて祭りを楽しんだことのない僕としては、このシーンは大変な楽しみ。地方色豊かな夏祭りにゆかたがけで見物、子供の時代、父親に連れられていった一宮の夏祭りを思い出した。綿菓子、かき氷、金魚すくいなどもりだくさんのお店が出て、僕たちの目を楽しませてくれた。
子供時代は、父親を困らせて、泣いては綿菓子を買ってもらったりしたことが、いまだに話題にのぼることがある。懐かしいお祭りシーンだった。
●村人たちに同情されて?
無銭旅行のシーンで、あんまりきたないかっこうをしたので、村人たちにコジキとまちがえられる
○月×日
七時出発のロケ。伊吹山でおこなうはずのロケが天候の影響か、旧国民宿舎がある琵琶湖畔で行われる。
旧制高校の仲間三人との無銭旅行のくだり、琵琶湖畔をバンカラスタイルで行くかっこうはまったくこじきを思われてもしかたないようだ。
このシーンは、リアルに描くためにと西河先生は盗み撮りを要求されたが、映画の撮影とは思わない村の人たちはみじめな学生と思い、いたわりの言葉をかけられたのには、人間の温かみを感じさせられた一場面だった。そうした人間味を味わった我々は、無事に撮影を終え、協力して下さった人たちには感謝の念をいだかずにはおれない気持ちになった。
旧制高校の仲間三人との無銭旅行のくだり、琵琶湖畔をバンカラスタイルで行くかっこうはまったくこじきを思われてもしかたないようだ。
このシーンは、リアルに描くためにと西河先生は盗み撮りを要求されたが、映画の撮影とは思わない村の人たちはみじめな学生と思い、いたわりの言葉をかけられたのには、人間の温かみを感じさせられた一場面だった。そうした人間味を味わった我々は、無事に撮影を終え、協力して下さった人たちには感謝の念をいだかずにはおれない気持ちになった。
次の現場は、柳川(滋賀県)でのチーコと二人のランデブーのシーン。草むらをかけっこする二人、追いつ追われつの二人はまったくいいムードだ。そこで突然、昔からある心臓病が発病し、草むらに倒れかかるのであるが、胸をおさえてうずくまる芝居がむつかしく、なかなかうまくいかないのには、困り果てた。それでも何回かのテストを繰り返すことによってやっとうまくいけるようになり、OKのサインが出る。
こんどの演技は、二十本ばかりの映画に出演したがいままでのうちでは一番むつかしい役を演じたように思われる。そのおかげか、自分としてはとことんまでシゴカレたように思われる。歌手、舟木一夫ではなくして、演技者舟木一夫としてやり通した気持ちになる。
○月×日
彦根最後のロケ、早朝四時半出発。朝もやのたれこめている彦根城のほとりでラストシーンの心臓発作を起こしそのまま遠い旅に出る撮影。
早朝といいながら、ファンのロケ見物は、二、三十人の集まりをみせ、熱心さには頭が下がる。七時には、この撮影は終わり、一時休憩ののちに、九時から彦根の街の歩きをカメラにおさめる。
これで、ロケにおける全日程を終えたが、短い期間のロケではあるが、大変楽しい旅となった。全スタッフと一緒に、新幹線で東京に帰る。明日からのセットには頑張らなければいけない。大変たいせつな芝居が多く残っているのだから。そのためにも、帰ってからの僕だけのリハーサルは、ずいぶんの時間がかかった。七時ごろ自宅に着く。久しぶりに見る家族の顔がいきいきとしているで安心した。ロケの話に花が咲いて、床についたのが午前二時ごろになる。このロケは、僕の胸の奥深くに刻み込まれたものとなるだろう。
○月×日
九時開始でセット撮影。東京の後援会の人たちがこれから連日、激励に現れるとのこと。昼のセット終了後、ファンの人たちと記念写真を撮る。セット見物に来たファンの人たちの前で、チーコとの芝居はテレてなかなかうまくいかない。意識するとかえって演技そのものがうまくいかないのだと思う。意識しないでと思うが、彦根のラブシーンと同じように意識しすぎてかえってだめの場合がある。それでも西河先生の指図通りに動き回っていると、知らず知らずのうちに型通りのお芝居ができてくる。
今度の「夕笛」は僕の出るところを集中的におしたので、休むひまもなかった。本日のセット終了は午前二時。明日は、また、朝早くからのセット開始になる。がんばろう。
今度の「夕笛」は僕の出るところを集中的におしたので、休むひまもなかった。本日のセット終了は午前二時。明日は、また、朝早くからのセット開始になる。がんばろう。
プチ「スライド上映会」 ストーリーのあらすじにそって、各場面の映像を並べてみました。
夕笛 1967年9月23日公開 監督:西河克己 脚本:星川清司/智頭好夫
(脚本は星川清司と智頭好夫となっていますが、智頭好夫というのは、お察しの通り西河克己監督のペンネームです)
昭和初期。ある城下町の“椿屋敷”と呼ばれる家に若菜という美しい娘がいた。若菜はある日、高校生島村雄作が家の庭に乱れ咲く椿をもらいに来たことから彼と知りあった。“椿屋敷”はもともと雄作の家だったが、鰊漁で成金になった若菜の父銀蔵が買い取ったのである。
その日以来、若菜と雄作の間に、愛情が急速に深まっていったが、銀蔵は若菜を家柄の良い高須賀家に嫁がせる心づもりで、その準備を進めていたから、若菜が雄作と親しくしているのを知って激しく叱責した。若菜の兄で作家の巳代治はそんな妹を不憫に思い、雄作との恋を遂げさせるべく駆落ちを勧めた。すでに銀蔵は高須賀家との結納を取り交していたこともあり、巳代治の勧め通り、東京へ出ようとした雄作は若菜の待つ場所へ急いだが、巳代治が左翼作家として逮捕され、その巻き添えで捕まってしまった。
家に連れ戻された若菜は、心すすまぬままに、高須賀信之に嫁いで行った。
一年後、若菜の若奥様ぶりが板についてきたように、端目には見えたが、彼女の胸から雄作の面影が消えたことはなかった。雄作が子供の頃から大事にしていたオルゴール時計を取り出してみては心の支えにしていたのである。そのことが知れて夫や姑に冷たくされた若菜はつらい日々を送らねばならなかった。そんな時銀蔵が亡くなり、“椿屋敷”も焼けてしまった。こうしたことで心労の重った若菜は目を悪くし、盲目に近い身になってしまったが、彼女はますますいづらくなった高須賀家を飛び出し、小さい頃から世話になったトヨと二人で屋敷の焼け跡に暮しはじめた。
そうしたおりに、建築家志望の学生としてドイツ留学の決った雄作が姿を現わした。雄作は若菜との再会を喜んだが、彼女の目が悪いことを知ると、ドイツ留学を棒に振って一緒に東京に出て若菜の目を治そうと決心した。一度は、雄作の出世の妨げになるからと断った若菜も、雄作の自分を想う言葉に承諾し、喜びに浸った。
しかし、二人の運命はあくまで皮肉だった。雄作が荷物をまとめて若菜の許に急ぐ途中、かねてからの持病の心臓発作で彼は倒れてしまったのである。
雄作の死後、一人の盲目の女がその墓標を抱くようにして死んでいった。誰が刻んだのか、海を見下ろす崖の上の自然石に、「若菜・雄作」の字がいまでも残っている。...
「その3」につづきます。