鈴鹿山脈(左から雲母峰、鎌ヶ峰、御在所岳、釈迦ヶ岳、三池岳、竜ヶ岳、藤原岳)
昨日は、末娘が、野菜を育てている畑に手伝いに行ってきました。JRと近鉄の桑名駅から、ほんの1分ほどのところに西桑名駅があります。そこを起点としていなべ市の阿下喜という駅まで北西に向かって走っている三岐鉄道の*北勢線を利用しました。
*北勢線の北勢とは…
現在の三重県を5つに区分すると「北勢」「伊賀」「中勢」「南勢(伊勢志摩)」「東紀州」となります。「北勢」は、三重県の最も北に位置する地域のことです。私の住む桑名も北勢地域にあたります。
現在の三重県を5つに区分すると「北勢」「伊賀」「中勢」「南勢(伊勢志摩)」「東紀州」となります。「北勢」は、三重県の最も北に位置する地域のことです。私の住む桑名も北勢地域にあたります。
*三岐鉄道…
社名は、かつて三重県と岐阜県(関ケ原)を結ぶことを目的としていたことに由来しています。北勢線は元は近鉄が運営していましたが、赤字で廃線するというのを地元会社の三岐鉄道が継承して地元住民の足を守っています。
社名は、かつて三重県と岐阜県(関ケ原)を結ぶことを目的としていたことに由来しています。北勢線は元は近鉄が運営していましたが、赤字で廃線するというのを地元会社の三岐鉄道が継承して地元住民の足を守っています。
楚原という駅で下車(所要時間約35分)楚原まで車で迎えにきてもらって、そこから10分弱で畑に到着。三重県の東西に連なる鈴鹿山脈の東の端のあたり、藤原岳が近くに見える場所に畑があります。
周辺の畑には、今の季節は大豆がたくさん実ってます
私の住んでる桑名は木曽三川の河口に近いので、川辺の風景は見慣れてますが、こんなに山を間近に見ると、浮かんでくるのは、舟木さんのこの曲です。
さ
みしいときは 憧れた
はるかなる はるかなる
山を 越えてゆこう
流れる雲よ ひとりでいても
ぼくの 涙は 見せないぞ
はるかなる はるかなる
山を 越えてゆこう
流れる雲よ ひとりでいても
ぼくの 涙は 見せないぞ
こころの怒り 思いきり
叫べば 叫べば
かえる あのこだま
いつでも ぼくを 待っててくれる
山は 父母 山は友
叫べば 叫べば
かえる あのこだま
いつでも ぼくを 待っててくれる
山は 父母 山は友
哀しみ多い 青春は
はるかなる はるかなる
山を 越えてゆこう
小さなことは 忘れていろと
山は だまって 立ってるぞ
はるかなる はるかなる
山を 越えてゆこう
小さなことは 忘れていろと
山は だまって 立ってるぞ
![](http://i.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/058.png)
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(1966年1月発売 カップリングは「ふるさとの乙女」)
若さみなぎる 眉あげて
仰ぐわれらの あさぼらけ
山のかなたに きらめく虹に
君もゆけゆけ 君もゆけゆけ
ぼくもゆく
仰ぐわれらの あさぼらけ
山のかなたに きらめく虹に
君もゆけゆけ 君もゆけゆけ
ぼくもゆく
ふるいこよみに さよならを
告げて夜明けの 鐘が鳴る
君の笑顔か 雪割草の
花も谷間に 花も谷間に
ゆれて咲く
告げて夜明けの 鐘が鳴る
君の笑顔か 雪割草の
花も谷間に 花も谷間に
ゆれて咲く
すぎた昨日を おもうより
生きるよろこび 歌おうよ
山のかなたに ふくらむ夢に
風もはばたく 風もはばたく
雲もゆく
生きるよろこび 歌おうよ
山のかなたに ふくらむ夢に
風もはばたく 風もはばたく
雲もゆく
「山」をメイン素材にした、ふたつの曲の作詩者である、西沢爽、丘灯至夫…両氏の作品をあらためて味わってみると、迷いや、悩み多き若者へのエールというカンジがします、特に、西沢爽氏の「はるかなる山」には、「さみしい、涙、こころの怒り、哀しみ」が青春時代には、ついて回るものだという風に語っているようです。そして、そういった感情を包み込んでくれる大きなものとしてのシンボルが「山」であると…まさに、舟木さんが、よくコンサートでおっしゃる「さりげない応援歌」だなぁと感じます。
「青春」というと、明るくて爽やかで、一点の曇りもないようなみずみずしい響きがあるのですが、実は「青春時代」って、当事者にとってみれば、悩ましいことがらが、たくさんあるものなんだと今になってわかるものなのかも…そういえば、「♪青春時代の真ん中は…」っていうヒット曲もありましたね(笑)
軽音楽の世界も、シンガーソングライターの席巻する時代になると、「青春」の真っ只中にある当事者自身による作品が、たくさん生まれ、同じ世代の若者たちの支持を得て、大ヒットするようになりましたが、昭和三十年代から四十年代の初め頃は、ある程度、年令を重ねたプロの作家(作詩家、作曲家)が、詩や曲を作り、若い歌い手が唄うというスタイルが、一般的でしたから、過ぎ去った「青春時代」を、大人の視線で見てるという詩になるのでしょうね。オンタイムで、聴いていた時には、あまり詩の意味を考えずにいましたが、今、聞くと、「青春ど真ん中」の当時より詩の中身が心に深く沁みてくるように思います。