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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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久しぶりの大阪城~日帰りで「大坂の陣400年記念/大阪平成中村座」観劇&舟木さんの歌う大阪ソング

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これからも宜しくお願いします。

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大坂の陣400年記念  大阪平成中村座

大坂の陣 ~ ウイキペディアより
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣(おおさかふゆのじん)と、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣(おおさかなつのじん)の総称。江戸幕府が豊臣宗家(羽柴家)を滅ぼした戦いである。


以下、公演内容については、文、写真ともに歌舞伎美人よりお借りしました。

昼の部

イメージ 36一、女暫(おんなしばらく)

北野天神の社頭では、天下を奪い取ろうと窺う蒲冠者範頼が家臣を従えて祝宴を開いている。家臣たちが祝儀を述べる中、木曽義仲の嫡子・清水冠者義高は、傲慢な振舞いの範頼を諫め、紛失したとされる宝剣・倶利伽羅丸を隠し持っていることを指摘。これに対して範頼は、宝剣のことは知らないと騙り、義高の許婚・紅梅姫を差し出して自らに服従するよう迫る。しかし、義高たちがこれを拒むので、彼らの首を刎ねるため範頼の愛臣・成田五郎が呼び出されてやってくる。
まさに首が刎(は)ねられようと太刀が構えられたそのとき、どこからか「暫く」という声が聞こえる。声の主は、木曽義仲の重臣である今井四郎兼平の妹・巴御前。範頼は巴御前を追い払うように家臣に命じるが、その威勢には誰も敵わない。範頼の不遜な振る舞いを責め、やがて宝剣を取り戻した巴御前。その場を立ち去ろうとするところを遮られると、大太刀を抜き…。
歌舞伎十八番の一つ『暫』を女方が演じる『女暫』は、古風で様式美に富んだ色彩豊かな舞台です。みどころは、女ながらも武勇に優れた巴御前の出で、「暫く」と声をかけ、大太刀を腰に帯びた颯爽とした素襖姿で現れ、ツラネを披露します。荒事の豪快さと同時に、女方の色気と艶やかさを備えた趣向に面白みがあります。華麗な一幕をご覧ください。


二、三升猿曲舞(しかくばしらさるのくせまい)

小田春永の館にある奥庭へやって来たのは、先頃、小田家に召し抱えられた此下兵吉。御殿を窺う兵吉の様子を不審に思った奴たちが取り押さえると、兵吉は好みの能をうかがっていたのだと明かすので、奴たちは兵吉に舞を所望する。そこで兵吉は扇を手に舞を舞い始め、猿回しの様子を面白く真似たり、遊女たちが戯れる様子を賑やかに踊ってみせたり。やがて、奴たちは兵吉の腕を試すように、再び打ちかかるが…。
『三升猿曲舞』は、小田春永(織田信長)に仕える此下兵吉(木下藤吉郎)が曲舞を舞うという趣向です。文政2(1819)年の江戸河原崎座での初演を勤めたのが七世市川團十郎であったため、外題に「三升」がついています。「三升」と書いて「しかくばしら」と読ませるのは、この作品が狂言『靭猿(うつぼざる)』の猿歌の件を踏まえているから。木下藤吉郎が猿と呼ばれていたように、猿回しの踊りも入り、愛嬌と飄逸な舞踊がみどころです。幕切れの花槍を用いての所作ダテも華やかなご当地所縁の長唄の舞踊をお楽しみください。

三、狐狸狐狸ばなし(こりこりばなし)

イメージ 37浅草・吉原田圃の小長屋に住むのは、以前は上方の女方役者で、今は手拭屋を営む伊之助と女房おきわ、そして雇人の又市。実は、夫の執着に嫌気がさしているおきわは、法印重善と深い仲。しかし、その重善には成金娘との縁談話があった。嫉妬をするおきわに対して重善は、伊之助を殺したら夫婦になると約束をする。翌日、河豚鍋を用意しておきわの世話をする伊之助は、又市が買ってきた染薬を見て、この染薬は毒薬だからと扱いに注意を促した。これを聞いたおきわが、隙を窺いお椀の中に染薬を入れると、それを食べた伊之助は苦悶の末に倒れてしまう。
 伊之助の弔いも済み、焼き場から戻ったおきわと重善は夫婦になる約束をするが、翌朝、家には死んだはずの伊之助の姿が変わらずあった。幽霊かどうかを確かめようとする重善たちは、再び伊之助を殺害しようと計画。しかし、その後も伊之助は重善やおきわの前に現れ…。
 狐と狸の化かし合いよろしく、男と女の色欲が絡み合った中で、二転三転の騙し合いが展開する、終始笑いが絶えない北條秀司の傑作喜劇です。昭和36(1961)年東京宝塚劇場で法印重善を十七世勘三郎が勤め、森繁久彌、山田五十鈴、三木のり平らで初演。その後、十八世勘三郎が歌舞伎として上演を重ねた中村屋に所縁ある『狐狸狐狸ばなし』をお楽しみください。

夜の部

一、俊寛(しゅんかん)

イメージ 38平家全盛の頃。俊寛は、平家討伐の企ての罪で、同志の平判官康頼や丹波少将成経と共に鬼界ヶ島へ流され、飢えと孤独の日々を過ごしている。そんな中、成経が島の海女千鳥と恋仲になり、俊寛の仲介で祝言をあげる。一同が喜ぶところへ、都から赦免船が到着し、上使の瀬尾太郎兼康が現れ、赦免状を読み上げるが、俊寛の名は記されていなかった。絶望した俊寛に丹左衛門尉基康が、備前国までの帰参が許されたと告げる。
 こうして俊寛たちは乗船しようとするが、瀬尾が千鳥の乗船だけを認めない。俊寛は千鳥も同乗させてほしいと懇願するが、瀬尾は悪態をつくばかり。ついに俊寛は瀬尾に斬りかかり…。
『平家女護島』は、享保4(1719)年に大坂竹本座で初演されました。作者は近松門左衛門で、今回上演される二段目「鬼界ヶ島」の段が名作として有名です。前半は、島流しとなった俊寛たちの孤独な生活が描かれる中、海女千鳥の初々しさが花を添えます。後半は、妻の死を知った俊寛の絶望や瀬尾との斬り合いの後、島にひとり残された俊寛が船を見送る幕切れが最大のみどころです。俊寛の心の機微が描かれた味わい深い義太夫狂言をご覧ください。



二、盲目物語(もうもくものがたり)

イメージ 39織田信長の妹お市は、夫の浅井長政と長男の万福丸を兄に滅ぼされ、3人の娘とともに故郷の清洲城で鬱々と暮らしている。そんなお市を慰めているのは、盲目の弥市。お市に心を寄せる弥市だが、その想いを秘めたまま揉み療治や三味線を弾いてお市や娘たちの世話をしている。
一方、柴田勝家もお市に心を寄せており、度々、お市のもとを訪れていた。お市が勝家の想いを受け入れることを決意するところ、そこへ忍んで来たのは木下藤吉郎。実は、藤吉郎もお市に思いを寄せている。しかし、信長の命で息子の命を奪った藤吉郎を仇と言って忌み嫌うお市は、勝家に嫁ぐと言い放つので、藤吉郎は呆然とするのみだった。
信長の死後、勝家は藤吉郎との争いに敗れ落城寸前となり、居城の天守閣でお市とともに自害する。お市を手に入れるために勝家を自滅させた藤吉郎は無念を感じ手を合わせる。その頃、弥市はお市の娘お茶々を背負い、炎の城を逃げ出し…。
谷崎潤一郎の小説を宇野信夫が脚本・演出した『盲目物語』は、昭和30(1955)年の第一回東宝歌舞伎で初演されました。弥市と秀吉を十七世勘三郎が勤め、2人の対照的な人生を早替りで演じ分けて当り役とし、十八世勘三郎にも受け継がれた中村屋所縁の作品です。権力を背景にのし上がる秀吉と、身分違いの恋に身を焼く弥市の哀れが対比されて描かれるご当地所縁の名作です。




お天気もよく、日中は陽の当たる道を歩いていると汗ばむほどだった昨日16日は、日帰りで、大阪城西の丸庭園内の仮設芝居小屋で上演中の「大阪平成中村座」のお芝居を観劇してきました。

平成中村座は、十八世勘三郎さん(2012年12月5日没)が2000年11月に浅草で、江戸時代の芝居小屋を模した仮設劇場を設営して当時の芝居小屋で見る雰囲気を味わってもらいたいとスタートさせた試みで、それが大きな話題を呼んで人気を博しました。

私が、初めて「平成中村座」を観劇したのは、関西在住の2002年11月、大阪扇町公園内での興行「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」でした。この時は、今よりもずっとビンボー暮らしでしたが、思いっきり奮発して桑名から両親を招待して三人で観劇したのが、いい思い出になっています。
その後は、国内よりもアメリカやヨーロッパなど海外に遠征しての興行でしたが、2008年から勘三郎さんが亡くなった年の2012年5月までは、毎年恒例の興行となっていました。

私は、2008年の興行(浅草寺境内:仮名手本忠臣蔵)以降は、東京、名古屋、大阪で開催される「平成中村座」には、全て通い詰め、歌舞伎の楽しさを満喫させていただきました。「平成中村座」との出逢いがなければ、歌舞伎との距離は、もっと遠いものだったかも知れないと思っていますので勘三郎さんには、本当に感謝の想いでいっぱいです。

この芝居小屋は、堅苦しくなく、舞台上演中の撮影、*桜席から見える舞台準備中の撮影を除いては、小屋の中での撮影は、フリーなので、いつものガラケーでたくさん写真を撮ってきましたので、ご紹介させていただきます。

*桜席
平成中村座では、幕内の二階席左右にも客席が設えてあります。幕が引かれている間も舞台の様子を上から見下ろす形で見学することができるのが嬉しいお席です。私は、平成中村座ではいつも桜席をチョイスしています。東京公演では、なかなかゲットしにくい人気のある席なのですが、今回の大阪公演では昼夜ともに桜席(右)で観劇することができました。

歌舞伎の舞台を維持していくためには、看板となる役者さん以外に、多くの座員の役者さん、そして鬘から衣装、美術、大道具、小道具等々、その道の技術を積んだ方、そして裏方の皆さんなど、おびただしい人数の方の力が必要であることを、桜席での見学を通して実感として知ることができます。下の図の藤色の部分が桜席です。ちなみには「御大尽席4席」、ここはご縁がありません(笑)


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平成中村座の芝居小屋は西の丸庭園の奥、大阪城天守閣が舞台のちょうど裏側に見えます。見せ所は、クライマックスで舞台奥の扉を開け放して大阪城を借景にするというサプライズです。

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昼の部「三升猿曲舞(しかくばしらさるのくせまい)」                 夜の部「盲目物語(もうもくものがたり)」

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十八世勘三郎さんが平成中村座を見守る目が、小屋のあちこちに描かれています

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櫓の上にも

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御大尽席の裏側にも

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私の座った桜席の真横にも

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定式幕上手側にも

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中村屋の大提灯の左下にも

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なんとお手洗いの通路の上のあたりにも勘三郎さんの細やかな目が届いています
平成中村座ではお手洗いの混雑をスムーズにするために専任のスタッフの女性が甲斐甲斐しく誘導されています

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「隠れ勘三郎の目」は全部で18あるそうですが、全部は見つけられませんでした

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正面玄関口

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階段に飾られてる中村屋の故勘三郎/勘九郎/七之助/勘九郎長男七緒八/勘九郎次男哲之(のりゆき)の名入り提灯
勘三郎さんの本名は波野哲明(のりあき)です

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舞台正面の立派な衝立のお席がが御大尽席(舞台上手奥から撮影)

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下手客席と花道

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舞台上手、幕の裏側の見えてない席が桜席

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舟木さんはいつ出てくるの?……ですよね~ッ…どうもすみません
申し訳のようですが、この2曲で「大阪」つながりということで…


青春の大阪  作詩:西沢爽 作曲:和田香苗
https://youtu.be/aHqhBkdbpHk
(1964年9月 島倉千代子「小鳥が来る街」カップリング)

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小径に植えた 小さな木
いつか 誰かが 二人のように
愛をちかう
緑の木蔭になるように
あゝ 大阪を 青春の
みどりで みどりで つゝもうよ

小雨の朝は 御堂筋
星ふる夜は 中之島
べつに 約束 したんじゃないが
君も 僕も
緑の並木が 好きなだけ
あゝ 大阪を 青春の
みどりで みどりで つゝもうよ

ふたりがいつか 暮らす日は
小窓に置こう 鉢植を
夢が 希望が あの青空に
とどくように
緑の二葉に 頬よせて
あゝ 大阪を 青春の
みどりで みどりで つゝもうよ


大阪しぐれ  作詩:吉岡治  作曲:市川昭介
https://youtu.be/op-gkoNEN8g 
 (kazuyanさんの昨年の大阪フェスティバルホール「お出迎え」動画のBGM) 
(1981年 アルバム「どうしているかい」収録)

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ライトアップされた大阪城をあとに家路へと…いつまでも中村屋ご一門の隆盛と平成中村座の盛況を願って

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大阪城西の丸庭園は谷町四丁目が最寄り駅です。近鉄特急で、大阪上本町下車、地下鉄谷町線に乗り継いで、行ってきました。そして、大阪上本町といえば、忘れちゃいけない…来年三月の新歌舞伎座公演ですね。来年の3月はまた、何度もここに来るんだなぁ…と思いつつ近鉄特急で帰宅 

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