昨日でお正月三が日も終わり、仕事初めの方も多いかと思いますが、お正月気分はまだ松の内の間は抜けきらないかもですね。本当に穏やかないいお正月でしたね。昨日、今日はまさに早春というより桜の季節のような陽気です。
今年も、舟友の皆さんから、お心のこもった年賀状をちょうだいしました。この場を借りてあらためて御礼申し上げます。
ちょうだいした賀状の中に、お正月にふさわしく、またとってもレアな舟木さんの若い頃の舞台のお写真入りのものがありました。1972年の1月8日から14日に浅草国際劇場で開催された「新春歌いぞめ 舟木一夫特別公演」の舞台ナマ写真です。私自身も、もちろん初めて目にする写真で、貴重な資料でもあると思いましたので、舟友さんにご諒承いただき、感謝を込めて拙ブログで紹介させていただきます。私の手元に、この公演のパンフレットがありましたので、こちらも併せてご紹介します。
いただいた年賀状
新春歌いぞめ 舟木一夫特別公演 1972年 浅草国際劇場 パンフレット表紙
プログラムの一部
「はしごのり等をご披露します」…と書いてありますね。
舟木さんの「はしごのり」
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さっとかつぐは に組の梯子
神田日本橋 花が咲く
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
腰の鳶口 伊達には差さぬ
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
神田日本橋 花が咲く
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
腰の鳶口 伊達には差さぬ
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
どんと打つのは に組の太鼓
響く雷 夏の雨
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
可愛いあの子を 濡らしちゃならぬ
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶![イメージ 12]()
さあ どいた! どいた!!
響く雷 夏の雨
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
可愛いあの子を 濡らしちゃならぬ
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
ひょいと振るのは に組の幟
背中の薄と 野狐と
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
母の情が 男のいのち
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
背中の薄と 野狐と
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
母の情が 男のいのち
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
ジャンと鳴ったら に組の纏
雪が降ろうと 一番乗りだ
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
渡すもんけぇ この消口は
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
雪が降ろうと 一番乗りだ
「そおれ 火事は近けえぞ
さあ 繰り出せ 繰り出せ」
渡すもんけぇ この消口は
おいら に組の野狐三次
江戸の名物 喧嘩鳶
さあ どいた! どいた!!
東京の下町の代表…浅草。その浅草の名物の一つ…国際劇場。
流行歌手誰もが一つの目標としてこの劇場の舞台に立つ事を強く、切に望む浅草国際劇場、僕もやはりデビューした昭和三十八年、いえそれ以前にこの劇場の前に立って大きなファイトの中でそう思いました。
いつか、きっとこの国際劇場のステージで思いっきり歌いたい、いやきっと歌ってみせる…。
十七才だった僕の少々生意気なその記憶は、今もはっきりと残っています。そして十八才になり三十八年に歌手の仲間入りをし幸せにもその翌年、三十九年の三月望みがかない、しかも自身のショーを開き、その初日の幕が上がって超満員のお客様にかこまれた時の喜びと興奮。まるで昨日の事の様に覚えています。それなのに四十年の秋以来、随分と御無沙汰をしてしまいました。申し訳ありません。お許しください。でも、早いものですネ。今年はこの世界の一員となって十年目になります。十周年と言えば何はともあれ、一つの区切りである事に間違いはないと言う気がします。となれば、やはり初めて自分のワンマンショーをさせていただいた下町浅草のこの舞台で御礼と御挨拶をするのが当然の事だと思います。六年ぶりのこの国際のステージ、久しぶりに歌謡ショーらしいショーをごらんいただけそうです。十周年の年の唄い初め、力の限りやります。唄いまくります。
キャスト・スタッフの皆さんも大いに張り切って下さっています。ほんのチョッピリ御期待下さい。何だか話が前後になりましたが、お正月休みも終わって、御多忙の所を本当にようこそおいで下さいました。御礼の申し上げようもございませんがその御礼はステージからとショーの中から心をこめて申し上げます。
十周年記念の今年、僕自身も悔いのない年になる様に頑張りますが、お客様にとっても素敵な一年であります様お祈りします。
あっ…イケネェ忘れてた…
明けましてオメデトウゴザイマース。
流行歌手誰もが一つの目標としてこの劇場の舞台に立つ事を強く、切に望む浅草国際劇場、僕もやはりデビューした昭和三十八年、いえそれ以前にこの劇場の前に立って大きなファイトの中でそう思いました。
いつか、きっとこの国際劇場のステージで思いっきり歌いたい、いやきっと歌ってみせる…。
十七才だった僕の少々生意気なその記憶は、今もはっきりと残っています。そして十八才になり三十八年に歌手の仲間入りをし幸せにもその翌年、三十九年の三月望みがかない、しかも自身のショーを開き、その初日の幕が上がって超満員のお客様にかこまれた時の喜びと興奮。まるで昨日の事の様に覚えています。それなのに四十年の秋以来、随分と御無沙汰をしてしまいました。申し訳ありません。お許しください。でも、早いものですネ。今年はこの世界の一員となって十年目になります。十周年と言えば何はともあれ、一つの区切りである事に間違いはないと言う気がします。となれば、やはり初めて自分のワンマンショーをさせていただいた下町浅草のこの舞台で御礼と御挨拶をするのが当然の事だと思います。六年ぶりのこの国際のステージ、久しぶりに歌謡ショーらしいショーをごらんいただけそうです。十周年の年の唄い初め、力の限りやります。唄いまくります。
キャスト・スタッフの皆さんも大いに張り切って下さっています。ほんのチョッピリ御期待下さい。何だか話が前後になりましたが、お正月休みも終わって、御多忙の所を本当にようこそおいで下さいました。御礼の申し上げようもございませんがその御礼はステージからとショーの中から心をこめて申し上げます。
十周年記念の今年、僕自身も悔いのない年になる様に頑張りますが、お客様にとっても素敵な一年であります様お祈りします。
あっ…イケネェ忘れてた…
明けましてオメデトウゴザイマース。