1月の下旬に開花し始めた白梅が、ほぼ七分咲きになっていました。桑名市の山手、走井山勧学寺境内
先だっては「純愛の精神誌 昭和三十年代の青春を読む」について掲載しました。そこで少しとりあげたのが、当時の少女雑誌です。時系列でいうと「少女」「なかよし」「りぼん」「少女フレンド」「マーガレット」などです。小学校の高学年あたりまではこれらの少女マンガ雑誌に親しんだわけですが、中学入学が目前になってきた頃、六年生の三学期くらいから、気になりだしたのが「女学生の友」です。「女学生」という言葉そのものが今では死語のようになっているようですね。「男子学生」に対する「女子学生」…というのとはニュアンスが異なる「女学生」という響きが、今となっては、なんとなくレトロ感があります。
「純愛の精神誌 昭和三十年代の青春を読む」(藤井淑禎著)でもテーマとして取り上げられている「純潔」という概念が、少年・少女をまとめて「青少年」と呼んだ上で、その特定の年齢層の男女交際のあり方が社会的な論議として浮上してきたのが昭和三十年代であったように思います。ことに、その年代の「女子」の心身の成長にともなう様々な関心事(ファッション、芸能、趣味等々)に焦点を当て、「男子」との「正しい交際の仕方」に至るまでが示唆されていたのが「女学生の友」という雑誌でした。
今、ここで「女子」「男子」という言葉を使いながら、現在、頻繁に使われている「女子」「男子」という言葉の意味合いと、昭和三十年代に使われていた「女子」「男子」という言葉との意味合いとの解離を感じずにはいられません。時代とともに、言葉の持つイメージというものが、どんどん変わっていくものだとあらためて思います。
中学校にあがる前から気になっていた「女学生の友」ですが、やはり小学生の頃は、この雑誌は中学生になってから読むものだと思い込んでいましたから、それまでは、ぐっとガマンして初めて本屋さんで手にしたのは中学生になってセーラー服を着るようになってからだったと記憶しています。私は定期購読はしていなくて、毎月、発売日に本屋さんで購入していました。でも、中一から高一の中頃までは毎月愛読していました。その後は、物足りなくなったのかちょっと背伸びして「婦人公論」を、時々買って読むようになっていきましたが、多分、中学生時代に「女学生の友」を愛読することで培ったベースがあったから、「婦人公論」へとスライドしていったのだと思います。十代の頃に読んだ雑誌の変遷をたどっていくと、「流行歌」と同様、昭和という時代の大衆文化の潮流を垣間見ることができるように思います。
今回、ご紹介する「女学生の友」は、昭和四十年(1965年)の二月号ですから、私が小学校六年生の1月に発行されたものになります。主にこどもの雑誌の古書をネット販売しているサイトで購入したもので、私が当時買ったものではないのですが、ちょうど舟木さんがデビューして人気もマックスという頃ですので、「舟木さん情報」も、かなり掲載されています。ちなみに、当時買った雑誌類は、当然のことながら一冊も手元には残っていません。こうして、手元に残している人がいて古書として販売されているのはありがたいことです。
「女学生の友」誌上人気投票の発表ページ
多岐にわたるテーマが、盛りだくさんに取り上げられていて、写真は少なくてモノクロがほとんですし、小さな文字で誌面がギッシリ埋まっていますから、今の若い人向きのパラパラっと開いて眺める雑誌ではなく、読ませる雑誌だったんだなぁと思います。ネットもないし、情報も文字でしか得ることのできなかった時代なので、「雑誌」の果たした役割は今とは比べようもなかったんだと痛感しました。
マルベル堂のプロマイド販売数のトップテン 上段が男性で下段が女性
*クールキャッツって?
*こんなグループ、あったんですね。全然記憶にないんですが…(笑)
映画「花咲く乙女たち」は、1965年1月24日公開(「名画座」というページに掲載)
「女学生の友」の目玉は、やっぱり「少女小説」だったんでしょうね。
平岩弓枝、北条誠など、当時の人気作家が執筆しています。