お隣の庭のバラが、わが家との境のフェンスを越えてウレシイ侵入!(笑)
外歩きしてると、バラをあちこちで見かける季節になりました。
LOVE-LY CONCERT No.28 「~海景色~」
メルパルク大阪 2016年5月1日 14時/17時(約90分全20曲)
いつものように、舟木さんのトークをメインにして、コンサートの模様をご報告します。
舟木さんのトーク部分はピンク文字。昼と夜のトークを一緒にしてます。ご諒承ください。
舟木さんのトーク部分はピンク文字。昼と夜のトークを一緒にしてます。ご諒承ください。
開幕5分くらい前から10分間ほどのプレゼントタイムのトーク
~ピータケさんのピアノがBGMで流れて~
舟友さんの夜のプレゼントのお花
場内アナウンスが終わると、舟木さん、すかさずお茶目にアナウンスのマネをして「お早々とお席におつきください…」と下手袖から登場。黒のシャツにジーンズ、運動靴。
どうもお待たせしました。例によってアメ玉なめてますけど…
28回目なんですね。ふれこんは、去年74回…こういうコンサートでは自分の持ち歌は外して歌ってますがぼく自身が歌えるところはみんな歌っちゃった。これ仕方ないですね。自分の持ち歌ですら気持ちワルくて歌えないってのがアルバムの中にもあるんですね。これは歌い手の生理的なもんですから…
前のお客さま、ずいぶん汚ねぇ靴履いてやがるな…と思ってらっしゃるでしょ?これわざと汚なくしてるんです。靴が汚ない分中身が綺麗…心のことだよ、フフフ…
京都のコンサートで真理子夫人に舞台でトシの話しないようにと言われたって言いましたがそうも言ってられない…丹羽貞仁が47(才)。~ひとりごとのように~そうかアイツももうすぐ50か。
僕らのステージの平均年令もどんどんあがってきましたね。みんなヨレてきたし(笑)最近は流行歌手っていうのはデビューの平均年令が上がりましたね。若いのが出てこない。船村先生なんかそこのところ気にしていらしたですが…あの方はカラオケは眼中にないって感じですから。プロの世界からプロらしさが全然欠けていくというか…そういう考え方は古いというのかな今は…。
時代が変わったといえばそれまでのハナシですが、僕がデビューした時は東海林太郎さんが61、淡谷さんが…でもその年でソロ・コンサートやってる人はいなかった。今はもう人生五十年の頃とは比べものにならないんで、その分、仕事もひっくるめて寿命が長くなってる。50歳くらいの時は、70では、歌ってないと思ってた…もうお爺さんになってると思ってたから…。まとまっちゃったらおわり!ヨタやってるうちはまだいい…
皆さんぐらいの世代から見てたら今の芸能界つまんないですよね。どうしてこんな穏やかな芸能界になっちゃったんだろう…こんなベタ凪みたいなハナシはカンベンしてくれって…!
もう来年のスケジュールが2/3くらいは決まってきてるんですが…来年の55周年で、一応ひと区切り。そこからまあ、通常コンサートは、1日1回公演にしていって中身のぶ厚いものにしていこうかと…さすがの高校三年生も、少しヨレてきて、ついでにお客さまもヨレてきて…(笑)
何十年もいろいろといただいていると、和菓子のメーカーとかクッキーのメーカーとかおぼえました(笑)
昼は、プレゼントする方がひとり遅れて来られたのを受け取って握手しつつ、これがホントの手遅れ!と落ちをつけたところで袖に引っ込む舟木さんでした。
再び登場されたときは、青緑色と白のチェックの涼し気なジャケットの袖口は折って…中はホワイトのVネックのTシャツ、同じくホワイトのパンツ、ペンダントという初夏らしいスタイル。バンドメンバーとコーラスの女性たちは、皆さんおそろいの黒で統一したシャツスタイル。
~オープニング
夏の日の想い出 作詩・作曲:鈴木道明
(1965年)
月とヨットと遠い人 作詩:関沢新一 作曲:松尾健司
(1965年7月「渚のお嬢さん」B面)
今日はどっちかっていうとカルい感じでいこうかと…もともとラブコンはそんな感じです。今回はこざっ
ぱりしたカンジになったのかな?最近は、ラブコン、ふれこん、風アダルトにと分けてみても、どっちで
もいいかと(笑)2、3回歌うとつまらなくなるものもあれば、何回歌ってもエッセンスが出てくるのもあ
る。残っているのは、いい作品なんですね。
去年、「風アダルトにー」で港とか波止場とか、並べたんですが、もうひとつドーンと海そのもののイメ
去年、「風アダルトにー」で港とか波止場とか、並べたんですが、もうひとつドーンと海そのもののイメ
ージで選曲したのでどうぞお楽しみ下さい。広い視野でとらえた海の景色というのをつなげていきます。
遠くへ行きたい 作詩:永六輔 作曲:中村八大
(1962年)
(1962年)
誰もいない海 作詩:山口洋子 作曲:内藤法美
(1968年大木康子初盤/1970年トワ・エ・モワでヒット)
(1968年大木康子初盤/1970年トワ・エ・モワでヒット)
或る手紙 作詩:吉田旺 作曲:戸塚三博
(1975年4月 アルバム「暦 十二ヶ月の愛の詩/十月の歌」収録)
(1975年4月 アルバム「暦 十二ヶ月の愛の詩/十月の歌」収録)
君を忘れに海に来てます
離れてますます心つのります
何で今さら こんな手紙と
笑って下さい 僕はバカですね
離れてますます心つのります
何で今さら こんな手紙と
笑って下さい 僕はバカですね
麦わら帽子が今
目の前を風に追われて
通り過ぎました
目の前を風に追われて
通り過ぎました
こんな僕でも歌が書けそうな
そんな気がする
秋の終わりです
そんな気がする
秋の終わりです
君を忘れにここへ来たのに
やっぱり自分に嘘はつけません
うすい紅色 君の爪色
貝がら見てさえ 胸がいたみます
やっぱり自分に嘘はつけません
うすい紅色 君の爪色
貝がら見てさえ 胸がいたみます
悲しい目をしたカモメが一羽
僕を見上げて
首を振ってます
僕を見上げて
首を振ってます
こんな僕でも死んでしまえば
涙こぼしてくれるでしょうか
Mu_ _ _ _ _
涙こぼしてくれるでしょうか
Mu_ _ _ _ _
「舟木一夫コンサート75~今までの僕・これからの僕~」
←パンフレットに掲載の「或る手紙」楽譜
1975年8月2日東京読売ホール
1975年8月2日東京読売ホール
ふっと木枯し 作詩・作曲:上田成幸
(1998年5月 アルバム「WHITEⅢ」 収録)
(1998年5月 アルバム「WHITEⅢ」 収録)
冬空は高く 海ははるばる
折れた翼 いやすカモメ
どこかうつろな 潮鳴り
ちぎれとぶ波の しぶき数える
ひとつ想い出 ふたつ苛立ち
いつかあいつの 泣き顔
沖の日暮れは オレンジ染めて
素足に踏まれた 野菊を悼む
はかなく離れる 浮雲に
ふっと 木枯し 吹いた
折れた翼 いやすカモメ
どこかうつろな 潮鳴り
ちぎれとぶ波の しぶき数える
ひとつ想い出 ふたつ苛立ち
いつかあいつの 泣き顔
沖の日暮れは オレンジ染めて
素足に踏まれた 野菊を悼む
はかなく離れる 浮雲に
ふっと 木枯し 吹いた
出来るはずのことを 何もしてやらずに
わがままばかり 通したような
後悔(くやみ)を砂に 埋めてみる
今さらといえば それもそうだと
にじむ汽笛 耳をぬけて
いつかあいつの 泣き声
浜の日暮れは むらさき染めて
実りにそびれた 葡萄を悼む
ほのかにかたむく うす月に
ふっと 木枯し 痩せた
わがままばかり 通したような
後悔(くやみ)を砂に 埋めてみる
今さらといえば それもそうだと
にじむ汽笛 耳をぬけて
いつかあいつの 泣き声
浜の日暮れは むらさき染めて
実りにそびれた 葡萄を悼む
ほのかにかたむく うす月に
ふっと 木枯し 痩せた
やがて薄れる 季節のなかに
人目を忍んで たたずむあいつ
思わず振りむく 胸もとに
ふっと 木枯し 濡れた
人目を忍んで たたずむあいつ
思わず振りむく 胸もとに
ふっと 木枯し 濡れた
ルルル…… ルルル……
ルルル…… ルルル……
ルルル…… ルルル……
「ふっと木枯し」は、ずいぶん久しぶりですが…。今、「ひばりが翔んだ日々」を準備してるんですが、
脳ミソが…(笑)あれだけの歌をまとめてやるんですから…初めて歌うのが三つも四つも出てきます。
2階は、オペラグラスでのぞいている方がズラッと…(笑)時々、カメラのシャッターを切ってる方がいて
2階は、オペラグラスでのぞいている方がズラッと…(笑)時々、カメラのシャッターを切ってる方がいて
…よく見えるんですよ。カメラのライトの色は、三種類しかない。赤、イエロー、白。いくら言っても聞
きませんから、これはもうほっとくしかない…。集中力を切られるのがコワイんですよ。僕はそうでなく
ても歌詞、間違えるんでね(笑)来年は55周年、何十年経ったらちゃんと歌を聴いてもらえるのか…。でも、他へ行ったらペンライトでしょ。あんなこと5年も10年もやってると、ある日、アレが消えたら歌い手が歌をうたえなくなっちゃう。私も55年経ったんで言いたいこと言っちゃえ…と(笑)こういうことは
そこそこトシをとってキャリアのある者が言わなくてはいけない…
~舟木さんらしい責任感というかプロの歌い手としての自負なのですね。この辺で、心をきよらかにして…(笑)ちょっと辛口になった後は、舟木さん独特のキュートなジャスチャーと笑顔にかえって「きよらかな」歌たちをあたたかな歌声でたっぷりと。
夜は、歌い手の「没個性」について…ここだけのハナシ(笑)
「ここだけのハナシ」とは言え、実は、これは私なんかも、いつも思ってること…(笑)
・きっと歌を教わるから、もともと本人が持ってる個性が欠けていく。
・僕らの時代(昭和)には、フツーに生活してて流行歌が入ってきた。
・ひばりさん、お千代姉さんは同じ和服でもそれぞれ趣がちがっていた。今は女性歌手はみんな同じような着物。
・男性は、貸衣裳が多い。プロの歌い手がレンタルの衣装を着てお客さまからお金をとるなんて…
・僕らの時代(昭和)には、フツーに生活してて流行歌が入ってきた。
・ひばりさん、お千代姉さんは同じ和服でもそれぞれ趣がちがっていた。今は女性歌手はみんな同じような着物。
・男性は、貸衣裳が多い。プロの歌い手がレンタルの衣装を着てお客さまからお金をとるなんて…
*「きよらかな歌たち…」です(笑)
みかんの花咲く丘 作詩:加藤省吾 作曲:海沼實
https://youtu.be/9JLubaIMfeI(川田正子さん)
(1946年)
(1946年)
波浮の港 作詩:野口雨情 作曲:中山晋平
(1923年)
出船 作詩:勝田香月 作曲:杉山長谷夫
(1928年)
このへんの歌は、ある世代までの古典ですが、小学校で教えなくなっちゃった。「出船」は歌曲系に入るでしょう。言葉が豊かですよね。今は使わなくなった言葉も出てきますが、メロディーとつながると景色が見事に出てる。国が、子どものための歌を100曲作れ!ということで詩人10人、作曲家10人を集めて5日間で作ったという話が残ってますが…
僕だって歌ってますから、聞こえるワケですが、ホッとします。ふっと景色が出てくるというのは大切でしょう。
僕だって歌ってますから、聞こえるワケですが、ホッとします。ふっと景色が出てくるというのは大切でしょう。
夜は…
さっきの貸衣裳のハナシのつづきですが…。私だって詰エリで歌ってた。学校の制服を着てたのでレンタルよりもっとお金がかからない…何をエラソーに(笑)
さっきの貸衣裳のハナシのつづきですが…。私だって詰エリで歌ってた。学校の制服を着てたのでレンタルよりもっとお金がかからない…何をエラソーに(笑)
「ここだけのハナシⅡ」…まだ続きましたが、なにしろ「ここだけのハナシ」ですから、私的には同感ですし特に「ここだけ…」でなくてもいいと思うんですが、舟木さんが「ここだけの…」とおっしゃるのでアップは控えましょう(笑)スミマセ~ン
さて、ここは持ち歌で…。船村先生がついこの間、電話をくださって、去年歌ってくれたの(「演歌の旅
人~船村徹の世界」)を、僕もトシだからいっぺんに聞くのは疲れるんで2、3曲ずつ分けて聞いてるんだけど…君の今の声で「春哀し」を歌ってほしい…と言ってくださって…「今の声で」というのが嬉しかったですね。レコーディングした時は、まだ30代でしたから、その時は、気に入っていただけなかったのかも…(笑)
春哀し 作詩:猪俣良 作曲:船村徹
(1977年11月)
(1977年11月)
今、履いてる靴はとっても気に入ってるんですが、僕のサイズがなかったんで大きいのを買ったら中で足が…そういうのは、皆さんもあるでしょ。キツイよりはいい(笑)
「ここだけのハナシⅡ」…これは夜に回して次へ…(笑)~とっても気になる発言(笑)
夜は…
さて、来年は55年目、だからどうしたって言われると困るんですが、今年の12月が来ると72ってこ
さて、来年は55年目、だからどうしたって言われると困るんですが、今年の12月が来ると72ってこ
とで…ちょっとだけお知らせ。12月の演舞場公演は久しぶりに里見(浩太朗)さんと笹野(高史)さん
に出ていただきます。里見さんは78ですがお元気で、10日ほど前にお会いしたんですが、俺と同じくらい食べますからね。
次回のお芝居では、里見さんとは「敵味方」とおっしゃってました。さてどんなお芝居なのでしょうね。楽しみです。
ここはコロッと雰囲気を変えていきましょう!
テンポアップしたイントロが流れて、舟木さんが「ヘーイ!」
テンポアップしたイントロが流れて、舟木さんが「ヘーイ!」
~スタンディング 2曲
真っ赤な太陽 作詩:吉岡治 作曲:原信夫
(1967年)
(1967年)
恋の季節 作詩:岩谷時子 作曲:いずみたく
(1968年)
(1968年)
これね、「渚のお嬢さん」から3曲やろうと思ったんですが、お互いにアブナイですから2曲に…(笑)
舟木さん、お疲れ気味?少し、歩きヅライ…(笑)私も来年55年になるんですが、50年の時、55年までもつのかと思ってたのが、やってくるワケです。55年が過ぎると75歳という目標が出てくるワケですが(拍手)会場から男性の声で「まだまだ!」と、すると、すかさず、「大相撲の行事じゃあるまいし…」~と返す舟木さん。かけ声に返すのは珍しい(笑)~テレビで1曲歌うとか、誰かのステージのゲストで1曲歌うとかなら85(歳)くらいまではできるかも、でも1時間を超えるステージは、ムリ!
舟木さん、お疲れ気味?少し、歩きヅライ…(笑)私も来年55年になるんですが、50年の時、55年までもつのかと思ってたのが、やってくるワケです。55年が過ぎると75歳という目標が出てくるワケですが(拍手)会場から男性の声で「まだまだ!」と、すると、すかさず、「大相撲の行事じゃあるまいし…」~と返す舟木さん。かけ声に返すのは珍しい(笑)~テレビで1曲歌うとか、誰かのステージのゲストで1曲歌うとかなら85(歳)くらいまではできるかも、でも1時間を超えるステージは、ムリ!
夜は…
55年、あわよくば60周年、少なくとも今は机上の計算なんですが、ぼつぼつ屈伸運動でも…(笑)
55年、あわよくば60周年、少なくとも今は机上の計算なんですが、ぼつぼつ屈伸運動でも…(笑)
海の広い風景、懐かしいぬくもり、厳しさ…結構あるもんでしょ。この間やった「港、波止場」とはかな
り趣が違うんですが、日本が島国だってことがよくわかりますね。時代時代で景色も変わって、僕らが眺めていた海はなくなってますが…。
締めくくりは「北の海」というところでしぼっていきましょう。
喜びも悲しみも幾歳月 作詩・作曲:木下忠司
(1957年)
*ワンコーラス目は、みごとなアカペラ
知床旅情 作詩・作曲:森繁久彌
(1960年)
~アンコール
岬めぐり 作詩:山上路夫 作曲:山本コウタロー
(1974年)
(1974年)
再び登場した舟木さん。ジャケットは、同じデザインの色変わりで、白と黒のチェックでした。
資料:「春哀し」
「春哀し」(1977年11月発売)の曲ができた時のエピソードについて船村先生が舟木さんの「15周年リサイタル~限りない青春の季節」(1977年11月1日~3日/東京郵便貯金ホール)のパンフレットに寄稿なさっています。
「鎌倉山の夜」 ~ 「春哀し」を作曲して 船村徹
「やっぱり、そうしよう・・九月になれば江の島や由比ヶ浜のあたりも、だいぶ落着きをとりもどすから
ねぇ・・・鎌倉山にもなじみの店があるんで、ぜひそこへも案内したいんだ。その時季になれば、あの山にもきっと秋の花が咲きはじめるし。待ってるから、かならず来てよねぇ」
約束のその日は、朝から良く晴れて残暑はいささかあったけれども、海からやって来る湘南の風はとてもおだやかであった。私は、早くから彼を待った。彼を待つためだけの一日であった。しかし彼はなかなかあらわれなかった。サンルームにさし込む西陽がめっきり細くなった時分になってやっと彼は顔を見せた。
どうもすみません。間違って小田原の方へ行っちまいまして、遅くなりました。
応接間に入ってくるなり、彼は痩身を折り曲げ、深々と詫び入った。
「いや、なんのなんの とにかく出かけよう。鎌倉山の店に行こう。座敷をとっておいたから、早く行こ
「いや、なんのなんの とにかく出かけよう。鎌倉山の店に行こう。座敷をとっておいたから、早く行こ
う!」
疲れて、ひと休みしたそうな彼を無視し、煽りたてるように車へ乗せて、私たちは外へ出た。
疲れて、ひと休みしたそうな彼を無視し、煽りたてるように車へ乗せて、私たちは外へ出た。
相模灘に沿った国道を、江の島を右に眺めながらしばらく走って、目的の店がある鎌倉山へたどりついた。山頂近くの切り通しに車を止め、店に続く杉木立の細道を登っていくと、間もなく視界が開け、暮れなずむ空には、もう星があった。
今回の「海景色」は、舟木さん曰く「カルい感じ」とのことですが、総体としては、やわらかでしっとり
した落ち着いた雰囲気のコンサートだったように想います。私的にインパクトがあって感動したのは、ワンコーラス目をアカペラで歌われた「喜びも悲しみも幾年月」。舟木さんの歌い手としての資質と力量をみせつけられる想いがする一曲でした。若い頃に、クラシックの基礎をおさめていらっしゃることが、年令を重ねた今に至っても功を奏しているのでしょうか。骨太の楽曲を安定感と情感のバランスを見事にとった歌唱で聞かせてくださっていろんな意味で本当に感動しました。
この映画の公開は1957年(私が5歳)だそうです。祖母が映画好きだったので私も連れて行かれて観た記憶があります。地方の町ですから多分、封切から2、3年経ったあとの時期ですし大ヒット作品ですから再上映が何度かされたのかも知れません。私が観たのは小学校の二年生か三年生頃だと思います。物語の内容も鮮明に覚えているので、舟木さんの歌を聴いて一層感動が大きかったのかも知れません。やはり、舟木さんがおっしゃるように、作品が生まれてきた時代を共有したという幼い頃の体験というのはリクツではなく心や体にも刻み込まれるのですね。
中盤の「みかんの花咲く丘」から、「さくら貝の歌」、舟木さんいわく「きよらか」な世界(笑)
「みかんの花咲く丘」は、幼稚園の頃に、声を張り上げてよく歌っていました。気負わず、よそゆきでな
い言葉とメロディ―が親しみやすくて、歌の世界の風景が自然と目に浮かびます。当時の日常の中に当たり前にある日本語の美しさを見直させてくれる名曲だと舟木さんのあたたかな歌唱で聞かせていただいてあらためて感じました。ほほえみながら歌う舟木さんのやさしい表情がとっても「きよらか」でした(笑)
こういった真正面から歌ういくらかクラシカルな香りのする「愛唱歌」系の楽曲を、美しく歌える歌い手
は、いわゆる流行歌の世界には、あまりいらっしゃらないと思います。妙にクラシックっぽい色合いが強くなったり、また、どうやっても演歌にしか聞こえない歌になったりするように感じます。そんな中で舟木さんの歌唱は、オリジナルの世界を崩すことなく本来の楽曲としての正確さを保ちながら、品性のある抑制の効いた情感が好ましく、「節操」という言葉を思い起こします。「感情を込める」ことを一歩手前でとめる匙加減とでもいうのでしょうか、年令とキャリアを重ねた歌い手としての舟木さんの歌唱が私たちの心にしっかり響くのは、私たちの心にも「節操」という年輪が加わったからなのかも知れません。
そして、今回特筆すべきは、船村先生と舟木さんの絆が、この数年で一層深まったという印象でした。舟木さんが、寒い時期に第一線の歌い手であり続けることへのアグレッシブな気持ちを失いかけていらした時に船村先生からお電話で一喝された…?というエピソードはファンの皆さんにはおなじみのことだと思いますが。そして、時を経て、再び、先生との距離が、近づいた…という私たちファンにとっても嬉しく喜ばしい印象が感じられます。今の舟木君の声で「春哀し」を聞きたいと先生がおっしゃった…と話された舟木さんの嬉しそうな笑顔が、忘れられません。
ここへきて「その人は昔」「雪のものがたり」のCD復刻盤が発売されたこと、先生の最後の内弟子・村木弾さんのデビューに舟木さんが尽力されたこと、中でも、昨年の「演歌の旅人~船村徹の世界」のステージで舟木さんらしい心のこもったMCと共に船村先生の業績の一端をしっかり舞台芸術として残されたことからも、舟木さんの先生への深い想いを推し量ることができます。そんな意味でも、心がほどけるような、いいコンサートでした。
今回のコンサートで歌われた曲のうち
舟木さんの持ち歌は…
「月とヨットと遠い人」「或る手紙」「ふっと木枯し」「春哀し」「都井岬旅情」「渚のお嬢さん」
アルバム収録のカヴァー曲としては…
「夏の日の思い出」(1967年11月「ひとりぼっち第1集 舟木一夫の夜」)
「誰もいない海」(1975年1月「舟木一夫 ゴールデンコンサート」)
「浜辺の歌」「波浮の港」「出船」(1968年6月「ひとりぼっち第2集 舟木一夫の思い出の歌」)
「さくら貝の歌」「知床旅情」(1971年12月「初恋 舟木一夫 抒情歌謡を歌う」)
~海風景~