雑誌平凡(昭和39年5月号)
中日劇場開場50周年記念 舟木一夫コンサート 美空ひばりスペシャル~ひばりが翔んだ日々
2016年5月 24日 12時半/16時 25日 12時半
一部:ヒットパレード 35分(7曲) 二部:ひばりが翔んだ日々 90分(23曲)
今回は、プレゼントタイムの幕前トークと一部のトークは、割愛させていただきます。二部の「ひばりが翔んだ日々」の模様をご報告させていただきます。ピンク文字は舟木さんのトーク部分です。
24日昼と夜、25日の3公演をまとめてのごちゃまぜですがご了承ください。
開演前に幕前で、舟木さんがプレゼントを受け取るスタイルでした。
淡いグレーにも見えるホワイト系の薄手のシックな刺繍入りのシャツ、ブルージーンズ、白のシューズで。
一部 ~ ヒットパレード
ブラウン系のタキシードスタイル。胸には白いバラ。
~オープニング
高原のお嬢さん
初恋
絶唱
銭形平次
~スタンディングはなし。
サインボール打ち。
高校三年生
学園広場
春はまた君を彩る
*24日の昼の部では「初恋」が、オープニングでした。夜の部では、「高原のお嬢さん」で幕が開きました。25日も、オープニングは「高原のお嬢さん」。この後は、多分ずっとこの構成でしょう。
24日舟友さんの昼の部のお花
二部 ~ ひばりが翔んだ日々
緞帳が上がる前、「東京キッド」原盤が流れ、ヒバリの囀りが響き、次に、舟木さんのナレーションが流れました。
遥かな暗闇をやっとふりきった灰色の空に
ある日一羽のひばりが翔びたった
その声は人々の心に色さまざな灯をともし、夢とやすらぎを運び続けた
ある日一羽のひばりが翔びたった
その声は人々の心に色さまざな灯をともし、夢とやすらぎを運び続けた
前半~ステージ衣装は、濃いめのパープル系のスリーピース
丘のホテルの 赤い灯も
胸のあかりも 消えるころ
みなと小雨が 降るように
ふしも悲しい 口笛が
恋の街角 露地の細道 ながれ行く
胸のあかりも 消えるころ
みなと小雨が 降るように
ふしも悲しい 口笛が
恋の街角 露地の細道 ながれ行く
いつかまた逢う 指切りで
笑いながらに 別れたが
白い小指の いとしさが
忘れられない さびしさを
歌に歌って 祈るこころのいじらしさ
笑いながらに 別れたが
白い小指の いとしさが
忘れられない さびしさを
歌に歌って 祈るこころのいじらしさ
夜のグラスの酒よりも
もゆる紅色 色さえも
恋の花ゆえ 口づけて
君に捧げた 薔薇の花
ドラの響きに ゆれて悲しや夢と散る
もゆる紅色 色さえも
恋の花ゆえ 口づけて
君に捧げた 薔薇の花
ドラの響きに ゆれて悲しや夢と散る
ひばりさんはデビューが9才。さっき流れた「東京キッド」は13才。「ひばりが翔んだ日々」ということなんですが、ひばりさんの歌というのは量的にも質的にも膨大なものですから、どこからとっかかるのか、どういう風に積み重ねていけばいいのか…、まあそれは、あまり考えないで…。
後の「哀愁波止場」や「哀愁出船」につながっていく「マドロスもの」「海もの」、ひばりさんは、「マドロスもの」を歌う時はほほえんでいらっしゃいます。ひばりさんが十代の頃のマドロスものをつなげて並べてみます。
後の「哀愁波止場」や「哀愁出船」につながっていく「マドロスもの」「海もの」、ひばりさんは、「マドロスもの」を歌う時はほほえんでいらっしゃいます。ひばりさんが十代の頃のマドロスものをつなげて並べてみます。
そのまま、トークは入らずに、次の2曲へ…
船村先生とひばりさん
髪のみだれに 手をやれば
赤い蹴出しが 風に舞う
憎や 恋しや 塩屋の岬
投げて届かぬ 想いの糸が
胸にからんで 涙をしぼる
赤い蹴出しが 風に舞う
憎や 恋しや 塩屋の岬
投げて届かぬ 想いの糸が
胸にからんで 涙をしぼる
すてたお方の しあわせを
祈る女の 性かなし
辛らや 重たや わが恋ながら
沖の瀬をゆく 底曳き網の
舟にのせたい この片情け
祈る女の 性かなし
辛らや 重たや わが恋ながら
沖の瀬をゆく 底曳き網の
舟にのせたい この片情け
春は二重に 巻いた帯
三重に巻いても 余る秋
暗や 涯てなや 塩屋の岬
見えぬ心を 照らしておくれ
ひとりぼっちに しないでおくれ
三重に巻いても 余る秋
暗や 涯てなや 塩屋の岬
見えぬ心を 照らしておくれ
ひとりぼっちに しないでおくれ
ふたつとも船村徹という方の作品ですが、作る側が歌う人の個性、ツボを押さえて作る。メロディーの構成も。ひばりさんは、華やかな人で、悲しい歌でもスーっと歌ってくれる…ぼくのようなものがいうのもおこがましいんですが…ひばりさんはヘビーな歌を歌う歌い手と思っている方が多いかもしれませんが、ライトな歌を実に小気味よく聞かせてくれる歌い手だと思ってます。
ここは単独で置いたほうが存在感が出て、世界が広がっていいのかなと思うので単独で…
ひとり酒場で 飲む酒は
別れ涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ
別れ涙の 味がする
飲んで棄てたい 面影が
飲めばグラスに また浮かぶ
酒よこころが あるならば
胸の悩みを 消してくれ
胸の悩みを 消してくれ
酔えば悲しく なる酒を
飲んで泣くのも 恋のため
飲んで泣くのも 恋のため
一人ぼっちが 好きだよと
言った心の 裏で泣く
好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける
言った心の 裏で泣く
好きで添えない 人の世を
泣いて怨んで 夜が更ける
~ヒバリの囀り…
山の牧場の 夕暮に
雁が飛んでる ただ一羽
私もひとり ただひとり
馬(アオ)の背中に 眼をさまし
イヤッホー イヤッホー
雁が飛んでる ただ一羽
私もひとり ただひとり
馬(アオ)の背中に 眼をさまし
イヤッホー イヤッホー
お花畑の まひるどき
百舌が鳴いてる 雲の上
私はひとり ただひとり
遠い都を 思い出し
イヤッホー イヤッホー
百舌が鳴いてる 雲の上
私はひとり ただひとり
遠い都を 思い出し
イヤッホー イヤッホー
山の湖 白樺の
影が揺らめく 静けさよ
私はひとり ただひとり
恋しい人の 名を呼んで
イヤッホー イヤッホー
影が揺らめく 静けさよ
私はひとり ただひとり
恋しい人の 名を呼んで
イヤッホー イヤッホー
山の牧場の 星の夜
風に揺れてる 灯は
私とおなじ ただひとり
泣けば悲しい 山彦が
イヤッホー イヤッホー
風に揺れてる 灯は
私とおなじ ただひとり
泣けば悲しい 山彦が
イヤッホー イヤッホー
舟木さんが上手そでに入ってお着替え。その間、アバウト9と女性コーラスの皆さんで賑やかにつないで…
後半~光沢のあるシルキーな白の和服を着流しで登場。襦袢、帯はグレー系
三味線の豊藤美さんとお弟子さんも登場してスタンバイ
いいですね、のどかで大らかで…ひばりさんが一番歌っていらっしゃらないのは三尺もの。「斬った張った」という匂いは一切しませんから。「天竜母恋い笠」というのがありますが、ここがいっぱいというヤクザの歌ですね。ひばりさんは米山正夫先生の作品が一番好きだったということですから…。ひばりさんが遺してくださった…和もの(日本調)から演歌の真髄に至るまで。ひばりさんは「演歌の女王」なんて言われるのは嫌だとおっしゃってました。ひばりさんの歌はコセコセしたところが一切ないでしょ。
*ひばりさんの歌の世界が広いのは、口の中の面積が大きいから?…という舟木さんの分析。同じく口の中の面積が大きいもうおひとかたが三波春夫さんだそうです。ホントかな???(笑)
ここで先ほどからスタンバイされてる豊藤美さん、豊藤美さんのお弟子さんのかおるさんを紹介。
ひばりさんの歌にはジャンルといういい方は、どうにもこうにもふさわしくないですね。
ここは、楽しいのを聞いていただきます。「お祭りマンボ」から
これはお楽しみ
江戸は神田の 若い衆
喧嘩買おうか 目にもの見せようか
祭りなら着ておいで
派手な元禄 大たもと
アー レー サー 花が散るような
神田明神 スチャラカチャン
チャンチキおかめの 笛太鼓
花にもまれて
エー 山車が行く
それ ワッショイワッショイ
江戸は神田の 若い衆
喧嘩買おうか 目にもの見せようか
祭りなら着ておいで
派手な元禄 大たもと
アー レー サー 花が散るような
神田明神 スチャラカチャン
チャンチキおかめの 笛太鼓
花にもまれて
エー 山車が行く
それ ワッショイワッショイ
ちょいとお待ちよ 車屋さん
お前見込んで たのみがござんす この手紙
内緒で渡して 内緒で返事が 内緒で来るように
出来ゃせんかいな エー
相手の名前は 聞くだけ野暮よ
唄の文句に あるじゃないか
お前見込んで たのみがござんす この手紙
内緒で渡して 内緒で返事が 内緒で来るように
出来ゃせんかいな エー
相手の名前は 聞くだけ野暮よ
唄の文句に あるじゃないか
人の恋路を 邪魔する奴は
窓の月さえ 憎らしい
エー 車屋さん
窓の月さえ 憎らしい
エー 車屋さん
舟木さん、すっかりひばりさんになりきって袂をクルッと腕にひと巻して色っぽい芸者さん風で、おまけにひばりさんのあの独特のアゴを左右に動かすポーズまで大サービス。都々逸のところが、これまた、思いっきり形態模写をなさって客席は大爆笑でした。お茶目ぶりが、とっても可愛かった舟木さんでしたよ。ひばりさんの「車屋さん」動画をご覧になって想像してみてくださ~い(笑)
亡くなったあとに、ちょっとひばりさんを奉りすぎちゃって…あれはいけないと思います。戦後、9才でひばりさんが出ていらして、荒れ果てた大衆、庶民という人の心に灯をともして支えてくれた人。僕らなんかよりずっと大衆的な方で「演歌の女王」って言われるのは嫌よ!とおっしゃってた。こうやって私たち後輩がそのひばりさんの歌をお聞かせするようにしていかないといけないと思うんですが…。
ひばりさんのセンターをどこに置くか…あくまで僕自身の想いとしてはこのあたりがセンターじゃないかと思う歌を並べていきますので…どうぞ!
舟友さんの24日夜のお花
~舟木さんの想うひばりさんの「センター」
笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
ながれながれの 越後獅子
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
ながれながれの 越後獅子
今日も今日とて 親方さんに
芸がまずいと 叱られて
撥(ばち)でぶたれて 空見上げれば
泣いているよな 昼の月
芸がまずいと 叱られて
撥(ばち)でぶたれて 空見上げれば
泣いているよな 昼の月
打つや太鼓の 音さえ悲し
雁が啼く啼く 城下町
暮れて恋しい 宿屋の灯(あかり)
遠く眺めて ひと踊り
雁が啼く啼く 城下町
暮れて恋しい 宿屋の灯(あかり)
遠く眺めて ひと踊り
ところ変われど 変わらぬものは
人の情けの 袖時雨(そでしぐれ)
ぬれて涙で おさらばさらば
花に消えゆく 旅の獅子
人の情けの 袖時雨(そでしぐれ)
ぬれて涙で おさらばさらば
花に消えゆく 旅の獅子
~ヒバリの囀り~
~舟木さんのナレーション~
いくつもの空を駆け抜け
いくつもの虹を渡り
華やかなひばりは突然に去った
数えきれない日々を翔んで
いくつもの虹を渡り
華やかなひばりは突然に去った
数えきれない日々を翔んで
いのち一筋 芸一筋で
勝つか負けるか やるだけやるさ
女黒髪 きりりとかんで
仰ぐおぼろの 仰ぐおぼろの
月の色 月の色
勝つか負けるか やるだけやるさ
女黒髪 きりりとかんで
仰ぐおぼろの 仰ぐおぼろの
月の色 月の色
女一人で 生きぬくからは
ふまれけられは 覚悟の前よ
姿見せずに 泣くほととぎす
女心を 女心を
誰が知ろ誰が知ろ
ふまれけられは 覚悟の前よ
姿見せずに 泣くほととぎす
女心を 女心を
誰が知ろ誰が知ろ
小粒ながらも ひばりの鳥は
泣いて元気で 青空のぼる
麦の畑の小さな巣には
わたし見ているわたし見ている
母がある母がある
泣いて元気で 青空のぼる
麦の畑の小さな巣には
わたし見ているわたし見ている
母がある母がある
「越後獅子の唄」「芸道一代」…どちらも西條八十なんですね。これにも今さながら驚きました。
舟木さんが千太郎に扮したカッコいいセリフ入り。これには客席の女性ファンたちはメロメロでした。二枚目の舟木さんが、さらに二枚目の声で「お島…」ですもんね
月に一声 ちょいとほととぎす
声はすれども 姿は見えぬ
おれも忍びの 夜働き
どっかり抱えた 千両箱
こいつァ宵から 縁起がいいわい
ヘンおいらは黒頭巾
花のお江戸の 闇太郎
声はすれども 姿は見えぬ
おれも忍びの 夜働き
どっかり抱えた 千両箱
こいつァ宵から 縁起がいいわい
ヘンおいらは黒頭巾
花のお江戸の 闇太郎
風に稲穂は あたまをさげる
人は小判に あたまをさげる
えばる大名を おどかして
さらう小判は 涙金
おつな商売 やめられましょうか
ヘンおいらは 黒頭巾
花のお江戸の 闇太郎
人は小判に あたまをさげる
えばる大名を おどかして
さらう小判は 涙金
おつな商売 やめられましょうか
ヘンおいらは 黒頭巾
花のお江戸の 闇太郎
江戸の盛り場 猿若町に
ひいきの役者の 幟があがる
あだな笑くぼに 雪の肌
女泣かせの 雪之丞
こいつァ今夜も
行かざなるめぇな
ヘンおいらは黒頭巾
鼻の お江戸の闇太郎
ひいきの役者の 幟があがる
あだな笑くぼに 雪の肌
女泣かせの 雪之丞
こいつァ今夜も
行かざなるめぇな
ヘンおいらは黒頭巾
鼻の お江戸の闇太郎
*註:三上於菟吉(おときち)の小説「雪之丞変化」主人公の雪之丞を助けるのが義賊・闇太郎。
映画は、ひばりさんが、雪之丞と闇太郎の二役。
関東一円 雨降るときは
さして行こうよ 蛇の目傘
どうせこっちは ぶん流し
エーエー・・・
エー 抜けるもんなら抜いてみな
斬れるもんなら斬ってみな
さあ さあ さあさあさあさあ
あとにゃ引かない 女伊達
この歌も子どもの頃に聞いていて、しっかり耳に覚えがあって嬉しくて前のめりになって聴いてしまいました。曲名が、どうも歌舞伎をヒントにしてるんじゃないかと思って調べてみたら、やっぱり「侠客春雨傘」という演目があって「男伊達(おとこだて)」という言葉が出てきます。男伊達があれば女伊達もあるのが歌舞伎の世界。坂東玉三郎さんの舞踊「女伊達」を観たことがあるので、「あのイメージ」なんだ…とそう思いつつ楽しく重ね合わせて聴かせていただきました。
坂東玉三郎さんの「女伊達」
註:侠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)
註:侠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)
歌舞伎(かぶき)脚本。世話物。福地桜痴(おうち)作。通称「春雨傘」。
1897年(明治30)4月、東京・歌舞伎座で9世市川団十郎らにより初演。安永(あんえい)・天明(てんめい)(1772~89)ごろ江戸の十八大通(じゅうはちだいつう)といわれた粋人の一人で「助六(すけろく)」の扮装(ふんそう)をまねた風俗で評判であった浅草蔵前の札差(ふださし)大口屋暁雨(おおぐちやきょうう)を脚色。悪侍逸見一角(へんみいっかく)の横暴に悲憤した札差大口屋治兵衛が、武家に対抗する侠客暁雨となり、一角に討たれた浪人の娘である遊女薄雲を助け、親の敵(かたき)を討たせる話。助六の実録を意図した作で、鉄心斎と改名した一角に吉原仲の町で再会した暁雨が、痛快な啖呵(たんか)を切って仕返しする場面が見せ場である。なお、初演時には「おとこだてはるさめがさ」と読ませたが、今日では「きょうかく~」と称している。(松井俊諭)
~戸板康二他監修「名作歌舞伎全集17 江戸世話狂言集3」(1971・東京創元社)~
1897年(明治30)4月、東京・歌舞伎座で9世市川団十郎らにより初演。安永(あんえい)・天明(てんめい)(1772~89)ごろ江戸の十八大通(じゅうはちだいつう)といわれた粋人の一人で「助六(すけろく)」の扮装(ふんそう)をまねた風俗で評判であった浅草蔵前の札差(ふださし)大口屋暁雨(おおぐちやきょうう)を脚色。悪侍逸見一角(へんみいっかく)の横暴に悲憤した札差大口屋治兵衛が、武家に対抗する侠客暁雨となり、一角に討たれた浪人の娘である遊女薄雲を助け、親の敵(かたき)を討たせる話。助六の実録を意図した作で、鉄心斎と改名した一角に吉原仲の町で再会した暁雨が、痛快な啖呵(たんか)を切って仕返しする場面が見せ場である。なお、初演時には「おとこだてはるさめがさ」と読ませたが、今日では「きょうかく~」と称している。(松井俊諭)
~戸板康二他監修「名作歌舞伎全集17 江戸世話狂言集3」(1971・東京創元社)~
柔 作詩:関沢新一 作曲:古賀政男
(1964年11月)
一度決めたら 二度とは変えぬ
これが自分の 生きる道
泣くな迷うな 苦しみぬいて
人は望みを はたすのさ
これが自分の 生きる道
泣くな迷うな 苦しみぬいて
人は望みを はたすのさ
雪の深さに 埋もれて耐えて
麦は芽を出す 春を待つ
生きる試練に 身をさらすとも
意地をつらぬく 人になれ
麦は芽を出す 春を待つ
生きる試練に 身をさらすとも
意地をつらぬく 人になれ
胸に根性の 炎を抱いて
決めたこの道 まっしぐら
明日にかけよう 人生一路
花は苦労の 風に咲け
決めたこの道 まっしぐら
明日にかけよう 人生一路
花は苦労の 風に咲け
*註:映画「東京べらんめえ娘」主題歌
今年のシアターコンサートのスタートは、中日劇場からということで、ちょうど関西と関東の中間地点にある名古屋での開催。チラシを見た時から、先ず、凄い!と思った私です。一部ではご自身の持ち歌7曲、そしてメインの二部では、ひばりさんの膨大なヒット曲からの選りすぐりの歌がなんと23曲もリストアップされていたのですから。一昨年のシアターコンサートの二部「遠藤実スペシャル」では18曲、そして昨年の「船村徹の世界」では21曲。そして今回は、なんと23曲。
69歳、70歳、71歳…と年を重ねるごとに、ステージでの歌唱曲数が更新されていくだけでも驚きですが、正直なところ、私としては、イメージとして、やはり美空ひばりさんという歌い手は、いわゆる並ぶものなき特別の存在であるという印象がとても強くあったので、昨年の12月の新橋演舞場公演千秋楽の翌日の「サンクス・コンサート」のトークの中で舟木さんから「来年の7月にこちらで”ひばりが翔んだ日々”コンサートをさせていただくことになりました」というアナウンスがあった時から、「とうとう、ひばりさんなんだ!」という想いでした。単純に、楽しみ!というだけではなく、色んな意味で「これは、すごいチャレンジだ!」という気持ちと言えばいいでしょうか。
遠藤先生の特集でも、船村徹先生の特集でも、ひばりさんの曲は、もちろんリストアップされてますし、舟木さんが歌われるひばりさんの世界の素晴らしさも、わかってはいるのですが、「ひばりが翔んだ日々」と銘打ったコンサート、しかも後援会主催の内輪のコンサートではなくオフィシャルのシアターコンサート。新参者の一ファンに過ぎない私なのに、開催前は、何やら、意味なく肩に力が入ってしまってました(笑)
ところが、どっこい、舟木さんご自身は、遠藤先生や、船村先生の「スペシャル・コンサート」で、お二人への「想い」を、歌に託して心をこめて歌われたのと同じように、いとも軽やかに、いとも楽し気に、妙な構えもなく、ひばりさんへの舟木さんらしい愛のこもった心持ちをそのまま素直に歌の世界で表現されたことに、目からウロコの私でした。
舟木さんの歌い手としての力量やステージ構成のすばらしさは勿論ですが、それよりも何よりも、昭和の流行歌を誰よりも力強く支えてこられたひばりさんへの感謝と敬意とそして舟木さんらしい、ひばりさんへの純粋な情愛に満ちた、あたたかなステージとなったことが舟木さんファンである私にとって一番うれしいことでした。
最近、どうもひばりさんを祀り上げすぎているようだという舟木さん。ひばりさんは、そういうことを一番嫌がっていらした。誰よりも大衆、庶民の中に根付いていた歌い手がひばりさんだったのだから、それは、ひばりさんの本意ではないし、ひばりさんが可哀想…と。
舟木さんのこの嘆きを聞いて、思い浮かんだのが、「歌舞伎」のことでした。
「歌舞伎は、どうも敷居が高い」という印象を、まだ多くの方がもっていらっしゃるんじゃないかと感じることがあります。
確かに、歌舞伎は戦前から戦後の一時期、「大衆芸能」から「芸術」へ、妙な進路を取ってしまったかのような時期があって、庶民の娯楽から遠いもののようになってしまい、歌舞伎見物に足を運ぶ人が減り続けたことがあったようです。それは、今、大御所と言われている看板役者の方々が、TVに出始めた頃と重なっているかと思います。江戸の昔、庶民の娯楽であった歌舞伎が、どういうわけか、どこか格式ばったり権威を誇示するものになっていったことの軌道修正を果敢に試みたのが、現猿翁、「スーパー歌舞伎」というジャンルを切り拓いた先代の市川猿之助さん、そして江戸の歌舞伎小屋を再現し「平成中村座」で「歌舞伎の楽しさ」を示してくれた十八代目中村勘三郎さん。
「歌舞伎は、どうも敷居が高い」という印象を、まだ多くの方がもっていらっしゃるんじゃないかと感じることがあります。
確かに、歌舞伎は戦前から戦後の一時期、「大衆芸能」から「芸術」へ、妙な進路を取ってしまったかのような時期があって、庶民の娯楽から遠いもののようになってしまい、歌舞伎見物に足を運ぶ人が減り続けたことがあったようです。それは、今、大御所と言われている看板役者の方々が、TVに出始めた頃と重なっているかと思います。江戸の昔、庶民の娯楽であった歌舞伎が、どういうわけか、どこか格式ばったり権威を誇示するものになっていったことの軌道修正を果敢に試みたのが、現猿翁、「スーパー歌舞伎」というジャンルを切り拓いた先代の市川猿之助さん、そして江戸の歌舞伎小屋を再現し「平成中村座」で「歌舞伎の楽しさ」を示してくれた十八代目中村勘三郎さん。
伝承芸能であっても、時代の中で生まれた流行歌という表現世界であっても、その価値というのは「庶民、大衆と共にある」ことから離れてしまってはまるで色も香りもなくなっていくように思います。
今回、ひばりさんの数々の歌を聴かせていただき、昭和27年生まれの私も、意識するしないにかかわらず、ひばりさんの歌が流れている時空間の中で育ってきたんだとあらためて実感することができました。
個人的には、今回の、セットリストの中では、ひばりさんのちょっと男まさりな、粋な歌が好みです。男性である舟木さんが歌うと、これまた、不思議な魅力が加わってゾクゾクしました(笑)
また、今回、初めて聴かせていただいた「みだれ髪」の濃厚な情念の世界も、男性の舟木さんが歌うと「こうなるのか…」と、惹きつけられました。そして、子どもの頃によく歌った「越後獅子の唄」は、ひばりさんの歌唱よりも、さらに舟木節っぽい哀感が色濃く、心に深く沁みました。
どれもこれも、素晴らしかったのですが、あえてマイベスト5を色んな角度から絞り込んでみると…
・やくざ若衆祭り唄 ・江戸の闇太郎 ・関東春雨傘 ・みだれ髪 ・越後獅子の唄
おまけに「お島千太郎」のセリフが、これまた最高!ほどが好いというのでしょうか。ヘンに芝居がからず、そうかといって棒読みじゃなく、ホント、「ほどの好さ」は「粋」に通じると私は思ってますが、舟木さんくらい「ほどの好い」表現者って、そうそういるもんじゃないとあらためて感じました。こいういうのが「日本的色香」というものなんでしょうね。
ステージのトークでおっしゃっていたことが、ほぼ、まとめられている舟木さんのコメントが、下記の番組で聴けます。放送は昨年の9月で、この動画も当時ご紹介していますが、今回の「ひばりが翔んだ日々」で舟木さんが伝えたかった想いを知るのに参考になると思いますので再度ご紹介します。
最後に、ふたたび、舟木さんのナレーション部分をご紹介しておきます。
舟木さんご自身の中に生きている「美空ひばり」という歌い手へのあふれる愛が感じられます。
遥かな暗闇をやっとふりきった灰色の空に
ある日一羽のひばりが翔びたった
その声は人々の心に色さまざな灯をともし、夢とやすらぎを運び続けた
いくつもの空を駆け抜け
いくつもの虹を渡り
華やかなひばりは突然に去った
数えきれない日々を翔んで
いくつもの虹を渡り
華やかなひばりは突然に去った
数えきれない日々を翔んで
戦争の傷跡がまだ生々しく残っている戦後間もない頃、一羽の雲雀が大空高く翔びたち、そして昭和の日々を翔び続け、平成へと元号が変わった年にその雲雀は、大空のさらに彼方へと翔び去っていった。ひばりさんは、「女王」などというイメージではなく、いつまでも、この国の昭和を彩った「アイドル」としてみんなの記憶に残してほしいというのが、舟木さんの想いなのだと受け止めました。
「聞いていただいた皆さんが、ひばりさんのことを思い出してくださったら、嬉しいです」と、アンコール曲「大川ながし」を歌い終わり、幕がおりる直前に言われた舟木さん。舟木さんが今回、「ひばりが翔んだ日々」として、ひばりさんの歌を一曲、一曲チョイスして、その見事なセンスでステージ構成され、演出された想いの深さは、そのシンプルな一言に、端的にあらわされているのだと思いました。
今回は、開演前のトークもメモはしてあるのですが、あえてひばりさん関連のことでないものは、割愛させていただきましたが、最終の25日には、こんなことをトークで言われましたのでご紹介します。
ひばりさんは、50代でお亡くなりになったんです。そのひばりさんのデビューから、一番いいときの歌を70過ぎたヤツがやるんですから、ハンディキャップは並じゃない。70過ぎてやるバカがここにいます。
今の芸界には、舟木さんのおっしゃるところの「心意気のある嬉しく可愛いバカ」が少なくなってしまったのはサビシイ限りです。舟木さんの想いが、多くのお客さまに伝わったことを確信しています。
うれしい、オマケです。
中日劇場では、諸事情から、そのまま地下駐車場に入られるので「お出迎え」写真はキビシイのだそうですが、それでもkazuyanさんが、車の中から手を振る舟木さんをカメラにおさめてくださいました。感謝を込めてご紹介させていただきます。
こちらはお見送り