今日は、5時起きで、サツマイモの苗を植えに娘の畑に行きました。
娘宅の裏手は、竹藪のようになってますが、そこにもアジサイが、自生してました。
前回の掲載から間が空いてしまいましたが、つづきです。
コロシート 舟木一夫/歌のプリンス(1968年8月発行)
連載その5
レコード発売における舟木一夫を分析!! 現代の英雄=舟木一夫 八巻明彦(報知新聞普及部長)
現代の英雄――舟木一夫。
こんな言い方をすると、満天下の舟木ファンは”英雄”などどいうゴツイ表現は気に入らない―とばかり、ソッポを向いてしまうかも知れません。たしかに、彼・舟木一夫は、英雄豪傑のような、いかにも武ばった、力感あふれた男性ではありません。むしろ、どこか女性的でさえある、至ってやさしいスターです。それでも、ぼくは、あえて”英雄”と呼びたいのです。
では、そのわけは――
ここに収められた、全二十曲の舟木一夫ヒット・メロディーは、そのどれをとっても、ファンにはおなじみの曲ばかりですが、果たして、これまで、全体で何枚ぐらい売れたと思いますか?
本当いうと、この、わたしが担当している文章は、ここまでにして、あとはクイズにした方が、おもしろいんじゃないかな?賞品はもちろん、舟木一夫に関するもの―例えば、的中したら、舟木クンとハワイ旅行に出かける、とか、近い場合は、舟木家に”一日家族”となってゆっくり遊ぶ―とか。
世の中というものは、そう面白ずくめに出来てないもんです。せっかく、舟木ファンの皆さんのために無いチエを絞って考えたアイデアですが、ハガキが殺到すること請け合いなので、それではコロ・シートの担当者が仕事にならない、そこでせっかくのメイ案もボツということになり、惜しいけれども答えをお知らせしましょう。
本当いうと、この、わたしが担当している文章は、ここまでにして、あとはクイズにした方が、おもしろいんじゃないかな?賞品はもちろん、舟木一夫に関するもの―例えば、的中したら、舟木クンとハワイ旅行に出かける、とか、近い場合は、舟木家に”一日家族”となってゆっくり遊ぶ―とか。
世の中というものは、そう面白ずくめに出来てないもんです。せっかく、舟木ファンの皆さんのために無いチエを絞って考えたアイデアですが、ハガキが殺到すること請け合いなので、それではコロ・シートの担当者が仕事にならない、そこでせっかくのメイ案もボツということになり、惜しいけれども答えをお知らせしましょう。
「高校三年生」から、42年度の話題作「夕笛」まで、ここに集められた二十曲の総売り上げ枚数は…
一二五〇〇〇〇〇枚
つまり、千二百五十万枚に達しているのです。(昭和42年12月1日現在 コロムビア邦楽宣伝課調べ)
つまり、千二百五十万枚に達しているのです。(昭和42年12月1日現在 コロムビア邦楽宣伝課調べ)
これを、金額に直してみましょう。シングル盤は、一枚、三百三十円ですから、その千二百五十万倍は、……〈すぐ答えの出る人は手を挙げて〉驚くなかれ
四一二五〇〇〇〇〇〇円
分り易く書けば
四十一億二千五百万円
ということになります。実に、実に、驚くじゃありませんか。総売り上げ額が、四十一億円は、みんな、舟木ファンの皆さん方が出したお金なのですよ。ちょっと古いセリフですが、これは全く”ビックリシタナァ…、モウ”です。
しかも、このほかのレコードもありますし、LP「その人は昔」のような、空前の売り上げを示したものもあるので、総売り上げはもっと増えるはずです。これだけの実績をたった四年半でなしとげた舟木一夫。〈ついでに、計算してみたら、この四年半の間、一日に二百五十万円ずつ、売り上げた計算になっているのです。これが驚かずにいられましょうか…〉
だからこそ、”英雄”だ、と申したのです。いったい、ほかのだれが、このような驚異的な実績を創り上げることができたでしょうか?それも、わずか二十二歳になったばかりの青年の仕事なのです。
ついでに、ビッグ・ヒット5をご紹介しておきましょう。(カッコ内は発売年月日)
①絶唱(41・8・20) 百四十八万枚
②高校三年生(38:6・5) 百二十五万枚
③学園広場(38・10・5) 九十万枚
②高校三年生(38:6・5) 百二十五万枚
③学園広場(38・10・5) 九十万枚
④夕笛(42・8・15) 八十二万枚
⑤高原のお嬢さん(40・10・5)七十二万枚
⑤高原のお嬢さん(40・10・5)七十二万枚
舟木一夫のこうした、すばらしい実績をみていると、いろんなことに気がつきます。一番大きな事は、いろんな作家の作品によって、ヒットを続けている点です。これは、彼のような、若い大スターにはあっては、まことに珍しいことなのです。具体的に見ることにしましょう。
まず、舟木一夫を彗星のようにスターに仕上げたのは、デビュー曲であり、出世作である「高校三年生」以下「修学旅行」「学園広場」といった一連の”高校生もの”の佳曲を書いた遠藤実氏です。遠藤作品は、38年6月のデビューから、40年までの二年間に舟木一夫をスターの座につかせる上で、実に大きな役割を果たしました。こうした例は彼のライバルである橋幸夫・吉田正、西郷輝彦・北原じゅん―といった風に、決して珍しいことではありません。むしろ当然のことなのです。
ところが、そのあとが、違うのです。最高のセールスを示している「絶唱」は、市川昭介氏、42年の代表作「夕笛」や「ブルートランペット」は船村徹氏、そして青春を明るく歌った「渚のお嬢さん」「高原のお嬢さん」は松尾健司氏、「北国の街」は、山路進一氏…という風に、さまざまの作風を持った作曲家の作品を手掛けているのです。
作詩を見ても、同様のことが言えます。デビュー曲「高校三年生」」以来、ここに収められた二十曲の中でも、さすがに丘灯至夫氏の作品が一番多いのですが、そのほかに関沢新一氏(「学園広場」など)西沢爽氏(「あゝ青春の胸の血は」など)古野哲哉氏(「哀愁の夜」)などとにぎやかな顔ぶれです。そして、大御所・西條八十も「絶唱」「夕笛」を舟木一夫のために書いて、大ヒットとなったのは、ご承知の通りです。
このように、作詩といわず、作曲といわず、さまざまな作家たちが、舟木一夫という歌手の作品を書いて、しかも、それぞれすぐれた成績を挙げているのです。これは、考えてみると、まことに大変なことです。金ボタン姿も、清潔なティーン・エイジャーから、二十歳を越し、青年期を迎えた舟木一夫という男の、それぞれの生長過程に応じて、いろんなヒット・ソングが生まれているのです。ここには、幅広才能の生長がありました。高校生の生活をズバリ歌って、高校生たちの共感をつかんだ舟木一夫。明るい青春賛歌で、二十歳の歓びを歌い上げた舟木一夫。そして、愛の愁い、愛の悲しみを、見事に表現しきる青年舟木一夫。わたしたちは、この四年半の、この二十曲の中に、驚くべき生長をとげた青年シンガーの姿を、はっきり、知ることが出来ます。この歌謡界でも、実に珍しい、実に貴重な才能の青年歌手・舟木一夫の明日を、さらに期待のまなざしで見つづけましょう。
デビューから5年ほどまでの、舟木さんのレコード売上状況について、ネット上で下記のサイトを見つけましたので、参考として併せてご紹介しておきます。
60年代通信 懐かしの歌本の世界
~第6回 『月刊明星』(1967[昭和42]年4月号)第1付録 「歌謡ヤング・コンサート」その3~
http://60net.region-net.jp/htm_fils/utahon/um6704c.htm
今回も、第5回に引き続きまして、『月刊明星』1967(昭和42)年4月号の第1付録だった「歌謡ヤング・コンサート」から、「レコード8社ベスト10」を紹介させていただきます。
この「懐かしの歌本の世界」の第3回で、『月刊平凡』1967(昭和42)年2月号の第1付録「平凡ソング~新春・紅白歌合戦」に掲載されていた「レコード8社今月のベスト10」を取り上げさせていただいておりますので、それから2カ月後のレコード売上状況ということになります。
2カ月間での推移にも着目しつつ、実質的には、1967年(昭和42)年2月頃と思われる当時の情況を振り返ってみたいと思います。
レコード会社毎のベスト10のページは、当時、『平凡』にも『明星』にも、歌本の巻末には必ず掲載されていたように記憶しておりますが、ページのタイトルとしては、『平凡』が「レコード8社今月のベスト10」、『明星』の方は、「レコード8社ベスト10」ということで、「今月の」が入るか入らないかだけの違いですけれども、微妙に違っていたようであります。
2カ月間での推移にも着目しつつ、実質的には、1967年(昭和42)年2月頃と思われる当時の情況を振り返ってみたいと思います。
レコード会社毎のベスト10のページは、当時、『平凡』にも『明星』にも、歌本の巻末には必ず掲載されていたように記憶しておりますが、ページのタイトルとしては、『平凡』が「レコード8社今月のベスト10」、『明星』の方は、「レコード8社ベスト10」ということで、「今月の」が入るか入らないかだけの違いですけれども、微妙に違っていたようであります。
掲載順序も、『平凡』2月号の時は、クラウン~ミノルフォン~コロムビア~ビクター~テイチク~キング~東芝~グラモフォンということでしたが、この『明星』4月号では、コロムビア~ビクター~テイチク~ポリドール~東芝~キング~クラウン~ミノルフォンということで、こちらも異なっております。掲載順序については、恐らく、月毎に変わっていったのではないかと思われます。
掲載順序に従いまして、コロムビアから、見ていくことにさせていただきます。
『月刊平凡』1967(昭和42)年2月号の第1付録「平凡ソング~新春・紅白歌合戦」では、「歌謡曲」と「ポピュラー」になっていた区分が、ここでは、「邦盤」と「洋盤」という表現に変わっておりまして、これは、単に『平凡』と『明星』の違いなのか、それとも、2月号の時点と4月号の時点で、レコード会社各社が呼称を改めてしまったのか、定かではありません。
恐らく、これも、単なる『平凡』と『明星』の違いなのかなというような気はするわけでありますが…。
掲載順序に従いまして、コロムビアから、見ていくことにさせていただきます。
『月刊平凡』1967(昭和42)年2月号の第1付録「平凡ソング~新春・紅白歌合戦」では、「歌謡曲」と「ポピュラー」になっていた区分が、ここでは、「邦盤」と「洋盤」という表現に変わっておりまして、これは、単に『平凡』と『明星』の違いなのか、それとも、2月号の時点と4月号の時点で、レコード会社各社が呼称を改めてしまったのか、定かではありません。
恐らく、これも、単なる『平凡』と『明星』の違いなのかなというような気はするわけでありますが…。
さて、その「邦盤」のランキングですが、1位「一心太助・江戸っ子祭り」、2位「ブルー・トランペット」ということで、舟木一夫さんがワン・ツー・フィニッシュを決めており、その人気の絶大ぶりを顕示しているといったところでしょうか。
左の画像では、ちょっと小さくて見えにくいかもしれませんけれども、スペースの関係からか、「邦盤」の1位から3位までは、歌手名が入っておりません。題名だけで、誰でも分かるほどのヒット曲だったというようなことでもあろうかとも思ったりするわけであります。
舟木さんの場合、この1967(昭和42)年という年は、以前、「お便りコーナー」で紹介させていただいたディスコグラフィーをご覧いただいてもお分かりになるように、1966(昭和41)年半ばから1967(昭和42)年にかけてのシングル盤レコード・リリース状況は、6月に「太陽にヤア!」、8月に「絶唱」、12月に「ブルートランペット」、年がかわって1月に「一心太助・江戸っ子祭り」、3月に「星の広場へ集まれ」、5月に「夏子の季節」と続き、8月には、前年の「絶唱」に続く、この年の大ヒットとなった「夕笛」が登場することになります。
このランキングでの1位である「一心太助・江戸っ子祭り」は、そのリリース・インターバルからいっても、ちょっと、本流からは外れる位置付けだったのではないかと思われるわけですが、それにも関わらず、売上1位になってしまうところに、当時の舟木人気の凄まじさを改めて感じさせられてしまいます。
このランキングでの1位である「一心太助・江戸っ子祭り」は、そのリリース・インターバルからいっても、ちょっと、本流からは外れる位置付けだったのではないかと思われるわけですが、それにも関わらず、売上1位になってしまうところに、当時の舟木人気の凄まじさを改めて感じさせられてしまいます。
おさらいになりますが、この歌本の人気ランキングでも、「ブルートランペット」でトップを飾り、暮れにレコード大賞の歌唱賞を受賞したこともあったのか、「絶唱」も17位にランクされ、息の長いヒットぶりを示しておりました。
そうした実態を見ると、「一心太助・江戸っ子祭り」については、レコード会社の販売政策的思惑が込められた「売上1位」だったのかなというように勘ぐりたくもなってきたりするわけですが、それは、文字通り「下司の勘ぐり」というヤツでしょうから、ここは、やはり、舟木人気の一面を物語る一つの事実という理解でいいのではないかと思います。
ちなみに、『平凡』2月号に掲載されていたコロムビアのランキングでは、「絶唱」が1位でしたから、この頃のコロムビアの邦楽ランキングというのは、ほとんど、毎回、舟木さんが1位だったのではないかという気がします。
そうした実態を見ると、「一心太助・江戸っ子祭り」については、レコード会社の販売政策的思惑が込められた「売上1位」だったのかなというように勘ぐりたくもなってきたりするわけですが、それは、文字通り「下司の勘ぐり」というヤツでしょうから、ここは、やはり、舟木人気の一面を物語る一つの事実という理解でいいのではないかと思います。
ちなみに、『平凡』2月号に掲載されていたコロムビアのランキングでは、「絶唱」が1位でしたから、この頃のコロムビアの邦楽ランキングというのは、ほとんど、毎回、舟木さんが1位だったのではないかという気がします。