6月1日の金沢・本多の森ホールで開催された舟木さんのコンサートに遠出しました。翌日の2日は、金沢の市街地を朝7時過ぎから夕方の3時半まで、昼食の時以外は、ずっと歩き回って小京都・金沢の空気を思いっきり堪能してきました。ブログで、皆さんに金沢のステキな風景をご紹介したいと思いましたが、金沢の街を歩いている時、「♪おもいでつもる ふるさとに 昔あずけた 恋ひとつ♪」と舟木さんの歌う「恋唄」が聞こえてくるようでした。どうせならと…舟友のkazuyanさんに、厚かましくも私のヘボ写真ですが、なんとか「金沢への舟旅」の思い出を動画にしていただきたいとお願いしました。そして、こんな思いがけないほどステキな動画作品に仕上げてくださいました。感激で胸がいっぱいです。皆さまにも舟木さんのお好きな街・金沢の風景のほんの一端をご紹介できればと思います。主に、金沢の三文豪である「泉鏡花」「室生犀星」「徳田秋聲」の生誕地(記念館)界隈を中心に散策しました。kazuyanさんに、心からの感謝を込めて、ご紹介させていただきます。
三重の舟友さん金沢への舟旅 Bgm♪恋唄 1997年版 2004年版 舟木一夫さん
https://youtu.be/xUgAc_zcPLg
https://youtu.be/xUgAc_zcPLg
動画に登場する主な写真
~石川県立歴史博物館~石川県立美術館~金沢神社~西茶屋まち~室生犀星ゆかりの地・雨宝院~室生犀星記念館(犀星生誕の地)~犀川沿い/犀星のみち~金沢文芸館~泉鏡花記念館(泉鏡花生誕の地)~浅野川左岸沿い/鏡花のみち~浅野川右岸沿い/秋聲のみち~徳田秋聲記念館~卯辰山・花菖蒲園~再び浅野川左岸/鏡花のみち~滝の白糸像~兼六園前田利家像~白鳥路(彫刻の路)/金沢三文豪の像~兼六園石川門を見上げる庭園~金沢駅
恋唄 作詩:すずきじろう 作曲:浜圭介 (1977年盤&2004年盤)
おもいでつもる ふるさとに
昔あずけた 恋ひとつ
ただなつかしく たずねれば
涙のあとを 見るばかり
昔あずけた 恋ひとつ
ただなつかしく たずねれば
涙のあとを 見るばかり
あなたがとても 好きだった
竹の葉末の 露の色
ふるえながらも この胸に
こぼれて落ちた 夢のいろ
竹の葉末の 露の色
ふるえながらも この胸に
こぼれて落ちた 夢のいろ
しみじみ胸に よみがえる
忘れたはずの うたのふし
今ははるかな 恋唄の
おぼろにけぶる うしろ影
忘れたはずの うたのふし
今ははるかな 恋唄の
おぼろにけぶる うしろ影
以下は参考資料
泉鏡花(いずみ きょうか)
1873年(明治6年)11月4日 ~ 1939年(昭和14年)9月7日)
明治後期から昭和初期にかけて活躍した。小説の他に戯曲や俳句も手がけた。本名は鏡太郎(きょうたろう)。金沢市下新町生れ。
尾崎紅葉に師事した。「夜行巡査」「外科室」で評価を得、「高野聖」で人気作家になる。江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られる。また近代における幻想文学の先駆者としても評価される。他の主要作品に「照葉狂言」、「婦系図」、「歌行燈」などがある。
父・清次は、工名を政光といい、加賀藩細工方白銀職の系譜に属する象眼細工・彫金等の錺職人。母・鈴は、加賀藩御手役者葛野流大鼓方中田万三郎豊喜の末娘で、江戸の生れ。幼少期における故郷金沢や母親の思い出は後年に至るまで鏡花の愛惜措くあたわざるものであり、折にふれて作品のなかに登場する。
尾崎紅葉に師事した。「夜行巡査」「外科室」で評価を得、「高野聖」で人気作家になる。江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られる。また近代における幻想文学の先駆者としても評価される。他の主要作品に「照葉狂言」、「婦系図」、「歌行燈」などがある。
父・清次は、工名を政光といい、加賀藩細工方白銀職の系譜に属する象眼細工・彫金等の錺職人。母・鈴は、加賀藩御手役者葛野流大鼓方中田万三郎豊喜の末娘で、江戸の生れ。幼少期における故郷金沢や母親の思い出は後年に至るまで鏡花の愛惜措くあたわざるものであり、折にふれて作品のなかに登場する。
室生犀星(むろう さいせい)
1889年(明治22年)8月1日 ~ 1962年(昭和37年)3月26日)
石川県金沢市生まれの詩人・小説家。別号に「魚眠洞」。本名は室生照道(てるみち)
加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とその女中であるハルという名の女性の間に私生児として生まれた。生後まもなく、生家近くの雨宝院(真言宗寺院)住職だった室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生児として照道の名で戸籍に登録された。住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、この際室生照道を名乗ることになった。私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。
加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とその女中であるハルという名の女性の間に私生児として生まれた。生後まもなく、生家近くの雨宝院(真言宗寺院)住職だった室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生児として照道の名で戸籍に登録された。住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、この際室生照道を名乗ることになった。私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。
徳田秋聲(とくだ しゅうせい)
1872年2月1日(明治4年12月23日)~1943年(昭和18年)11月18日)
石川県金沢市生まれの小説家である。本名は末雄(すえお)。現在の金沢市横山町に加賀藩家老横山氏の家臣徳田雲平の第6子(3男)として誕生。
自伝小説「光を追うて」によれば、雲平は秋聲が3番目の妻タケの胎内にあるうちから「産まれ落ちたら知り合ひの農家へくれる約束」をしていたが、生まれた顔を見て思いとどまったという。明治維新後、秩禄公債で苦しい生計を立てていた没落士族の末子として「宿命的に影の薄い生をこの世に享け」た子供であり、4歳で生家を引き払って後は居を転々とし、また病弱であったため小学校へも学齢に1年遅れで入学しなければならなかった。随筆「思い出るまゝ」には、「私は幼い時分から孤独であつた。憂鬱の虫が体中に巣くつてゐた」と記されている。
自伝小説「光を追うて」によれば、雲平は秋聲が3番目の妻タケの胎内にあるうちから「産まれ落ちたら知り合ひの農家へくれる約束」をしていたが、生まれた顔を見て思いとどまったという。明治維新後、秩禄公債で苦しい生計を立てていた没落士族の末子として「宿命的に影の薄い生をこの世に享け」た子供であり、4歳で生家を引き払って後は居を転々とし、また病弱であったため小学校へも学齢に1年遅れで入学しなければならなかった。随筆「思い出るまゝ」には、「私は幼い時分から孤独であつた。憂鬱の虫が体中に巣くつてゐた」と記されている。
「恋歌」と「恋唄」
浅野川に近い枯木橋脇の金沢文芸館二階には、五木寛之文庫があります。作家の五木寛之氏は、夫人が金沢市長を務めたこともある岡良一の娘。その親戚の五木家に跡継ぎがいなかったため五木姓を継いだのだそうです。そういう縁で金沢にも住み、金沢を舞台にした作品も多数あります。「浅の川暮色」「風花の人」「朱鷺の墓」など。ちなみに、「恋歌」という小説では、金沢の内灘出身の女性が登場します。「恋歌」と「恋唄」、「うた」の字がちがいますが、つながりますね(笑)
また、以下ような歌も作っていらっしゃいます。私の散策したコースそのものっていう感じなので、ご紹介しておきますね。
新派などでは「滝の白糸」として上演されています鏡花作「義血侠血」
浅野川恋唄 作詩:五木寛之 作曲:山崎ハコ
https://youtu.be/_hmovXCZ-xQ
https://youtu.be/_hmovXCZ-xQ
暮れてゆく 北の街
なつかしい 金沢
浅野川 流れにうかぶ
思い出の かけら
梅の橋から 東を抜けて
あなたと渡る 仲之橋
鏡花のお芝居みたいね、と
ふたりで笑った あれは遠い日
なつかしい 金沢
浅野川 流れにうかぶ
思い出の かけら
梅の橋から 東を抜けて
あなたと渡る 仲之橋
鏡花のお芝居みたいね、と
ふたりで笑った あれは遠い日
ふりむけば 主計町(かずえまち)
雨模様 金沢
浅野川 瞼に浮かぶ
滝の白糸
天神橋から 大橋見れば
戻らぬ恋の 糸車
鏡花の芝居じゃないだろ、と
あなたに言われて 泣いた雨の日
雨模様 金沢
浅野川 瞼に浮かぶ
滝の白糸
天神橋から 大橋見れば
戻らぬ恋の 糸車
鏡花の芝居じゃないだろ、と
あなたに言われて 泣いた雨の日
みぞれ降る 夜の町
しみじみと 金沢
浅野川 白く流れて
まだ春は 遠い
橋をかぞえて 川辺をゆけば
逢いたい気持ちが つのります
鏡花の世界に あこがれて
いのちを燃やした あれは若い日
しみじみと 金沢
浅野川 白く流れて
まだ春は 遠い
橋をかぞえて 川辺をゆけば
逢いたい気持ちが つのります
鏡花の世界に あこがれて
いのちを燃やした あれは若い日
上記動画の歌唱は、金沢出身の松原健之さん。原曲の歌唱は田川寿美さん。
川面すれすれに翔ぶかろやかなツバメの舞い(画像はネット上からお借りしました)
浅野川は女川、犀川は男川と呼ばれているそうです。
犀川にも浅野川にもツバメの姿がたくさん見られました。ツバメは自然環境が良好に保たれているところにしか生息しませんから、今では、あまりツバメを見ることができません。わが町でも、木曽三川の河口が近いので、たまに川口の方向から飛んでくるツバメを見ますが、めっきりそんな風景は少なくなりましたので、金沢の川沿いで、何羽もツバメに出逢うことができて本当に感激しました。
私の腕ではあざやかに翔ぶツバメの姿をカメラにとらえることができませんからとっても残念でした。
犀川 「抒情小曲集」より 室生犀星
うつくしき川は流れたり
そのほとりに我は住みぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に座りて
こまやけき本の なさけと愛とを知りぬ
いまもその川のながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり
そのほとりに我は住みぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に座りて
こまやけき本の なさけと愛とを知りぬ
いまもその川のながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり
国の登録有形文化財「犀川大橋」遠景
そして「抒情小曲集」の中で、最も広く知られているのがこの部分ですね。
小景異情 その二
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや