わが家の庭のヒメヒオウギスイセン
同じくランタナ(=七変化)
7月6日に野村萬斎さん演出・主演の「マクベス」を観劇してきました。会場は、600席ほどの小ぶりな名古屋市芸術創造センター。今は、なかなか予定がたてにくいので、チケットをとったのが遅くなり、最後列のセンターあたりでしたが、傾斜がほどよく、舞台の幅も狭いので、とても見やすくて集中できました。2016年は世田谷パブシアターを皮切りに全国各地での公演が続いています。
私は、萬斎版のマクベスを2010年の初演と2013年の再演を、萬斎さんが2002年から芸術監督をつとめている世田谷パブリックシアターで観劇しています。今回は3度目の観劇でした。
以下は世田谷パブリックシアターでの「萬斎版・マクベス」上演記録
2010年 世田谷パブリックシアター
2013年 世田谷パブリックシアター
2014年 シアタートラム(=世田谷パブリックシアター・小劇場)
2016年 世田谷パブリックシアター
初演時と再演時、それぞれの観劇の覚書が、手元にあるので、ご紹介しておきます。
2010年3月7日観劇の覚書(感想含む)
今回の「マクベス」のチケットは昨年12月19日の発売と同時に完売。どうしても見ておきたいと思い、ネットオークションで入手。しかも、偶然に初日。今、思うとプレミア・チケットだったというワケ。
3月6日の初日から9日までがプレビュー公演で一般公演料金より千円安くてオークションでも割と安く出品されていてリーズナブルに入手。
3月6日の初日から9日までがプレビュー公演で一般公演料金より千円安くてオークションでも割と安く出品されていてリーズナブルに入手。
作品の背景となる時代も場所も超えた抽象画のような世界で普遍的な人間の業を突きつけてくる切れ味の良い刃物のような舞台。
休憩時間をとらず出演者も5人だけで90分ぶっ通し…セリフは難解でありつつ音楽性が感じられてスンナリ耳から心に届く。
休憩時間をとらず出演者も5人だけで90分ぶっ通し…セリフは難解でありつつ音楽性が感じられてスンナリ耳から心に届く。
野望、殺人、懐疑と不安、そして狂気…ハードなテーマで息詰まる90分だったが、上演中の拍手や笑い声のない舞台上は異空間になりきっていたので集中力を助けるいい舞台だった。
構成演出の練り上げが充実していることと萬斎さんをはじめ役者さんたちのグレードの高さの総合力だろう。
構成演出の練り上げが充実していることと萬斎さんをはじめ役者さんたちのグレードの高さの総合力だろう。
以下萬斎さんの作品構成にあたってのスタンス
~原作を切り刻み、入れ替えて上演時間を短縮する。心理劇ではなく人間(の目線)を離れた俯瞰する立場から作品を見直す。役者の声や身体を重視して様式性のある作品にする。~
狂言師である萬斎さんは人間を滑稽なものという視点で見つめる。
過ちを犯し、悲劇への道を転げ落ちる人間を「道化」とみなし、その哀しみを宇宙的眼差しで感情に流されることなく理知で抑えていると感じた。
過ちを犯し、悲劇への道を転げ落ちる人間を「道化」とみなし、その哀しみを宇宙的眼差しで感情に流されることなく理知で抑えていると感じた。
2013年3月4日観劇の覚書(感想含む)
ちょうど3年前の2010年3月にも同じ世田谷パブリックシアターで観劇。前回もたまたま初日公演のチケットだったが、今回は千穐楽狙いで発売日に購入。
2010年版と比べると衣装も「狂言」のスタイルが色濃く出ていたようだ。
二回目なのですんなりと芝居の流れが頭に入ってきて再演を観劇するメリットを感じた。
歌舞伎や文楽だと何度も何度も繰り返し同じ演目を観劇する機会が多いので作品に対する理解力も少しずつ深まるというメリットがあるが、演劇はなかなか時間を置いて再演を観るということはないので今回、3年を経て再び『マクベス』を観劇したのは正解だったと感じた。
二回目なのですんなりと芝居の流れが頭に入ってきて再演を観劇するメリットを感じた。
歌舞伎や文楽だと何度も何度も繰り返し同じ演目を観劇する機会が多いので作品に対する理解力も少しずつ深まるというメリットがあるが、演劇はなかなか時間を置いて再演を観るということはないので今回、3年を経て再び『マクベス』を観劇したのは正解だったと感じた。
出演者は今回も5人だけ。マクベス夫人は2010年と同じ秋山菜津子さん。萬斎さんとは昨年「藪原検校」でも共演、他の舞台でも常連の評価の高い人気舞台女優。ただ、しいて私的な感想では「巧すぎる」ところ。どんな役を演じても安定感があるので逆に役柄の印象がいつも同じように感じる。
萬斎版「マクベス」の「魔女」は今回も男性3人が演じる。高田恵篤、福士惠二、小林桂太。
冒頭の出の場面から不快感を催すほど見事に不気味な「魔女」ぶり。この三人がマクベス夫妻以外の役を何役も演じ分けている。それだけでなく人間以外(無機物)も演じたりします。肉体を駆使してまさに「身体表現の極み」この方たちのスキルなくしては成り立たない「マクベス萬斎版」だと今回あらためて痛感。舞台人の実力は凄いものがある。
萬斎版「マクベス」の「魔女」は今回も男性3人が演じる。高田恵篤、福士惠二、小林桂太。
冒頭の出の場面から不快感を催すほど見事に不気味な「魔女」ぶり。この三人がマクベス夫妻以外の役を何役も演じ分けている。それだけでなく人間以外(無機物)も演じたりします。肉体を駆使してまさに「身体表現の極み」この方たちのスキルなくしては成り立たない「マクベス萬斎版」だと今回あらためて痛感。舞台人の実力は凄いものがある。
「きれいはきたない、きたないはきれい・・・」という魔女たちの発する言葉が「マクベス」のテーマだということも彼らの不気味な合唱でインパクト抜群。
2016年7月6日 観劇 名古屋市芸術創造センター
構成・演出:野村萬斎
原作:W・シェイクスピア
翻訳:河合祥一郎、
音楽監督:藤原道山
(尺八、津軽三味線、桶胴太鼓の和楽器による生演奏)
衣装は能狂言スタイル:伊藤佐智子
キャストは総勢5人だけ
マクベス:野村萬斎
マクベス夫人:鈴木砂羽
魔女その他:小林桂太・高田恵篤・福士恵二
原作:W・シェイクスピア
翻訳:河合祥一郎、
音楽監督:藤原道山
(尺八、津軽三味線、桶胴太鼓の和楽器による生演奏)
衣装は能狂言スタイル:伊藤佐智子
キャストは総勢5人だけ
マクベス:野村萬斎
マクベス夫人:鈴木砂羽
魔女その他:小林桂太・高田恵篤・福士恵二
演劇総合情報サイト エンタステージ
~盛者必衰、色即是空。野村萬斎が描くロマン、愛、そして全てを失う咆哮「マクベス」レポート~
http://enterstage.jp/news/2016/06/005117.html
この日の客層は、女性が90%以上。年代は三十代から七十代くらいと幅広い。
舟木さんのコンサートも圧倒的に女性が多いのですが、萬斎さんも「狂言」の公演を除けば、それ以上に女性客が多い。ことに「マクベス」については、女性の観客がマクベス夫人に共感できるかどうかが、成功のカギを握っていると思います。
従来のイメージとして「悪女」の典型とされているマクベス夫人ですが、今回マクベス夫人を演じた鈴木砂羽さんは、シェークスピアの戯曲のセリフそのものは、チョー過激で、例えば「自分の乳を吸う赤ん坊がどんなに可愛くても、私は柔らかい歯茎から乳首をもぎ取り、子供の脳味噌を叩き出してみせます。」などというのですが、セリフ表現は、どこか愛らしく繊細で丸みがあって、悪女になりきっていないような部分が私としては、逆にとてもリアルな怖さを感じました。どちらかというと計算高いというよりちょっと無知で浅はかな感じが、「女性あるある」っていう共感を覚えました。初演と再演で拝見したマクベス夫人(=秋山菜津子さん)は理性的で鋭角的な雰囲気でしたので、「過ちを犯してしまうあさはかさ」とは少し遠い感じがしていました。
マクベスに関しては、野心はあふれるほどにあるものの人としての良心と情とのはざまで振り子のような精神のゆらぎを今回も、見事に萬斎さんが演じていました。テーマは殺人劇という私たちには縁遠い世界なのに、自分自身とマクベスとのメンタルな距離を感じさせないのです。
マクベスに関しては、野心はあふれるほどにあるものの人としての良心と情とのはざまで振り子のような精神のゆらぎを今回も、見事に萬斎さんが演じていました。テーマは殺人劇という私たちには縁遠い世界なのに、自分自身とマクベスとのメンタルな距離を感じさせないのです。
萬斎さんのマクベスはいい意味でも悪い意味でも人間の弱さを提示してくれるやはり優れて日本人の心に馴染むマクベスとなっているように思います。
さて、「萬斎版・マクベス」と「舟木版・ハムレットのあの舞台」というタイトルですが、「あの舞台」というのは、「愛する時も死する時も」(1973年/東横劇場公演)です。
以前に、アップしたブログをご参照ください。
艶歌ミュージカル・愛する時も死する時も~東横劇場1973年パンフレットより(上)
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68676232.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68676232.html
艶歌ミュージカル・愛する時も死する時も~東横劇場1973年パンフレットより(下)
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68676672.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68676672.html
愛する時も死する時も 艶歌ミュージカル 1973年2月3日~23日 東横劇場
原案:藤田敏雄/脚本:田中基/演出:松浦竹夫
作曲:いずみたく/作詞:藤田敏雄・山川啓介/振付:関矢幸雄
キャスト
木挽悠介:舟木一夫/木挽麗(悠介の母)・お春(サロンの女給):美輪明宏ほか
私自身は、残念ながら、ずっと舟木さんと離れてしまっていた頃の舞台公演なので、あくまで手元にあるパンフレットからしか、想像できないお芝居なのですが、シェークスピアの戯曲は、やはりお芝居のバイブルのようなものなのでしょうか。今に至るまで、多くの脚本家や、演出家によって四大悲劇~「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」~をはじめ、多くの戯曲の名作がテーマとなる物語の柱はそのままにして、時代や国などの設定を様々に変えて脚色され、次々に時代性に合う舞台劇が創られてきました。
「ハムレット」についても、実に多くの脚本があらたに作られ、ハムレットを演じた俳優さんは数多あるように思います。有名なところでは「蜷川・ハムレット」ですね。宝塚歌劇団でも「ハムレット」は上演されています。主な、日本の「ハムレット」舞台化作品。
宝塚歌劇団
ハムレット:越路吹雪 オフィーリア:新珠三千代
ハムレット:真帆志ぶき オフィーリア:大原ますみ
蜷川幸雄
ハムレット:真田広之 オフィーリア:松たか子
ハムレット:市村正親 オフィーリア:篠原涼子
ハムレット:藤原竜也 オフィーリア:満島ひかり
ハムレット:真田広之 オフィーリア:松たか子
ハムレット:市村正親 オフィーリア:篠原涼子
ハムレット:藤原竜也 オフィーリア:満島ひかり
ミュージカル/栗山民也
ハムレット:井上芳雄 オフィーリア:昆夏美
ハムレット:井上芳雄 オフィーリア:昆夏美
そのほか、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門(孝夫時代)さん、同じく歌舞伎俳優の松本幸四郎(染五郎時代)さんも、ハムレットを演じていますし、数え上げればきりがないほどです。
「ハムレット」と言えば、誰でも知っているのが、あの名セリフ
To be, or not to be, that is the question
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ
生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ
この言葉に込められた意味は、「正義を行うにふさわしい真に気高い人間の生き方とは何か」だとも言われています。ハムレットと聞いて私がイメージするのは「苦悩する魂」というところですが、当時のチョー・スリムな舟木さんのボディやシャープな面差しは、まさにハムレット的ですね。舟木さんの若い頃の舞台劇は何ひとつ拝見できていないのですが、1973年の2月は、東京に住んでいたのに、このような舞台があったことさえ全く知らずにいたので今さながらですが、この舞台を見逃してしまった悔しさはひとしおです。
速報!12月の新橋演舞場公演の演目です。
華の天保六歌撰~どうせ散るなら
詳細は追ってお知らせします
明日、7月10日からチケット発売です。