〈速報〉NHKが永六輔さん追悼番組を17日から放送
NHKは14日、7日に83歳で亡くなった永六輔さんをしのぶ追悼番組を放送すると発表した。
17日に「NHKアーカイブス『永六輔さんが遺したメッセージ』」(午後1時50分)を放送。歌手坂本スミ子(79)をゲストに迎え、永さんが出演した63年7月放送のNHK「夢であいましょう」、11年9月放送の「ヒューマンドキュメンタリー」など過去の出演番組を織り交ぜながら永さんをしのぶ。
18日には「永六輔が語った 視点・論点(仮題)」(午前4時30分)、19日は「クローズアップ現代+『永六輔さん 日本人への遺言』(仮題)」(午後10時)を放送する。
永さんが出演した番組の懐かしい映像の紹介や、ゆかりの人をゲストに迎えて思い出を語ってもらう形になる。
明日咲くつぼみに 作詩:永六輔 作曲:久米大作
(2012年1月 50周年記念曲)
(2012年1月 50周年記念曲)
想い出のふるさと
想い出の人々
明日咲くつぼみよ
今日散る花びらよ
想い出の人々
明日咲くつぼみよ
今日散る花びらよ
想い出の笑顔よ
想い出の涙よ
昨日今日明日
過去現在未来
想い出の涙よ
昨日今日明日
過去現在未来
時は還らず世は移りゆく
いつか別れの言葉さようなら
いつか別れの言葉さようなら
想い出のあの町
想い出のあの人
明日咲くつぼみに
今日の生命(いのち)を
想い出のあの人
明日咲くつぼみに
今日の生命(いのち)を
「想い出の ふるさと 想い出の 人々…」というフレーズを聞いた時に、切り口も大きく、多くの人に共鳴すると思いました。シンプルの代表みたいな曲で、むしろ、若いころに歌っても伝えられなかったと思いますね。歌い手と聴き手の両方にある程度のキャリアと実年齢が必要かなと思う曲。実際、ステージで歌っていて、お客様の間にスムーズに浸透していく様子が分ります。お客様は聴く側のプロ。だから分ってくれるというのもあります。
2012年9月3日~22日
新歌舞伎座公演 パンフレットより
芸能生活五十周年記念として五年半ぶりに発表したシングル「明日咲くつぼみに」舟木さんの滋味ある声が聴くものに響いてきます。
もう一週間近く前のことになってしまいましたが、7月10日の日曜日、久しぶりに近鉄特急で大阪に出かけました。昼は松竹座で歌舞伎見物、夜は天満天神繁昌亭で落語会を楽しみました。
私は、四年前までの三十年以上、職場も住まいも関西でした。大阪、兵庫、大阪、そして最後の十年は京都暮らしです。関西での暮らしの中で、能狂言、文楽や歌舞伎、上方落語などの伝統芸能が比較的身近なものとなり、仕事の合間をみて十分に楽しませてもらいました。
歌舞伎を初めて観にいったのは大阪・松竹座です。特に7月は「関西・歌舞伎を愛する会」の興行で大好きな片岡仁左衛門さんが出演されるので、関西在住の頃は毎年、必ず行っていました。ここ数年、ちょっと足が遠のいていましたが、今回は「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」が演目に入っています。仁左衛門さんの与三郎は何度も拝見していますが「え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、 いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。」…「しがねぇ恋の情けが仇(あだ) 命の綱の切れたのをどう取り留めてか 木更津からめぐる月日も三年(みとせ)越し…」という名セリフ場面を見たさにチケットを購入しました。設定では序盤、二十歳前後という年頃の若旦那づくりの与三郎の初々しさ愛嬌、そして後半の見せ場は、三年後。「切られ与三(=向疵の与三)」と悪名を馳せてからのチョイワル男の色気を頬かむりで見え隠れさせて登場する与三郎。どちらも仁左衛門さんならではの「いいかたち」で、たっぷりと目の正月をさせていただきました。舟木さんより一年ほど年長の仁左衛門さん。声も所作も、全く年令を感じさせず、未だ歌舞伎界随一の色男健在と嬉しく拝見しました。
父の遺作の切り絵「与三郎」
1983年、国立劇場「冥途の飛脚~梅川忠兵衛」、梅川(向かって右)は四代目雀右衛門さん
この日は、京都祇園甲部の芸妓さん、舞妓さんが総勢15人ほどの総見。華やかな客席でした
9月には劇団新派の公演もあります。これは絶対に見逃せません!
歌舞伎見物と落語会の合間のティータイムは、千日前のアメリカンで
ホットサンドセット(カレー入り)
アメリカンの名物のホットケーキはお土産で持ち帰りにしました
歌舞伎も私にとっては親しみ深いものですが、あくまで観るだけのもの。それと比べると落語はさらに親しみやすいものでしたし、お客さんとして聴くだけに飽き足らず、恥ずかしながら2年間ほどは女性対象の落語サークルで習ってみたりもしました。今は、大阪周辺では素人の落語サークルやカルチャーセンターの落語講座がたくさんあるようです。
私は、どちらかというとベテランの師匠方より、若手の噺家さんたちの成長ぶりを拝見するのが楽しみで、若手の人たちの落語会に足繁く通いました。そして、これもお客さんとして聴きに行くだけから、若手噺家さんの勉強会という感じの小規模落語会を私自身が主催して開いたりなどもするようになりました。
ちょうど今から十年前、2006年の9月15日に大阪にも東京のような落語専門の定席の寄席小屋が「やっと」開設されました。上方落語協会会長の桂文枝師匠(当時三枝)の「大阪にも常設の寄席小屋を!」という想いから始まり、天神橋筋商店街の協力を得、商店街が大阪天満宮に打診、依頼し、その結果、大阪天満宮が所有する敷地を提供してもらえた、という経緯があって建設が実現したのが天満天神繁昌亭です。土地は大阪天満宮が無償で貸すという形だと聞いています。建設費用はこの小屋の開設に賛同する企業や一般市民個人からの寄付金で賄ったものです。私も、女性落語サークルの皆さんと共に、わずかですが寄付をさせてただきました。確か十万円で、繁昌亭の天井に吊るされた名入提灯が一張りだったと記憶しています。十万円寄付した人は提灯に、その人の名前が単独で入っています。私たちサークルは全員で一万円でしたから○○○○○とサークル名が書かれ、同じように一万円寄付した人の名前が他に9名、一つの提灯に書かれています。もし天満天神繁昌亭に行かれる機会があれば天井を見上げてみてくださいね(笑)
このようにして、お上が建てたものではない寄席小屋であることが、値打ちなんだと私は思っています。そういった意味でも、天満天神繁昌亭開設は上方落語の長い歴史の中でも特筆に値する快挙だと思います。
前置きが長くなりましたが、私がお世話していた落語会でおつきあいのあった若手の噺家さんから、嬉しいメールをいただきました。入門十三年目の彼が「初めて天満天神繁昌亭で独演会を開くのでぜひ聴きにきてください」というものでした。これは、行かないわけにはいきません…というワケで出かけた次第です。上方落語協会の会員である若手の噺家さんにとって、やはり天満天神繁昌亭で独演会が開催できるということは、ひとつの大きなステップを上がったということなのですね。
彼からのご案内で、なんと4年ぶりくらいに繁昌亭に足を運ぶことになりました。大阪市内の本町に勤務先の事務所があった頃に、ちょうど繁昌亭が開設されたこともあって、仕事帰りには、一週間に3回ほどは立ち寄っていたお馴染みの小屋です。大道具はじめ裏方のお仕事をなさっているNさんもお元気で、死ぬまで頑張りますよ!とヤル気満々でいらして嬉しく思いました。また、顔馴染みの落語好きのお仲間さんたちとも久しぶりに逢うことができて懐かしく楽しい時間を過ごしました。
浪花恋しぐれ 舟木さんと都はるみさん
道頓堀の浮世小路。初代春団治
今年1月に亡くなった三代目春団治師匠のお別れの会が繁昌亭で行われました
初代春団治が愛用していたといわれる赤い人力車も三代目を見送ったそうです
道頓堀、浮世小路、織田作之助の小説「夫婦善哉」ゆかりの看板
大阪天満宮正門
天神祭りの準備が始まってました
本殿
天満宮の正門側にある川端康成の生まれた家は、今は老舗料亭・相生楼となっています
川端康成 1899年(明治32年)6月14日、大阪府大阪市北区此花町1丁目79番屋敷(現・大阪市北区天神橋 1丁目16-12)に、医師の父・川端栄吉(当時30歳)と、母・ゲン(当時34歳)の長男として誕生。
法善寺
水かけ不動
派手派手看板だらけの道頓堀界隈