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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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新歌舞伎座 舟木一夫特別公演  12月17日昼の部(一回公演)

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新歌舞伎座の三階のロビーの窓側の隅にある胸像です。さて、どなたでしょう?
 
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何度も新歌舞伎座の三階には来ているのですが、あまりにもひっそりとロビーの片隅に置かれているので、ずっと気になりつつもこれまでこの胸像の近くまでは行きませんでした。像の下に記されている名前もあまり目立ちません。「松尾」とファミリーネームが読めたので、「アレレ・・もしかしたら松尾國三さん?」とひらめいて、近くまで寄って確かめてみたら、やっぱりそうでした。「松尾國三寿」とあります。
*「寿」と付いているのは、その人物が存命中に創っておいた「肖像彫刻・肖像画」のことだそうです。
 
 
では、この松尾國三とは、どのような人かというと・・・
 
松尾 國三(まつお くにぞう)
明治32年(1899年)6月8日 - 昭和59年(1984年)1月1日)
佐賀県伊万里市出身の、日本の歌舞伎役者・実業家・芸能プロモーター。
 
 
松尾芸能振興財団は、日本の伝統ある劇場芸能の助成と振興、文化・芸能の保存と向上に寄与することを目的として、1979年(昭和54年)に松尾國三が私財を投じて設立した財団法人である。
 
                                      ↓舟木さんの大賞受賞翌年の受賞者勘三郎さんとのツーショット

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松尾芸能賞(まつお げいのう しょう)
松尾芸能振興財団が1980年(昭和55年)に創設した日本の芸能賞。毎年その年に活躍した舞台芸能の関係者を顕彰して「優秀賞」、「特別賞」、「新人賞」が贈呈され、また年によっては「大賞」、「功労賞」(1996年制定)、「研究助成」(2011年からは「研究助成賞」)などが贈呈される。

舟木さんが2001年に「演劇・歌謡」に大きな功績を残したとして松尾芸能賞の「大賞」を受賞なさっていることは、皆さんご周知の通りですね。歌手でこの「大賞」を受賞したのは舟木さんが初めて(「大賞」が制定されて5年目)であり、「演劇」と「歌謡」という二つの分野での活動を評価されたことも特筆すべきことだと思います。
 
~ウィキペディア参照~ ↓
 
 
       ↓新歌舞伎座の緞帳:上村淳之画伯の原画「四季花鳥図」 (チケット袋より)
 
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新歌舞伎座の長期公演も、もう6日を残すばかりとなった、17日のこの日は昼公演一回のみでした。
 
第一部 お芝居「いろは長屋の用心棒」
 
さて、お芝居での舟木信兵衛さん、・・・二組のカップルに挟まれて大いに凹む場面での信兵衛さんのアドリブが毎回のお楽しみのひとつなのですが、この日はちょっとセリフが長くて最後は「襤褸は着てても心の錦っにゃ!」と水前寺清子さんのモノマネ調の歌入りで楽しませて下さいました。毎日、いろいろバリエーションを考えるのも舟木さんの遊び心なんでしょうね。 序盤の信兵衛さん登場の際の、長い口上では、この日も「おじいさんが山へ洗濯???」なべ・おさみさんが、後の場面でネタにしていじってました(笑)
へべれけに酔いつぶれて倒れ込む時の私の大好きな、うつろなお顔の表情と意味不明言葉も相変わらずサイコー!こんなのが、ピシッと私のツボにハマりまります。 こういうワケのわからない面白さの時は、なぜだか「絶唱」とか「夕笛」「残雪」とかのチョー悲恋ものの舟木さんを思い浮かべてそのギャップを楽しむという私の「悪趣味」があります(笑)二枚目のイメージがある舟木さんだからこそ、そのギャップで笑えるという「うま味」を思う存分楽しませてもらえます。

 
第二部 シアターコンサート   ピンク文字が舟木さんのトーク部分)
 
オープニング~想い出通り
 
風邪もすっかり回復なさったようで「コレコレ、この声でなくっちゃぁ~!」と大満足できるオープニング第一声でした。

3日に初日が開いてからあっという間に日が経ってあと8日くらいで終わるんですが…年の瀬ということでパァ~ッとしたやつでいこうということなんですがホントにパァ~ッ!~頭の横で人差し指をクルクル回して~(笑) あっ、またご挨拶を忘れるといけないから…今日はありがとうございます。
 
北国の街
花咲く乙女たち
友を送る歌

イメージ 7みんな日活で映画になった曲ですが…友を送る歌…小ザッパリしたこのテの歌は男が好きなタイプなんだろうと私の場合は最初がアレですからその後はカーブが大きかった…色々なタイプの歌があったのは今思うと幸せだと思います。18でデビューして69になったんですから…拍手…「高校三年生」も大変なことになってしまった…
 
明日咲くつぼみに
高校三年生
修学旅行
学園広場
 
流行歌はその時代をピンポイントで表している…おおらかでのどかですね。
「♪ベルがなるなるブラットホーム」…今はステージでは「ブラットフォーム」と歌ってますがあの時代より前
の歌はどんな先輩のも「プラットホーム」なんですよ。だから今も先輩の歌った通りの歌い方で歌う…
 
 
銭形平次
 
テレビの銭形平次は八チャンネルで八百八十八回続いた…橋蔵先輩は千回までやりたいと言ってたんですが体を壊してしまった、皆で八がたくさん続く御目出度い数だからと説得して橋蔵先輩も納得…次男坊の丹羽貞仁くん~厠侍(笑)~最近このへんが(と目元を指して)似てきてる。貞仁くんのお母さんの橋蔵夫人にそういったら「うちの人と比べらたこんなもんあきまへん」~眞理子夫人は元祇園の芸妓さん~自分の息子を「こんなもん」だって(笑)確かに親が偉大過ぎると息子は割りを食いますよね。貞仁さん、頑張れ~ッ!
 
ライト、暑いんですよ、ピンクってトシじゃあ…と言いつつピンクのジャケットを羽織る舟木さんですが、なんのなんの、くどいようですが、むっちゃお似合いで~す
次は抒情歌というくくりで・・・皆さんもだと思いますが「初恋」は中学一年の頃に教わりました。最初は「まだあげ初めし」なんて読んでた…
 
「初恋」は、この日も一番、三番でした。私が聴いた限りでは、一番、三番というのが多いパターンですが、他の日はどうなんでしょう?気になります(笑)「初恋」のイントロを聴くと、日本の抒情が胸いっぱいにひろがって、聴けば聴くほど美しい歌だなぁと思います。
 
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「絶唱」は・・・「夕笛」もですが・・ヒットしたから映画になったんではなくて…最初から映画の企画があった…「七年を西東」…原作は七年じゃないので西條先生に聞いたらこれは「長い年月」という意味だと言われた。「夕笛」の「おさげ髪君は十三」も実際に十三才ということではなく、昔は十二、三歳で「乙女」と見なしていたからこういう表現になると・・・西條先生には本当に色んなことを教えていただいた。間に合って幸せだった。
この舟木さんの「間に合って幸せだった」に客席がビミョーな反応をしたからか舟木さんは、その言葉の意味合いをさらに詳しく解説なさいました。
 

いや、落語家さんたちもよく言いますよ。小さん、志ん生、圓生、文楽…こういう噺家を(同時代に)聴けたことを(幸せに思って)間に合って良かった」という言い方をする。
今お芝居に出てる団朝さん(駕籠かき役の桂団朝師)は米朝師匠のお弟子さんだから「米朝師匠に間に合って良かった」・・・と・・・これは随分大きいことなんですね。
 
舟木さんの口から落語や、まして私が尊敬する桂米朝師匠のお名前が聴けるなんて本当に感激でした。私もギリギリですが、まだ米朝師匠が高座をつとめていらした最後の頃にナマの口演に「間に合った」ので舟木さんのおっしゃっていることを身にしみて痛感しています。
テープや録画では感じとれない名人芸のライヴそのものに直に触れることの大切さや感動を舟木さんがこのように熱を込めてお話して下さることは何より嬉しく思います。

余談ですが、私はこの日の公演のあと近鉄特急で自宅の桑名を素通りして名古屋に向かいました。ちょうどこの日舟木さんがトークで昭和の名人と言われた噺家の中のひとり古今亭志ん生のお弟子さんのそのまたお弟子さん~孫弟子と呼びます~古今亭文菊師匠の落語会に行く予定にしていたのでなおさら嬉しく思いました。
師匠から弟子へ、そのまた弟子へと伝えられ受け継がれていくのは「芸風」そのものもあるのですがそれ以上に大きな財産は「芸に向かう姿勢=人となり」であると感じています。おそらく舟木さんも多くの偉大な先輩方の「姿勢」をしっかりと若い頃に身体と頭に叩き込んでいらっしゃるのだと思います。青春時代に西條八十という偉大な詩人の深くて広い多岐にわたる知識・教養の宝箱の一端を覗き、じかに身を持って感じ感動したことが今の舟木さんの大きな財産となっていることは今更、言うまでもありませんね。
 
イメージ 9青春の中での特別の時間~初めての恋 を・・
 
東京は恋する
高原のお嬢さん
眠らない青春
 
ピンクのジャケットで間奏の時に、両手を上げてちょっと客席に背を向けて、ななめ後ろ姿になる舟木さんはめちゃくちゃカッコいいんですよね。肩から背中のラインが胸キュンですホントに69才ですか???
 
アンコール~
哀愁の夜 五番付き
 
今回で五回目のアンコール「哀愁の夜」でしたが風邪もすっかり治ったようで、万全の舟木さんの歌声でした。このまま、絶好調で千秋楽まで残りの舞台を勤められますように・・・
 
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またまた最後に余談ですがこの日17日の前日NHKテレビ「プロフェッショナル~仕事の流儀」で「最高の野球人生」を送っているイチロー選手の口から出る「珠玉の言葉」を聴きながら、舟木さんの「最高の歌手人生」と重ね合わせました。「バット」と「マイク」の違いはありますがイチロー選手の言葉に舟木さんの想いが重なるようで「プロフェッショナルの仕事の流儀」というの、は自分が人生を賭けた「仕事への強い愛」ということにおいては全く同じなのだと感じました。
 
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残酷なほどどこまでいっても最後まで「形が決まることはない」ものへの挑戦・・・イチロー選手の言った一番印象的な言葉 は、次の言葉です。
「野球が大好きなんです。・・・昔のように~子どもの時~ただ楽しいわけではないけど苦しみの中でも楽しい…そう思う時にプロになったんだと感じます。」
「僕は18才から22年ずっと野球をやってきた。人生のすべてを野球から教わった。だからその野球にいいかげんな気持ちでは向かえない。」・・・と
イメージ 12年齢を重ねて肉体的には後退していくことをどう考えるか?というレポーターの質問には
「もうトシだから・・というのはカンタン、でもまだまだ若いと突っ張るのもダサイ・・・トシを重ねて「風味」が加わったというふうにとらえている。」
 

イメージ 3私などのようにスポーツおんちな者は、どうしても「体力勝負」だと思い勝ちなアスリートの世界。でも、その世界にも「風味」というニュアンスを用いるイチロー選手に脱帽しました。
ここまでくると野球はスポーツを超えて芸術になるんだとも・・・

イメージ 4「世界のイチロー」選手と「昭和歌謡を代表する舟木一夫」…考えてみたらどちらも、「愛知県産」でした。しかもとってもお近くのお生まれなんだということをあらためて思い出しました。
 
 
 
 
 
 
イチロー選手の言葉を、舟木さんの言葉に置き換えても、共通項が本当にたくさんあるようでした。ひとつことを極めることのできる「プロフェショナル」にとっては「仕事」は既にもう単なる「仕事」ではなく「敬愛」の対象であり、「自分自身の生き方」なんだと凡人の私としては本当に羨ましく思いました。
 
 
 

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