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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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「右衛門七討入り」にまつわるアレコレを(下)

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イメージ 12昨年の12月の新歌舞伎座公演の真っ最中に、アップした
「右衛門七討入り」にまつわるアレコレを(上)↓
から、ずいぶん時間が経ってしまいましたが続編の(下)を掲載します。

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舟木さんの2013年の最後のステージである「新橋演舞場シアターコンサート」が開催された12月25日の前日24日から上京して、歌舞伎観劇をしました。国立劇場では播磨屋御一門が柱となった「知られざる忠臣蔵」というサブタイトルがつけられた狂言のラインナップでした。
 
その中で私が今回お目当てで足を運んだのが「主税と右衛門七~討入前夜」という新作歌舞伎です。
「矢頭右衛門七散りゆく花か 恋も知らない若い身で」と舟木さんが唄って以来、哀れを誘うイメージがより強く印象づけられた矢頭右衛門七教兼の十八年の生涯に「恋」の匂いはなかったのか・・・そういった想いを誰しも抱くのではないでしょうか。
私の親しんできた歌舞伎の世界で、その右衛門七の淡い恋・・・淡い恋というより、人を恋うる想いが芽生えてくる十代の半ばを「主君の仇討」を亡き父になり代わり、青春時代のすべてをその一点のみに賭けるイメージ 2日々を過ごさねばならなかった右衛門七が、人に恋われ、その恋心に応えることのできない自分の身に悩み、苦しむ・・そういった思春期の切なくもまた甘い葛藤と言ったほうがより正しいのかもしれませんが・・せめて、そのような人並みの青春期らしい葛藤も経験させてやりたかったという・・「忠臣蔵ファン」「矢頭右衛門七ファン」の想いを脚本化し舞台化したような作品だと感じました。
 
 
イメージ 11翌日25日の午前中、舟木さんの演舞場でのシアターコンサートの開演前に「お礼参り」に訪れた泉岳寺で撮影した写真をちりばめつつ、この作品をご紹介させていただきます。                  山門前の内蔵助の像→
 
国立劇場十二月歌舞伎公演(12月24日観劇)
~以下パンフレットより~
赤穂浪士の討入りを描く「忠臣蔵」の世界には、代表作「仮名手本忠臣蔵」を始め数多くの作品があります。無尽蔵の面白さにあふれています。今回は、そんな「忠臣蔵」の世界から”知られざる忠臣蔵”と銘打ち、上演機会の少ない作品を選りすぐってお送りします。~後略~
 
主税と右衛門七 討入前夜  一幕三場
成澤昌茂:作 織田紘二:演出
矢頭右衛門七:中村歌昇
大石主税:中村隼人
お美津:中村米吉
大石内蔵助:中村歌六
 
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泉岳寺四十七士の墓地の全景 ↓
 
 
 
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あらすじ
赤穂浪士中、いまだ十代で討入りに参加したのが大石主税と矢頭右衛門七でした。家老の子と足軽の子という立場を超え、二人は強い友情で結ばれていました。いよいよ討入りが明日に迫った日。主税が滞在する日本橋の呉服屋を舞台に、さまざまな思いを抱いて動揺する二人の姿を、右衛門七に惹かれる娘お美津の恋心をからめて描きます。不安な心を鼓舞しようと酒を酌み交わす純真な若者たち。二人の様子を温かく見守りつつ叱咤し、静かに立ち去る大石内蔵助の姿からも、深い余情が溢れる名品です。
 
 
イメージ 19~以下、いずれもパンフレットより抜粋させていただきました~

作者のことば 処女作  成澤昌茂 平成二十五年 晩秋 
昭和33年の秋、築地の松竹本社・会長室。大谷竹次郎会長が・・「あなたが成澤さんですか。若いんだねえ、いくつ・・33才。錦之助の映画を見てシナリオが気に入ったので来てもらった。あなたね、歌舞伎を書きなさい。忠臣蔵の四十七士の中に十代の若者が二人いる。一人は大石の息子で主税。もう一人は足軽の息子で矢頭右衛門七。身分差のある二人が討入り前夜に、なにを思い、なにを考え、なにを語り合ったのか。そこをじっくり掘り下げて書いてほしい。一幕三場、六十分。この中で人間をしっかり描く。そして芝居を緻密に組み上げる。分かりましたか?分かったら頼みましたよ。」私は家に帰って資料を読み、机に向かった。しかし一行も書けない。歌舞伎と映画の壁は厚かった。二ヶ月の余、苦闘の末ようやく「処女作」を脱稿した。                                                                         
                                           ↑向かって左は右衛門七、右は主税 ともに少年時代のご兄弟
 
こうして成澤氏の「処女作」は昭和34年1月(初日は2日)に新宿第一劇場初春興行で初演されたそうです。右衛門七は当代松本幸四郎(当時染五郎16歳)、主税は実弟の当代中村吉右衛門(当時中村萬之助14歳)~再びパンフレットより抜粋↓
 
~染五郎は、右衛門七の役をしっかりと身につけてダイナミックに演じる。萬之助は気品ある主税の役を格調高く見事に演じた。厳しい目で見ていた会長は、幕が下りると眉を開く。「次の吉右衛門と、次の幸四郎が決まりました・・」破顔一笑、部屋を出て行く。芝居は成功だ。~中略~平成二十五年の十二月。国立劇場歌舞伎公演で「主税と右衛門七~討入前夜」は脚光を浴びる。初演から五十四年ぶりだ。今回の演出は、国立劇場の織田紘二氏にお願いした。また、中村吉右衛門さんが「処女作」を覚えていてくださったのはうれしく、なつかしい。 
 
NHK大河ドラマ「赤穂浪士」の撮影風景 左は主税の中村賀津雄
(現嘉葎雄)さん、右隣りが右衛門七の舟木さん ↓
 
イメージ 20演出のことば 苦悩する青春  織田紘二
「討入前夜」は昭和34年1月新宿第一劇場で初演された。成澤氏は溝口健二監督に師事し、「新・平家物語」や「赤線地帯」をはじめとして、「浪花の恋の物語」「宮本武蔵」「親鸞」「関の弥太っぺ」など数多くの名作を世に送り出した。シナリオライターとして戦後の映画界で大切な役割を担った重鎮の演劇処女作だった。赤穂浪士四十七士の運命は夫々異なり、忠臣蔵銘々伝も多種多様だが、今回のこのエピソードも討入りの前夜の短い濃密な時間に凝縮された若い三人三様こもごもの青春を描く。大石内蔵助の長男である主税と足軽の子である右衛門七との身分の違いが戯曲全体に通低音として流れている。主税には迷う事ない運命が、右衛門七には低い身分ゆえに自裁した父母の苦衷と悲劇とがまとわりついている。お美津の恋慕の告白に揺れる右衛門七の心。主税と右衛門七、幼さ残る若い二人が夫々の不安を抱いて酒を酌み交わし、主税の謡と鼓の拍子、右衛門七は小舞に一時の心の迷いを払拭しようとするところに、お美津の弾く琴の音がからみつき、立ち往生してしまう若さゆえの危うさを大石内蔵助は予知していた。かくあらんという。まさにその場に現れて諄々と二人に説く「この内蔵助とてお前らの心が判らぬではない。色恋一つ知らずに散らす不憫さも、人の親として知っておる。しかし未練は許されぬのだ。よいな」という一言に籠められた、人の親としての情愛と武士の使命の狭間に揺れる心の奥底からの吐露に、時代の哀しい定めを感じざるを得ない。そしてまた残されたお美津はいかなる生涯を送るのだろうか。そんなことが観劇後の印象として残ってくれるような、舞台でありたいと思う。~後略~
 
 
墓碑銘が薄くなってますが中央に「刃擲振劔信士」右には「矢頭右衛門七」、左には「行年十八歳」と彫られています↓
(お線香をあげてきました)左下の設えの立派なお墓は大石主税のお墓です。身分の差が如実に顕れています。
 
 
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矢頭 教兼(やとう のりかね)
貞享3年(1686年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日)
江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は右衛門七、一般には矢頭 右衛門七(やとう えもしち)として知られる。四十七士の中では大石良金に次いで若年であり、母妹の世話に苦難したことで知られる。『仮名手本忠臣蔵』の佐藤与茂七(さとう よもしち)のモデルとなった。
 
イメージ 13元禄15年(1702年)8月15日、父が病床に右衛門七を呼び、くれぐれもその遺志を継いでくれるよう嘆願しつつこの世を去る。この時右衛門七は17歳だった。しかし義挙に加わらねばならない身の上なので、母と妹3人をどこかに預けなければならない。右衛門七は母と妹をつれて大坂を出ると、母の実家がある奥州白河藩(祖父の仕える松平家はこの地に転封となっていた)へと向かったが、旅慣れない少年のこと、女人通行手形を携えていなかったために荒井関所を通ることができず、仕方なしに大坂へ帰って知人に母たちを預けるしかなかった。9月に千馬三郎兵衛・間十次郎らとともに江戸へ入り、南八丁堀で潜伏生活がはじまった。吉良屋敷討ち入りでは表門隊に属し奮戦、父の志を遂げた。その後、三河岡崎藩 水野監物の芝中屋敷にお預けとなり、元禄16年2月4日に水野家家臣・杉源助の介錯で切腹した[。享年18。他の浪士とともに主君・浅野内匠頭と同じ芝泉岳寺に葬られた。法名は刃擲振劔信士。
 
~以下パンフレットより~
 
イメージ 3中村歌昇(四代目)談
右衛門七を勤めます。右衛門七は足軽の子、主税は家老の息子と、お互いの立場が違います。でも主税が弱さを見せる時には、兄のような気持ちになるのでしょうね。討入りへと逸る一方で、人生の多くの事を知らずに死んでいくという、十代なりの虚しさがほろりと出ればいいのですが。仇討が彼らにとってどれほど大事であったのか、お客様にまずそこを納得していただけるよう、演出の織田先生のもと、懸命につとめたいと思います。作者の成澤昌茂イメージ 4先生は大叔父の(萬屋)錦之介の映画の脚本を多く書いて下さった方なので親戚の一人としてご縁を感じています。

 
 
 
 
中村隼人談
主税のお役は歌舞伎では初めてなので光栄です。「仮名手本忠臣蔵」の力弥(主税は力弥となっています)とはまた違い、主税の心情や人物像が率直に描かれています。十五歳でこの世を去った主税の気持ちが少しでもお客様に伝わればと思います。右衛門七役の歌昇さん、お美津役の米吉君とは、普段から吉右衛門のおじさまの許で一緒に修業させて頂いております。主税と右衛門七は親友同士なので、仲の良さが滲み出ればいいですね。
 
 

歌昇さんは、三代目中村又五郎の長男。平成元年5月6日生まれ。6年6月歌舞伎座〈四代目中村時蔵三十三回忌追善〉の『道行旅路の嫁入』の旅の若者で四代目中村種太郎を襲名し初舞台。23年9月新橋演舞場『舌出三番叟』の千歳などで四代目中村歌昇を襲名。
隼人さんは、二代目中村錦之助さんの長男。平成五年11月30日生まれ。14年2月歌舞伎座で中村隼人を名のり『寺子屋』の松王一子小太郎で初舞台。19年4月歌舞伎座『菊畑』の腰元白菊、12月国立劇場『堀部彌兵衛』の娘さち、20年6月歌舞伎座『身替座禅』の腰元小枝など女形もつとめる。
いずれも萬屋の家系で映画界の時代劇俳優として人気実力ともに一時代を築いた萬屋(中村)錦之介さん(歌舞伎役者としての名前は錦之助という字を使っています)の親戚にあたります。
 
 
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                                          舞台での「右衛門七討入り」のお稽古に励む舟木さん 
 
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イメージ 22右衛門七討入り 
作詩:西沢爽 作曲:遠藤実
 
ふりつむ雪を血に染めて 
四十七士の鬨の声
矢頭右衛門七 散りゆく花か
恋も知らない 若い身で
 
 
討たれるものも 討つものも
ともにこの世は 夢の夢
赤穂浪士の 誉にかけて
ゆけととゞろく 陣太鼓
 
 
勝利のあとの 哀しみを
抱いて見返る 吉良屋敷
四十七士の 去りゆく影に
ふるははかなき 江戸の雪
 
 
 
 
 
五十四年ぶりの再演というのですから、リアルタイムで観劇することができたこと自体がミラクルというか、幸運なことでした。「恋も知らない若い身」で散っていったはずの右衛門七さんの生涯に、このようにたとえ風花のように儚いものであっても「恋」の物語を創って下さった成澤氏に感謝したい気持ちです。
 
24日の国立劇場で「主税と右衛門七」、吉右衛門さんの「弥作の鎌腹」を観劇してから、歌舞伎座に移動して、玉三郎さんの綺麗でとっても可愛い「七段目」の遊女おかるを拝見しました。何度観ても、いつ観ても素晴らしいです。十二月はやっぱり「忠臣蔵」ですよね!大星由良之助役は54年前に右衛門七を演じた松本幸四郎さんでした(笑)こうなると、舟木さんの大石内蔵助も観たくなってきますね。コンサートのトークで舟木さんが忠臣蔵の内蔵助を演ってみたいとおっしゃっていたように思います。そうなると浅野内匠頭を演る人がいないなぁ・・両方演るか・・なんて感じだったかな?(笑)私的には、悲劇の武士である早野勘平も舟木さんにはとってもお似合いだから、いっそのこと三役全部舟木さんにお願いしたいところです(笑)
 
 
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