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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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舟木さんのCD/心に沁みた流行歌、そして なかにし礼著”歌謡曲から「昭和」を読む”

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心に沁みた流行歌(はやりうた)  35thに~舟木一夫~ (1997年7月発売のCD)
 
 
イメージ 1「高校三年生」18才。
デビューしてから、35周年を迎えさせていただいている今日までの長い時間の中で、ボクの心に沁みた流行歌はどう数えたって数百曲はあるのに、その中から”演歌パターン”6曲、”ニューミュージックパターン”6曲、計12曲を選んで・・という云うんだから、これ程乱暴な話もそうはない。それを承知であえて、このカバーバージョンアルバムが、35周年の中のひとつの足跡になってくれたら幸せだと想って、やらせていただく事にしました。ここに入っている12曲は全て、1度はステージで歌ってみたことのある作品の中から、タイプがずいぶんと違う名曲を選ばせていただいたつもりです。それぞれの作品を初めて耳にした時、詩に大きなショックを受けたものもあれば、曲・アレンジにショックを受けたものもあります。何にしても、このアルバムは単なるカバー・バージョンではなくて、今も、そしてこれからも、ボクの歌ごころ更には身体の内にしみじみとあたたかく生き続けてくれる作品ばかりであることに間違いはないでしょう。
竜崎孝路さんのアレンジ共々、1曲1曲の持つフィーリングと鮮やかな風景を楽しんでいただけたら無上の幸せです。
 
イメージ 9舟木さんの35周年に発売された全曲カバーのCDアルバムです。以前から手に入れたいと思ってamazonやオークションで出てくるのを待っていて、やっとつい最近手元に届きました。
ほとんどがyoutubeで聴くことができていたのですが、あらためてまとまったアルバムとして聴いていくと舟木さんの魅力がより際立ってきます。このアルバムのタイトルである「心に沁みた流行歌」の「流行歌」には「はやりうた」とルビがふられています。歌謡曲でもなく、流行歌(りゅうこうか)でもなく「はやりうた」というのがちょっと洒落たネーミングのタイトルですね。舟木さんご自身が、前説を記していらっしゃるのも嬉しくその一語一語をしっかり胸において聴きたくなります。
まず、全12曲の作詩・作曲の方とオリジナル発売年と歌唱された方を並べてみます。そして、その後にブログのタイトルにも記したように、なかにし礼氏の著作の”歌謡曲から「昭和」を読む”についてご紹介したいと思います。
 
 
 
いずれも舟木さんの歌唱です ↓
 
ガキの頃のように 作詩:荒木とよひさ 作曲:堀内孝雄 
1988年5月発売(歌唱:堀内孝雄)
http://www.youtube.com/watch?v=MLH5eqTFjl8 3曲目
 
 
さらば友よ   作詩:阿久悠 作曲:猪俣公章
1974年4月発売(歌唱:森進一)
*youtubeには現在見当たりませんが、舟木さんの歌唱がとてもステキです。
 
イメージ 10
この次の汽車に乗り遠くへ行くと
あのひとの肩を抱きあいつはいった
お前にはこの恋を わかってほしいと
くり返しそういって あいつは泣いた
さらば友よ もう何もいわない
ここでここで見送ろう うしろ姿を
 
打ち明けてくれたのがせめてもの救い
裏切りといえるけど許してもいい
何かしらいいたげな あのひとの瞳
きらきらと光ってる 涙を見た
さらば友よ もう逢うこともない
胸で胸で音たてて 何かが消えた
 
ベルの音ききながらしみじみ思う
ふたりともそれなりに悩んだだろう
しあわせを祈るよと いいたいけれど
なぜかしら素直には いえなかったよ
さらば友よ もうふりむくじゃない
俺の俺のこの涙 知られたくない
 
 
石狩挽歌  作詩:なかにし礼 作曲:浜圭介
1975年6月発売(歌唱:北原ミレイ)
http://www.youtube.com/watch?v=8IQjOSecdvc  3曲目

イメージ 11海猫が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖の ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で にしん曇りの 空を見る

燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 にしんの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
 
 
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボロロー
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの 夢を見る
 
 
天城越え  作詩:吉岡治  作曲:弦哲也 
1986年7月発売(歌唱:石川さゆり) 
  
http://www.youtube.com/watch?v=7MNS4sdN71c 2曲目
 
 
 
旅の終りに  作詩:立原岬(=作家五木寛之氏の作詩のペンネーム) 作曲:菊池俊輔
1977年11月発売(歌唱:冠二郎)
http://www.youtube.com/watch?v=1hxPGsp4-dY
 
イメージ 12流れ流れて さすらう旅は
きょうは函館 あしたは釧路
希望も恋も 忘れた俺の
肩につめたい 夜の雨
 
春にそむいて 世間にすねて
ひとり行くのも 男のこころ
誰にわかって ほしくはないが
なぜかさみしい 秋もある
 
旅の終りに みつけた夢は
北の港の ちいさな酒場
暗い灯影に 肩寄せあって
歌う故郷の 子守唄
 

 
 
イメージ 13熱き心に  作詩:阿久悠  作曲:大瀧詠一
1985年11月発売(歌唱:小林旭)
http://www.youtube.com/watch?v=YTjx-JAgoPo 2曲目
 
 
あずさ2号  作詩:竜真知子  作曲:都倉俊一
1977年3月発売(歌唱:狩人)
http://www.youtube.com/watch?v=rpfCnLe3QxE
限りない青春の季節「舟木一夫15周年記念リサイタル」
(1977年11月東京郵便貯金ホール収録)の音源もあります。
 
 
   サボテンの花  作詩・作曲:財津和夫
    1975年2月発売(歌唱:チューリップ)
    http://www.youtube.com/watch?v=v6xifUQiV88
     アルバム「花もよう」(1976年発売)の音源もあります。
 
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五番街のマリーへ 作詩:阿久悠  作曲:都倉俊一
1973年10月発売(歌唱:ペドロ&カプリシャス)
http://www.youtube.com/watch?v=xk9p_Q2L7YQ
舟木一夫ゴールデンコンサート・ライブ盤(1974年11月/東京郵便貯金ホール収録)
の音源もあります。
 
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水鏡  作詩・作曲:鈴木一平
1980年8月発売(歌唱:鈴木一平)
鈴木 一平(すずき いっぺい、1951年1月6日 - )
北海道札幌市出身のシンガーソングライター。
http://www.youtube.com/watch?v=A2O8BM_ZEQE
 
 
イメージ 16一生一度きりの別れならばいいものを
人は幾度となく 悲しみを繰り返す
手さぐりの中でふと抱かれるような
甘い思い出は通りすぎてゆく
振り返ることなく 明日だけをみつめながら
いつか来た道と気付かずに歩いた
そこは幸せと不幸の別れ道
悲しみおぼえた 出逢い道
 
私だけの貴方にはなってくれるはずがない
心のぬくもりも今は
わすれてみるわ わすれてみよう
揺れる二人の 夢もよう

水に浮かぶ枯葉に目を向けると
丁度今の私 同じようにみえた
風に打たれ雨に打たれ たどる道は
苦しみおぼえた迷い道
はかない恋の ほろにがさを知って
強がりはよせよと口ずさんでみます
あふれる涙はとめどなく流れて
とまどう私は 闇の中
 
私だけの貴方にはなってくれるはずがない
心のぬくもりも今は
わすれてみるわ わすれてみよう
揺れる二人の 夢もよう

 
イメージ 3ジョニーの子守唄  
作詩:谷村新司  作曲:堀内孝雄
1978年6月発売(歌唱:アリス)
http://www.youtube.com/watch?v=y2sqM34-wQw 2曲目

 
 
 
 
 
 
イメージ 4ラヴ・イズ・オーヴァー  作詩・作曲:伊藤薫
1980年7月発売(B面)以降アレンジの変更等を経て
数回目の発売の1983年にヒット(歌唱:欧陽菲菲)
http://www.youtube.com/watch?v=_sWZTAWnxb8 
4曲目
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5”歌謡曲から「昭和」を読む” 
なかにし礼著 NHK出版新書 366  
(2011年12月10日 第一刷発行)
 
心に沁みた流行歌・・・ここでは「流行歌=はやりうた」とルビがふられていますが、「流行歌=はやりうた」と「歌謡曲」という言葉の使い方に違いがあるのかどうか・・・ずっと気にかかっていました。
舟木さんがコンサートのトークで毎回のように「流行歌」「歌謡曲」の変遷について想いを込めてお話しして下さるので、それまで深く考えもせずに使っていたこれらの言葉について私なりに考えるようになりました。また「昭和歌謡」という言葉もよく耳にしていたのでことさらに「昭和」と冠されていることの意味合いも追究したいとも、かねがね思っていました。
 
 
そんな折に、昨年の暮れに、何か参考になる資料がないかネット検索をかけていたら、なかにし礼氏の著作”歌謡曲から「昭和」を読む”という本が目にとまりました。
なかにし氏は、舟木さんのオリジナル曲は手がけていらっしゃいませんが、舟木さんの若い頃のアルバムには、なかにし氏の訳詩の「今日でお別れ」「知りたくないの」などが収録されていますし、ライブではなかにし氏が「石狩挽歌」などと並んで自薦作品として挙げていらっしゃる「グッド・バイ・マイ・ラブ」なども収録されています。舟木さんファンの方に人気のある「五月のバラ」もなかにし氏の作品でしたね。
 
このように、まさにヒットメーカーとしてその名を広く知られているなかにし礼氏ですから、私の好奇心を満たしてくれる著作ではないかと期待を込めて読んでみました。体裁は、新書版です。あまりにもアカデミックな内容ならとても食指が動かないのですが、これくらのコンパクトなものならなんとか読破できるかなと思いつつ読み進めていくと面白くて止まらない(笑)第一章の”日本の「うた」をさかのぼる”は「うたの誕生」から展開して、そのルーツを明瞭簡潔で過不足なく論じています。なんと一気に2時間余りで興味深く読破することができました。一番知りたかった舟木さんがいつもおっしゃる「歌謡曲のすそ野がすっかり狭くなってしまった」ことの理由も私としては目からウロコでした。時代の変遷とともに、いわゆる日本人の音楽的な嗜好(志向)というソフト面の変化ばかりに心を奪われていた私ですが、さすが音楽業界の中心にいらしたなかにし氏ですから、商品としての大衆音楽をめぐるハード面の諸事情からも「歌謡曲の衰退」の要因を読み解いていらっしゃるのです。
イメージ 6舟木さんは後に、ご自身のヒット曲に翳りが見えてきた頃のことを回顧して、「22才の頃には、それに気付いていた。」とある番組の中でのインタビューでおっしゃっていますが、プロデューサーも含めたレコード業界の変化が歌い手の運命を左右することもこの著作を読んでいるとすんなり納得できてしまいます。「流行歌」が「流行歌」と云われる所以はまさに、時代の生んだ産物が「流行歌」であるからにほかならないこともストンと腑に落ちました。
私の拙い説明では、もちろん、何も伝わらないと思いますのでぜひこの著作をご一読下さいね。

歌謡曲と昭和・・・舟木さんがこの「昭和の歌謡曲の時代」の中で~どのような時系列において~人気歌手になり、またその後の時代の変化の中で、頂点に登りつめたスター歌手であったがゆえに急降下していくジェットコースターに乗せられたかのような恐ろしさを味わい、心身ともに摩耗し疲弊していく体験をなさったか、また、そのどうしようもなく変わりゆく時代を受け止め、凍てつくような冬の季節をじっと耐えて、新しい芽吹きの春を呼び寄せてこられたか、なかにし氏も、少し時期はずれるのですが、歌謡曲の作詩家としての情熱を失わざるを得なかった「時代の変遷」を乗り越えてこられたという意味では相通じるものがあると思いました。昭和の歌謡界の第一線にいらしたおふたりの作品を通して”歌謡曲から「昭和」を読む”というこの著書のタイトルをあらためて噛みしめています。
なかにし氏の、この著作には、昭和歌謡の黄金期の先陣を駆け抜けてこられたヒットメーカーとしての、説得力が全編を通じて流れています。その含蓄のある言葉の数々の中から、ほんの一部ですが私にとって一番印象深く心に響いたところを転載させていただきます。言葉に携わる人らしい格調高く情味深い文章です。そして、日頃私が感じていた今現在、テレビで活躍されている歌い手さんたちに失礼ながら漫然と感じていたフラストレーションのようなものの本質を解き明かしてくれたような爽快感がそこにはありました。

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~歌謡曲という大河 憧れとアンチテーゼより~
歌謡曲が終焉へと向かう時期に、私が考えたことを最後に記しておこう。歌はもともと、大人のためにあった。とりわけ悲しみややるせなさに押しつぶされながらも、なお生きていかなければならない大人のためにあった。悲しみに耐え切れずに伏せていた顔を、ふと上げたときに見る朝日の光、あるいは夜空に輝く月の光。人はそれに一瞬、心を奪われ、そして憧れる。同じように、人は歌に一瞬、心を慰められ、そして憧れる。戦争の時代や戦後の混乱を生きる人びとにとって、歌とはいつもそんな憧れの対象としてあった。しかし、高度成長の時代、人びとは生きることに自信をもつと同時に、歌に対する憧れを理解しなくなった。さらに、女性歌手がドレスを着て歌うことがなくなったとき、歌は日常生活の延長になり、このとき、歌に対する憧れは最終的に消えた。
一方、歌が日常生活の延長となったことで、スター歌手たちがしだいに身近な存在になってきた。歌で世の中を説得するだけが彼ら彼女らの芸ではなく、テレビのバラエティ番組に出てさわいだりはしゃいだりするのも芸とみなされる。歌は、スターたちが世の中に露出していることによって総合的に支えられるので、それほど力強いものである必要がない。だから、歌そのものの力はどんどん弱まっているーー。
こんなことを考えたのは、昭和五十三年(1978)のことだった。私はスターたちが自分の総合的な音楽世界を確保するために迎合している、テレビのなかの世界やそこに盛られている価値観に嫌悪感を覚えた。それらは、親しみやすさであり、安心感であり、遊戯性であり、幼稚性だった。そんな世界にどっぷり浸かっている歌手に、本来大人の歌であり、魔性や危険性すらもっている歌謡曲が歌えるはすがない。私は、放送禁止になるくらいの作品を書くことで、テレビ番組とそれに迎合しているスターたちにアンチテーゼを突きつけたいと思った。そして、歌に力があれば売れるということを証明したいと思った。そうして書いたのが「時には娼婦のように」であった。「時には娼婦のように/淫らな女になりな/真赤な口紅つけて/黒い靴下をはいて/大きく胸をひろげて/片眼をつぶってみせな/人差し指で手招き/私を誘っておくれ」案の定、放送禁止にはなったが、レコードはヒットした。私は時代に対するささやかなクーデターを敢行したわけだ。むろん、蟷螂の斧であることは百も承知だった。
しかし、一九八〇年代(昭和五十五年~)にかかるころには、歌の力は全体として押しとどめようもないほど落ちていると考えずにはいられなかった。歌というものがもっていた力が消え去りつつある。そろそろ、歌らしい歌の時代は終わるのではないかーそんな思いを私は心の奥底に感じはじめていた。

~終章 歌謡曲の時代のあとに~より
平成元年(1989年)末、私は「風の盆恋歌」(蚊帳の中から花を見る・・作曲:三木たかし、歌:石川さゆり)をけじめの作品として、作詩家であることをやめた。
 
なかにし氏は、この著書の終章で上記のように記していらっしゃいます。「歌謡曲の終焉」は昭和という時代の終わりと運命を共にしたということを物語る決断であったといえるのでしょう。
 
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