舟木一夫 芸能生活五十周年記念ファイナル特別公演~新橋演舞場
2 この世の花
3 旅の夜風
2013年 6月30日 14時開演 サンクスコンサート
1ヵ月公演なんて、とっても長いと思っていたのに、あっという間に終わってしまいました。その50周年記念ファイナル特別公演千穐楽の翌日の6月30日は、サンクスコンサートを楽しみました。
「サンクスコンサート」というものが楽日の翌日に開催されるのは恒例になっているとぼんやりとは知っていたのですが、一日一公演だけで、しかも演舞場で・・・というのですからプラチナチケットに間違いなく私などには無縁のものだと思ってました。
初見をした6月13日に演舞場一階のロビーに「サンクスコンサート チケットホン専用電話受付 6月17日午前10時より 」という看板がありましたから一応携帯カメラに収めて帰りましたが、どうぜダメだろうな・・・と思っていました。ダメもとで17日の10時ちょうどに電話をしたら一回で繋がってしまい自分でもビックリ!ところが、予約番号を案内の方が言って下さってる途中で電話が切れてしまいました。一瞬、ダメかも・・と思いましたが松竹歌舞伎会に加入しているのそちらに電話して予約が通っているか確認したら間違いなく席が確保できていることがわかりひと安心・・・あまりビックリしたので舞い上がってしまい後になって1枚しかチケットをお願いしなかったのを後悔しました。せっかく繋がったのですから複数枚予約しておけば、選に漏れてしまった舟友さんにチケットをお回しすることもできたのに・・・でも後の祭りでした
左が6月13日撮影の看板、右が22日撮影の看板
この日も千穐楽のコンサートと同じように開演前に舟木さんが私服で登場してプレゼントを受け取ってから開幕というスタイルでした。この日の舟木さんは、白地に黒か藍色の刺しゅう糸で模様をあしらったシャツにブルージーンズに白のシューズ。シンプルですがお洒落でステキでした。
手際良くプレゼントを受け取り終わって舞台袖に入ってものの5分も経つか経たないかのうちに幕が上がると、そこには思いがけずまたもや着もの姿の舟木さん客席からはもちろん、ため息とも歓声ともつかないざわめきが起こりました。私はどっちかというとキャーッとちょっと派手目の反応をしてしまいました(笑)やっぱり着もの姿の舟木さんは大好きだし、通常コンサートではあまり見ることができませんから、感激もひとしおなんですね。
以下、コンサートの模様は舟木さんのトーク(MC)部分を軸にレポートします。舟木さんのトークはピンク
第一部 ~黒地(濃紺かも?)に白の絣風の柄の着もの、長襦袢と帯は薄いグレー~
西条八十特集
西条八十特集
1 涙の渡り鳥
オープニングの曲はすぐにわかりました。西条八十氏の戦前というか昭和初期の大ヒット曲で、舟木さんが今回の演舞場のコンサートのトークでも何度となく口にされていましたので。
一部は西条先生でいきます。時代を背負ってる流行歌・・・
2 この世の花
♪赤く咲く花 青い花 この世に咲く花 かずかずあれど♪・・島倉千代子さんの大ヒットしたデビュー曲です。1955年発売だそうですが、私はまだ3才だったことになりますが当時の歌は一度ヒットするとずいぶん長く歌われ続けてましたから、幼稚園頃まで流行っていたような記憶があります。私も歌ってました(笑)
3 旅の夜風
西条八十、古賀政男をのぞいたら流行歌はスタートをきれていないと思う・・・日本語の美しさを味わっていただきたい。日本語の美しさが最近は影をひそめている。大した詩の世界です・・と歌詩を詠みあげる舟木さん。歌わなくても詠みあげるだけでも巧いです!
この曲のことも舟木さんはよくコンサートのトークで話題にされます。川口松太郎作の小説『愛染かつら』の主題歌で田中絹代さん主演(役名が高石かつ枝)。娘を持つ未亡人で看護婦(今で言う看護師)と医師の津村浩三との恋を軸にした作品。
♪花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる道♪ 舟木さんは「この映画の嵐の場面が好きで『夕笛』のラストに近い場面で取り入れた」ということを関西のコンサートのときにおっしゃっていたのが印象に残っています。そう思ってみると『夕笛』の嵐の場面の舟木さん、余計にステキですね(笑)
これを単独で・・これが『夕笛』の世界に繋がっていったりする・・・と『誰か故郷を思わざる』を
4 誰か故郷を思わざる
作詩:西条八十 作曲:古賀政男
花摘む野辺に 日は落ちて
みんなで肩を組ながら
唄をうたった 帰りみち
幼馴染の あの友この友
ああああ 誰か故郷を想わざる
ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
幼馴染の あの山この山
ああああ 誰か故郷を想わざる
都に雨の 降る夜は
涙に胸もしめりがち
遠く呼ぶのは 誰の声
幼馴染の あの夢この夢
ああああ 誰か故郷を想わざる
5 こんな私じゃなかったに
花摘む野辺に 日は落ちて
みんなで肩を組ながら
唄をうたった 帰りみち
幼馴染の あの友この友
ああああ 誰か故郷を想わざる
ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
幼馴染の あの山この山
ああああ 誰か故郷を想わざる
都に雨の 降る夜は
涙に胸もしめりがち
遠く呼ぶのは 誰の声
幼馴染の あの夢この夢
ああああ 誰か故郷を想わざる
5 こんな私じゃなかったに
6 トンコ節
西条八十氏は文芸詩人としても多くの名詩を生んでいますが、もうひとつの顔として「戦前~戦中~戦後の歌謡(流行歌)史」において数えきれないほどのヒット作を残しています。舟木さんに提供なさった抒情歌の世界もあれば、上記のような「お座敷」歌謡もあります。その引き出しの多彩さは他の追随を許さないものがあると思います。
上記の2曲については、「西条八十」(中公文庫 筒井清忠著)にかなり詳細なエピソードが書かれていますので以下一部抜粋させていただきます。
~さて昭和24年の1月に『トンコ節』という曲が出ていた。『炭坑節』のヒットをヒントにタンコをトンコにすることを古賀(政男)が思いつき八十が作詞したものである。発表当時はそれほど評判にならなかったものが25年の夏ごろか26年かけて流行り出した。コロムビアはあわてて26年3月に新版を出すということになった。~中略~ともあれこの曲が大ヒットし、子どもたちまで「ネエ トンコトンコ」と歌っているとして、PTAなどの顰蹙をかう事態になった。新版の歌詞には「かうして かうすりゃ かうなると 知りつつ かうしてかうなった二人 ほれた私が悪いのか 迷はすおまへが 悪いのか」などとあり 評論家の大矢壮一は「声のストリップ」と八十を攻撃した。しかし八十はさらに翌27年に戦後初の芸者歌手神楽坂はん子の歌う『こんな私じゃなかったに』と『ゲイシャ・ワルツ』を出す。~
以下に舟木さんがこれらの曲にまつわるエピソードとしてMCの中で話されたことの意味合いを私の記憶のハンイでまとめてみました。(記憶がイマイチです。お話の順序が前後しているかもですがニュアンスでご容赦を)
吉原を失くした人は○○だと思う・・でも実は公には廃止されてからもこういう話がある。と昔、舞台でご一緒したという森川信さんのエピソードを・・・森川さんは劇場に毎日なじみの女性の家から通っていらした。「今どき舞台をやっている間、毎日「鯛のお頭付き」で送りだしてくれるような女はそうはいるもんじゃないよ」とおっしゃっていた。つまり吉原は単に男性が遊ぶところというだけではなくて日本独自の古くから続いてきた文化を残している場所でもあった。潤いや粋という世界が忘れ去られていく中で吉原はそういった日本的情趣を守ってきた場でもある。・・・舟木さんはこのようなことがおっしゃりたかったのだと私は解釈しました。私は寄席や歌舞伎などが好きでこの十数年来通い詰めてきました。これらの芸能もやはり「吉原文化」とは切っても切れない世界を背景になり立っています。舟木さんが「吉原的なるもの」へ憧憬をお持ちであることは私にはとても嬉しく好ましく強く共感を覚えました。正直なところ、こういった感覚は女性には理解しづらいものがあるかも知れません。ある意味で落語も歌舞伎も男性目線であることは否めないでしょう。かといってこの世界を否定することもナンセンスだと私は思っています。男と女にまつわる問題は今も昔も変わらず理不尽であったり、理屈で片づけたりできるものではないのですが、なにか現代よりも昔の方が男女の間に通い合う情趣というものがあったようにも思えます。割り切れないけど仄かに匂う心のやりとりや、ある時には駆け引きなど粋でしっとりした世界が失われていきつつあることへの淋しさをおそらく舟木さんもお感じになっているのではないでしょうか。西条八十氏のことに戻ります。
さらに「西条八十」からの抜粋です。
~しかし『トンコ節』以来のこうした一連の歌は一部に激しい批判を引き起こした。~中略~行き過ぎた世論の攻撃は過剰な自粛を招く。その頃三越デパートがラジオで「健全なホームソング」を流す計画を立て、八十に作詞を依頼してきた。その相談の中で三越の社長が「どうか『トンコ節』のような歌を駆逐する素晴らしいホームソングをお願い致します。」と言ったので八十は「トンコ節は私が作ったのです」と答えた。~中略~帰りの電車の中で同席していた古関裕而氏が「先生、ああいう時は自分の作った歌でも知らん顔して黙っていたほうが良いですよ」と親切にアドバイスしたが八十はこれを「いかにもあの人らしい言葉だと思う」と評している。八十の率直な人柄と古関の苦労人振りがわかるエピソードである。
(中央が八十氏、前列右端が丘灯至夫氏、ほかにサトウハチロー氏、佐伯孝夫氏など)
この八十氏のお人柄から舟木さんのことを八十氏が気に入っていらしたこと、また舟木さんも八十氏を慕っていらしたことの理由がはっきりと見えてくるように思いました。お二人は年齢や生い立ちなどこそ全く違ってはいらっしゃったと思いますが、共に合い通じ合う心の琴線を感じとっていらっしゃったのだと思います。
この「西条八十」(中公文庫 筒井清忠著)には、舟木さんと八十氏とで創り上げた抒情歌の世界についても何箇所かぺージをさいています。後日またこのことについては、記事としてまとめてみるつもりでいます。
後半の5曲は股旅もの系、芸道系、義賊もの、任侠ものなど、いわば世の中の裏街道をゆく人たちの世界を描いたものです。真っ当な倫理観からは外れたアウトローの世界にも誇りや美しさがあるということを西条八十の広角的な眼がとらえた名詩ではないかと思います。割り切れない世界にも確かに精一杯生きていく人間がいるということ、それを大きな心で肯定できた古き良き時代を舟木さんは懐かしく思っていらっしゃるのだろうなぁ・・と思いながら聴かせていただきました。
7白鷺三味線 高田浩吉
♪白鷺は 小首かしげて 水の中
わたしと おまえは エー それそれ そじゃないか
アア チイチク パアチク 深い仲
白鷺の羽も濡れます 恋ゆえに
吉原田圃の エー それそれ そじゃないか
アア チイチク パアチク 春の雨 ♪
8 伊豆の佐太郎 高田浩吉
♪故郷見たさに 戻ってくれば
♪故郷見たさに 戻ってくれば
春の伊豆路は 月おぼろ
墨絵ぼかしの 天城を越えて
どこへ帰るか どこへ帰るか
夫婦雁♪
9 越後獅子の歌 美空ひばり
♪笛にうかれて 逆立ちすれば山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
ながれながれの 越後獅子 ♪
ながれながれの 越後獅子 ♪
10 江戸の闇太郎 美空ひばり
♪月に一声 ちょいとほととぎす 声はすれども 姿は見えぬ
おれも忍びの 夜働き どっかり抱えた 千両箱
こいつァ宵から 縁起がいいわい
ヘンおいらは黒頭巾 花のお江戸の 闇太郎
風に稲穂は あたまをさげる 人は小判にあたまをさげる
えばる大名を おどかして さらう小判は 涙金
おつな商売 やめられましょうか
ヘンおいらは黒頭巾 花のお江戸の 闇太郎♪
えばる大名を おどかして さらう小判は 涙金
おつな商売 やめられましょうか
ヘンおいらは黒頭巾 花のお江戸の 闇太郎♪
11 遊侠街道 美空ひばり
♪敷居三寸 男が跨ぎゃ
そとは白刃の くらやみ街道
喰ってやろうか
喰われてやろうか
勝負
勝負勝負の 火花のこの世
そとは白刃の くらやみ街道
喰ってやろうか
喰われてやろうか
勝負
勝負勝負の 火花のこの世
花はくれない 柳はみどり
どうせ咲いても 短い生命(いのち)
勝つは生き甲斐 勝て勝て明日も
花も
花も嵐も どんと踏み越えて
胸をたたいて ゆくぞときめて
仰ぐ夜空は 十六夜(いざよい)月夜
女房可愛や 門出の祝い
にっこり
にっこり抱えた こも冠り♪
どうせ咲いても 短い生命(いのち)
勝つは生き甲斐 勝て勝て明日も
花も
花も嵐も どんと踏み越えて
胸をたたいて ゆくぞときめて
仰ぐ夜空は 十六夜(いざよい)月夜
女房可愛や 門出の祝い
にっこり
にっこり抱えた こも冠り♪