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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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2014 シアターコンサートin南座 2月22日/23日 (下)

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2014 シアターコンサートin南座 2月22日/23日 (上)のつづきです
イメージ 1舟木さんのトーク部分はピンク文字です
 
遠藤先生の曲の中で一番少ないものは「股旅もの」です。その中で捨てがたい二曲を・・
「天竜母恋い笠」はひばりさんの映画でリアルタイムで観ました。「旅鴉」は、テレビ時代劇「長谷川伸シリーズ」の主題歌で詩は藤田まさとさんの五木君の歌。メロディーのスケールが大きい。
 
天竜母恋い笠  昭和35年 作詩:西沢爽  歌唱:美空ひばり
瀬戸口寅雄の原作を、「天下の快男児 突進太郎」の棚田吾郎が脚色し、「次郎長血笑記 富士見峠の対決 殴り込み荒神山」の工藤栄一が監督したひばり二役の股旅もの映画(昭和35年・1960年公開)主題歌
 
おさらばヨー
泣かずにおくれよ ほととぎす
泣いてはれよか 泣いてはれよか
谷間の霧が
一目逢いたい おふくろさんに
逢えぬつらさを 乗せてゆく
天竜 天竜下りの三度笠
 
イメージ 10
 
 
 
 
旅鴉  昭和47年 作詩:藤田まさと 
http://www.youtube.com/watch?v=xaycWRKh4VQ 
五木ひろし
舟木さん歌唱音源 ライブアルバム「ふれんどコンサート」収録(1976年)

 
 
 
 
イメージ 11デビュー前に、どの作曲家の先生について勉強するかという時、浜口庫之助さんと遠藤先生という二つの選択肢があったんですが、適切な言葉がないんですが僕は遠藤先生のメロディーにひっかかりを感じていた。ここで、メモを取りに行って・・正確に言うと昭和35年です。僕が15(歳)の時、漫画を読むかなにかしながらラジオから流れてきた曲にひっかかった。この曲は誰がお書きになったんだろうと知りたくなった。そう思ったのは西條先生が最初で、二人目が遠藤先生。デビューの時に遠藤先生を選ぶ伏線になった曲です。ですから遠藤先生との最初の出逢いは「高校三年生」でも遠藤先生の初ヒット曲「お月さん今晩わ」でもなくこれから歌う「初恋マドロス」なんです。
酒・夜霧・盛り場・港・波止場・別れ・・・という世界を歌った曲を・・
 
初恋マドロス  昭和35年 作詩:西沢爽  
http://www.youtube.com/watch?v=BFj0GpNe6is 
美空ひばり
 
哀愁出船 昭和38年 作詩:菅野小穂子 
http://www.youtube.com/watch?v=rI7JlRn13vY 
美空ひばり
 
襟裳岬  昭和36年 作詩:丘灯至夫
http://www.youtube.com/watch?v=k_mXsly6CCE 島倉千代子

舟木さんと「遠藤先生」との出逢いの「初恋マドロス」は私にはほとんど記憶がなく、「哀愁出船」は「♪うし
ろ髪ひく哀愁出船♪」というサビの部分で記憶が蘇りましたが、「襟裳岬」については先にも書いたように大好きで、子どもながらも切ない気持で「風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ♪」と歌ったことを覚えています。後年、吉田拓郎さん作曲の「襟裳岬」を聴いたときでも、この島倉さんの「襟裳岬」のほうが曲も詩もずっといいのになぜ同じタイトルを使うのかいく分「ムッ」としました(笑)「からたち日記」と同じように子ども心にも大好きだった曲を舟木さんが歌って下さることが嬉しくて、島倉さんの「襟裳岬」をイメージしていたのですがなんとなんと舟木さんの歌う「襟裳岬」は、ダイナミックで「風も波も島倉さんの女風や女波とは異なった趣の男風、男波」が目の前に描かれて、もうひとつ別の「襟裳岬」の光景が現れました。想像していたイメージと違うことでがっかりさせられることはままありがちですが、自分が想像しきれずにいたイマジネーションを見事に突きつけられた嬉しい想定外というものがあるのですね。「からたち日記」では楚々とした乙女のほのかな恋を歌っていますが、「襟裳岬」に歌われているのは、おそらく北の海に生きる情熱的でアグレッシブな少女が想像されますから、舟木さんの力強い歌唱で聴くとその少女の顔つきや体つきまでまた違ったものに見えてきます。歌いだしの、「風はひゅるひゅる」のインパクトとラストの「風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ」の余韻を残す表現力の見事さに圧倒され、胸がざわざわと波立つような不思議な気持ちになった一曲でした。
 
舟友さんの22日夜の花束
 
イメージ 12「襟裳岬」を歌い終えた舟木さんが「僕はこの歌が大好きです」、お千代姉さんが亡くなって私が一番古くなっちゃって・・私がデビューした頃は藤山一郎さん、並木路子さん・・・ひばりさんはこんな時から(小さい時というジャスチャ―)歌ってますから枠の中には入らないですが・・当時コロムビアには男の歌い手が女性に押されていた。ひばりさん、お千代姉さん、他にもこまどり姉妹、五月みどりさん、男性は守屋さん、井上ひろしさん、アントニオ古賀さん・・ひばりさんに言われた。「やっと男が出てきたのね」(笑)そのひばりさんとコロムビアのエレベーターで一緒になった。どちらもレコーディングだったのかな。ひばりさんは小柄なんですよ。それで「ひばりさんは意外と小さいんですね」と言ったら思いっきり睨まれた(笑)女性だから小さくても構わないですもんね。とひばりさんが睨んだのが解せないという感じの舟木さんが面白かったです(笑)
ここで五曲並べたのは、遠藤メロディーのど真ん中という曲。
 
 
 
 
 
 
他人船  昭和40年 作詩:遠藤実 
http://www.youtube.com/watch?v=0E7C_VDt0qU 三船和子

~「涙の川を渉るとき」より~
太平音響としてスタートした新会社のレーベルは「太平レコード」にしたかったのだがすでに同じ名前が登録されていることがわかり諦めなければならなかった。レコード会社にとって一番大事なレーベルをどうするか。「遠藤実に任せる会社ですから」という中山さん(太平グループ総帥)の一言でその二ヵ月後に社名を変更し、私の名をとった「ミノルフォン・レコード」が発足した。~中略~ともかく自前の歌手をそろえるのが先決だ。ある女性歌手がオーディションを受けにきた。私は一瞬の印象でその歌手ではなく付き添いの女性の才能に目がいった。歌わせてみると思った通りそれがミノルフォン新人歌手第一号になる三船和子君だった。~中略~会社の業績は相変わらず低迷いる。打つ手も思いつかないまま会社のデスクにじっと座っているとき過ぎ去った日々が胸に蘇ってきた。流しのころの記憶が映画のフィルムのように脳裏を流れる。やがて映像が一人の女性の顔を浮かびあがらせた。和美だった。~中略~「ああ この黒髪の先までが あなたを愛しているものを」で始まる三船和子の「他人船」が生まれたのはその直後だった。和美の面影を散らしたこの曲はヒットした。
 

イメージ 13みちづれ 昭和50年 作詩:水木かおる  
http://www.youtube.com/watch?v=8LysvqGLmz4  
牧村三枝子
舟木さんの歌唱音源アルバム「どうしているかい」に収録(1981年)
 
~「涙の川を渉るとき」より~
昭和50年に渡哲也さんに「みちづれ」を書いた。それを聴いた牧村三枝子君のディレクターが彼女に「この曲を歌ってみないか」と勧めた。牧村君はテープを家に持ち帰って聴いてみると歌詞とメロディが心の芯に響いてくる。「ぜひ歌わせて下さい」と返事をした。渡さんも牧村君が歌うkじょとを快く承知してくれた。53年の秋、牧村君がレコードを吹き込む場面に立ち会った。そのとき彼女は「寒い更けは お酒を買って」のところが歌いづらそうだった。「キーが高いので、調子がわるいときは苦しいんです。一音下げていただけませんでしょうか」と訴える彼女に私は答えた。「楽に歌っては駄目なんだ。歌い終わって歌手本人が『よかった。歌えた』という思いをするような歌い方じゃないと聴く人の心には届かないんだ。歌で家を建てて両親に孝行したいとか言っていたけどそんな歌い方じゃ家は建たないよ。」彼女は思い直してマイクの前に立ち、懸命に歌った。
 
夢追い酒 昭和53年 作詩:星野栄一  
http://www.youtube.com/watch?v=8LysvqGLmz4 渥美二郎
 
ギター仁義  昭和38年 作詩:嵯峨哲平  
http://www.youtube.com/watch?v=XnLhVS__FyU 北島三郎
 
雨の裏町 とぼとぼと
俺は流しの ギター弾き
”おひけえなすって
手前ギター一つの
渡り鳥にござんす”
峠七坂 手を振って
花の都へ 来てから五年
とんと うきめの出ぬ俺さ
 

イメージ 14ソーラン渡り鳥 昭和36年 作詩:石本美由起 
http://www.youtube.com/watch?v=VWBbtcEGoTw 
こまどり姉妹
 
津軽の海を 越えて来た
ねぐら持たない みなしごつばめ
江差恋しや 鰊場恋し
三味を弾く手に 想いをこめて
ヤーレン ソーラン
ソーラン ソーラン
唄うソーラン ああ 渡り鳥
 
~「涙の川を渉るとき」より~
コロムビアで神戸一郎さんのレッスンをしていたら、そろって丸い眼をした二人の若い女性が横に座って私に会釈した。コロムビアのテストを受けるために来たのだという。そっくりな顔に「双子?」と聞くと、そうです。と同時にうなずく。「歌を聴かせてもらえないかな」~中略~まだ二十歳だという娘が「裏町人生」を?可憐でありながら想像もつかない人生の哀感を感じさせる歌声に私は驚いた。流しの臭いがする。「その歌い回しはどこで習ったの?」と尋ねると、思った通り彼女たちは流しなのだと答えた。北海道の炭鉱で働いていた父親が体を壊したため母が民謡、父が太鼓の門付け芸人になった。両親とともに幼いころから全国を流浪したせいで、姉妹は小学校へも満足に通えなかった。~中略~幼い頃から苦労を重ねてきたのに姉妹にはすれたところが少しもない。私は本気で二人を育てようと思った。
 
 
 
 
イメージ 15~アンコール
北国の春  昭和52年 作詩:いではく  
http://www.youtube.com/watch?v=uGvECzTIlCw 千昌夫
 
白樺 青空 南風
こぶし咲く あの丘
北国の ああ 北国の春
季節が都会では わからないだろと
届いたおふくろの 小さな包み
あの故郷へ 帰ろかな 帰ろかな

~「涙の川を渉るとき」より~
「北国の春」
が発売されたのは昭和52年4月のことだった。当初、レコードのA面は「東京のどこかで」と決まっていた。メロディーも書きあがり、後から詞をつける「はめ込み」を待っていた。しかし作詞を担当するいではく君の仕事ははかどらない。そしてB面の詞も届かない。私の家でいで君と相談していた。「B面の詞はどうですか?」「一応書いてみたんですが」いで君が自信なげに差し出した詞を読んで立ちあがった。「白樺 青空南風」という印象的な言葉を並べて歌い出す。そして「届いたおふくろの小さな包み」「あにきもおやじ似で無口なふたりが」とまるで私自身の郷愁をわしづかみにするような場面がちりばめられている。この詞は、私が本当はどんな曲を書きたかったのかを教えてくれた。心の底にじっと横たわっている故郷の情景。そこで暮らした家族との日々。自分を育んでくれたものすべてに対する感謝と懐かしさをもっと早く歌にするべきだった。
 
 
イメージ 2舟木さんも、時々コンサートでおっしゃっているのですが、遠藤氏は昭和40年3月にコロムビアを辞め、その後ミノルフォンレコードを設立されましたから昭和38年にデビューなさった舟木さんとの歌い手と作曲家としての出逢いは数年のズレがあればなかったことになります。そういうことを思えば、「高校三年生」という歌と「舟木一夫」という歌い手が世に出たこともひとつの大きな奇蹟といえるのかもしれません。そして舟木さんが遠藤先生との出逢いは「高校三年生」ではなく15歳の時に、たまたまラジオから流れてきた「初恋マドロス」という歌に「ひっかかりを感じた」ことだとおっしゃっていたことも考え合わせると、「歌い手と作曲家」としての出逢いに至るための赤い糸のようなものであり人の世の縁(えにし)の不思議を思わせます。
 
「襟裳岬」ですっかり舟木ワールドに呑みこまれてしまった私ですが、ラストブロックの五曲がこれまたとどめでした(笑)遠藤メロディーの真髄に迫る名曲を、「自信なさげにいつも俯いていた上田君」が見事な咀嚼力と表現力で歌いきるステージを「遠藤先生」がご覧になったらどれほど喜ばれたことかと思いました。
特に私には、「ソーラン渡り鳥」のメロディーと北の海の潮の匂いがしてくるような舟木さんのソウルフルな歌声が、今も耳に残っています。

無意識にテレビやラジオから流れてくる歌を聴いていたのは小学校中学年くらいまでだったと思いますが、その頃は、歌謡曲であろうとポップス系であろうと耳に心地よく感じるものを無差別に楽しんでいたのだと思います。舟木さんのデビューの前後あたりには、純愛ものや青春ものの流行歌も生まれて、同時に和製ポップスも人気でした。そのうちにビートルズ旋風、フォークソングにGS時代と日本の軽音楽が多様化していくと、いわゆる「演歌」は若者にとって自分たちとは無縁のエリアになっていったのでしょう。私もそのひとりだったかもしれません。特に好きなジャンルはありませんでしたが、高校時代はカンツォーネとかシャンソン、洋画の映画音楽などのレコードを買って聴いていました。同世代に「演歌」を敬遠する風潮があることは確かかもしれません。
                                                                                         舟友さんの23日の花束
 
イメージ 3今回の遠藤実スペシャルは、そんな私たち世代にとって舟木さんでなくては担うことのできない「日本の名曲たち」の世界への水先案内人のお役目をしていただいたと思っています。舟木一夫という魅力的な個性の力によってそれまで何気ない昭和の風景のBGMとして聞き流してきていた数々の名曲の魂に触れることができたことは、本当に幸運なことだと感謝の気持ちでいっぱいです。舟木さんの昭和の名曲が風化していくことへの危機感、もったいないという強い想いが、オフィシャルコンサートに持ち歌ではなく、しかも「高校三年生」や「絶唱」に代表される舟木一夫というイメージを大きく覆すような選曲で臨まれるというステージの実現になったのですね。その勇気と流行歌の歌い手としての使命感と責任感の強さに心からの賞賛を贈りたい気持ちです。

全ての歌が、向こうから舟木さんの懐に飛び込んできたかのような印象でした。舟木さんの歌への姿勢は今や「歌と仲良くしたい」という境地なのではないでしょうか。巧く歌ってやろうとか、歌に負けないぞとかいう肩に力の入ったような感じが微塵も感じられません。勿論真摯に「歌」そのものと対峙していらっしゃる厳しさはひしひしと伝わってくるのですが、その心の内には、大好きな歌とちょっとでも仲良くなりたい、近づきたいという無垢な素直さにあふれているように思います。まさに歌と自分自身が一体化してしまったようなフレンドリーな関係性を築いてしまっているように見えるのです。

今回のコンサートのセットリストの何曲かは、「プレ・舟木一夫」時代から上田少年が親しんできたものが多くそれらの歌はごく自然に心身ともに成長期の真っ只中にいた上田少年の血となり肉となったのだということがよくわかりました。上田少年と昭和歌謡との幸せな出逢いと関係性が今のステージ歌手・舟木一夫の情熱を燃やし続ける素晴らしい糧になっているのだと思いました。
ステージに満ち溢れる品格と輝きとパワーに酔いしれた京都の二日間でした。これほど舟木さんが想いを込めて企画なさったコンサートですから、ぜひライブ盤をCD、DVDとして発売していただきたいものです。
舟木さんはステージで聴いていただきたいという意向が強くおありだと感じますが、足を運びたくても運ぶことのできないファンの方のためにもぜひ音源化していただくことを希望します。
 
二日間の夢のような舟木ワールドも無事終了。多分カシミアと思われるコートを着て、大きく手を振って下さって、タクシーに乗り込まれました。道路を隔ててましたがステキな舟木さんの姿を「お疲れ様」の気持ちをこめてお見送りしました。                       残念ながら撮影はできませんでしたがこんな感じで色はキャメルでした
 
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最後に遠藤メロディーのバックボーンとなっていると思われる遠藤氏ご自身の言葉をご紹介します。
 
イメージ 4「涙の川を渉るとき」 日本経済新聞出版社 「私の履歴書」(日本経済新聞連載)2007年発行
~あとがきより~
涙は苦悩を洗い流してくれる。喜びを何倍にも膨らませてくれる。泣こうと思って泣くのではない。心の波動が我知らず涙をこぼさせる。たくさん泣いたということは、それだけ喜びと悲しみの数が多かったということだろう。思えば幸せな人生ではないだろうか。
メロディーもまた涙と同じように私の心の中に湧きあがってくる。若い時と違って作曲には一切の楽器を使わない。浮かんできた旋律を直接譜面に書いていく。
これまでいったいいくつの作品を世に送り出したか。自分でも定かではなくなった。五千曲か六千曲か、あるいはもっとあるのかもしれない。そのひとつひとつに私の歩んできた足跡が刻まれている。
本書のタイトルを「涙の川を渉るとき」としたのは、私の人生は音楽を心の支えにして夥しい涙の川を越える旅であったように思えるからだ。日本人は、とくに男は人前で涙を見せるものではないと教えられる。それからすると私などは何んとも意気地がないようだが、私にとって涙は人生の友であった。これからも喜びの涙を流すような出来事があればと願っている。
 

人の世に涙の川があり
苦労の山もある
その川を渉るとき
その山を越えるとき
歌という友がいる
 

巻末に記載の「遠藤実作品リスト」より舟木さんの曲 ()は作詩者
イメージ 5昭和38年
美しいひと(西沢爽)
学園広場(関沢新一)
高校三年生(丘灯至夫)
淋しい町(丘灯至夫)
修学旅行(丘灯至夫)
只今授業中(関沢新一)
仲間たち(?西沢爽)
はるかなる山(西沢爽)
水色のひと(丘灯至夫)
夜更けの街の物語(関沢新一)
 
昭和39年
あゝ青春の胸の血は(西沢爽)
いなせじゃないか若旦那(安部幸子)
右衛門七討入り(西沢爽)
右衛門七節(西沢爽)
おみこし野郎(関沢新一)
貝がらの唄(西村益子)

イメージ 6君たちがいて僕がいた(丘灯至夫)
青春は僕らのもの(丘灯至夫)
東京新宿恋の街(荒木忠雄)
定時高校生(三浦康照)
花咲く乙女たち(西條八十)
夕月の乙女(西沢爽)
若き旅情(西條八十)
 
昭和40年
あありんどうの花咲けど(西沢爽)
あの娘をまもろう(丘灯至夫)
木挽哀歌(安部幸子)
成人のブルース(丘灯至夫)
火消し若衆(安部幸子)
待っている人(西沢爽)
 
昭和41年
おもいをこめて手をふろう(西沢爽)
高校生音頭(丘灯至夫)
花の応援(丘灯至夫)
ふるさとの乙女(西沢爽)
                                                                                 流浪のレコーディング打ち合わせ風景
イメージ 7昭和47年
さすらいの夜(松坂直美)→流浪[さすらい]と改題
青春(丘灯至夫)
 
昭和48年
ああ荒城の月かなし(石本美由起)「石本美由起作品集」収録
 
昭和49年
旅路(丘灯至夫)
寝顔(西沢爽)
 
昭和50年
紙の指輪(吉田旺) アルバム「十二ヵ月の愛の詩」収録
楡の雨(吉田旺)  アルバム「十二ヵ月の愛の詩」収録
 
昭和52年
まごころ(吉田旺)アルバム「愛はまぼろし」収録
 
平成8年(35周年)
いつでも青春(川内康範)
想春(川内康範)
 
 
 
 

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