松もとれて、十日戎も過ぎ、今日は鏡開きです。
わが家も、お昼ご飯のあとデザートを御汁粉にしました。
舟木さんのステージで、度々、聴かせていただいている「たそがれの人」、安部幸子さんの詩の世界です。舟木さんのお気に入りの曲で、2004年7月にもにシングル盤(カップリングは「恋唄」)として新たに吹込んでいらっしゃいますから、この曲への想い入れの深さが想像できます。
舟木さんの持ち歌で音源化されている安部さんの詩は、下記にご紹介るするように、たった7曲ですが、いずれもステージで歌われる頻度が比較的高いので、安部さんの詩への評価や、好感度も舟木さんの中できっと高いものがあるのでしょうね。
まずは、一番最初にレコード化された「いなせじゃないか若旦那」をお聴きになってみてください。
1964年8月発売
「いなせじゃないか若旦那」(「おみこし野郎」カップリング)
いなせじゃないか若旦那(作曲:遠藤実)
にぎる手つきは 親ゆずり
銀座は老舗のいろはずし
古いのれんを 若さがつげば
いきがいいから 味もいい
「ヘイ 上がり 一丁」
いなせじゃないか 若旦那
えびにあわびに カッパまき
今夜もあの子が 顔を出す
夢をつかんだ 二人の胸に
さびをきかせちゃ いけないぜ
「ヘイ トロ おまちどお」
いなせじゃないか 若旦那
ねじりはちまき 豆しぼり
いせいの良さなら 日本一
義理に固くて 人情にもろい
けんかばやいが 玉にきず
「ヘイ こちら おあいそ」
いなせじゃないか 若旦那
その、5ヶ月後には、安部さんの作品、A面「火消し若衆」B面「木挽哀歌」が発売されています。
1965年1月発売
「火消し若衆/木挽哀歌」
火消し若衆(作曲:遠藤実)1965年1月
火事とけんかと 一番まとい
そいつはおいらに まかせておきな まかせておきな
白に黒文字 め組のとび衆
いきでいなせで 男っぷりなら
エー日本一
エンヤラヤレコノ 日本一
そいつはおいらに まかせておきな まかせておきな
白に黒文字 め組のとび衆
いきでいなせで 男っぷりなら
エー日本一
エンヤラヤレコノ 日本一
火の子恋の子 どちらがこわい
火消若衆に はっぴを着せりゃ はっぴを着せりゃ
何んの火事とて こわくはないに
恋の火となりゃ いつもにげごし
エー 弱くなる
エンヤラヤレコノ 弱くなる
火消若衆に はっぴを着せりゃ はっぴを着せりゃ
何んの火事とて こわくはないに
恋の火となりゃ いつもにげごし
エー 弱くなる
エンヤラヤレコノ 弱くなる
江戸の自慢は とび衆の木やり
火の見やぐらの 上から聞かそ 上から聞かそ
えりの黒じゅす 恋風乗せて
茶屋のむすめが 通りすがりに
エー 聞きほれる
エンヤラヤレコノ 聞きほれる
火の見やぐらの 上から聞かそ 上から聞かそ
えりの黒じゅす 恋風乗せて
茶屋のむすめが 通りすがりに
エー 聞きほれる
エンヤラヤレコノ 聞きほれる
木挽哀歌(作曲:遠藤実)1965年1月
木挽き歌だよ さびしかないよ
木挽き歌だよ もうじき日ぐれ
谷の向うに 山里かくし
日ぐれおろしが 胸にも吹くよ
胸にも吹くよ ホイ
日ぐれおろしが 胸にも吹くよ
胸にも吹くよ ホイ
椎の大木 いかだに組んで
水に流せば 木場にとどくよ
いえず別れた 言葉はどこに
流しゃあの子の 胸にとどくよ
胸にとどく ホイ
水に流せば 木場にとどくよ
いえず別れた 言葉はどこに
流しゃあの子の 胸にとどくよ
胸にとどく ホイ
泣いてみていた ひとみを写す
谷のわきみず いつまで白い
木挽き音だよ さびしかないよ
木挽き音だよ もうじきひぐれ
もうじきひぐれ ホイ
谷のわきみず いつまで白い
木挽き音だよ さびしかないよ
木挽き音だよ もうじきひぐれ
もうじきひぐれ ホイ
さらに、前作発売の7か月後(1965年8月)にはA面「たそがれの人」、B面「夜霧のラブレター」発売。
同月には、もう一枚、A面「浜の若い衆」、B面「磯浜そだち」も発売。
1965年8月
「たそがれの人/夜霧のラブレター」
「たそがれの人/夜霧のラブレター」
たそがれの人(作曲:山路進一)1965年8月
https://youtu.be/30PPF9w_Umo
https://youtu.be/30PPF9w_Umo
たそがれは 夕風は
あおざめた こころの挽歌
たそがれが 好きだったから
たそがれの 美しい日に
逢える気がする あの人
このうたは この曲は
きえてゆく 夜霧の挽歌
ブルースが 好きだったから
くりかえし 踊ったふたり
のこる想いを のせてる
きえてゆく 夜霧の挽歌
ブルースが 好きだったから
くりかえし 踊ったふたり
のこる想いを のせてる
いとしさは 哀しさは
もえのこる なごりの挽歌
雨の夜は 逢いたくなって
風の夜は 逢いたくなって
ひとりたたずむ この街・・・
もえのこる なごりの挽歌
雨の夜は 逢いたくなって
風の夜は 逢いたくなって
ひとりたたずむ この街・・・
夜霧のラブレター(作曲:山路進一)1965年8月
https://youtu.be/3M8BCqyUF1I
https://youtu.be/3M8BCqyUF1I
なんの返事も もらえぬ手紙
かいてふるえる 文字ならば
あおい夜霧に したいもの
わかってくれぬ あなたの窓に
すがる 夜霧に したいもの
かいてふるえる 文字ならば
あおい夜霧に したいもの
わかってくれぬ あなたの窓に
すがる 夜霧に したいもの
たまらないほど 恋しいきもち
口に出せない なみだなら
あおい夜霧に したいもの
ふりむきもしない あなたの影と
ついて いっしょに ゆけるよに
口に出せない なみだなら
あおい夜霧に したいもの
ふりむきもしない あなたの影と
ついて いっしょに ゆけるよに
好きになってと といきがにじみ
ひとりみだれる 文字ならば
あおい夜霧に したいもの
いのちをあつめて あなたの傍で
きえる 夜霧に したいもの
ひとりみだれる 文字ならば
あおい夜霧に したいもの
いのちをあつめて あなたの傍で
きえる 夜霧に したいもの
1965年8月
「浜の若い衆/磯浜そだち」
浜の若い衆(作曲:山路進一)1965年8月
https://youtu.be/3-s3-QY4oyY
https://youtu.be/3-s3-QY4oyY
網を一打ちゃ 朝やけ磯に
大漁願いの はたが出る
親の代から 地網を引こと
おいらにゃ おいらの夢がある
浜の浜の若い衆 眼が光るよ
大漁願いの はたが出る
親の代から 地網を引こと
おいらにゃ おいらの夢がある
浜の浜の若い衆 眼が光るよ
束ね髪した あの子がくれた
涙色した 貝のくし
何んであの時 好きだといって
都に行くのを とめなんだ
浜の浜の若い衆 気にかかるよ
涙色した 貝のくし
何んであの時 好きだといって
都に行くのを とめなんだ
浜の浜の若い衆 気にかかるよ
あすの日和の 潮鳴りきけば
村は夕げの 灯をともす
引いた地網に あしたの恋も
つないで涙は すてていこ
浜の浜の若い衆 まだ二十才よ
村は夕げの 灯をともす
引いた地網に あしたの恋も
つないで涙は すてていこ
浜の浜の若い衆 まだ二十才よ
磯浜育ち(作曲:山路進一)
沖に白々 朝ひが昇る
地引き網引く 背に昇る
昇るよ
地引き網引く 背に昇る
昇るよ
地引き網引く 影なら一つ
好きと云えずに 別れりゃ一つ
一つよ
好きと云えずに 別れりゃ一つ
一つよ
束ね髪した 素足が冷えた
はなれ住んでは 心も冷えた
冷えたよ
はなれ住んでは 心も冷えた
冷えたよ
潮が光るよ 心も光る
夢をたぐった 地網に光る
光るよ
夢をたぐった 地網に光る
光るよ
~2013年4月23日の以下の記事もよろしければご覧ください。~
上記のブログを記した時には、そこにも、書いたように、女性名を使っていらしても、もしかしたらペンネームで本当は男性なのかな?…などど思ったりもしていたほど、彼女については、全く知りませんでした。
ずっと気になっていたのですが、たまたま、昨年の秋ごろに、オークションに出品されていた古い週刊誌でみつけた見出しを見て、安部幸子さんのことらしい記事が掲載されているようだと直感して、手にいれました。
週刊平凡昭和39年10月18日号
そこで安部幸子さんがわずか23歳の若さで1964年9月12日に逝去されたということを知りました。
「たそがれの人」…「たそがれ」という言葉は、一日の終わりの夕闇が広がる前のほんの少しの短い時間のことですが、昼と夜の間のわずかではかないその時間に、空の色やら雲の流れが刻一刻と変化していくロマンチックでドラマチックなひととき。安部幸子さんの生涯はまさに「美しく足早に過ぎ去っていく、たそがれ」そのもののようだったんだと感慨深いものを感じます。
時系列で舟木さんのレコードの発売年、発売月をたどると、安部さんは、2枚目のレコード「火消し若衆」/木挽哀歌」が発売された時には、既に亡くなっていらしたことになります。つまり、亡くなられた後になって、彼女の作品が何点もレコード化されていたということです。そのわけは…
週刊平凡の記事によれば…
~コロムビアの栗山ディレクターが、幸子さんの大ファンだったからだ。~
以下、栗山さんからの週刊平凡の取材
「幸子さんは、勤めがあるのでコロムビアにやってくるのは土曜日の午後ときまっていました。たまたまぼくが外出でもしていると”それじゃ表で待っています”といって逃げ出そうとする。そのくせ、居合わせた者がむりにひきとめておくと、”チョコレートいかがですか”といってソッと差し出す。恥ずかしがりやのくせに少しも気取りのない人柄でした。ぼくは新鮮で詩情ゆたかな幸子さんの詩にほれこんでいたので、企画会議などでも、強力に押しました。そのため、”安部さんの詩はたしかにいいが、コロムビアの専属作詞家ではない。それをドンドン採用して、わが社のトップ歌手に歌わせたのでは、専属作詞家の手前も面白くない”という苦情が出たくらいです。」
この週刊平凡の記事で、いくらかは安部幸子さんのことを知ることができました。ネット上でも、何か、手がかりになることは見つからないかと調べていくと、「遊星王子の青春歌謡つれづれ」という「最強の」ブログに行き当たりました。ここで、さらに、「まつざきあけみのブログ」が、紹介されていて、前出の週刊平凡(昭和39年10月12号)とほぼ同時期に少女フレンド(昭和39年10月18日号)にも、安部さんの死についての記事が掲載されていることが分かりました。
おふたりのブログを、深い感謝と共に下記にご紹介させていただきます。
舟木さんファンの皆さまに、安部幸子さんの作品鑑賞へのいくらかの手助けになれたら幸いです。
安部幸子作品リスト
「石竹の花」s39-4 島倉千代子
「上総のふるさと」s39-4 コロムビア・ローズ(二代目)(「平凡」懸賞当選詩)
「ごめんねチコちゃん」s39-6 三田明(佐伯孝夫補作詞 「平凡」募集当選)
「いなせじゃないか若旦那」s39-8 舟木一夫
「夜の浜辺」s39-8 コロムビア・ローズ(二代目)
「母さんと」s39-10★ コロムビア・ローズ(二代目)
「ああ東京の灯の中に」s39-10 コロムビア・ローズ(二代目)
「星のように花のように」s39-11★ 本間千代子
「たださびしかっただけ」s39-11 本間千代子
「火消し若衆」s40-1★ 舟木一夫
「木挽哀歌」s40-1 舟木一夫
「東京のためいき」s40-2 本間千代子
「うそでもいいから」s40-4★ 本間千代子
「心のキャンパス十二号」s40-7★ 本間千代子
「浜の若い衆」s40-8★ 舟木一夫
「磯浜そだち」s40-8 舟木一夫
「たそがれの人」s40-8★ 舟木一夫」
「夜霧のラブレター」s40-8 舟木一夫
「みちのくの里」s40-8★ コロムビア・ローズ(二代目)
「星につれていって」s41-2 本間千代子
「悲しい記念日」s41-4 本間千代子
「ゆうかりの花」s41-6 コロムビア・ローズ(二代目)
ほかに、昭和39年9月発売のコロムビア・ローズ(二代目)のLP「コロムビア・ローズの花のステージ」収録曲に
「嫁ぐ日は明日」
「しのぶ草の花」
「ねむの木の月」
以上25曲です。(このリストは今後拡充したいと思います。*2017-4-17に4曲追加しました。)
*2013年5月23日、下のコメント欄に「コロ」さんから情報をいただきました。
~安部幸子は横浜市栄区在住で神奈川県庁の速記者をつとめながら石本美由起主宰の同人誌「新歌謡界」に所属して作詞を学んでいた、死因は脳血栓だったらしい~
とのこと。「ごめんねチコちゃん」の公募当選以前に島倉千代子「石竹の花」の作詞があるのも、当選後にビクターではなくコロムビアで仕事をしたのも、石本美由起の縁だったかと思われます。貴重なご証言に感謝します。
安部幸子逝去39-10-18少女フレンドより こちら「まつざきあけみのブログ」に、「ごめんねチコちゃん」の作詞家・安部幸子の死を悼む記事が紹介されていました。雑誌「少女フレンド」の昭和39年43号(10月18日号)の記事の一部です。深く深く感謝しつつ無断リンクし、かつ、写真の一部を無断借用させていただきます。
名前は「あべ・さちこ」。9月19日頃、24歳での死だったといいます。作詞家デビューからわずか半年で亡くなられたことになります。
すると、上掲作品リストのうち、生前にレコード化されたのはわずか4曲ほど。あとはみんな、没後のレコード化です。舟木一夫「火消し若衆」も「浜の若い衆」も本間千代子「うそでもいいから」も、安部幸子没後のヒット曲だったのです。しかも、彼女の作品のレコード化は没後二年近くも続いています。コロムビア・レコードの作曲家や歌手たちが、彼女の早すぎる死を悼み才能を愛惜して、彼女の遺作をレコード化しつづけたのでしょう。
名前は「あべ・さちこ」。9月19日頃、24歳での死だったといいます。作詞家デビューからわずか半年で亡くなられたことになります。
すると、上掲作品リストのうち、生前にレコード化されたのはわずか4曲ほど。あとはみんな、没後のレコード化です。舟木一夫「火消し若衆」も「浜の若い衆」も本間千代子「うそでもいいから」も、安部幸子没後のヒット曲だったのです。しかも、彼女の作品のレコード化は没後二年近くも続いています。コロムビア・レコードの作曲家や歌手たちが、彼女の早すぎる死を悼み才能を愛惜して、彼女の遺作をレコード化しつづけたのでしょう。