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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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「さくら仁義」~アルバム「渡世人~舟木一夫三度笠を歌う」

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イメージ 1私の地元の桑名の寺町商店街の脇の公園で、早咲きの「河津桜」がもう五分咲きになっていました。「桜」~「さくら」~「さくら仁義」(笑)どうしても、こういう連想ゲームになってしまいます。
・・・というわけで、今回は「さくら仁義」に関することをちょっと記事にまとめてみます。

 
 
 
イメージ 4さくら仁義  作詩:すずきじろう 作曲:幸田成夫 
(作詩・作曲、いずれも舟木さんのペンネームです
                             15周年日劇公演記念曲 1977年6月発売)
http://www.youtube.com/watch?v=ZLx3ezXDe_M  
舟友kazuyanさんの動画です
 
わらじ一年 合羽で二年
長脇差(どす)を抱き寝も 三年越し
さくら仁義に 啖呵の花が
咲いて小粋な旅鴉
なぜに堅気をすねたやら
 
惚れた弱みを まぎらす酒に
いつか呑まれて 涙ぐせ
さくらつぼみの あの娘の肩に
野暮なセリフを二ツ三ツ
かけたあの日が命取り
 
笠に重たい 渡世の義理を
意地で支えて 越す峠
さくら吹雪に おふくろさんの
背伸びするよな 声がする
それがやくざの泣きどころ
 

イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
大阪・新歌舞伎座 
1976年4月17日~25日
~舟木一夫特別公演 「さくら仁義」  
一幕五場~
 
新次郎:舟木一夫
お志津:葉山葉子
巾着切り紋太:なべおさみ
おまさ:萬代峰子
庄之助:北上弥太郎
 
イメージ 13お芝居の内容についての詳細は、わからないのですが、葉山さん、なべさんなど今も舟木座長さんの座組になくてはならない舞台人の方が共演なさっていらっしゃいますから、きっと涙あり、笑いありのいい人情芝居だったことと想像しています。ご覧になった方、ぜひ、コメント等でその時の思い出や感想など教えてくださ~い!
 
「さくら仁義(1977年6月発売) 
     アルバム「渡世人~舟木一夫 三度笠を歌う
                                                  (1972年11月発売)
 
私が偶然のように舟木さんに再会してから急激に復活していったのは何故なのか自分でも不思議なのですが、やはりその理由は、舟木さんがステージ歌手としてコンスタントにコンサート活動をなさっているからなのでしょう。ライヴ派の私にとっては舟木さんとの再会はただ懐かしさだけのものではなくて、ナマのステージを堪能させてくれる「大人の歌い手」をやっと発見したという想いが一番のインパクトでした。
ステージを拝見する度に、子どもの頃には気づきもしなかった舟木さんの歌の世界の奥深さと幅広さに驚いたり感動したりの連続でした。この想いは今も、現在進行形ですが・・・
思春期の頃には、舟木さんが醸し出す雰囲気や、その持ち歌に登場する人物像への憧れが先に立っていましたから、「歌手・舟木一夫」という視点で見ていたわけではなかったように思います。「歌手・舟木一夫」の凄さに気づくことができたのは、恥ずかしながら私自身が還暦を過ぎてからです。つまり、舟木さんと「再会」した時初めて、「歌手・舟木一夫」の魅力と力量に開眼したのですね。そこから、私が「歌手・舟木一夫」の旅路を後追いする作業が始まりました。今、舟木さんの50年にわたる膨大な音源の、多くを耳にしているつもりではいますが、それでも、まだまだ未知の部分がたくさんあるかと思います。
 
 
イメージ 17舟木さんは、若い頃から、青春歌謡、抒情歌、和もの…もちろん演歌もポップスも洋楽系もご自分の個性と歌唱力を駆使して鮮やかに歌われてきていますが、ごく客観的に舟木さんの膨大な持ち歌の中から誰でも知ってるヒット曲三曲を挙げるとすればちょっと乱暴ではありますが、「高校三年生」「絶唱」「銭形平次」…こういう感じかな?と思います。
この三曲だけを見ても、それぞれのジャンルの歌を咀嚼する感受性や想像力の豊かさ、また、咀嚼し理解した世界を繊細かつ緻密に表現し具現化する力量は明らかです。そして、この力はプロシンガーとして不可欠な才能であると思います。
「ブルースを歌いたくて歌手になった」と常々おっしゃっている舟木さんは「高校三年生」という明るく、爽やかな青春歌謡で多くの人の心をつかみました。そして「絶唱」では、哀感迫る抒情の世界を詠って、その歌唱力を評価されたのですが、その間に、「一心太助江戸っ子祭り」「火消し若衆」「喧嘩鳶」など、時代物の威勢のいい鉄火肌な男を主人公にした歌にも、独自の色合いを見せてその魅力を遺憾なく発揮してしています。その上、同じ時代物でも「右衛門七討入り」や「敦盛哀歌」で憂いの影がさすような薄倖の美少年を鮮やかに描ききっています。このように、まるで万華鏡のように様々な世界を「歌」を通して聴く者に届けることができるのは、天性のものがあったのだろうと今さらながら痛感しています。
 
イメージ 18今回のテーマに取り上げたのは当時の舟木さんのイメージとしては異色とも言える「渡世人~舟木一夫 三度笠を歌う」です。「渡世人」「股旅もの」の流行歌のジャンルは舟木さんと同年代の歌手の中では橋幸夫さんの独壇場という印象がありましたから、こんなアルバムがあることを知った時にはビックリしました。
今の舟木さんのステージのバラエティに富んだ構成力と歌唱力は言うまでもないのですが、二十代の若い頃からどんなジャンルの曲も一瞬にして自分の個性と世界観に引きつけてしまう才能豊かなプロ・シンガーだったことが、このアルバムを聴いてみてあらためてわかりました。

ここで、蛇足かもしれませんが「渡世人」について・・・(以下ネットからの情報をもとに)
 
イメージ 19渡世人
渡世人とは日本という風土には、ヤクザ者にはヤクザ者なりの「道」というものが伝統としてあった。古今東西、悪党やならず者の生き方を「道」となぞらえたのは、おそらくこの国だけであろう。
江戸時代、ヤクザ者の本場といえば何と言っても関東、それも上州であった。これは現代にも通じるものがあるが、当時一流の渡世人に必須とされていた事項は三つ、「腕、度胸、礼儀作法」と言われていた。上州はこれらにとりわけ厳しく、それ故上州で長年修行を積んだ渡世人は「上州長脇差」と呼ばれ、渡世人のみならず堅気の人間からも畏敬の念を抱かれていた。それ故、渡世人に憧れて上州を目指す若者も少なくなかったらしい。ちなみに、かの有名な大前田英五郎や国定忠治も、上州出身の渡世人である。

渡世人は旅から旅への流れ者 
渡世人(侠客)の旅には「落旅」と「急ぎ旅」があり落旅は一家の若い者の修行や使いの旅、急ぎ旅は兇状持ち(指名手配者)の逃走の旅を指す。江戸時代は侠客の旅の多くは急ぎ旅だった。
 
 
イメージ 20仁義
旅の侠客が土地の親分のところに草鞋を脱ぐ時に、仁義と呼ばれる独特の挨拶をする。仁義という言葉は「順儀」または「辞宜」という言葉が訛ったのが当て字になったもので挨拶という意味。
仁義を受けるのは基本的に明るいうちであり、暗くなって灯火がともってからは受け付けないことになっていた。
旅人は入口で三度笠を脱いで玄関に入る。出迎えの者は両手の親指を床について平伏する。旅人は長脇差を鞘ごと抜いて上がり框に置き、少し下がって両手を拳にして、手の甲を前に向けて腰の前に置く。そして「敷居内、御免蒙ります」と言うと、家の者が「さあ、お着きなさい」と言う。すると、旅人は右拳を敷居に於いて膝を着き、「お控えなさいませ」と言う。家の者もそれを言い返す。

次に、旅人の方から「御仁義になりませんから、是非ともお控えなさいまし」と言う。家の者が折れて「逆位とは存じますが、お言葉に甘えてお控えさせて頂きます」と返す。つまり侠客の場合は下位の者が先に名乗るのが礼儀なのでこのようにするわけです。
旅人は「斯様無様にて御免を蒙ります。手前生国は武蔵国豊島郡、名前の儀は○○と申しまして、仔細あっての急ぎ旅でございます。今日こうお見知り頂きまして、お引き立てのほどを宜しくお願い致します」と一気に言う。
家の者は「申し送れまして御免下さいまし。手前は当家の××という若い者でございます。今日こうお見知り頂きまして、お引き立てのほどを宜しくお願い致します。さあ、お掛けなさいまし」と返す。
 
旅人は上がり框に腰掛けると「懐中御免蒙ります」と言って手拭を見せる。これも作法の一つで、その手拭を見れば、相手の旅人がどれくらい旅を続けてきたかがわかる。
 
仁義はこのように厳粛な様式でいわば挨拶と面接試験を兼ねたようなものですが少しでも作法に外れるようなことをやったが最後、即座に玄関払いを食わされてしまいます。
 
仁義を受けてもらった旅人は、草鞋を脱いで足を洗い座敷に通される。そして一杯のお茶を出されますがこれを二口半で飲み干すことになっていた。これは滞在中にその家の親分に服従することを意味する。従って、もしも殴り込みでもあれば、当然助っ人として動員される。他にも出された飯は必ず二杯食べ、決して残してはならないこと(一杯では仏前の飯と同じで縁起が悪いから)等々、細かいところまで取り決めがあったのです。
 

渡世人~舟木一夫 三度笠を歌う (舟木さんのとってもかっこいいナレーション入り)
(1972年11月発売)
流転/沓掛小唄/次男坊鴉/よさこい三度笠/旅姿三人男/名月赤城山/花の三度笠/浅太郎月夜/木枯紋次郎        
 
セリフ(仁義)
~引きつけましての仁義失礼さんにござんす。御当家の親分さん、影ながら御免を蒙りやす。向かいまする上さんとはお初にござんす。事情あっての急ぎ旅、こんな恰好で挨拶も何もございやせんが、姓名の儀は上州無宿の異三郎と申しやす。お見かけどおりのしがねぃものにござんすが、お見知りおかれまして、以後よろくお頼ン申します。
 
イメージ 21流転 作詩:藤田まさと 作曲:阿部武雄(編曲:山路進一)
昭和12年(1932) 原曲:上原敏歌唱
 
男 命を みすじの糸に
かけて三七 二十一目(さいのめ)くずれ
浮世かるたの
浮世かるたの 浮き沈み
 
どうせ一度は あの世とやらへ
落ちて流れて ゆく身じゃないか
泣くな夜明けの
泣くな夜明けの 渡り鳥
 
意地は男よ 情けは女子(おなご)
ままになるなら 男をすてて
俺も生きたや 
俺も生きたや 恋のため

 
 
 
イメージ 22セリフ
~渡世うちで、サイの目は「一天地六、向こうの四の二に前五、三」と呼ばれていやすが、特に四と九の目が嫌われるのは、死と苦に通じるからでございやしょう。一度、踏み込んだら、容易に抜けられねいこの世界で、死とぎりぎり背中合わせで苦しむのもヤクザなら、仁侠道に男の意地を立派に張るのもヤクザです。しかしどっちをとってみても、渡世人とはお天道さまも仰げないバカな人間の見本のようなものでございやしょう。

沓掛小唄 
作詩:長谷川伸  作曲:奥山貞吉(編曲:山路進一)
昭和4年(1929) 原曲:川崎豊・曽我直子 歌唱
 
イメージ 23意地の筋金 度胸のよさも
人情からめば 涙ぐせ
渡り鳥かよ 旅人ぐらし
あれは 沓掛時次郎
 
来るか時節が 時節は来ずに
今朝も抜け毛が 数を増す
今度の浮世は 男でおいで
女とかくに 苦労がち
 
千両万両に まげない意地も
人情からめば 弱くなる
浅間三筋の 煙の下で
男 沓掛時次郎

セリフ
~自分から好きで飛び込んだ世界です。何処かの街道の果てで、明日は生命を落としても誰の罪でもござんせん。自業自得というものでございやしょう。自分の心を支えるのは自分だけ。自分の生命を支えるのも自分だけ・・・おっ母さん、バカな息子と許してやっておくんなさい。

次男坊鴉 作詩:萩原四郎 作曲:倉若晴生(編曲:山路進一)
昭和30年(1955) 原曲:白根一男歌唱
http://www.youtube.com/watch?v=_FzVP7fVk98 (舟木さん歌唱音源)

イメージ 3どこへ飛ぶのか 次男坊鴉
笠にみぞれの 散る中を
なまじ小粋に 別れたせいか
日光街道の 日光街道の
灯がうるむ
 
人が目をむく さむらいやくざ
御奉行様から 賭場あらし
泥溝(どぶ)の世界に 何故身を投げる
訳はあの娘の 訳はあの娘の
瞳(め)にききな
 
恋がせつない 次男坊鴉
逢うて三年 三度笠
なんの今更 旗本ぐらし
どうせ半目と どうせ半目と
出たものを

 
 
イメージ 5よさこい三度笠 作詩:星野哲郎 作曲:船村徹(編曲:山路進一)
昭和35年(1960) 原曲:村田英雄歌唱
 
待っているよと 追いすがる
声を背中に ききすてて
やぼでござんしょ 三度笠
惚れていました 九分通り
あの一分が 邪魔をした
ヨサコイ ハァ ヨサコイ
 
一夜見ぬでも 気がすまぬ
三日逢わなきゃ どう変わる
男心と 旅の空
意地を張るのも いい加減
止しな止しなと 百舌が鳴く
ヨサコイ ハァ ヨサコイ
 
俺も人の子 鬼じゃない
みれんたっぷり 山二つ
越せばやらずの 涙雨
きいておくれか お地蔵さん
のろけ噺の 一くさり
ヨサコイ ハァ ヨサコイ
 
 
 
イメージ 6旅姿三人男  作詩:宮本旅人 作曲:鈴木哲夫
昭和13年(1938) 原曲:ディック・ミネ歌唱
 
清水港の名物は 
お茶の香りと 男伊達
見たか聞いたか あの啖呵
粋な小政の 粋な小政の
旅姿
 
富士の高嶺の 白雪が
溶けて流れる 真清水で
男磨いた 勇み肌
なんで大政 なんで大政
国を売る
 
腕と度胸じゃ 負けないが
人情からめば ついほろり
見えぬ片眼に 出る涙
森の石松 森の石松
よい男

名月赤城山 作詩:矢島寵児 作曲:菊地博(編曲:山路進一)
昭和14年(1939) 原曲:東海林太郎歌唱
 
男ごころに 男が惚れて
意地が融け合う 赤城山
澄んだ夜空の まんまる月に
浮世横笛 誰が吹く
 
意地の筋金 度胸のよさも
いつか落目の 三度笠
いわれまいぞえ やくざの果と
悟る草鞋に 散る落葉
 
渡る雁がね 乱れて啼いて
明日は何処の 塒(ねぐら)やら
心しみじみ 吹く横笛に
またも騒ぐか 夜半の風
 

 
イメージ 7花の三度笠 作詩:佐伯孝夫 作曲:吉田正(編曲:山路進一)
昭和28年(1953) 原曲:小畑実歌唱
http://www.youtube.com/watch?v=Op6PphEMXXg 
(舟木さん歌唱音源)

男三度笠 横ちょにかぶり
おぼろ月夜の 旅がらす
可愛や小柳 とめずにおくれ
あけりゃ 明日の 風が吹く
世話にくだけて エー 暮らしゃんせ
 
野暮な白刃にゃ 体を張るが
ままよ苦手な 色出入り
こんな男に 惚れるなァおよし
末の苦労が 目に見える
想いつめずに エー暮らしゃんせ
 
花の三度笠 柳がなびく
乱れごころで なぜなびく
知らぬ振りして 峠を越えりゃ
またも身にしむ 通り雨
想いだすよな エー ことばかり

 
セリフ
~兇状持ちだから、一つところに落ち着くことはございやせん。信州、上州、下総、上総、それに東海道筋のあちこちを流れ歩いて気が付くとなぜかいつも冬でした。黒の手甲脚絆も色褪せ、道中合羽も破れ雑巾のようになって、渡世人の流れ旅は花も咲かねぇ、さむ~い冬の旅なんでござんすね。
 
イメージ 8浅太郎月夜  作詩:坂口淳 作曲:吉田正(編曲:山路進一)
昭和28年(1953) 原曲:宇都美清歌唱
 
幼なじみの 赤城の月に
影もやつれた 浅太郎
意地と情けに ついはさまれて
泣いて結んだ 男紅緒の
三度笠
 
風に追われて 上州鴉
どこのねぐらに 帰るやら
添えぬ花よと 諦めながら
思い出しては お京恋しの
里ごころ
 
山の落葉か やくざの果ては
月にこぼれる 草の露
誰が吹くやら あの横笛は
雁があばよと 雲の切れ間に
啼いて行く
 
 
 
 
セリフ
あ~、また一人斬っちまったぃ・・・
 
イメージ 9木枯紋次郎  作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実
昭和47年(1972) 舟木一夫(オリジナル曲)
 
風が吹くたび 心がさわぐ
止めて止まらぬ 一本どっこ
男一匹 情けは無用
見たか聞いたか この腕を
その名も 木枯紋次郎
木枯紋次郎
 
堅気育ちが どこかですねた
すねて流れて 旅から旅を
涙見せるな やくざの恋は
どうせ夜明けの 空に散る
その名も 木枯紋次郎
木枯紋次郎
 
広い世間に 背中を向けて
どこへ行くのか 口笛ひとつ
やけに吹きゃがる 冷たい風が
さきは雨やら 嵐やら
その名も 木枯紋次郎
木枯紋次郎
 
 
一般に知られている、テレビドラマ「木枯し紋次郎」のテーマ曲について
テレビドラマの主題歌となった「誰かが風の中で」の作詞は市川(昆監督)の妻で名脚本家の和田夏十、作曲を「六文銭」を率いるフォークシンガーの小室等が担当、上條恒彦の熱唱と相まっておよそ時代劇には似つかわしくないものだったが、逆にその新鮮さが幅広い支持を得ることになり、結果的に1972年だけでシングル23万枚を売り上げる同年度屈指の大ヒット曲となった。(ウイキペディアより)

 
 
 
イメージ 10「木枯紋次郎 作詩:丘灯至夫 作曲:遠藤実 (1972年)」
上記のようにウイキペディアの丘灯至夫氏の項に舟木さん歌唱の作品も記載されているのですが、私自身はもちろんオンタイムで舟木さんが「木枯し紋次郎」に関する歌を歌っていらっしゃることなど全く存じ上げませんでした。作曲が遠藤実氏ですから舟木さんにとっては「舟木一夫」の生みの親のようなおふたかたによる作品がこのアルバムのラストを飾って収録されていることも舟木さんのそれまでのイメージの裏側にある歌い手としての隠れたもうひとつの新たな個性と力量への期待がうかがわれ、世に出ていない埋もれた曲ではあるのですが、私には、当時から舟木一夫の世界の広がりがその萌芽をみせていたようでとても嬉しく聴いています。

なぜ、もうひとつの「木枯し紋次郎」の曲が生まれたのか
 
丘先生か、遠藤先生かいずれかのご縁から「木枯紋次郎」を舟木さんが歌うことになったのかも・・という推測から、ネットで調べてみたのですが、かろうじて丘氏と中村敦夫さんに共通する土地が福島県というだけしか探し当てられませんでした。また、原作者の笹沢左保氏と舟木さんとの関わりは1969年公開の映画「いつか来るさよなら」(原作が笹沢氏の「廃虚の周囲」)がありますが、どのラインでイメージ 11舟木さんが「木枯紋次郎」を歌うことになったのかは残念ながら私にはわかりません。御存知の方がいらっしゃれば、教えてくださいね。

丘灯至夫
福島県田村郡小野新町(現・小野町)の西田屋旅館(現存)の六男として生まれる。1929年、福島県郡山市立金透小学校尋常科を卒業。1932年福島県郡山市立郡山商工学校(現・福島県立郡山商業高等学校)商業科を卒業。

中村敦夫
幼年期に東京大空襲があり、福島県平市(現在のいわき市平地区)に疎開。その後、在学していた福島県立磐城高等学校から東京都立新宿高等学校へ転校。
 
イメージ 12ここでご紹介した曲の他にも舟木さんの「渡世人」を歌った曲のレパートリーはさらに広くて「ふれコン」などでは、「勘太郎月夜唄」「中山七里」「大利根仁義」「雪の渡り鳥」「関東春雨傘」「八州喧嘩笠」などを何度
か歌われているようです。記憶に新しいところでは南座「シアターコンサート~遠藤実スペシャル」で歌われた「天竜母恋い笠」も、このジャンルの曲といえます。
後年、舟木さんが「ひるね」から目覚めて、再び芸能界の表舞台に快進撃をかけていかれた座長公演では、たくさんの「渡世人=股旅もの」のお芝居に取り組んでいらっしゃいます。二十代の明治座などの座長公演では、まだこのジャンルのお芝居はなさっていませんでしたから、15周年記念の「さくら仁義」が初めての本格的な「渡世人」を主人公にしたお芝居だったかと思われます。その後、30周年記念として1993年に東京・博品館劇場で「瞼の母」開催。翌年には池袋サンシャイン劇場を皮切りに全国31箇所で「瞼の母」を再演されています。さらに同年に、名古屋中日劇場で「次男坊鴉」、大阪新歌舞伎座では「はぐれ鴉」とたて続けに、「渡世人」を主人公にしたお芝居を開催されているのも注目すべきかと思います。1999年には「沓掛時次郎」の全国ツアー公演。2001年には大阪・新歌舞伎座で「鯉名の銀平・雪の渡り鳥」、同年新橋演舞場で「沓掛時次郎」再演。その後も、これらのお芝居を再演なさっていて「渡世人=股旅もの」は舟木さんの座長公演の中で大きな位置を占めるジャンルとなっていることを思うと、この二十代の終り頃に制作されたアルバム「渡世人~舟木一夫三度笠を歌う」は、その後の舟木さんの「復活」を後押しする「芝居とコンサート」への布石とも思えますし、「さくら仁義」というお芝居も、開催期間は十日足らずという比較的短期間公演ではあったのですが、何か復活への一里塚のような意味合いを持った舞台作品であったような気がしています。
 
 舞台「さくら仁義」の楽屋での舟木さん。 私はこの写真を見て息を呑むほどの美しさにしばし動悸がとまりませんでした
 
イメージ 14
イメージ 15
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
舟木さんの渡世人姿は端正で凛々しく、「人生の裏街道をゆく流れ者」というアウトローの美学を絵に描いたような佇まいを感じさせます。一流の渡世人に必須とされていた事項は三つ、「腕、度胸、礼儀作法」・・・この言葉は、そのまま芸能に携わる人にも充てはめることができるのではないかと、ふと、思いました。少しだけ言葉を換えてみると「技能、器量、品格」に通じるのではないでしょうか。「歌手・舟木一夫」の美学は「孤独を引きうける厳しい姿勢」かも知れないと思うことがあります。ある意味、芸人はアウトローであることにその存在価値があると私は考えています。日常という世界にぬくぬくと浸りきらない、浸りきれない性(さが)とか業(ごう)とか・・・そんな心の闇がなくては、真の「芸人」にはなれないのではないかとさえ思っています。私にはちょっと淋しいのですが、現代では、そんな「芸人」が、なかなか育ちにくいのでしょう。そういった意味でも舟木一夫は、最後の「アウトローを感じさせる芸人」のような気がしています。だからこそ「渡世人」の世界をこうもリアルに歌い、演じることができるのかも知れません。
 
イメージ 16

今回も、舟友さんから実にたくさんの資料をご提供いただきました。ここに掲載させていただいた「さくら仁義」に関する数々の若い日の舟木さん演じる「新次郎」の陰影深い表情は、「渡世人の美学」の体現のように思えます。惚れ惚れするような美しさと孤高の厳しさが胸の奥深くまで沁み込むように伝わってきます。
舟木さんの旅路の貴重な資料のご提供を心から感謝いたします。ありがとうございました。

 

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