1997(平成9年) NHK大河ドラマ「毛利元就」
原作:永井路子(「山霧」「元就、そして女たち」より) 脚本:内館牧子
原作:永井路子(「山霧」「元就、そして女たち」より) 脚本:内館牧子
ウィキペディアで「毛利元就」の登場人物の項を見ると以下のように書かれています。
沼田小早川氏家臣・椋梨景勝(むくなしかげかつ)
当主繁平に絶対の忠誠を誓う。小早川家の行く末を案じて隆景を擁立、抵抗する全慶らを討った。
当主繁平に絶対の忠誠を誓う。小早川家の行く末を案じて隆景を擁立、抵抗する全慶らを討った。
舟木さんが出演された、大河ドラマは四本。昭和39年「赤穂浪士」の矢頭右衛門七、昭和41年「源義経」の平敦盛、昭和46年「春の坂道」の徳川忠長・・・この三本では、舟木さんは、いずれも悲壮な運命の若者を演じられました。そして、四本目の出演となる「毛利元就」は、初めて実在の人物ではなく架空の人物を演じられたそうです。そして、危うく「切腹か?」という展開ではありましたが、大どんでん返しの「出家」という形でなんとか「死を免れ」てほっとしました(笑)
・・と言っても、私はこの「毛利元就」も、「春の坂道」(http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69115251.html ←ご参照下さい)
同様、まったくかすりもせずにおりましたので、これも、舟友さんのご厚意で、つい先ごろ録画されたものを拝見した次第です。
・・と言っても、私はこの「毛利元就」も、「春の坂道」(http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/69115251.html ←ご参照下さい)
同様、まったくかすりもせずにおりましたので、これも、舟友さんのご厚意で、つい先ごろ録画されたものを拝見した次第です。
舟木さんから長く離れていた私が、こうしてブログ上で、リアルタイムで見ることもできず、関連する資料すら手元にない中で、私なりの記事にすることができるのは、今回も、舟友さんのご親切とご厚意のおかげです。録画資料をご提供下さった舟友さん、また、この「毛利元就」撮影中の舟木さんに関するエピソードの資料をご提供下さった舟友さん、おふたかたへ先ずは、心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
私が、拝見したのは、舟木さんが出演されている回のみなので、ここで架空の人物として舟木さんが起用されている根拠というか、舟木さんでなければならなかった椋梨景勝という人物。そしてまた実在の人物である小早川繁平とのかかわりについてに絞って「大河ドラマ・毛利元就」について私なりに掲載させていただきます。
出演されたのは、第29、第31回、第33回、第36回のようです。以下は私がネットで調べたものですが、各回のおおまかなストーリーのまとめです。
第29回 子別れ
1544年(天文13年)
尼子晴久、経久以来の家臣・亀井秀綱(河原さぶ)に隠居を申し渡す。
新宮党、安芸三吉を攻撃。
元就は児玉就忠を大将に援軍を出す(が、大敗。が、三吉は新宮党に勝利)。
徳寿丸、井上春忠(生瀬勝久)を伴って小早川(の分家)の養子となる。
1544年(天文13年)
尼子晴久、経久以来の家臣・亀井秀綱(河原さぶ)に隠居を申し渡す。
新宮党、安芸三吉を攻撃。
元就は児玉就忠を大将に援軍を出す(が、大敗。が、三吉は新宮党に勝利)。
徳寿丸、井上春忠(生瀬勝久)を伴って小早川(の分家)の養子となる。
第31回 杉、極楽へ行く
1546年(天文15年)
元就、隆元に家督を譲る。
大内義隆と、その正室の侍女との間に嫡男・亀童丸誕生。
杉の方、堀立直正との天竺行きを前に急死。
第33回 冴えわたる策略
1547年(天文16年)
吉川興経、家臣の横領に連座したことで子の千法師とともに強制的に隠居させられる。
吉川は元春を養子に迎え入れる。
徳寿丸、元服して小早川隆景(恵俊彰)を名乗る。
井上元兼、横領のかどで隠居を申し渡される。
1548年(天文17年)
元春に長男誕生。
1547年(天文16年)
吉川興経、家臣の横領に連座したことで子の千法師とともに強制的に隠居させられる。
吉川は元春を養子に迎え入れる。
徳寿丸、元服して小早川隆景(恵俊彰)を名乗る。
井上元兼、横領のかどで隠居を申し渡される。
1548年(天文17年)
元春に長男誕生。
第36回 鬼のかけひき
1550年(天文19年)
元就、隠居先から逃亡のかどで吉川興経一族を根絶やしにする。
小早川本家家臣・椋梨景勝(舟木一夫)、家内の不平一派を粛正。
小早川当主繁平隠居。
隆景は繁平の妹・阿古姫(三船美佳)と結婚することで小早川本家の当主となる。
陶隆房、大内義隆に見切りを付けて若山城にこもる。
1550年(天文19年)
元就、隠居先から逃亡のかどで吉川興経一族を根絶やしにする。
小早川本家家臣・椋梨景勝(舟木一夫)、家内の不平一派を粛正。
小早川当主繁平隠居。
隆景は繁平の妹・阿古姫(三船美佳)と結婚することで小早川本家の当主となる。
陶隆房、大内義隆に見切りを付けて若山城にこもる。
ドラマでは、舟木さん演じる椋梨景勝が忠誠を尽くしたことになっている小早川繁平について先にご紹介しておきます。
小早川繁平:天文11年(1542年)、小早川正平の長男として生まれる。
天文12年(1543年)、父・正平が大内義隆の出雲の尼子氏遠征(月山富田城の戦い)に参加し、大敗を喫して撤退するときに戦死したため、僅か2歳で家督を継いだ。しかし幼少のために政務を執れず、また病弱であった。このため、天文12年(1543年)から天文13年(1544年)にかけて尼子晴久の侵攻を受けるが、家臣団が結束して籠城し、これを撃退した。ところが、繁平は天文13年には病気のために盲目となったため(実は盲目ではなかったという説もある)家中の動揺を招いた。大内義隆は、病弱かつ盲目である繁平では尼子氏の侵攻を防ぐことはできないと判断。天文19年(1550年)、義隆と毛利元就が介入し、繁平が尼子氏と内通したとして、居城の高山城から追放してその身柄を拘禁した。これに反対する家臣・田坂全慶らは誅殺された。そして義隆は既に竹原小早川氏を継いでいた元就の3男・小早川隆景を繁平の妹と結婚させた上で、天文20年(1551年)に沼田小早川氏の家督を継がせた。こうして両小早川家は再統一されたが、2人の間には子供ができなかったため、桓武平氏流小早川本家の血筋は途絶えることになった。その後、繁平は毛利元就の計らいにより、剃髪して禅に帰依し、教真寺に入って余生を過ごした。天正2年(1574年)、33歳で死去。
天文12年(1543年)、父・正平が大内義隆の出雲の尼子氏遠征(月山富田城の戦い)に参加し、大敗を喫して撤退するときに戦死したため、僅か2歳で家督を継いだ。しかし幼少のために政務を執れず、また病弱であった。このため、天文12年(1543年)から天文13年(1544年)にかけて尼子晴久の侵攻を受けるが、家臣団が結束して籠城し、これを撃退した。ところが、繁平は天文13年には病気のために盲目となったため(実は盲目ではなかったという説もある)家中の動揺を招いた。大内義隆は、病弱かつ盲目である繁平では尼子氏の侵攻を防ぐことはできないと判断。天文19年(1550年)、義隆と毛利元就が介入し、繁平が尼子氏と内通したとして、居城の高山城から追放してその身柄を拘禁した。これに反対する家臣・田坂全慶らは誅殺された。そして義隆は既に竹原小早川氏を継いでいた元就の3男・小早川隆景を繁平の妹と結婚させた上で、天文20年(1551年)に沼田小早川氏の家督を継がせた。こうして両小早川家は再統一されたが、2人の間には子供ができなかったため、桓武平氏流小早川本家の血筋は途絶えることになった。その後、繁平は毛利元就の計らいにより、剃髪して禅に帰依し、教真寺に入って余生を過ごした。天正2年(1574年)、33歳で死去。
繁平は実在の人物ですので、史実としては上記のような資料となっていますが、椋梨景勝という架空の人物を繁平の側近として配することで、謀略と懐疑心の渦巻く殺伐とした戦国の世にあっても、「人が人を信じる」という希望や理想などを描きたいという制作者側の意図があったのだと思われます。そして、誰あろう舟木さんが、そういった役どころを得て見事に、制作者側の意図に応えられたことは、今さらながらですが本当に嬉しく的を射たキャスティングだったのだと、録画を観ながら拍手喝采を贈りたい気分でした。
本家沼田小早川家の重臣、椋梨景勝は、全身全霊で、忠義を尽くして守っている繁平の平穏を願い、小早川家の盤石を築くために、元就の三男小早川隆景(分家の竹原の養子)を当主にしようと考えていた。そのため、隆景に好意を抱いている繁平の妹の阿古姫と隆景との縁組を毛利家にもちかける。
毛利家当主の隆元は承知しようとするが、大殿の元就は小早川家の家臣団が一致して隆景を当主にするならいいが、反対者がいるな
ら断ると釘を刺す。反対派は粛清しろという元就の無言の圧力であった。景勝は、元就の冷徹な策謀を見抜き、一瞬たじろいだ表情を見せるが、小早川家の安泰を毛利家に託すしかないと、苦渋の決断をする。
小早川本家での評定場面。隆景を当主にという自分の考えを述べる景勝。そして、反対派は三人であることを確認すると、静かに立ち上がり、傍らの刀掛けから刀を取るや否や一瞬で三人を粛清した。この時の舟木さんの立ち居振る舞いと、太刀さばきの素晴らしさは、放映当時、大変な評判になったようです。
隆景が当主になることによって繁平は出家。椋梨景勝はこの時、自身の処置については、当主となった隆景に一任。勿論、家中を騒がせた責めは負う所存であると「切腹」も覚悟の上の英断でした。場面は変わって、介錯人が景勝の背後で長刀を構えて待っており、景勝の前には三宝に載った短刀が置かれています。アップになる短刀。鞘から抜いた短刀は・・・予期せぬことに驚く景勝の表情。介錯人の長刀は、空を斬って・・・
己を犠牲にして繁平を守り、また小早川家の安泰を隆景に託した景勝の忠誠心が、隆景の心を動かしたのか・・・
矢頭右衛門七も敦盛も、忠長も、当時の舟木さんならではの役だと思っていたのですが、25年という旅路を経ての大河ドラマで演じられた椋梨景勝もまた、舟木さんでなくては見せることができない潔さと強さと何よりも優しいまなざしが宿る実のある戦国武将であると思いました。ドラマでは、景勝は、この後もずっと繁平とともに生きていくことになります。しかし、繁平は、景勝の想いを既にしっかりと受け止めていました。もう昔の繁平ではなくなっていました。映像では、それまでは、いつも景勝の袖をつかんで離すことのできなかった繁平でしたが景勝とともに隆景の前で景勝が「切腹」も覚悟であると申し出たときには「一人でも生きていける。もう椋梨の袖は、つかんではいないぞ」とけなげに言い放ちます。その言葉を聴いた景勝は、天を仰ぐように顔を上に向けます。そしてそのまま顔を覆って男泣きに泣くのです。この時の景勝は、舟木さんそのもののように思えました・・演技ではなくご自身の想いをそのまま表現なさっているようだと私には思えました。景勝の優しさが繁平を甘やかしているかのように見えた視聴者もいたかもしれないと思いますが、優しさとは強さと真心に裏うちされた自己に厳しい者だけが持てるものだということを景勝は繁平に伝えきることができたのではないかという感動でした。
舟木さんが演じられた椋梨景勝という武将は戦国の世に在って、稀有な人物であったことは、リアルタイムでこのドラマをご覧になっていらした方は、どなたも感じられたことだろうと思います。私は、ご提供いただいた4回分の録画映像のみからでしか推し量ることしかできないのですが、当時の感想など、書かれたブログなどないかとネットで調べていたところ、とても「いい感じ」の資料にゆきあたりましたのでご紹介させていただきます。このドラマの放映から17年も経過していますので、転載させていただくサイト名が、今ではわからなくなっていて、この項の部分のみを見ることができる状態のようです。ブログ名かどうかわからないのですが「Risky*Drop」という記載がありますので、ご案内しておきます。
以下、ネット上の「椋梨景勝」について、舟木さんが演じられた椋梨景勝のイメージを端的に表現なさっている文章です。実際にテレビ放映の中でこのような場面があったのかどうか、御存知の方がいらしたらお教え下さい。
生まれたときから、世界は闇だった。
なにも見えない。なにもわからない。空の色も、花の色も、鳥の姿も。家族の顔も。そして、なによりも、いつも自分の傍らにいてくれる椋梨景勝の顔も……。
小早川繁平にとって、椋梨の存在は総てだった。
繁平は、なにもかもを椋梨から教わった。物の形、動き、流れ……そして、「色」。
暗黒の世界にいても、繁平が寂しさも不安も感じずにいられたのは、椋梨がいつも傍らにいてくれたからだ。椋梨がいてくれれば、繁平は家族もいらないと思ってさえいた。
どうせ、目が見えないことで、繁平を廃嫡扱いするような家族だ。
もっとも、繁平には家督になんの執着もない。こんな戦乱の時代に、家を継ぐのは厄介なことが多過ぎる。繁平は厄介なことも、争いごとも嫌いだった。
なにも見えない。なにもわからない。空の色も、花の色も、鳥の姿も。家族の顔も。そして、なによりも、いつも自分の傍らにいてくれる椋梨景勝の顔も……。
小早川繁平にとって、椋梨の存在は総てだった。
繁平は、なにもかもを椋梨から教わった。物の形、動き、流れ……そして、「色」。
暗黒の世界にいても、繁平が寂しさも不安も感じずにいられたのは、椋梨がいつも傍らにいてくれたからだ。椋梨がいてくれれば、繁平は家族もいらないと思ってさえいた。
どうせ、目が見えないことで、繁平を廃嫡扱いするような家族だ。
もっとも、繁平には家督になんの執着もない。こんな戦乱の時代に、家を継ぐのは厄介なことが多過ぎる。繁平は厄介なことも、争いごとも嫌いだった。
「鶯が啼いておりますな」
椋梨にそう言われて、繁平は頭を巡らせた。庭の方に顔を向けてはみたが、もちろんなにも見えはしない。頬を撫でる風がほんのりと温もって、春の訪れを教えてくれただけだ。
それでも、椋梨は繁平に「見えるもの」を語る。桜が咲いた。桜が散った。鳥が庭に来ている。空が晴れて、澄んだ青をしている。雪が降っている……繁平は、椋梨の口から季節の流れを知った。
椋梨は、繁平が「見えていない」からと、手を抜かない。いい加減なことはしない。蔑んだりもしない。毛利家からの養子を受け入れ、廃嫡扱いにされた繁平になどくっ付いて、尽くしたところでなんの得にもならないはずなのに。
椋梨は繁平の傍らにいる。私利も私欲もないのだろうか。押し退けてでも這い上がろうとは思わないのだろうか。だが、繁平はそんな椋梨が好きだった。
「お庭の松の木に……右から、三本目の、松の木でござります」
椋梨は、「見えない」繁平にもわかるように、細かく説明する。それで、繁平は「見えた」ような気分になれる
。庭がどうなっていて、どこに松の木があるかなど、よくはわかっていないのだが。椋梨の言葉で作り上げた自分だけの庭の映像がある。それがちゃんと「見えて」いる。
「傍まで参りましょうか?」
「傍まで?」
「さ、参りましょう」
椋梨は繁平の手を取った。
椋梨にそう言われて、繁平は頭を巡らせた。庭の方に顔を向けてはみたが、もちろんなにも見えはしない。頬を撫でる風がほんのりと温もって、春の訪れを教えてくれただけだ。
それでも、椋梨は繁平に「見えるもの」を語る。桜が咲いた。桜が散った。鳥が庭に来ている。空が晴れて、澄んだ青をしている。雪が降っている……繁平は、椋梨の口から季節の流れを知った。
椋梨は、繁平が「見えていない」からと、手を抜かない。いい加減なことはしない。蔑んだりもしない。毛利家からの養子を受け入れ、廃嫡扱いにされた繁平になどくっ付いて、尽くしたところでなんの得にもならないはずなのに。
椋梨は繁平の傍らにいる。私利も私欲もないのだろうか。押し退けてでも這い上がろうとは思わないのだろうか。だが、繁平はそんな椋梨が好きだった。
「お庭の松の木に……右から、三本目の、松の木でござります」
椋梨は、「見えない」繁平にもわかるように、細かく説明する。それで、繁平は「見えた」ような気分になれる
。庭がどうなっていて、どこに松の木があるかなど、よくはわかっていないのだが。椋梨の言葉で作り上げた自分だけの庭の映像がある。それがちゃんと「見えて」いる。
「傍まで参りましょうか?」
「傍まで?」
「さ、参りましょう」
椋梨は繁平の手を取った。
「この木にござります」
繁平は、椋梨の袖を握りしめたまま、ゆったりと庭を歩いた。新緑の生々しい春の匂いが、鼻腔を満たした。椋梨は、繁平の細い手を取り、松の木の幹に触れさせた。がさがさと毛羽立った渇いた手触りだった。これが松の木………。
ああ、そうだ。見えなくても、世界が闇のままでも、手で触れれば「見える」。手で触れられる範囲のものなら「見る」ことが出来る。遠いものは無理でも。近くのものなら。
そう。椋梨の顔なら……。
「この、上の方……」
繁平は、言いかけた椋梨の袖を引いた。
「繁平殿?」
「椋梨。頼みがある」
「は? なんでござりましょう?」
「儂はそちの顔が知りたい」
「顔、にござりますか?」
椋梨の声が怪訝そうな色を帯びた。当然だろう。繁平は「見えない」のだから。「見えない」のに、顔を知りたいなどと言われたら、訝しく思うのは当たり前だ。
「椋梨の顔など…」
「知りたい」
強く言い放ち、繁平は、椋梨の頬に触れた。椋梨の身体が微かに揺れたような気がした。
繁平は滑るように椋梨の顔を確かめた。その間中、椋梨は身動ぎひとつせず、されるがままになっていた。
「……かような顔をしておったのだな」
「つまらぬ顔でござりましょう?」
椋梨は微かに笑いを含ませた口調になった。
「つまらなくはない。つまらぬことはないぞ。椋梨。儂は、好きじゃ」
繁平は、椋梨の首に縋りついた。
やっとわかった。知ることが出来た。椋梨の顔を。美醜の判断はつけられない。が、繁平はたまらなく好きだと思った。
「繁平殿?」
たっぷりと春を含んだ風が頬を撫で過ぎた。
繁平は、椋梨の袖を握りしめたまま、ゆったりと庭を歩いた。新緑の生々しい春の匂いが、鼻腔を満たした。椋梨は、繁平の細い手を取り、松の木の幹に触れさせた。がさがさと毛羽立った渇いた手触りだった。これが松の木………。
ああ、そうだ。見えなくても、世界が闇のままでも、手で触れれば「見える」。手で触れられる範囲のものなら「見る」ことが出来る。遠いものは無理でも。近くのものなら。
そう。椋梨の顔なら……。
「この、上の方……」
繁平は、言いかけた椋梨の袖を引いた。
「繁平殿?」
「椋梨。頼みがある」
「は? なんでござりましょう?」
「儂はそちの顔が知りたい」
「顔、にござりますか?」
椋梨の声が怪訝そうな色を帯びた。当然だろう。繁平は「見えない」のだから。「見えない」のに、顔を知りたいなどと言われたら、訝しく思うのは当たり前だ。
「椋梨の顔など…」
「知りたい」
強く言い放ち、繁平は、椋梨の頬に触れた。椋梨の身体が微かに揺れたような気がした。
繁平は滑るように椋梨の顔を確かめた。その間中、椋梨は身動ぎひとつせず、されるがままになっていた。
「……かような顔をしておったのだな」
「つまらぬ顔でござりましょう?」
椋梨は微かに笑いを含ませた口調になった。
「つまらなくはない。つまらぬことはないぞ。椋梨。儂は、好きじゃ」
繁平は、椋梨の首に縋りついた。
やっとわかった。知ることが出来た。椋梨の顔を。美醜の判断はつけられない。が、繁平はたまらなく好きだと思った。
「繁平殿?」
たっぷりと春を含んだ風が頬を撫で過ぎた。
そして、最後に、もうひとつ、これは椋梨景勝ではなく、舟木さんご本人の素晴らしさを物語るようなエピソードを舟友さんからご提供いただきましたので、併せてご紹介します。
小早川隆景を演じた恵俊彰さんが、井上春忠を演じていた生瀬勝久さんのことを書かれた文章の中に舟木さんが登場なさっています。とっても舟木さんらしいと納得できる出来ごとが撮影中にあったのですね。ファンとしては本当に嬉しく、やっぱり舟木さんってどこにいらしてもどんな場面でもカッコいいんだとこちらの鼻が伸びてしまいます(笑)
小早川隆景を演じた恵俊彰さんが、井上春忠を演じていた生瀬勝久さんのことを書かれた文章の中に舟木さんが登場なさっています。とっても舟木さんらしいと納得できる出来ごとが撮影中にあったのですね。ファンとしては本当に嬉しく、やっぱり舟木さんってどこにいらしてもどんな場面でもカッコいいんだとこちらの鼻が伸びてしまいます(笑)
前略~こんな事件があった。NHKの大河ドラマ「毛利元就」で初めて生瀬さんと共演した時のことだ。確か軍議のシーンで何十人という役者さんがでていた。その中のある役者が台詞が言えなくなってしまったのだ。カメリハ、ランスルー、何回やってもちゃんと台詞が言えない。役者の皆さんにも妙な空気が流れ始めた。激しい軍議のシーンがある意味し~んとしてしまったのだ。生瀬さんは私のと隣に座っていた。そのシーンでは私も生瀬さんも台詞がない。それまで生瀬さんと喋った事はほとんどなかったが、私はしょうがなく何度か生瀬さんのほうを見た。生瀬さんは目を閉じてただじっと正座したままだ。再びリハーサルが始まったが、やはり同じであった。ついに、演出家が怒鳴ってスタジオに駆け込んで来て、問題の役者の前に座って「なにやってるんだ」ぼやぼやしてないで速く台詞を覚えろ!」と怒鳴りまくった。びくっとして生瀬さんのほうを見たら、生瀬さんはぴくりともせず、目を閉じて正座している。かっこいい。なんて気持ちの座った人だと思って感心した。その時だ。やはりそのシーンに出演していた舟木一夫さんが立ち上がってその現場にいた全員にこう言った。「役者さん、照明さん、技術さん、演出の皆さん、僕に十分だけ時間をください。」そしてその問題の役者さんの前に座って、「台詞が言えなくなるのは、皆同じだ。さあ、この十分の間に何処かに行って一人で台詞を覚えてきなさい。」とこう言ったのだ。これまたかっこいい。すると今度はフロアーさんがこう言った。「十分間休憩です。」何とかその場がおさまった。すごい現場だなと感心していたら生瀬さんが話しかけてきた。「一本いきません。」二人でタバコを吸いにスタジオを出た。生瀬さんはまだ真顔だ。タバコに火がつき一服して口から煙が出てくるのとほぼ同時に、「いや~、びっくりしましたね。どうなることかと思いましたよ。今日は台詞がなくてよかったな、かっこいいですね、舟木さん。」鼻から煙が出ていた。そして気持ち笑顔だった。ある意味完全にお客さんになっていた。その時この人とは友達になれると思った。心の中では私と同じようにどきどきしているのに顔には全く出ない。むしろ、堂々として見える。役者だ、そうだ生瀬さんは普段から役者なのだ。~後略
小早川隆景(元就の三男):恵俊彰さん
井上春忠(小早川家家臣):生瀬勝久さん
井上春忠(小早川家家臣):生瀬勝久さん