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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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「怪傑!!児雷也」~舟木一夫自作曲によせて その6 子どもの日にちなんで

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イメージ 15月5日、本日は「端午の節句」です。昨日まで爽やかな五月晴れの東海地方でしたが、ゆうべから小雨模様となっていて生憎の天候の「子どもの日」ですが・・・
右の切り絵は父の遺作の「鯉のぼりと菖蒲」です。なぜか、最近はあまり鯉のぼりを見なくなった気がします。立てるスペースがないからなんでしょうね。
 
ちょっと思いついて、舟木さんのご自作で、「子どもの日」に、かかわるようなものがないかと、考えてみたところ、さすが舟木さんの守備範囲の広さです、「こどもたちのヒーロー」の歌を書いていらっしゃいました。ペンネームすずきじろうで作詩をなさっています。
 
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この曲は、歌手生活15周年記念として7月2日から26日まで開催された日劇特別公演のお芝居「怪傑児雷也」(演出:岡本喜八)のテーマソング的なもののようです。シングルとしては、公演に先立って同年6月に発売されています(B面は「さくら仁義」)この当時のことは、私は全く存じ上げませんので、またしても大倉明氏の「青春賛歌」のお世話になります。
 
 
 
 
 
~大倉明著「青春賛歌」より一部抜粋~
昭和52年(1977)7月の東京は"歌手公演花盛り”の月になった。美空ひばりが6月から2ヵ月連続で新宿コマ劇場公演「富士に立つ女」、橋幸夫が明治座で「花の騎兵隊」、西郷輝彦が日劇でミュージカル「わが青春の北壁」、そして舟木は2日から26日まで、日劇でNHK[藍より青く」のヒロインを演じた女優・真木洋子を相手に「怪傑児雷也」で大暴れした。「怪傑児雷也」は「肉弾」「独立愚連隊」などの映画監督・岡本喜八が初めて舞台に挑んだものでガマガエルに大蛇を乗せて大暴れするシーンなどを劇画タッチのスペクタクルとして演出した。6月1日には、「すずきじろう」のペンネームで舟木自身が作詩した主題歌「怪傑!!児雷也」を出しているが、アニメ作家に作曲してもらおう渡辺宙明氏を起用した日本コロムビアのディレクター・矢部公啓は「社長に呼び出され「なんで子どもみたいな歌を作るんだ」と注意されたという。公演は一ヶ月の定期券を買って来る客がいたほど大盛況で、洒落の利いた主題歌も好評だったが、7月10日午後、公演中の舟木のもとに「父・栄吉が消化管出血のため、午後3時に東京・慈恵医大病院で亡くなったという知らせが届いた。舟木は昼の部を終えて病院に駆けつけ、取ってかえして夜の部をこなした。矢部は「歌の部では必死に涙をこらえていましたが、ファンもすでに知っていたようで辛いものがありました」、と振り返る。
 
イメージ 3怪傑!!児雷也  作詩:すずきじろう 作曲:渡辺宙明
http://www.youtube.com/watch?v=_liokbHv7cQ
上記の動画の映像は1921年公開「豪傑児雷也」と思われます。
 
走る走る走る走る 稲妻に乗りドロンロン
今日も来る来る 今日も来る来る
人か魔物か あれは児雷也
右手(めて)をかざして 切る九文字(くもんじ)に
妖気ただよう ガマが棲む
父母のうらみに 燃えたつ瞳
めざす仇は 大江戸の空
頑張れ頑張れ児雷也 敗けるな児雷也
 
響く響く響く響く 雷(いかづち)の中ドロンロン
駆けて来る来る 駆けて来る来る
人か魔物か あれは児雷也
銀の剣は 正義の光
続け愛する 綱手姫
結ぶ心に みなぎる力
敵をけちらせ 大蛇を倒せ
頑張れ頑張れ児雷也 敗けるな児雷也
 
2005年南座・菊之助さんの児雷也  ↓
 
イメージ 4荒ぶ荒ぶ荒ぶ荒ぶ 嵐をついてドロンロン
飛んで来る来る 飛んで来る来る
人か魔物か あれは児雷也
天地ゆるがす 変幻もよう
進め児雷也 悪を切れ
広い世界の 果てない空に
夢をつかんで 夜明けを告げろ
頑張れ頑張れ児雷也 敗けるな児雷也

児雷也とは (世界大百科事典より)
読本,合巻,歌舞伎,映画などで活躍する義賊的な怪盗。〈自来也〉とも。もとは中国の小説に登場する〈我来也(がらいや)〉で,襲った家には,〈我来也(われきたれるなり)〉と書き残す盗賊。これを翻案した読本《自来也説話(じらいやものがたり)》が出版されるや幻怪の構想が大いに人気を得,やがて合巻や歌舞伎などによって,蝦蟇(がま)の妖術を駆使して権力に立ち向かう児雷也像が,幕末から明治にかけての民衆世界に広く定着した。

私は、舟木さんの「児雷也」の舞台は、もちろん拝見できていないのですが、十年ほど前の2005年に京都・南座での歌舞伎公演を観劇しています。その時の、パンフレットがありましたので、「児雷也」について少し、掲載しておきます。この舞台には、9月の演舞場公演で天一坊をつとめられる尾上松也さんも出演なさっています。
 
歌舞伎 通し狂言 児雷也豪傑譚話
河竹黙阿弥原作、今井豊茂脚本、尾上菊五郎演出)
http://www.youtube.com/watch?v=Hj98yLVh5AI 
1分弱ですがこの時の歌舞伎公演の宣伝映像です
 
2005年3月 京都南座
児雷也:尾上菊之助
大蛇丸:尾上松緑
綱手:市川亀治郎
月影太郎照行/鹿六娘お辰:尾上松也
仙素道人:尾上松助
 
イメージ 10あらすじ
幕府の執権職に任じられた月影郡領は、武勇に優れた若者・大蛇丸を養子に迎える。しかし、実はこの大蛇丸こそ、この世を魔界にかえようと企む蛇の化身だった。その妖術に操られた郡領は、盟友である大名・尾形左衛門と松浦将監を滅ぼし、尾形の嫡子・雷丸と松浦の息女・綱手姫を谷底へ突き落とす。
しかし二人は仙人の仙素道人によって命を救われ、やがて成人した後、雷丸は児雷也という名と蝦蟇の妖術、綱手は蛞蝓の妖術をそれぞれ授けられる。そして大蛇丸の野望を打ち砕くため、その鍵となる名剣・浪切丸を求めて旅立つ。一方、成人した大蛇丸も今では月影家の主となり、絶大な権力を振るっていた。義賊となった児雷也は、一度は大蛇丸の妖術に破れるが、生き別れになっていた姉・あやめの犠牲によって力を取り戻し、浪切の剣を手に入れるため硫黄の噴出す地獄谷へと突き進む。後を追った大蛇丸との立ち回りの末、浪切の剣の霊力によって大蛇の本性は浄化され、緒方・松浦の家名再興も許されて、3人は国づくりに力を合わせることを誓い合う。
 
 
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今年9月に新橋演舞場で開催される「天一坊秘聞・八百万石に挑んだ男」のチラシの舟木さんの衣裳や舞台化粧を拝見していて、当時の「児雷也」の時のイメージと重なって見えてきたので、ちょっと並べてみます。
舟木さんの白いお衣裳の下から見えている黒いメッシュ状の下着(素網と呼ばれるもののようです)も刀の構えも、表情もとっても似てます・・もちろん同じ舟木さんなのですから当たり前か?(笑)
 
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・・・・とはいえ、三十代半ばの「児雷也」の時の舟木さんと、古希を間近にした「伊賀之亮」の舟木さんは、ほとんど変わらずにその佇まいと醸し出す空気感が、全く歳月を感じさせないことに驚かされます。
これが、本物のスターでありアイドルの理想的な在り様なのかも・・・私たちが遠いあの頃を思い出すことを可能にしてくれる姿かたち、そして雰囲気・・それを保ちづつけることのできている舟木さんってプロ中のプロ魂の持ち主だとあらためて感銘を受けます。
「子どもの日」にちなんだ、舟木さんの作った歌・・という切り口で思いついた記事なのですが、資料を探しているうちに、図らずも別の感動を覚えてしまいました(笑)
 
下の「ヒーローはいつも少年の憧れ」の記事は、手元にある「児雷也豪傑譚話」(南座/2005年)のパンフレット掲載の記事の全文です。松竹演劇部の演出家・水口さんのお名前が偶然にも「一夫」さんなのにもビックリ!(笑)

ここに出てくる「ヒーロー」たちに、憧れを抱た「最後の少年たち」の中に舟木さん(上田少年)もきっと含ま
れていることでしょう。子ども時代には、歌い手ではなく「チャンバラの役者」か「講釈師」になりかった。と
おっしゃっていますから、娯楽時代劇映画やラジオから流れてくる「講談」~お父上の萩原劇場では浪曲や講談もかかっていたそうですし~に、上田少年も「胸を熱く」なさったのでしょうね。
イメージ 11
 
舟木一夫となってから、舞台で数多くのヒーローを演じて来られた舟木さんが、15周年記念曲として出そうとなさった「怪傑!!児雷也」・・・当時のコロムビアの社長から「こどもみたいな歌」とダメ出しがあったというエピソードを知ると、芸能にかかわる表現者にとって「こども心」~かのミヒャエル・エンデの大ヒット小説「果てしない物語」の舞台となっていたファンタージェンの国の女王様の名前も「幼ごころの君」です(笑)~というものがいかに大切で生涯その「子ども心」を失わずにいられるのかを教えられるような気がします。
いつまでも「少年」のような純な魂を思い出させてくださる舟木さんの佇まいは、何より私たちの憧れの的です。
 

ヒーローはいつも少年の憧れ   水口一夫  2005年3月 京都南座パンフレットより
 
イメージ 7今の子供たちが「ハリー・ポッター」「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公に憧れるように、僕たちの少年期は、忍術を使うヒーローに憧れた。印を結び一瞬にして煙と共にドロンと姿を消す。空を飛ぶ。他のものに姿を変える。あんな風に術を使えたらいいのにと真剣に思ったものだ。少年雑誌に”君にも出来る忍術虎の巻”などといううさんくさい付録でも付こうものなら、発刊日を待ちかねて買いに走ったものだ。
字を読める人が人口に占める割合を識字率というが、江戸時代の日本は世界でもトップクラスの率を誇っていた。武士階級は全て、庶民でも京都、江戸、大坂の大都市になると七割、当時のロンドン市民の新聞購読率が四割であったというから、その高い水準がわかる。かならず、八、九才になると寺子屋・手習所といった初等教育機関に入門という当時のシステムが、この識字率の高さにつながっているのだ。
文化文政それに続く幕末期に、錦絵、読本、草双紙の類が、庶民のサブカルチャーとして一斉に花開くのは、その知的水準の高い土壌があったからだ。大坂では、六十軒の貸し本屋が営業していたという記録があるし、江戸、京でも同様であった。人気の草双紙は、三日間のみ貸し出す、三日切という処置が取られたほど、大衆の中に浸透していた。草双紙合巻という出版物は、平仮名書き、全冊挿絵入りの読み物で、現今で云えば、絵本、劇画ということになろうか。大人の読み物が「女子供」にも楽しめる読み物になったのがこの合巻である。滝沢馬琴の「八犬伝」、中国の四大奇書の一つ、百八人の豪傑が終結する「水滸伝」の翻案、その「水滸伝」を日本にしかも女性に置き換えた「傾城水滸伝」、お馴染みの悟空が活躍する「西遊記」。これらの作品と前後して「児雷也」は、まず。文化三年(1806)に感和亭鬼武作になる読本「自来也説話」が出版、翌年には大坂角の芝居で劇化され、市川團蔵の自来也で大当たりを得た。今回の黙阿弥の舞台は、天保十年(1839)美図垣笑顔作、歌川国貞画で刊行された「児雷也豪傑譚」が基である。表紙絵は、当時のスター岩井紫若、三世尾上菊五郎の似顔で飾られ、ベストセラーになった。この「児雷也」は明治元年(1986)まで、ガマの児雷也、大蛇の大蛇丸、ナメクジの綱手、いわゆる三すくみの妖術や全国の名所を背景にした手に汗にぎるスペクタクルで作者をリレーしながら四十三篇まで続いた。
この舞台化されたスーパーヒーロー児雷也は、石川五右衛門や鶴屋南北の天竺徳兵衛に想を得たもので、その後、女に書き換えた「女児也(にょらいや)」、「児雷也」ものの講談本へとその系譜が続く。
映画草成期、”目玉の松っちゃん”こと尾上松之助は、1000本を超える映画を撮った、日本映画最初の大スターだ。なかでも「児雷也」は、今から見ると、極々単純な映画のトリックだが、消えたり現れたりの「児来也」の妖術シーンに子供たちは熱狂したという。
明治末から大正にかけては、講談本の一種、立川文庫の英雄たちが少年の胸を熱くした。「猿飛佐助」「霧隠才蔵」の真田十勇士、「荒木又右衛門」「宮本武蔵」の剣豪物、「国定忠治」や「清水次郎長」の侠客もの、「水戸黄門」「大岡越前」の武家物、枚挙にいとまのないほど、時代劇のヒーローの宝庫であった。
 
昭和50年に国立劇場で通し狂言として復活上演され
尾上菊五郎がタイトルロール児雷也をつとめた↓
 
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菊五郎さんが菊之助時代に主演をなさったNHK大河ドラマ「源義経」では、舟木さんは平敦盛・・・どこまで行ってもしっかりそのフィールドの広さゆえ繋がっていく舟木さんってスゴイです。
 
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ちなみに、映画「忍術児雷也」(
1955公開)で主演の児雷也を演じたのは、後に名女形として歌舞伎舞台で活躍なさった四代目中村雀右衛門さんです。当時の芸名は大谷友右衛門。
                
 
舟木さんは、佐々木小次郎にも深い憧れと想いがおありだったようですが、友右衛門さんは、1950年代に、映画「佐々木小次郎」でも主役の小次郎を演じていらっしゃいます。もしかしたら舟木さんは、子ども時代に、その小次郎を御覧になっているかも・・・?

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