5月31日の「新橋演舞場シアターコンサート」から一ケ月近くが経ちました。
バラから菖蒲、紫陽花、くちなし、と盛りの花が変わり、そろそろ木槿(むくげ)も咲き始めています。
6月は、関東、東北での「青春歌謡BIG3」が6会場で開催され、来週月曜日の6月30日には、舟木さんの地元の名古屋に、やっと「青春歌謡BIG3」がやってきます。私としては、一ヶ月ぶりに舟木さんに逢えるのでワクワクしています。
上野公園・不忍池ごしに弁天堂を臨む↑
不忍池の弁天堂
恋仲の2人がそろって弁天様を拝むと、「弁天様が嫉妬して、別れさせる」との言い伝えがあるそうです。
この後に行った湯島天神に関わりのある泉鏡花作「婦系図」の中にも不忍池の弁天様が登場します。
この後に行った湯島天神に関わりのある泉鏡花作「婦系図」の中にも不忍池の弁天様が登場します。
せっかく、東京まで行くのですから、やっぱり「舟木さんを探すさんぽ径」も楽しみたいと思い立ち、いろいろ考えて、時間的にもムリなく回りやすいコースを組んでみました。
以前から、ずっと行ってみたいと思っていた場所があります。「四ツ谷若葉町」です。
6月は舟木さんのデビュー月でもあるので、萩原町から上京されて、最初に住んでいらしたという四ツ谷若葉町界隈も訪ねてみることにしましたので、最後にご紹介しますね。
では、タイトルにも掲げたように、楽しんで来た歌舞伎や落語などのことも少しだけ紹介しながら、「さんぽ」の行程をたどってみます。
上野公園・不忍池からスタートします。
西條八十の「かなりや」の歌碑↓
「かなりや」の詩は大正七年秋不忍池畔にあった上野倶楽部というアパートの一室を仕事部屋にしていた西條八十が朽葉散る上野の山東照宮のあたりを逍遥しているうちに得られた名作である。わが国の芸術童謡興隆の機縁となったこの作誕生の地を記念して之を建てた。
不忍池に面して建っている歌碑の裏側に回ってみると上記のような歌碑建立の由来が刻まれていました。
昭和三十五年四月 西條八十会
不忍池の蓮は見頃が終わり、咲き残りがチラホラ↓
さて、上野公園を後にして向かったのは、舟木さんともご縁の深い新派でも有名な「婦系図」の舞台となった湯島天満宮(通称:湯島天神)です。
湯島天神は、高台にあって、男坂、女坂、そして夫婦坂(一番後で名付けられた)と境内への入り口が色々あるのですが、女坂から登って行きました。
サブちゃん(北島三郎)書のこんな石碑もありました
夏越の祓
犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という。
犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という。
茅草で作られた輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って穢れを祓うもの。
もちろん、くぐってきました。なんせ、穢れ多き人間なもので・・三回では足りなかったかも(汗)
湯島天神での舟木さん探しは、舟木さんも歌っていらっしゃる「湯島の白梅」は外せませんね。
1978年5月発売「アルバム・舟木一夫ふれんどコンサート」収録
流行歌「湯島の白梅」は、1942(昭和17)年7月公開の東宝映画「婦系図」(泉鏡花原作、マキノ正博監督)の主題歌として作られた。
湯島の白梅
作詩:佐伯孝夫、作曲:清水保雄
湯島通れば 想い出す
お蔦(つた)主税(ちから)の 心意気
知るや白梅 玉垣(たまがき)に
残る二人の 影法師
忘れられよか 筒井筒(つついづつ)
岸の柳の 縁むすび
かたい契りを 義理ゆえに
水に流すも 江戸育ち
岸の柳の 縁むすび
かたい契りを 義理ゆえに
水に流すも 江戸育ち
青い瓦斯燈(がすとう) 境内を
出れば本郷 切通(きりどお)し
あかぬ別れの 中空(なかぞら)に
鐘は墨絵の 上野山
出れば本郷 切通(きりどお)し
あかぬ別れの 中空(なかぞら)に
鐘は墨絵の 上野山
瓦斯灯
「湯島の白梅」の歌詩中に、「青い瓦斯(ガス)燈」が登場する。湯島天神境内にはかつて五基のガス灯があったという。日本に於けるガス灯の歴史は横浜の実業家、高島嘉右衛門が興したガス会社が1872年(明治5年)に横浜の馬車道や本町通りなどに灯したガス灯に始まる。その後、高島は東京銀座にもガスの灯を灯し、1885年(明治18年)には東京府瓦斯会社(現在の東京ガス)が設立されている。やがて電気の光に取って代わられるまでの短い期間、ガスの灯は“文明開化”の象徴として東京の夜を照らしたのだ。湯島天神のガス灯は、使われなくなってからも、そのうちの一基だけが長くその姿を残していたが、それも1965年(昭和40年)に撤去されてしまった。現在の湯島天神境内に、東京ガスの協力を得てガス灯が設置されている。点灯する屋外のガス灯は東京都内で唯一のものだそうだ。ガス灯は男坂上の鳥居横に設置されており、傍らに文京区観光協会による解説板が立てられている。(文京区「佳景探訪」サイトより)
「湯島の白梅」の歌詩中に、「青い瓦斯(ガス)燈」が登場する。湯島天神境内にはかつて五基のガス灯があったという。日本に於けるガス灯の歴史は横浜の実業家、高島嘉右衛門が興したガス会社が1872年(明治5年)に横浜の馬車道や本町通りなどに灯したガス灯に始まる。その後、高島は東京銀座にもガスの灯を灯し、1885年(明治18年)には東京府瓦斯会社(現在の東京ガス)が設立されている。やがて電気の光に取って代わられるまでの短い期間、ガスの灯は“文明開化”の象徴として東京の夜を照らしたのだ。湯島天神のガス灯は、使われなくなってからも、そのうちの一基だけが長くその姿を残していたが、それも1965年(昭和40年)に撤去されてしまった。現在の湯島天神境内に、東京ガスの協力を得てガス灯が設置されている。点灯する屋外のガス灯は東京都内で唯一のものだそうだ。ガス灯は男坂上の鳥居横に設置されており、傍らに文京区観光協会による解説板が立てられている。(文京区「佳景探訪」サイトより)
「新派」碑由来 ↑
この「新派」の記念碑は新派劇創立九十年を迎えた昭和五十二年十一月一日松竹株式会社と水谷八重子氏により新橋演舞場玄関脇に建てられました。新派の始まりは明治二十一年十二月自由党壮士角藤定憲が同志を集め大阪の新町座で「大日本壮士改良演劇会」の旗揚げをしたのが起源とされています。風雪はげしい九十年ではありましたが 今日「劇団新派」として隆盛を見ましたその先人たちの労苦を偲び併せて今後の精進を誓うべく記念碑の建立を見た次第です。
そして新橋演舞場の改築にあたり当湯島天神様のご好意により新派とは深い縁で結ばれております当湯島天神様のご境内に移させていただいたものです。なお、碑の題字は作家の川口松太郎氏の揮毫により設計は舞台美術家の中嶋八郎氏です。
左側の梅樹は昭和三十一年新派の名優故花柳章太郎氏の献木によるもので奇しくも記念碑と献木が同じこの場所に並んだ次第です。
この「新派」の記念碑は新派劇創立九十年を迎えた昭和五十二年十一月一日松竹株式会社と水谷八重子氏により新橋演舞場玄関脇に建てられました。新派の始まりは明治二十一年十二月自由党壮士角藤定憲が同志を集め大阪の新町座で「大日本壮士改良演劇会」の旗揚げをしたのが起源とされています。風雪はげしい九十年ではありましたが 今日「劇団新派」として隆盛を見ましたその先人たちの労苦を偲び併せて今後の精進を誓うべく記念碑の建立を見た次第です。
そして新橋演舞場の改築にあたり当湯島天神様のご好意により新派とは深い縁で結ばれております当湯島天神様のご境内に移させていただいたものです。なお、碑の題字は作家の川口松太郎氏の揮毫により設計は舞台美術家の中嶋八郎氏です。
左側の梅樹は昭和三十一年新派の名優故花柳章太郎氏の献木によるもので奇しくも記念碑と献木が同じこの場所に並んだ次第です。
昭和五十四年四月二十六日
婦系図
文豪・泉鏡花が1907(明治40)年、1月1日から4月28日「やまと新聞」に連載。
1908年(明治41年)の伊井蓉峰、喜多村緑郎による初演以来、新派の代表作のひとつになっている。
この小説には、鏡花が神楽坂の芸者桃太郎(本名:伊藤すず)と同棲したものの、それを文学の師・尾崎紅葉から反対されて、やむなく別れたことがあるという(後に正式に結婚)実体験が反映されているという。
文豪・泉鏡花が1907(明治40)年、1月1日から4月28日「やまと新聞」に連載。
1908年(明治41年)の伊井蓉峰、喜多村緑郎による初演以来、新派の代表作のひとつになっている。
この小説には、鏡花が神楽坂の芸者桃太郎(本名:伊藤すず)と同棲したものの、それを文学の師・尾崎紅葉から反対されて、やむなく別れたことがあるという(後に正式に結婚)実体験が反映されているという。
平成二十年、新橋演舞場での公演ポスター→
主税:片岡仁左衛門 お蔦:波乃久里子
主税:片岡仁左衛門 お蔦:波乃久里子
新派の「婦系図」で有名な、湯島天神社で、早瀬主税がお蔦と交わすセリフ。
主税:月は晴れても心は闇だ。お蔦、何も言わずに別れてくれ。
お蔦:切れるの別れるのって、そんな事は芸者の時に云うものよ。……私にゃ死ねと云って下さい。
お蔦:切れるの別れるのって、そんな事は芸者の時に云うものよ。……私にゃ死ねと云って下さい。
実は、このセリフは、原作にはなかったもので、明治41年(1908)9月、新富座で初演された際、脚色者の柳川春葉とお蔦を演じた喜多村緑郎が二人で付け加えたものだそうです。
しかし、泉鏡花はこの脚色が大変気に入り、大正3年(1914)に、この別れの場面だけを一幕物の脚本「湯島の境内」として書き下ろしています。
しかし、泉鏡花はこの脚色が大変気に入り、大正3年(1914)に、この別れの場面だけを一幕物の脚本「湯島の境内」として書き下ろしています。
泉鏡花の筆塚もあります。
筆塚
「婦系図」の作者である泉 鏡花の「筆塚」も昭和十七年に、里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられました。
筆塚
「婦系図」の作者である泉 鏡花の「筆塚」も昭和十七年に、里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられました。
梅の花ではなく、ちょうど梅の実の季節で、既に熟し切った大きな梅の実がいっぱい落ちていました。
シロップ漬けにしたら美味しいのに、あのまま捨て置かれるのか、とっても気になりました。
シロップ漬けにしたら美味しいのに、あのまま捨て置かれるのか、とっても気になりました。
神田神社(通称:神田明神)
神田祭をおこなう神社として知られる。神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。
ここでも夏越祓の茅の輪くぐりがありました。
境内ではくちなしの花が香っていましたが、もう盛りを過ぎて終わりがけのようでした。
くちなしのバラード
作詩・作曲:万里村由紀子
(1968年1月発売)
http://www.youtube.com/watch?v=RYtfXi8vP5c
http://www.youtube.com/watch?v=RYtfXi8vP5c
(kazuyanさんの動画で)
ひそやかなためいき 小さくひとつ
ひそやかな花の香に 小さくきえた
君のその手は とてもつめたいけど
なにもいわずに ぼくにあずけて
見つめていようよ 白いくちなしの花
ひそやかな花の香に 小さくきえた
君のその手は とてもつめたいけど
なにもいわずに ぼくにあずけて
見つめていようよ 白いくちなしの花
ひそやかな花かげに かすかにだいた
ぼくの心に 鐘がなってる
なにもいわずに いついつまでも
見つめていようよ 白いくちなしの花
ひそやかなまなざし やさしくひとつ
ひそやかな花びらに やさしくゆれた
君のその目は 夜霧にぬれたけど
なにもいわずに そっとよりそい
見つめていようよ 白いくちなしの花
ひそやかな花びらに やさしくゆれた
君のその目は 夜霧にぬれたけど
なにもいわずに そっとよりそい
見つめていようよ 白いくちなしの花
銭形平次の碑
野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公・銭形平次が当神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、敷地内の本殿右手横に「銭形平次の碑」がある。
(向かって右の小さな石碑は八五郎)
銭形平次
作詩:関沢新一
作曲:安藤実親
←銭形平次の碑建立発起人
平次親分の碑に御挨拶をして、JR御茶ノ水駅前でちょっとお茶してから、舟木さんの「第二の故郷・四ツ谷」に向かいました。
~舟木さんを探すさんぽ径~上野/湯島/神田から四ツ谷若葉町へ(中)につづきます~