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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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舟木さんを探すさんぽ径~上野/湯島/神田から四ツ谷若葉町へ(中) 

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~舟木さんを探すさんぽ径~上野/湯島/神田から四ツ谷若葉町へ(上)のつづき~
 
いよいよ、舟木さんの第二のふるさとである四ツ谷に到着!
その前に、直接舟木さんには関わりはありませんが、今回の上京で楽しんだあれやこれやを、写真で軽くアップしておきます。舟木さんがなかなか出てこなくて申し訳ありませんが、しばらく御辛抱の上、お付き合い下さいね。
 
先ずは渋谷BUNKAMURAのシアターコクーンで開催の「コクーン歌舞伎・三人吉三」観劇
 
あらすじ(歌舞伎美人HPより)
 
節分の夜、同じ吉三の名を持つ三人の盗賊が出会い、義兄弟の血盃(ちさかずき)を交す・・・
僧侶崩れの和尚吉三(六代目中村勘九郎)、振袖姿のお嬢吉三(中村七之助)、浪人のお坊吉三(尾上松也)。数奇な運命に導かれ翻弄されながらも、がむしゃらに命を賭して生きる三人。
名刀「庚申丸」と「百両の金」が様々な人の手を巡りもたらす悲劇の連鎖・・・
流麗な七五調のせりふと刹那的な美しさが溢れ出し、幕末の混沌として退廃的な世相を汲み取った黙阿弥の美の世界が弾け出す。若いエネルギーが躍動し、ジャンルを超えた個性豊かな俳優たちが集結する熱い舞台。
 
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新宿末廣亭 六月下席
 
大好きな柳家小三治師匠が夜の部の主任。いつものように、二階席(桟敷)最前列から拝見しました。枕は、ボーリングのおはなし。若い頃、女性プロ並木恵美子さんに2点差で勝った216点の腕前がいまでは100点にとどかないというお話をとっても嬉しそうに話されて、そんなところがなんとも大らかで魅力的です。
 
 
大好きなバイクも50代から出てきたリウマチのために、できなくなった。今でもバイクにはとっても乗りたいとおっしゃってました。この日の演目は、十八番「野ざらし」
http://www.youtube.com/watch?v=EPTuY8D3giw (若い頃の「野ざらし」)
 
 
次は歌舞伎です。お目当ては片岡仁左衛門さんの7ヶ月ぶり復帰のお姿です。
 
イメージ 6歌舞伎座 六月大歌舞伎
 
昼の部の「お祭り」鳶の頭のみのご出演でしたが、お孫さんの千之助くんとの共演でお元気な姿が拝見できて本当に安心しました。
 
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イメージ 12イメージ 11新宿二丁目・道楽亭 
古今亭文菊の会「文菊乱れ咲き」
 
ラストは新宿末廣亭や新宿御苑のすぐ近くにある「新宿二丁目・道楽亭」。個人の落語愛好家の方で、数多くの落語会を企画・主催なさっていて落語会の終演後には、出演された噺家さんも交えた懇親会にも参加できるというお楽しみもあります。古今亭一門の若手有望株(既に、浅草芸能大賞新人賞はじめ多くの賞を受賞されている)である古今亭文菊師匠の会に寄せていただきました。
演目は「七段目」「藪入り」
 
 
イメージ 13さて、長らくお待たせしました。
舟木さんの第二の故郷・四ツ谷若葉町界隈のさんぽの様子をご報告します。
 
JRお茶ノ水駅から乗車したので、先ずは、四ツ谷駅の「麹町口」から改札をでました。
舟木さんがデビューの一年前の五月に上京して、上智大学のグラウンドが見える土手で歌の練習をしていたということでしたので、その土手を歩いてみることにしました。
 
以下の地図は舟友さんから、頂戴しました。すぐれものの地図で、この地図のおかげで無事「舟木さんを探すさんぽ」ができました。感謝を込めて、ありがとうございました。
 
四ツ谷・若葉町付近の詳細な地図
 
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先ずは、上智大グラウンド土手へ 
 
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~四ツ谷付近は外濠に面しているので、上智大学の前などは青々とした土手になっています。
その土手の下が、外濠だったのですが、数年前に埋められて、いまは運動場になっています。
しかし、散歩にはもってこいの土地と申せましょう。
夜になると、舟木君は、歌をうたいながら、土手の付近をよく散歩するのでした。

イメージ 15土手の向こうには、今は国会図書館になっている赤坂離宮の立派な建物も見えます。
舟木君は、未来の歌手を夢みながら、一心に歌をうたっていたのです。~
(近代映画1963年11月号より)
 
土手下のソフィア通りを歩くと・・・
聖イグナチオ教会の入り口と上智大学正門が
 
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       上智大学土手は鬱蒼とした桜の並木道↓
 
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上智大土手上からグラウンドと丸の内線が見える↓
 
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 ←この土手は紀尾井町のニューオータニまで続く
 
 
 
 
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手をニューオータニまで歩いて、階段を下りると紫陽花満開のニューオータニの駐車場(裏側?)らしきものがあって、そこから再び四ツ谷駅にUターン。尾張名古屋藩屋敷跡の石碑。そして、なぜこのあたりを「紀尾井町」と呼ぶようになったかの看板もありました。
 
    ~「紀」=紀州徳川家、「「尾」=尾張徳川家、「伊」=彦根藩井伊家~
 
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紀尾井町の名前の由来
江戸時代に坂の北側には尾張徳川家(現在は上智大学)、南側に紀州徳川家(現在は清水谷公園やグランドプリンスホテル赤坂)、彦根藩井伊家(現在はホテルニューオータニ)の屋敷があったことから、一字ずつ取って紀尾井坂と呼ばれるようになる。周辺の紀尾井町という町名もこの坂に由来する。また、これらの大名の城下町だった和歌山・名古屋・彦根の3都市をまとめて「紀尾井」と呼ぶこともある。
 
イメージ 24土手下のソフィア通りを歩いて、四ツ谷駅に戻って四ツ谷見附橋を赤坂口方面に渡ると、地下鉄丸ノ内線の駅があります。駅から迎賓館方面に歩いていくと、上智大のグラウンドの向こうに、さっき歩いた土手ごしに上智大や聖イグナチオ教会の建物が見えます。
 
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丸ノ内線ホームから見た聖イグナチオ教会、上智大学↑
(写真の左下は地下鉄車両の端っこ)
 
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↑地下鉄・四ツ谷駅と ←JR四ツ谷駅の赤坂口は隣接
 
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右の写真のバス停は、今はなくなったようですが、代わりにタクシー乗り場があって、この写真と照らし合わせると、そのあたりが、このバス停のようです。
 
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アップにしたバス停の写真の元画像が左の画像です。この写真の道路の様子と、私が撮影した写真↑の道路の様子が木立の具合から照合してるように思います。
この道路をもう少し進んでいくと右斜め方向が迎賓館です。
 
 
 
迎賓館と言えば・・・「その人は昔」のロケ現場です。
 
 
下の写真は私の撮影ではないですが上の道路を先に進んだところの信号機で、遠景に迎賓館が見えます。正面玄関は、この信号を右に渡ると真っ直ぐ前に見えます。
 
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以下の写真は、私の撮影です(ポンコツ携帯カメラなのですみません)高い木立の真ん中に迎賓館の正面玄関が見えます。
 
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迎賓館正門前あたり
http://www.youtube.com/watch?v=31lFiBP3QVs その人は昔「予告編」
 
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 ←迎賓館前の若葉東公園
 
このあたりで、ロケの撮影の合間に休憩している舟木さん、洋子ちゃんの写真もどこかで見たような記憶があります。
 
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 この付近にもくちなしの花が咲いていました。
 
くちなしの花 作詩:水木かおる  作曲:遠藤実
(kazuyanさんの動画です)
 
 
「その人は昔」は、四ツ谷駅ホームでの撮影もあったんですね。
http://www.youtube.com/watch?v=yY1ClZVYP-4  その人は昔「劇中歌・感じが良かったよ」
 
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  ←赤坂口側の道路から見た地下鉄四ツ谷駅のホーム
   四ツ谷駅ホームで待ち合わせ、カズオを見つけたヨウコの笑顔ですね
 
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迎賓館から四谷見附の交差点に引き返して、お待ちかねの若葉町へと・・・・
 
イメージ 4537年5月に上京して最初に住んだのは、四ツ谷・若葉町一丁目のアパート・青葉荘。六畳、三畳間の二部屋に、ホリプロダクションのマネージャー。阿部勇と同居、いわば下宿生活だった。
そこからほど近い聖イグナチオ教会の丘や上智大学グラウンドの土手で夜な夜な歌の練習をし、西荻窪の遠藤実のもとへ、毎週レッスンに通った。
そんな健気な姿に、地元商店街の住人たちが町ぐるみの応援をしてくれた。銭湯・梅の湯の主人・田中喜一は番台の横に<当浴場でご入浴の皆さん、舟木一夫君に御声援を・・私たちの身近なこの若葉町内から未来の大スター舟木一夫君が歌謡界にデビューしました>と手書きの大きな貼り紙をし、毎月のテレビやラジオの出演スケジュール表を掲示した。また、町内に住む演劇評論家安藤鶴夫や読売巨人軍応援団長・関矢文栄などの心強い後押しもあった。
四ツ谷・若葉町は舟木一夫にとって忘れ難い「第二の故郷」になった・・・~
(芸能生活40周年記念写真集舟木一夫青春の旅人マガジンハウス編)より
 
 ~舟木さんを探すさんぽ径~上野/湯島/神田から四ツ谷若葉町へ(下)につづきます~

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