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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その1「瞼の母」(下)

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~舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その1「瞼の母」(中)↓~ のつづきです。
 
舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その1「瞼の母」(中)をアップしたのが6月22日でした
ので、早くも、既に、半月ほどが経過してしまいました。
上京して、舟木さんのデビュー当時のお住まいの四ツ谷若葉町さんぽ、また、名古屋での「青春歌謡BIG3」のステージのご報告をしたり、つい先ごろは大阪メルパルクでの後援会主催コンサート「風 アダルトに」のれぽをアップしたりで、すっかり間が空いてしまいましたが、再び、このテーマにおつきあいいただけたら幸いです。
 
イメージ 1・・・と云いつつ、一日遅れですが、昨晩は七夕でした。生憎の空模様だったので、織姫と彦星の年に一度のデートは成らずだったようですが、気分だけでも「七夕」ということで、舟木さんのご健康とご活躍をお祈りしたいと思います。
 
 
しあわせの星二つ 
作詩:富山紫峰 作曲:上原げんと
(1964年6月発売)
http://www.youtube.com/watch?v=94aUP79HxZs(kazuyanさん作の舟木さん55周年応援動画より)
 
こがね しろがね 七いろかざり
ゆれて きらめく 花模様
虹のトンネル ゆきかう人の
ああ ちょいと
顔も 顔もあかるい 七夕まつり
 
 
 
イメージ 2昏(く)れて絵のよな 銀河の岸へ
おもいとどけよ 笹かざり
はずむ話も ロケット旅行
ああ ちょいと
若い 若い二人の 七夕まつり
 
淡いあこがれ おさない夢に
書いて 結んだ あの色紙
竹の青さも 瞼に浮かぶ
ああ ちょいと
遠い 遠いふるさと 七夕まつり
 
 
 
 
イメージ 12イメージ 13
                                                                                                                                                                                 
                                                                                    
 
 
 
 
 
 
                                                                        
イメージ 3織姫音頭  作詩:城ゆたか 作曲:森一也
1964年6月発売/しあわせの星二つB面)
http://www.youtube.com/watch?v=3-DHDdXGRUQ
                     2011年発売復刻版CD→ 
尾張よいとこ機織(はたおり)どころ ハイハイ
春はますみだ 春はますみだ 桃花(とうか)祭 ソレ
さっさ踊ろよ 織姫音頭
ほんに世界の糸の町
サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
 
花の吹雪か 七夕祭り ハイハイ
染めて五色の 染めて五色の 一の宮 ソレ
さっさ踊ろよ 織姫音頭
ほんに世界の糸の町
サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
 
 
イメージ 4故郷(くに)の妹へ便りに添えた ハイハイ
紅葉錦の 紅葉錦の ニュールック ソレ
さっさ踊ろよ 織姫音頭
ほんに世界の糸の町
サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
 
木曾の流れでみがいた肌は ハイハイ
粋ないぶきの 粋ないぶきの 雪よりも ソレ
さっさ踊ろよ 織姫音頭
ほんに世界の糸の町
サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ
 
娘心を七重に八重に ハイハイ
織って自慢の 織って自慢の 生地の良さ ソレ
さっさ踊ろよ 織姫音頭
ほんに世界の糸の町
サテ サテ サテ ヨイヤ サッサ

 
イメージ 5
 
 
さて、「瞼の母」の最終章に入りま~す。
恐縮ですが、もう一度、「瞼の母」(中)でご紹介した袴田氏の書かれた「「瞼の母」の”事実と実”」(平成十七年4月30日~5月24日 新橋演舞場「瞼の母 二幕」舟木一夫特別公演 パンフレット 掲載)という文面にもどり、それに関連した内容ついて「瞼の母」(下)では、書きすすめていきたいと思います。
 
イメージ 6以下、先に「瞼の母(中)」で、御紹介した袴田氏の文面の抜粋を再度掲載します。↓
 
~その現実との”結末”の違いから、作者の判断で、一時上演されなかったという話も伝わっている。また、大詰の演出も今行われているもののほかに、忠太郎が母と妹を追っていく、あるいは再会した三人が手を取り合おうとするところで幕になる脚本も実際に書かれ、上演されたことがある。~
 
★以下は、長谷川伸ご自身の生き別れの母との再会についての経緯と事実の参考メモです
(ウイキペディアより)
 
<母との別れ>
神奈川県横浜市(日ノ出町)の土木業の家に生れる。実母は横浜市泉区の出身だが、夫の暴力・放蕩が原因で、伸が3歳のとき家を出る。後年『瞼の母』の主題となる母との再会を果たした。
 
                                                     2012年大阪松竹座「瞼の母」中村勘九郎さんと坂東玉三郎さん↓
 
イメージ 7<「瞼の母」との再会>
1934年(昭和8年)、たった一度だけ劇場の廊下で出会ったある夫婦の妻から手紙が届く。封を開ける前に「母親の居所がわかったのだ」という啓示があったという。手紙を読み終えると「熱海に行く」と妻・七保に言い残し、ひとり家を出る。誰もいない温泉に入り、湯から出ようと立ち上がったとき突然滂沱の涙があふれ、翌日まで部屋で呆然と過ごしたのち、帰京後、母と会うことを決心。牛込にある母親の再婚先を訪ね、再会を果たす。異父弟の三谷隆正(法学者)、三谷隆信(官僚)とも面談する。この再会を朝日新聞の記者がすっぱ抜き、新聞紙上を賑わせた。

ここでは、袴田氏も書かれていますが、その「幕切れ」の本来の脚本と、脚本とは異なった脚本を併せてご紹介します。読み比べてみて下さい。

イメージ 8「瞼の母」幕切れの描写
春日局まとめ:「長谷川伸傑作選 瞼の母」(国書刊行会)より~
 
忠太郎との突然の再会に驚き、今の自分の立場や娘お登世の気持ちなどを慮って、心ならずも忠太郎に酷い言葉で「愛想尽かし」をした母おはまだったが、忠太郎が去って、お登世から「兄さんを呼び戻す」ようにと嬉しい言葉で説きふせられて、おはまとお登世が荒川の土手まで、忠太郎を追いかけます。
しかし、心傷ついた忠太郎は、既に母への情愛よりも反抗心が強くなってしまっており、ふたりの呼び声が聴こえても物陰に身を隠してふたりをやり過ごし、反対の方に向かって歩き出します。そこに、忠太郎を斬ろうと追いかけてきた素盲(すめくらの)金五郎がやってきて斬り合いになります。そして、ラストシーンです。

 
  ←1993年博品館劇場での初演「瞼の母」
 
 
 
 
 
イメージ 9<一般的に上演されている本来の脚本> 
(舟木さんの演じられた「瞼の母」も以下のものです)
忠太郎「お前の面あ思い出したぜ。(斬る気になり、考え直す)お前、親は。
金五郎「(少し呆れて)何だと、親だと、そんなものがあるもんかい。」
忠太郎「子は。」
金五郎「無え。」
忠太郎
(素早く斬り仆し、血を拭い鞘に納め、斜めの径を歩き、母子の去れる方を振り返りかけてやめる)
 朝の真赤な光が映(さ)す、忠太郎、その光に背いて、股旅の路に踏み出す。船頭歌、遥かに聞こえる。
 「降ろうが照ろうが、風吹くままよ。東行こうと、西行こと。」(船頭歌)-完-

また、これに続いて「異本」として以下の荒川堤の幕切れの二つの戯曲も、同書巻末に併記されていました。
 
<異本(一)>
金五郎の「何?親だ?そんなものがあるもんかい」を承けて・・・
忠太郎「この野郎、そんなものと吐かしやがる、やい、子はあるか。」
金五郎「子だと、そんな者。」
忠太郎「ねぇな。無えんだな。」
(素早く斬り仆し、血を拭い鞘に納め、母子の去れる方を振りかえる)
 朝の真赤な光が映(さ)す、忠太郎、その光に背いて踏みだし、佇む。船頭歌、遠く聞こえる。
 「降ろうが照ろうが、風吹くままよ。東行こうと、西行こと。」(船頭歌)
忠太郎(一たび去ったが、その絶叫が聞こえる)おッかさぁん・・・(駆け来たる)おッかさあん・・・おッかさあん・・・おッかさあん。(おはま母子のあとを追う)
 
<異本(二)>
異本(一)の幕切れに、忠太郎の絶叫「おッかさあん」で駆け戻り「おッかさあん」と一つ二つ続ける、その
あと・・・
おはま・お登世(呼ぶ声を聞きつけ、引き返し来たる)
忠太郎(母・妹の顔をじっと見る)
おはま(全くの低い声)「忠太郎や。」
お登世(低い声で)「兄さん」
忠太郎(母と妹の方へ、虚無(こむ)の心になって寄ってゆく)
おはま・お登世(忠太郎に寄ってゆく)
 双方、手を執り合うその以前に幕降りる

これらの二つの異本は現在の舞台では採用されず、忠太郎は「股旅の路に踏み出す」という幕切れであることの理由は、評論家・川本三郎氏の著書「時代劇ここにあり」で言及されている「ダーティー・ヒーロー」論で展開されている「股旅物のヒーロー論」と重なり、私にも納得できるものだったので、少しですが抜粋してご紹介します。
 
イメージ 10「彼らがダーティー・ヒーローなのは自分が汚れた人間であると自覚しているからなのだ。斬りたくない男を斬った。かたぎの生活を捨てた。そうした罪責感からついに逃れることが出来ない。追っ手からは逃れることは出来るかもしれない。しかし、汚れの意識からはどこまでゆこうが逃れることは出来ない。」(川本三郎著「時代劇ここにあり」2005年平凡社刊)より

たとえ、夢にまで見た母や、心やさしい妹と暮らすことができたとしても、忠太郎の心の闇や汚れの意識は拭い去ることはできないでしょう。平穏な肉親との日々を、この先、過ごすことなどできるはずもないと忠太郎にはわかっていたのだと思います。ただ、「瞼の裏にくっきりと映し出される母」、その母に一目逢いたいという気持ちだけで、長い年月探し求めていた「おッかさん」だったのです。ヤクザの道に入り、人を殺め、傷つけてしまった過去を引きずったままの自分が、母や妹と心穏やかな日常に戻れるはずはないのです。
 
 
 
「罪の意識、罪責感」の自覚を強く抱いていることへの共感・・・現代において、手を汚さずして非道の限り
を尽くし、その罪の意識すら葬り去っているような人間の存在を私たちは、どこかで気づいているはずです。
「ダーティー・ヒーロー」は、自分自身の背負った「業」や「贖罪」を誰よりも深く意識し、だからこそ「人並み」な生き方、暮らし方に背を向けているのですから、視点を変えれば、大きな「悪事」「罪」の中に埋没して、己の罪に目を向けることすらない人種への限りない批判であり、告発でもあるのではないでしょうか。
 
舟木さんがこのような長谷川伸作品を、そのライフワークのような形で数多く舞台にかけられる想いの中にはそのような「ダーティー・ヒーロー」への共感もおありなのではないかという気がしています。
 
イメージ 11

舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その1「瞼の母」(完)

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