「瞼の母」に続いては、長谷川伸の出世作と言える「沓掛時次郎」についてご紹介したいと思います。
「沓掛時次郎」ダイジェスト版
長谷川伸作の戯曲。題名は主人公、信濃・沓掛宿の博徒の名からとった。一宿一飯の義理から博徒の三蔵を斬り。その身重の女房おきぬと一子・太郎吉のために足をあらってつくそうとする。原作は昭和三年「騒人」に発表された。以後、股旅物の傑作として新國劇や新歌舞伎で上演、数度にわたり映画化もされている。
まずは、舟木さんのセリフ入り「沓掛小唄」からお楽しみくださいね。
この若き日の舟木さん歌唱の「沓掛小唄」は、物哀しく、また長谷川伸が股旅者へ寄せた強い共感やある種、憐憫とも感じられる温かく優しい思い遣りの心が読みとれます。
そして、このアルバム録音当時の舟木さんが抱えはじめていらしたであろう「深い闇」のような苦悩が渡世人の心の闇と重なり胸に沁みます。今の堂々たる歌唱とは違う、青年らしいナイーブさの漂う舟木さんが、沓掛時次郎の世界をどのように感じ、その想いを表現しようとなさったかに私の想いを馳せて聴いています。
このたび、舟友のkazuyanさんが、この曲を素晴らしい動画芸術作品に仕上げて下さいました。心よりの感謝を込めてご紹介させていただきます。本当にありがとうございました。
kazuyanさんのブログでもご覧になれます。
沓掛小唄 作詩:長谷川伸 作曲:奥山貞吉 編曲:山路進一
(アルバム「渡世人~舟木一夫三度笠を歌う」収録 1972年)
(アルバム「渡世人~舟木一夫三度笠を歌う」収録 1972年)
~セリフ~
渡世うちで、サイの目は「一天地六、向こう四の二に前五、三」と呼ばれていやすが、特に四と九の目が嫌われるのは、死と苦に通じるからでございやしょう。
一度踏み込んだら、容易に抜けられねぃこの世界で、死とぎりぎり背中合わせで苦しむのもヤクザなら任侠道に男の意地を立派に張るのもヤクザです。
まぁしかし、どっちを取ってみても、渡世人とはお天道さまも仰げないバカな人間の見本のようなものでございやしょう。
渡世うちで、サイの目は「一天地六、向こう四の二に前五、三」と呼ばれていやすが、特に四と九の目が嫌われるのは、死と苦に通じるからでございやしょう。
一度踏み込んだら、容易に抜けられねぃこの世界で、死とぎりぎり背中合わせで苦しむのもヤクザなら任侠道に男の意地を立派に張るのもヤクザです。
まぁしかし、どっちを取ってみても、渡世人とはお天道さまも仰げないバカな人間の見本のようなものでございやしょう。
1999年初演時の舟木さんの時次郎です↓15年前ですね。
人情からめば涙ぐせ
渡り鳥かよ旅人ぐらし
あれは沓掛時次郎
来るか時節が 時節は来ずに
今朝も抜け毛が数をます
今度(また)の浮世は男でおいで
女とかくに苦労がち
今朝も抜け毛が数をます
今度(また)の浮世は男でおいで
女とかくに苦労がち
千両万両に枉(ま)げない意地も
人情からめば弱くなる
浅間三筋の煙の下で
男沓掛時次郎
人情からめば弱くなる
浅間三筋の煙の下で
男沓掛時次郎
舟木さんの沓掛時次郎公演記録です。
・1999年5月14日~6月15日
「沓掛時次郎」全国29会場でツアー公演
・2001年8月2日~24日
・2001年8月2日~24日
「沓掛時次郎」東京・新橋演舞場
・2002年11月1日~24日
・2002年11月1日~24日
「沓掛時次郎」京都・南座
以下に、2001年の新橋演舞場公演のパンフレットで、「沓掛時次郎」や長谷川伸作品について語る舟木さんの言葉を一部抜粋して掲載しています。
新橋演舞場パンフレットより
2001年8月2日~24日上演
沓掛時次郎 舟木一夫&玉置宏トークショーより (一部抜粋)
~平成十三(2001)年七月九日 フォーシーズンズホテル椿山荘 東京にて~
玉置:「沓掛時次郎」は、前に一度やっていらっしゃいますよね。
舟木:そうです、全国公演でやらせていただきました。今回で長谷川伸先生の作品は三作目なんです。「瞼の母」「雪の渡り鳥」そして「沓掛時次郎」
玉置:どうですか?今回の「沓掛時次郎」は。
舟木:潤色・演出の榎本滋民先生とは一度「薄桜記」でご一緒させていただきました。今回の打ち合わせでは「お前さんで沓掛を正論に戻したい」とおっしゃられて。今まで映画や舞台でたくさん上演されていて、原作に加えていろんな話が挿入されたりカットされたりと、いっぱい話がある。僕も前回やったときには相当脚色しましたから。ですからそれを長谷川伸作品に一回戻すと。
玉置:つまり、原作に忠実に原点に戻すということですね。
舟木:そうなると、たとえば音でいうと、洋楽はいっさい使わないで和楽でいこうと、前回は洋楽でしたから。じゃあ、どういう風に舞台をつないでいくのか、いろんな民謡を使うとか。
玉置:なるほど。そういうところから考えていくんですね。
~中略~
~中略~
舟木:先日準備稿を読ませていただきました。僕はすごく好きなんです。お客様が自由に発想を広げる場が多いネ、いわゆる辛(から)い本です。やくざものの芝居は、主役は粋でなくてはならないからよけいなことをできるだけ言わないんですが、セリフへのこだわりかたも全然違う。たとえば「おい、そこを通せ」というセリフがあったとします。それが、「おい、そこを通せい」になる。イントネーションも全然違って、粋になる。
玉置:セリフまわしっていうのは、これは大変なことだと思います。
舟木:個性というのを、やる役者がどうとるか。一つには沓掛時次郎はそれこそいろんな役者がやっていて、そういう方たちと全く違うものをやるんだと考える。もう一方では、僕みたいに古典というか、名作劇場だと解釈する。長谷川作品のセリフ回しというのは、このセリフはこのイントネーション以外に考えられないというものが随所にあるんですよ。
「このイントネーション以外には考えられないというもの」(春日局の独断と偏見で一例をセレクトしました)
配役 沓掛時次郎:舟木一夫/おきぬ:長谷川稀世/三蔵:林与一ほか
・家の中の三蔵に向かっての仁義
「勝負は一騎打ち。 他人の交ぜなしで、潔よういたしとうござんす」
「勝負は一騎打ち。 他人の交ぜなしで、潔よういたしとうござんす」
・他人交ぜなしで潔く・・と始めた一騎打ちに、手柄を目当てに斬り込んでくる百助、半太郎に向かって
「思いも怨みもねぇ人と命の取りっこするのは、付き合いの義理があるからだ。 引っこんでろい!」
「思いも怨みもねぇ人と命の取りっこするのは、付き合いの義理があるからだ。 引っこんでろい!」
・時次郎と三蔵の一騎打ちの隙を狙いおきぬと太郎吉を襲う百助、半太郎に向かって
「女房子供を斬ってどうするんでえ。ばくち打ちは渡世柄付いて廻る命のやり取り、こいつは渡世に足を踏込んだ時からの約束事だ。が、女房子供は別ッこだ。いけねぇ、いけねぇ。斬らせるもんけぇ!」
「女房子供を斬ってどうするんでえ。ばくち打ちは渡世柄付いて廻る命のやり取り、こいつは渡世に足を踏込んだ時からの約束事だ。が、女房子供は別ッこだ。いけねぇ、いけねぇ。斬らせるもんけぇ!」
・横蔵一家の追手を逃れ、時次郎の追分節とおきぬの三味線で暮らしをたてている
「時次郎:太郎坊の物もだが、おきぬさんも薄着だねえ」
「おきぬ:あたしよりお前さんこそ薄着だ。まだ袷と単衣だけでしょう」
「時次郎:何をいうんだ。沓掛の時次郎は日本中飛び歩いた男だ。寒中真ッ裸でもくらせる奴さ。さ、行こう」
「時次郎:太郎坊の物もだが、おきぬさんも薄着だねえ」
「おきぬ:あたしよりお前さんこそ薄着だ。まだ袷と単衣だけでしょう」
「時次郎:何をいうんだ。沓掛の時次郎は日本中飛び歩いた男だ。寒中真ッ裸でもくらせる奴さ。さ、行こう」
上記のおきぬとのやりとりの場面のあたり、舟木・時次郎の唄う信濃追分節が心に沁みます・・・
小諸出てみろ 浅間の山にヨー
今朝も煙が 三筋立つ
碓氷峠の あの石車ヨー
誰を待つやら くるくると
浅間山さん なぜ焼けしゃんすヨー
裾に三宿(追分) 持ちながら
今朝も煙が 三筋立つ
碓氷峠の あの石車ヨー
誰を待つやら くるくると
浅間山さん なぜ焼けしゃんすヨー
裾に三宿(追分) 持ちながら
この信濃追分といえば・・・舟木さんがまだデビュー間もない頃のアルバム「若い民謡」に収録されたこの曲を思い出します。
小諸馬子唄
(1965年 アルバム「舟木一夫と若い民謡」収録)
小諸出て見よ 浅間の山にヨー
けさも煙が 三筋立つヨ―
けさも煙が 三筋立つヨ―
ここはどこだと 馬子衆に問えばヨー
ここは信州 中仙道ヨー
ここは信州 中仙道ヨー
浅間山から 出てくる水はヨー
雨も降らぬに ささにごりヨー
雨も降らぬに ささにごりヨー
以下は、2001年8月2日~24日「沓掛時次郎」東京・新橋演舞場公演の際の演劇評論家の水落潔氏による文です。
(同公演パンフレットより一部抜粋)
~前略~
今年の春、舟木は松尾芸能大賞を受賞した。不遇を撥ね退けてカムバックし、以前にも勝る活動を続け、歌手としても俳優としても円熟した境地に達した功績が評価されたのである。その席で、今年は何を演じるのですかと聞いたところ、「長谷川伸先生の『沓掛時次郎』です。長谷川先生の作品は好きですし、こんなギスギスした時代だからこそ、先生の温かい人情の世界が大事なのだと思います。それを多くのお客さんに見てほしいのです。」と答えた。
今年の春、舟木は松尾芸能大賞を受賞した。不遇を撥ね退けてカムバックし、以前にも勝る活動を続け、歌手としても俳優としても円熟した境地に達した功績が評価されたのである。その席で、今年は何を演じるのですかと聞いたところ、「長谷川伸先生の『沓掛時次郎』です。長谷川先生の作品は好きですし、こんなギスギスした時代だからこそ、先生の温かい人情の世界が大事なのだと思います。それを多くのお客さんに見てほしいのです。」と答えた。
一宿一飯の義理からやくざの喧嘩の助っ人になり六ッ田の三蔵を斬った沓掛時次郎は、三蔵の最期の頼みによって三蔵の女房おきぬと一子太郎吉の身を引き受ける羽目になる。時次郎はそれをきっかけにやくざの足を洗い、身重のおきぬと共に流しの芸人になって旅を続ける。しかし、おきぬの出産が近づき金が要る。
その後の展開は舞台にまかせるとして、作者がこの作品で描いているのは、秘めた愛の美しさである。貧しい人間がいたわり合い、身を寄せて生きていく姿の健気さである。
長谷川伸は、若い時、今でいう建設業をしていた父の下にやってきた夫婦連れをモデルにしたと書いている。
愛していながらおきぬに指一本触れようとしない時次郎の純愛は、利と欲にまみれた今の世の中には見られない崇高な輝きに満ちている。この作品は股旅物とよばれるやくざを主人公にした作品である。しかし。やくざ礼賛の芝居ではない。作者はこうも言っている。
「股旅者も武士も町人も、姿は違え同じ血の打っている人間であることに変わりはない。政治家の出来事も、行商人の生活も、これに草鞋を履かせ、腰に一本長脇差を差させれば、股旅物になるのである。」(長谷川伸「ある市井の徒」)舟木一夫によって、長谷川伸の人間ドラマが現代にうつくしく蘇ることであろう。
「沓掛時次郎」を演じた方は、舟木さんに縁の深い長谷川一夫さんはじめ、数多くいらっしゃいますが、私は存じ上げなかったのですが、大川橋蔵さんも、沓掛時次郎をテレビ映画と歌舞伎座の舞台公演で演じていらっしゃるので、ここでご紹介させていただきます。おきぬはテレビでは山本陽子さん、舞台では香山美子さんが演じられました。ご周知のように、香山さんは平次の妻のお静を第209話から最終回の第888話まで演じられましたね。
テレビ映画「時代劇スペシャル」
(1981年4月~1984年3月)
記念すべき第一回作品。林与一さんは、この作品でも六ッ田の三蔵を演じていらっしゃいます。
出演
大川橋蔵(沓掛時次郎) 山本陽子(おきぬ) 加瀬悦孝(太郎吉) 林与一(六ッ田の三蔵)
大川橋蔵「沓掛時次郎」 演劇評論家 萩原雪夫
(歌舞伎座 大川橋蔵特別公演 パンフレットより抜粋)
テレビの「沓掛時次郎」の撮影に際して、橋蔵は、”銭形平次“のイメージが出ないように床山(かつら)、衣装、照明のほかスタッフを全部一新して出演した。その結果はてきめんで、時次郎からは平次の面影を感じさせなかったという人が多く、ファンから舞台でも上演してくれるようにとの要望が相次ぎ、今日の上演になったものである。実際、橋蔵の沓掛時次郎は平次とは違って、躾のしまった精悍な感じ、甘さの中に男性的な匂いと哀愁がただよって、さすがに橋蔵ならではの時次郎を見せて大成功をおさめたのである。こんど歌舞伎座での上演が決まってから、橋蔵は相手役の香山美子と共にわざわざ信州の沓掛を訪れて役作りに備えたり、劇中でうたう古調”信濃追分“のけいこをするなど、この舞台に打ち込んでいる。
では、信州沓掛のイメージを・・・・(画像はネット上のものを拝借させていただきました。)
長倉神社境内
長野県北佐久郡軽井沢長倉
1953(昭和28)年5月に当時の沓掛商工会が中心になって建立された。
沓掛は現中軽井沢のかつての名称。
沓掛時次郎の碑は、長倉神社境内の湯川寄りにあるそうです。
剣には強いが、義理と人情にはからきし弱い沓掛時次郎という人物像が歌に込められています。
沓掛時次郎の碑
~千両万両枉げない意地も、人情搦めば弱くなる 浅間三筋の煙の下で 男 沓掛時次郎~
「長谷川伸 書」
~舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その2「沓掛時次郎」(下)につづきます~