~舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その2「沓掛時次郎」(上)のつづきです~
(新橋演舞場パンフレットより 2001年8月2日~24日上演)
沓掛小唄 作詩:長谷川伸
(1972年アルバム「渡世人~舟木一夫三度笠を歌う)
意地の筋がね 度胸のよさも
人情からめば涙ぐせ
渡り鳥かよ旅人ぐらし
渡り鳥かよ旅人ぐらし
あれは沓掛時次郎
背のびしたとて 見えぬを知りつ
せずにいられずまた背のび
生まれ故郷は遥かな空よ
思うお方も百里先
来るか時節が 時節は来ずに
今朝も抜け毛が数をます
今度の浮世は男でおいで
今度の浮世は男でおいで
女とかくに苦労がち
ただ照るばかりじゃ 罪つくり
泣いた別れは 忘れも出来よ
泣いた別れは 忘れも出来よ
なまじ泣かれぬ命とり
千両万両に枉(ま)げない意地も
人情からめば弱くなる
浅間三筋の煙の下で
浅間三筋の煙の下で
男沓掛時次郎
映画「沓掛時次郎」主題歌 昭和四年流行・・とある長谷川伸作「沓掛時次郎」を収めた「婦人倶楽部」(昭和十一年正月号付録「童謡・唱歌・流行歌全集」の志村立美画伯描く男の画像が、ものごころつく頃から、こびりつくまでになじんでいたのだから、かなりませた餓鬼だったことになるが、私にとっての時次郎は、舞台・映像の諸名優に先んじて、こんな面輪だったというすりこみがなされていたことになる。
今度、舟木一夫座長の志望を聞いて、至極当然と了承したのは、この志村立美画伯描く面輪に切ってはめた印象だったことにもよる。
今度、舟木一夫座長の志望を聞いて、至極当然と了承したのは、この志村立美画伯描く面輪に切ってはめた印象だったことにもよる。
古典歌舞伎で役者の適性・風格を示す「仁(にん)」という複雑微妙な用語があるがこの「仁」が舟木時次郎にぴったりなのである。それだけに、舟木座長に、舞台・映像の諸名優のすぐれたイメージにいささかも牽制されない、いわばまっさらの時次郎を造形させたいと協力を応諾した。
あふれるスター性におごらず、役作りにきびしい努力家のことだから、原作者がご覧になったら必ず合格点を下さる筈だが、なおなお洗い上げて空前にして絶後の時次郎に仕立ててやりたいと思っている。
それが、無断上演をとがめもなさらず、御祝儀まで与えたりなさり、この切り株に時次郎が腰をかけて草鞋の紐を結び直したなどというひどい伝聞にまで、にこにこをうなずかれたという巨匠の、寛容きわまりない慈父の温顔の奥にある厳父の人間観に迫る報恩の努力ではないだろうか。
それが、無断上演をとがめもなさらず、御祝儀まで与えたりなさり、この切り株に時次郎が腰をかけて草鞋の紐を結び直したなどというひどい伝聞にまで、にこにこをうなずかれたという巨匠の、寛容きわまりない慈父の温顔の奥にある厳父の人間観に迫る報恩の努力ではないだろうか。
長谷川伸の描く「ダーティーヒーロー」~そのシンボルともいえる沓掛時次郎
長谷川伸は、子どもの頃に実家(横浜の材木商)が破産したため、小学校は二年までしか行けず、その後長く下積みの生活を送った苦労人である、そこで様々な「かたぎの生活」を見た。作家という人間もまた、かたぎの生活を横から見ながら作品を作り上げていくやくざでしかないと思っていた。長谷川伸の描く股旅物がどこか暗いのはこの負の意識のためである。
股旅物の主人公をダーティー・ヒーローと呼ぶのは彼らが単にやくざであるから、裏街道を生きているからというだけではない。彼らがダーティー・ヒーローなのは自分が汚れた人間であると自覚しているからなのだ。斬りたくない男を斬った。かたぎの生活を捨てた。そうした罪責感からついに逃れることが出来ない。追っ手からは逃れることは出来るかもしれない。しかし、汚れの意識からはどこまでゆこうが逃れることは出来ない。(「時代劇ここにあり」川本三郎著 平凡社)より
明治生まれの庶民階級出身であり、幼少時から苦労して育った長谷川作品の主題は、封建的世界の中で懸命に生きる人々の義理・人情・意地を描くことである。その主題が最も端的に現れたものが、いわゆる“股旅物”だろう。“股旅”とは“旅から旅を股にかける”という意味の長谷川伸の造語であり、“股旅物”とは、やくざや流れ者が、いわゆる一宿一飯の義理に従って人を殺めたりしつつも不器用ながら懸命に生きる姿や、彼らに関わる女性や子どもなど社会的弱者の悲哀を描く物語である
(「時代劇専門チャンネル」ガイドブック 股旅のヒーローたち)より
(「時代劇専門チャンネル」ガイドブック 股旅のヒーローたち)より
沓掛時次郎 あらすじ(新橋演舞場パンフレットより 2001年8月2日~24日上演)
上総の国、木更津、賭場の間違いから島送りになっている中ノ川一家の親分喜兵衛への義理でこの界隈の縄張りを今は、ひとり守っている六ッ田の三蔵は、小湊の横蔵一家に命を狙われていた。三蔵は女房おきぬと息子太郎吉とともに逃げ仕度をしていたが、鎮守の森では、三蔵を始末しようと横蔵一家の百助や半太郎たちが集まっていた。
信州沓掛生れの時次郎も、中ノ川一家には何の遺恨もないが、一宿一飯の恩義からその助っ人に加わっていた。
百助たちは、時次郎に手柄を取られまいと時次郎を邪魔にして、三蔵の首をとろうとしたが、三蔵の必死の抵抗で意気地なく引き下がった。張り番をしていた時次郎は、一人残り、三蔵に仁義をきった後、一騎討ちの勝負を挑んだ。
百助たちは、時次郎に手柄を取られまいと時次郎を邪魔にして、三蔵の首をとろうとしたが、三蔵の必死の抵抗で意気地なく引き下がった。張り番をしていた時次郎は、一人残り、三蔵に仁義をきった後、一騎討ちの勝負を挑んだ。
~ここでの、時次郎と三蔵の仁義のきりあい他、なんとも気持ちのいいセリフが、たくさんあるので原作より抜粋します~
時次郎:もし六ッ田の三蔵さん。おいでなさいますかえ。
三蔵:六ッ田の三蔵はまだおります。何でござんす。
時次郎:あっしは旅にんでござんす。一宿一飯の恩があるので恨みもつらみもねえお前さんに敵対する信州沓掛の時次郎というくだらねえ者でござんす。
三蔵:左様でござんすか。手前もしがない者でござんす。ご叮嚀なお言葉で、お心のうちは大抵みとりまするでござんす。
時次郎:お見上げ申しますでござんす。勝負は一騎打ち。(三人のほうを顎で示し)他人交ぜなしで潔くいたしとうござんす。
三蔵:お言葉、ありがとう存じます。
時次郎:やいやい、女、子どもに何をしやがる、そんな法ッてえのがあるかい。女房、子どもを斬ってどうするんでぃ、博打うちは渡世柄ついて回る命のやりとり、こいつは渡世に足を踏み込んだ時からの約束事だ。が、女房子供は別ッこだ。いけねぇ、いけねぇ、斬らせるもんけぇ。
時次郎は、博打打ちは女房子供は別だと憤然と彼らに刃を向けていった。三蔵は力を振り絞って百助と半太郎に向かっていき、追い払った。
時次郎:おかみさん、怪我はござんせんか。
おきぬ:ええ(太郎吉を抱きしめる)
時次郎:子供も怪我はござんせんでしたかい。
太郎吉:わぁ(泣く)
おきぬ:ええ。(さらに太郎吉を抱きしめる)
時次郎:それはようござんした。(三蔵をみて)いけねぇ、とても手は届くめぇ。おかみさん、お困りでござんしょう。お察しもうします。・・・だが・・・この渡世を知って夫婦になったんでござんしょうから冗(むだ)なお追従は抜きにしておきます。ご免なさっておくんなさいまし(出ていく)
おきぬと太郎吉を救った時次郎はいったん、三蔵の家を後にしたが、太郎吉の泣き声が耳について引き返してきた。
致命傷を負った三蔵は苦しい息の下から、時次郎を男と見込んで女房子供の行く末を頼み、息を引きとった。
時次郎はきっぱりと引き受け、三蔵の髷を懐に入れたおきぬと太郎吉とともに逃れていく。
時次郎はきっぱりと引き受け、三蔵の髷を懐に入れたおきぬと太郎吉とともに逃れていく。
おきぬ:返事に窮している
時次郎:おじさんは悪い人さ。だがね、もう悪かねえよ。
太郎吉:だっておじさんはちゃんを斬ったろう。
時次郎;勘弁してくれ。
太郎吉:だけど、おっかさんやおいらを助けてくれた。
時次郎:坊や、そう思ってくれるかい、ありがとう。
時次郎は三蔵との約束から義理堅く母子の面倒を看ていたのであった。三蔵の子を身ごもっているおきぬをいたわり、太郎吉を励ましながら時次郎は来年の春桜が咲くころに生まれる三蔵の子のためにも貯えをしようと追分節を歌うのだった。
その冬も過ぎ、春の訪れとともに、おきぬは三蔵の子を産み落とす時が迫り、木賃宿の床に伏していた。しかし、おきぬの三味線のない追分節だけではろくな稼ぎもなく宿代も滞りがちだったは宿の主人夫婦は時次郎の男気に惚れこみなにかと親切にしてくれた。その宿へ、たまたま太郎吉を見かけた百助と半太郎が踏みこんできたが宿の女主人のおろくがたちふさがって啖呵をきり追い払ってくれた。
そんな時に、時次郎は宿の主人の安兵衛に、一両という金の入る仕事があると・・・しかし、それは博打うちの喧嘩出入りの助っ人の仕事。安兵衛は、一度は話をもってきたが、やはり、どうしたものかと躊躇する。しかし、おきぬの出産が迫り、生まれてくる子どもの産着も用意できないことを思うと気が気でなかった時次郎は、助っ人を引き受けることを決心する。「追分節」を歌う仕事と偽って、宿を後にする時次郎。
おきぬは時次郎が二度と戻ってこないのではと思い不安がるが、時次郎は、必ず帰ってくると約束し、喧嘩場へと馳せ参じていく。
以下は、原作にはない部分です。長谷川伸の原作の時次郎はこのお芝居の時次郎よりも硬派といえましょう。女性ファンの多い舟木さんならではの「舟木・時次郎」の甘い場面です。
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別れ際に、時次郎は、肌身離さず身につけていた沓掛神社のお守りをおきぬに渡します。
「そんな大切なものを・・・」と、受け取りかねるおきぬ。
「おめえさんは、大事にお産をしなくちゃいけねぇ」と時次郎
互いに「言いたいことがある」と・・・しかし、胸に秘めた言葉をのみこむふたり、時次郎がこの仕事から帰ってから・・・とその想いを心に秘めたまま今生の別れとなることも知らずにいるふたりの哀れさ…
「そんな大切なものを・・・」と、受け取りかねるおきぬ。
「おめえさんは、大事にお産をしなくちゃいけねぇ」と時次郎
互いに「言いたいことがある」と・・・しかし、胸に秘めた言葉をのみこむふたり、時次郎がこの仕事から帰ってから・・・とその想いを心に秘めたまま今生の別れとなることも知らずにいるふたりの哀れさ…
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喧嘩場の立ち回りの切れ味の良さ、颯爽とした姿・・・一転して、おきぬさ~ん!、太郎吉ぃ~ッ!・・と駆けだす舟木・時次郎の情と優しさ・・・その落差に柔と剛を内包した舟木さんの男の魅力がほとばしります・・・
時次郎の働きはめざましく、たちまち勝負はついた、安兵衛が約束の一両をおきぬに届けるために宿に向かい、
時次郎も後から、駆けつけたが、その時、すでにおきぬはお腹の子とともに、もうこの世のものではなかった。
おきぬの初七日が過ぎて、時次郎はおきぬの骨箱を抱えた太郎吉と二人旅に出た。
第二幕 第五場 宿外れの路傍
時次郎と太郎吉がしばらく足休めをしているところに、またしても時次郎を殺そうと、百助と半太郎が斬りかかってきた。
太郎吉が時次郎にしがみつき、「おじちゃん やめて!」と斬り合いの間に入って時次郎をとめる.。時次郎は、太郎吉の真剣な表情に驚き、茫然とするが、我にかえるそして、二人を斬らず、「命はたったひとつ、大事(でえじ)に使えぃ!」と二人を逃がす。去っていく二人。時次郎、太郎吉におきぬの骨箱を抱えさせてやる。
太郎吉:おじちゃんはこれからどうするの?
時次郎:おれはな、鋤鍬(すきくわ)でも手にして、まっとうなくらしをしようと・・生まれ故郷の沓掛でな・・
太郎吉:これからは・・・これからは、ちゃんと呼んでもいいかい?
時次郎:ああ、いいともよ、いいともさ 呼んでみろ!
太郎吉:ちゃん・・・
時次郎:(声をつまらせて)聞こえねぇよぉ・・・
太郎吉:ちゃん・・ちゃん!
時次郎:太郎吉ぃ~ッ!(涙を浮かべ、太郎吉を抱きしめる)
太郎吉:おっかちゃん、安心しておくれよ おいらにおとっちゃんができたよ・・・
おきぬの骨箱を抱えた太郎吉の手をとって歩きだしてゆく時次郎・・・
追分節がながれる ~幕~
以下は原作戯曲の幕切れの部分です。
「長谷川伸傑作集 瞼の母」収録の「沓掛時次郎」戯曲
第四場 宿はずれの路傍 原文(昭和三年六月作)
骨箱を樹の切り株の上に置き、丸腰の時次郎、宿を眺め追憶に耽る。
~中略~
~中略~
太郎吉:(忍びよる人の姿に)おじさん、あっ、危ねぇ!
時次郎:またか、五月蠅い奴め(敵の刀を奪い闘う)
太郎吉:ああ、斬っちゃ厭だ!死んじゃぁ厭だぁ!
時次郎:(躓き重なる敵ふたりを一度に刺し殺そうとする)
太郎吉:(時次郎の腕に食い下がる)おじさん、厭だ、厭だぁ!
時次郎:放せッ!・・(太郎吉の頭を終に撫ぜる)斬ったところでどうなるものか。心配するな坊や。それよ
(刀を投げ返す)
(刀を投げ返す)
太郎吉:(骨箱を抱え)おじさん、行こうよ
時次郎:お、行こうね坊や、深い馴染みの宿はあすこだ。
太郎吉:お爺さん、お婆さん、さようなら
時次郎:仕合せで長生きしておくんなさい。(二人に)手前たち、命はたったひとつ、大事に使え!な、な。
原作の幕切れでは、時次郎は、太郎吉を遠州のお祖父さんのところに送り届けることになっていますが、榎本滋民氏の脚本では、幕切れで、時次郎に「生まれ故郷の沓掛に帰り、そこで鋤鍬を持って百姓になろう」と考えていると太郎吉に言います。そこでは既に太郎吉も自分の生まれ故郷に連れ帰るという決心をしているのです。
これに反して、原作の幕切れでは、時次郎の気持ちを、ひとことも言わせてはいませんが、この場面に先んじて原作の中で、宿屋の老主人夫婦に、「つくづく、太郎吉を博打うちに育てたくない、生まれ故郷に帰って鋤鍬持って五穀をつくるのが人間の本筋だと思う」と時次郎が言う件りがあります。ですから、長谷川伸は、意図的に、「戯曲」とは「生き物」であることを前提と承知した上で、その幕切れに大きな含みをもたせる伏線を張っていたのだと想像できます。ですから、榎本氏や舟木さんがおっしゃる「原作に忠実に」ということは、単に、表面的な言葉尻のみではなく、作者の意図を汲みとるという意味合いなのだと私には納得できました。
舟木さんも、「沓掛時次郎」の幕切れについて玉置宏さんとのトークで以下のようにおっしゃっています。
(新橋演舞場パンフレットより 2001年8月2日~24日上演)
沓掛時次郎 舟木一夫&玉置宏トークショーより (一部抜粋)
~平成十三(2001)年七月九日 フォーシーズンズホテル椿山荘 東京にて~
~平成十三(2001)年七月九日 フォーシーズンズホテル椿山荘 東京にて~
玉置:でも、やっぱりなんといっても沓掛の幕切れは時別なんでしょう。
舟木:そうなんですよ。
玉置:その幕切れが楽しみだなあ。芝居の幕切れっていうのは、大事だし、また見る人の印象に残りますからね。
舟木:そうですね、榎本先生が原作に戻してみたいとおっしゃる意味は、大詰だけ見てみれば、ふるさとの
中津川(昭和三年原作では遠州となっている)へ太郎吉を送り届ける前で終わるのか、中津川へ届けて時次郎が自分の思いを抑えて去っていくというニュアンスにするのか。それとも時次郎が、信州小諸の自分の故郷へ連れて帰っていくのか三つあるんですよ。このどれをとるかで全然違う。大詰にある有名な「今日からはちゃんと呼んでいいかい」というセリフは原作にはないんですね。
中津川(昭和三年原作では遠州となっている)へ太郎吉を送り届ける前で終わるのか、中津川へ届けて時次郎が自分の思いを抑えて去っていくというニュアンスにするのか。それとも時次郎が、信州小諸の自分の故郷へ連れて帰っていくのか三つあるんですよ。このどれをとるかで全然違う。大詰にある有名な「今日からはちゃんと呼んでいいかい」というセリフは原作にはないんですね。
玉置:ええ、そうなんですか。
舟木:そういったちょっとしたことをどうやったらいいのか。榎本先生はその道の達人ですから、安易な泣きとか笑いとかを嫌われるんです。
玉置:日常の暮らしの中の、自然な笑いというのはどこの家庭にもあるんですね。そういう笑いなら榎本先生も納得するんでしょう。
舟木:今回もね、とりあえず潤色して書いてみるからそれからやろうよとおっしゃいました。準備稿を読んで、いい本だなぁ。このままやりたいなぁ。本当にそう思ったんですよ。
玉置:なるほど
舟木:常にお客様に合わせた芝居をやっていると半分ずつ遅れていってしまう。ですから、どっかいいところで、割り切ってやったり、あえてこういう芝居もたまにはというものを見せたりね。沓掛は今、針が揺れてる最中なんですよ。どっちが70%の割合をつけたらいいのかと考えています。どのくらいお客様の見てる流れとやってるものの流れとが最後にちゃんと合うかどうか。
舟木さんバージョンの「瞼の母」の番場の忠太郎は、「股旅の路に踏み出す」という道を選んだのですが、
「沓掛時次郎」の時次郎は、「斬りたくもない男を渡世の義理で斬ってしまい」その男の恋女房であるおきぬといつしか心を通わせ、おきぬの忘れ形見でもある一子太郎吉への情愛にひかされると同時に、今わの際の三蔵との男同士の約束を命がけで守り抜くという渡世人としての義侠心によって、「まっとうなくらし」をすることを決意しました。忠太郎の場合は、今は何不自由なく穏やかに暮らしている母を残して去っていくのですが、時次郎には守らなければならないまだ幼い太郎吉への責任があるのです。
「沓掛時次郎」の時次郎は、「斬りたくもない男を渡世の義理で斬ってしまい」その男の恋女房であるおきぬといつしか心を通わせ、おきぬの忘れ形見でもある一子太郎吉への情愛にひかされると同時に、今わの際の三蔵との男同士の約束を命がけで守り抜くという渡世人としての義侠心によって、「まっとうなくらし」をすることを決意しました。忠太郎の場合は、今は何不自由なく穏やかに暮らしている母を残して去っていくのですが、時次郎には守らなければならないまだ幼い太郎吉への責任があるのです。
「長谷川伸論」 <男であるということ>
(佐藤忠男著 中央公論文庫 1978年版)より抜粋
長谷川伸の股旅もののヒーローたちが颯爽として見えるのは、たんに腕っぷしが強くて、いなせないい男であるというためだけではない。むしろ、それ以上に、自分は女一人すら仕合せにできないほどにやくざな男である、ということに、強烈な責任感と自責の念を持っている男だからである。女こどもの幸福に責任を持つということは、たしかに男らしさということの欠くべからざる要素であろう。
舟木さん演じる沓掛時次郎は、もしかしたら舟木さんが当初目論んでいらした「辛口」の時次郎~(上)でご紹介した玉置さんとのトークショーご参照下さい~よりはいくらか「甘い」時次郎になったのではないかという印象なのですが、だからこそ、舟木さんが時次郎を演じた値打ちがあったのではないでしょうか。脚本家の榎本滋民氏が、おっしゃっているように私たちが愛する舟木一夫という表現者が描き出した時次郎像は、まさに舟木さんの「仁(にん)」に添った「空前にして絶後の時次郎」を造形したものと言える舞台作品として評価できるのだと思います。