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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その3「雪の渡り鳥」 (上)

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「舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる」と題して「瞼の母」「沓掛時次郎」とご紹介してきましたが、次は「雪の渡り鳥」・・・こちらは、三波春夫さん歌唱の流行歌で聴き覚えがあったのですが、私は、物語の内容については、ほとんど知りませんでした。でも、歌の歌詩を見れば、ストーリーがわかるようになってますね。
 
イメージ 1雪の渡り鳥 作詩:清水みのる 作曲:陸奥明
 
合羽からげて 三度笠
どこを塒(ねぐら)の 渡り鳥
愚痴じゃなけれど この俺にゃ
帰る瀬もない 伊豆の下田の 灯が恋し
 
意地に生きるが 男だと
胸にきかせて 旅ぐらし
三月三年 今もなお
思い切れずに 残る未練が 泣いている
 
はらい除(の)けても 降りかゝる
何を恨みの 雪しぐれ
俺も鯉名の 銀平さ
抜くか長脇差(どす)ぬけば白刃に 血の吹雪
 
 
舟木さんが「雪の渡り鳥」の鯉名の銀平を演じられたのは、平成十三(2001)年6月(3日から27日)の新歌舞伎座が初演です。そして、この翌々月の8月には、新橋演舞場で「沓掛時次郎」の座長公演とハードなお仕事ぶりが続き、7月末の稽古中に、狭心症で倒れられました。大事には至らなかったようで、その年は従来通りのお仕事をこなされたようですが、2002年の年が明けて、1月7日に再び狭心症のために倒れ、緊急入院されました。それでも40周年記念企画のスケジュールがぎっしり詰まっていらして座長公演も「忠臣蔵異聞 薄桜記」(新歌舞伎座)「若様旅がらす」(全国ツアー公演)「沓掛時次郎」(南座)と続き、その年のラストが新橋演舞場での「雪の渡り鳥」再演で締めとなっています。本当に、驚くべきスケジュールだったんですね。
 
先ずは、パンフレットより抜粋してご紹介します。
 
イメージ 2
 
雪の渡り鳥
  芸能生活四十周年記念 舟木一夫特別公演 
平成十四(2002)年12月1日~25日  新橋演舞場

愛と憎悪の美学  宮本雄平  (この舞台の脚本・演出をなさっています)
 
今年度、舟木一夫氏が全精力を注ぎ込んで参りました「芸能生活四十周年記念」・・。師走の演舞場、ファイナル公演の舟木氏は、男のロマンチシズムが溢れんばかりに舞台を覆い尽くす「鯉名の銀平・雪の渡り鳥」への挑戦です。青年期の男の恋情の一途さと、妥協の欠片も入り込む余地のない正義感、また正義の心が呼び起こす憎悪と残虐が激しくも哀しく、津々と舞う雪の中に展開する、作者の美学に裏打ちされた長谷川伸股旅物の傑作です。長谷川一夫氏、市川雷蔵氏ら錚々たる名優が映画や舞台で演じてきた「雪の渡り鳥」は昭和五年九月に発表された戯曲で、初演は翌年の四月のこと。~中略~
長谷川一夫氏の舞台を手がけた衣笠貞之助の台本を下敷きに大いに勉強させて頂いた・・・。長谷川伸、衣笠貞之助両先達の「激しい愛、運命の葛藤は今も昔も変わらず」という思いをあらためて感じさせてくれる才、その上、「戯曲の取り上げるべき最も重要なものは、人間であり、人間相互の関係、また人間の住む社会との関係である」との深い見識と教えには感謝すると同時に脱帽するしかない。
男の愛と哀、激しく揺れる憎悪、残虐に舞う刃を「美学」として浄化させ、漂わせる・・存在感に「華と哀」
のある舟木一夫氏にはうってつけの演目。いつも「うちに秘める熱い想い」その心の襞を克明に描き出してくる演者としての舟木氏は「男と女、愛のうねりは決して甘美なだけじゃない」という哀しい旋律を、瑞々しく的確に表現してくれることでしょう・・・。これは間違いなく叶う夢と楽しみにしている次第です。~後略~

以下は舟木さんの御挨拶文から
 
長谷川伸名作劇場  
 
鯉名の銀平「雪の渡り鳥」、皆さま御存知の通り「沓掛時次郎」や「一本刀土俵入り」、「瞼の母」などと並んで長谷川伸先生の三大名作、五大名作のひとつと言われる作品です。ボクが二十代の頃に観せていただいた長谷川一夫先生の舞台は今もはっきりと覚えていて、内心、大変なビクつきようですが、ありがたいことにその長谷川先生の甥にあたる林与一さんが卯之吉を、愛娘である長谷川稀世さんがお市を引き受けて下さった。その千人力に加えて安井昌二さんの五兵衛、もうアタシはお三方の後をついて行くだけで充分に情のある「雪の渡り鳥」になると確信しています。~後略~それにしても「雪の渡り鳥」……いい響きですねぇ。                                              舟木一夫拝
 
パンフレットの中で脚本・演出の宮本雄平氏が、「衣笠貞之助氏の台本を下敷きに」と書いていらっしゃいます。また舟木さんも、御挨拶の中で「ボクが二十代の頃に観せていただいた長谷川一夫先生の舞台」の記憶に触れていらっしゃるように、「雪の渡り鳥」については、映画などで広く知られている物語と原作との相違がかなり大きいことに、今回、ブログでこの作品についてご紹介しようとするにあたって調べてみて初めて気づきました。
先にご紹介した「瞼の母」、「沓掛時次郎」という作品では、渡世人を主人公にしていますが、斬り合い~お芝居でいうと立ち回り~の場面は少なく、人情劇という印象が強いのですが、「雪の渡り鳥」では、原作の段階から喧嘩場が、物語の中心の多くを占めているように思います。そして、その立ち回りの場面が、衣笠貞之助氏の台本(脚色)による長谷川一夫さんの鯉名の銀平で映画(映像)化されると、さらにクローズアップされて、雪の降りしきる中での立ち回りなどが映像美、様式美と発展して、今一般にイメージされている「雪の渡り鳥」として形づくられていったような気がしています。
 
まずは舟木さんが演じられた、「雪の渡り鳥」のあらすじをパンフレットから簡単にまとめてみました。
 
雪の渡り鳥  芸能生活四十周年記念 舟木一夫特別公演 
平成十四(2002)年12月1日~25日  新橋演舞場
 
長谷川伸:原作
衣笠貞之助:台本より:
宮本雄平:脚本・演出
 
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第一幕
 
天保中頃の伊豆下田、浜辺に近い波切神社は祭りで賑わっていたが、隣町のやくざ帆立の丑松一家が下田に乗り込んできているという。下田の漁場の網元の大鍋島太郎との間で漁場の縄張りをめぐって喧嘩が始まろうとしているのだ。もともと下田の漁場はやくざ同士だった大鍋と帆立一家が喧嘩の末に、島太郎が手に入れたものだが、今もなにかと帆立一家がいいがかりをつけてきている。島太郎は今は漁一筋の堅気の網元になっているので喧嘩は土地の人々の迷惑になると考え話し合いで解決しようとしていた。
稲荷の境内に大鍋一家の代貸をしていた五兵衛とそのひとり娘のお市が営む駄菓子がある。五兵衛も今は堅気だが、島太郎の相談相手として今日も網元の家に出かけている。
その留守を狙ったように帆立一家の者たちが現れ、お市に狼藉を働こうとしたが、出稼ぎから帰ってきた船大工の鯉名の銀平と爪木の卯之吉に危ういところを助けられた。
銀平も卯之吉も両親を早くに亡くし、五兵衛の手で兄弟同様に育てられた。今はやくざの足を洗い堅気となって船大工をしている。
銀平も卯之吉もお市に惚れているのだがお市は銀平に思いを寄せていた。想い合っている仲なのに銀平は五兵衛になかなかお市とのことを切り出せないままでいた。
帰ってきた五兵衛の話では、帆立一家との喧嘩は避けられない様子。堅気になっている五兵衛たちに喧嘩はさせられないと銀平は単身で帆立一家に話し合いに向かった。
しかし、どうあっても喧嘩は避けられないとみた五兵衛は万一の事を考え、お市の婿を決めておくことにした。相手は銀平ではなく卯之吉。勝気なお市のため、ケンカっ早い銀平ではなく、弟分で気弱なところはあるが正直者の卯之吉を選び、慌ただしく仮祝言の盃をあげさせた。
喧嘩が始まった。自分の知らないうちに卯之吉がお市の婿に決まったことを知った銀平は、卯之吉を妬むあまり、手強い相手を卯之吉に立ち合わせた。
 
 
イメージ 3第二幕
 
四年の歳月が過ぎた。ここは駿河の国三島宿。男たちが二人の女を捕らえスリだと騒ぎたてていた。そこへ一人の旅人が立ちはだかった。旅人は鯉名の銀平である。四年前、卯之吉に嫉妬するあまり、一旦は窮地に追い込んだものの、恋しいお市の心中を思うとやはり見殺しにすることはできなかった。銀平は卯之吉を助け、帆立との喧嘩にケリをつけると住み慣れた下田をあとに旅に出たのだった。
女たちは下田にいた女で銀平はふたりから、下田がすっかり変わってしまったことを聞いた。銀平が去って間もなく網元の島太郎は帆立一家の闇討ちに合い、いまや漁場は帆立一家のもの。帆立一家がのさばり、五兵衛や、五兵衛の弟分の勝造まで帆立一家に寝返る始末。卯之吉は堅気になって味噌や醤油を売っているが、五兵衛は中風で体が不自由だという。
お市の身の上を案じた銀平の足は自然に下田の方へ向かうのだった。
下田では帆立の丑松が勝手気ままに悪業の限りをつくしていた。帆立一家は四年前に負けた仕返しに卯之吉らに無理難題を吹きかけて困らせていた。堅気になった卯之吉はじっと我慢して手出しはせず、病気の五兵衛は弱気になって下田をあとにしようと言うばかり。そこへ銀平が現れた。銀平は、卯之吉を制し、ひとり帆立一家に立ち向かった。
帆立一家と銀平の激しい修羅場が始まった。帆立の丑松は銀平の背後を狙い、忍び寄っていた。それを見た卯之吉は思わず飛び出し、丑松を刺殺してしまった。
銀平は、駆けつけた同心に丑松を殺したのは自分だと言い張り、すべての罪を自分に引き受け、潔く縄にかかるのだった。
 
 
そして、お市をめぐる鯉名の銀平、瓜木の卯之吉 それぞれの想い、お市の本心などの設定が大きく異なっていることが、長谷川伸の原作の序幕部分で明らかになっていますので、そのおおまかな部分をご紹介しておきます。(春日局まとめ)
 
 
「序幕 駄菓子店の前」のあらすじ  長谷川伸原作(昭和5年9月作) より

イメージ 5天保九年頃の初夏の宵、処は伊豆下田、五兵衛は元博徒、堅気の今もその縁故で親分大鍋の島太郎の庇護を受けている。
五兵衛営む駄菓子店はひとり娘お市が美貌なので繁昌している。
駄菓子店の前を帆立一家の博徒三人連れが通りかかる。三人は大鍋方へ使者に立ったが決裂して引き揚げていく途中である。その中のひとりが、お市を見つけて「それあれが評判の高い代物だ。」と言いながら乱暴に、お市に声をかける。
「姐さん、俺たちはじきに下田に越してくるよ。そうしたら仲良くしよう。そんな怖い顔をするなよ。俺たち
に憎まれたら下田節の文句じゃねぇが、取る瀬に遣る瀬がないわいなぁになるぜ。俺たちはなぁもう直き分け目の大喧嘩をして下田を一手に押さえちまう帆立の丑松親分の四天王だ」
今まで人々の陰になって蓙(むしろ)に寝転んでいた大鍋の子分、鯉名の銀平(三十近い苦み走った顔立ち、少し酔っている。)が急に突っ立ち・・・
「何だと、下田を一手に押さえる帆立の丑松ね四天王たぁどの野郎だ。」
「誰かと思ったら銀平か」
「なあんだ、又公か」

イメージ 6「あれッ、又公とは何だ。手前いつそんな貫禄になって俺を呼び捨てにするんだ」
「野郎ぶち殺すぞ。作法知らずの大馬鹿野郎め、愚図愚図すると血祭りに少し早いが首をとるぜ」」
銀平の脅しにひるんだ帆立一家の三人が捨てゼリフを残して去る。
銀平はお市に自分の思いを伝えようと話を切り出そうとするが落ち着かずあちこち床几を代えて腰掛け、遂に堪えきれず…
「お市ちゃん」
お市は振り向きもしない
「お市ちゃん、お前、卯之を想ってるのか」
「厭な銀平さん、そんなこたぁないよ」
「(急き込み)本、本当か、そ、そりゃ本当か。そいつを聞いて俺はどのくらい…」
そこへ子供が三人ほど通りかかる。銀平は子供の相手になっているお市を苛々して見ているが堪えかねて
「なぁお市ちゃん、俺はお前に少し話があるんだ」
「なあに」

 
 
「おう、子供たちいい子だからあっちへいって遊びな」
「厭だぁい」
「意地の悪いことを言うな。今にいい物を買ってやる」
「厭だぁい。卯之吉おじさんなら何か買ってくれるけどそのおじさんは子供を構わねぇから嫌いだぁ」
「俺は生得、子供相手が面倒で。言うことを聞かねぇと殴るぞ」
憎まれ口をたたきながら逃げていく子供たち。佇んで往来の向こうを見ているお市に
「お前、卯之が来ると思って見ているのか」
「そうじゃないよ、お父さんの帰りが遅いんだもの」
「どうだか」
「おや嫌味なことを言っておくれでない。銀平さん、お前さんこそ、こんな所にまごついている場合じゃない
んだろう」
「どうして、いいじゃねぇか」
「帆立の丑松親分がお前の親分の大鍋の島太郎さんに因縁をつけてもつれが高じているんじゃないか。」
「そんなことは銀平ちゃんと弁えてるよ。人寄せの竹法螺が三声鳴ったら一番駆けに着到するのは卯之吉じゃねぇ、確かに俺だ。今ここにまごまごしていたって魂はさっきから臍の下に据わってらぁ。なぁお市ちゃん。俺ぁ見事に働いて、運がなければ討ち死にだ。命を賭けた渡世だから先の短けぇのを苦にはしねぇが、今聞いておかなけりゃ聞くときなしで銀平の一生涯が終いになる。そんな気がして成らねぇので野暮と馬鹿とを合点の上で藪から棒に聞きてぇんだが、お市ちゃんはこの俺のことを。」
そこへ五兵衛が戻ってくる。お市は五兵衛が近づいてきたので助かったように
「お父さん」
「お帰んなさい」と言う銀平に、五兵衛が言う。
「お帰んなさいじゃねえやな。大鍋一家は勢い立ち、三下奴までが所存を確と決めてるぜ。早く帰って支度をして水盃をする者があったら名残を惜しめ。今度の喧嘩は大きいぞ」
 
 
イメージ 7上記のように、原作では鯉名の銀平のお市への一途で強い想いは、お市には受け容れてもらえず、お市の心は弟分の卯之吉のみに向けられています。お市と卯之吉は「相思相愛」という設定です。ある意味、銀平はお市に「横恋慕」と言ってもいいかと思います。
そして、お市の父であり、銀平と卯之吉の育ての親でもある五兵衛も、腕っぷしは強いけれど短気で喧嘩っ早い、銀平よりもお市の仕合せのためには、温和で優しい気性の卯之吉を婿にという親心で考えています。また、原作の設定では、銀平は「苦み走った」、卯之吉は「美しい男前」と明確に容貌の違いを書いています。原作では銀平はいわゆる男前ではないようですね。
 
 
 
以下は、原作と映画化された長谷川一夫さんが最初に演じた「雪の渡り鳥」との設定の違いについて私の独断と偏見で考察してみました(笑)
 
 
 
長谷川伸作品の股旅物の主人公には、博奕に目がなかったり、女にしつこかったり、酒が入ると人が変わったりという男もいるようです。鯉名の銀平も原作では、いわゆる「正義の味方」的なヒーローというより、短気で、一途過ぎる面があり、横恋慕した女への気持ちを潔く捨てきれず、恋仇を理不尽に妬むという、いかにも人間くさい男として序盤では描かれています。しかし、だからこそ、リアルで感情移入しやすいタイプの人間であるとも言えると思います。
ところが、この作品が「長谷川一夫」で映画化される際に、銀平の性格がかなり、脚色されたようです。当時の二枚目スターで圧倒的な女性ファンに支持されていた「長谷川一夫」を、カッコ好く見せるために、銀平とお市は「相思相愛」だったが、運命のいたずらで、二人の想いに反して、夫婦になれなかったという設定になり、弟分である恋敵のはずの卯之吉とお市の幸せのために、すべての罪を被ってひとり去っていくという「ヒーロー銀平」が生まれたのは、やはり「長谷川一夫」という人の偉大なスター性であり魅力の成せる技だったといっても過言ではないと思えます。原作者の長谷川伸というスケールの大きな戯曲作家の懐の深さによって、あらたな銀平像が生まれたことは演劇界にも映画界にも喜ばしいことだったのでしょうね。
 
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舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる 
その3「雪の渡り鳥」 (下)につづきます


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