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舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その3「雪の渡り鳥」 (下)

舟木さんと股旅もの~長谷川伸の世界をたどる その3「雪の渡り鳥」 (上)のつづきです
 
(上)では、長谷川伸の原作(昭和五年9月発表)と、舟木さんの舞台「雪の渡り鳥」との違いを、銀平とお市、そして銀平の弟分の卯之吉との関係の設定や、銀平の性格の設定などの違いからご紹介しました。つまり、舟木さんが演じられた鯉名の銀平は、衣笠貞之助氏が長谷川一夫(第一作目は林長二郎時代)さんの1933年「鯉名の銀平」の台本として書かれたものを土台にして、宮本雄平氏が脚本・演出なさった銀平ということのようです。
 
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衣笠氏が、原作の登場人物の関係性の設定を脚色なさった理由は、いわゆる「ヒーロー」然としたヒーローよりも、容姿、性癖ともにいくらか人間臭い長谷川伸原作の銀平が歌舞伎の世界で女形から出発された長谷川一夫さんの甘く華やかなイメージには違和感があったからかと推測します。
「雪の渡り鳥」の一番最初の映画化で主演なさった阪東妻三郎さんのワイルドで豪快なイメージは、原作の銀平像に近いように思いますから、その時には長谷川伸の原作通りの設定で映像化されたことも得心できます。

映像で銀平を演じた主な俳優さんです。
「雪の渡り鳥」(31阪妻プロ 宮田十三一監督、阪東妻三郎主演)
「鯉名の銀平」(33松竹 衣笠貞之助監督、林長二郎=後の長谷川一夫主演)*この時の卯之吉は高田浩吉さん。
「月の渡り鳥」(51大映 衣笠貞之助監督、長谷川一夫主演)
「鯉名の銀平」(54創元プロ 森一生監督、大谷友右衛門主演)
「木曽の風来坊」(55日活 小林桂三郎監督、坂東鶴之助主演)
「雪の渡り鳥」(57大映 加戸敏監督、長谷川一夫主演)
「鯉名の銀平」(61大映 田中徳三監督、市川雷蔵主演)
「日本映画名作ドラマ 鯉名の銀平」(63NET 田村高廣主演)
「長谷川伸シリーズ 雪の渡り鳥」(72NET=東映 井沢雅彦監督、杉良太郎主演)

長谷川一夫さんはなんと、映像で3回、銀平を演じていらっしゃるんですね。

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長谷川一夫(はせがわ かずお)
1908年2月27日~1984年4月6日
 
京都府京都市伏見区出身の俳優。戦前から戦後の長きにわたって映画、舞台、テレビで活躍した大スター。日本における二枚目の代名詞として知られた。林長丸(はやしちょうまる)、林長二郎(はやしちょうじろう)は旧芸名。長谷川一夫は本名である。
俳優の林成年は長男、女優の長谷川季子と長谷川稀世は長女・次女、また稀世の娘に女優の長谷川かずきがいる。
京都伏見の芝居小屋の子として生まれる。幼少時より子役として舞台に立ち、初代中村鴈治郎の長男・林長三郎の一座に加わり、林長丸の名で人気を博する。鴈治郎の子 林長三郎(後の二代目林又一郎)と大阪松竹座こけら落としの舞台に出ているところを、大阪松竹社長 白井松次郎と二代目 実川延若にその美貌ぶりを認められる。白井のあっせで映画界に移籍。1927年、松竹に入社。芸名を林長二郎と改め『稚児の剣法』で映画デビューする。
抜群の美貌に加え、若手時代劇スターを渇望していた松竹が社をあげて宣伝したことが功を奏し、林はたちまち日本を代表するスターとなる。当時若い女性の間でこの『稚児の剣法』は大人気となった。この頃、若い女性の好きなものといえば「あんみつ」と「はやし」だったので、これを併せて「ミーハー」と言うようになったという説まである。
特に自らが女形出身の衣笠貞之助監督に重用され、その監督作品『雪之丞変化』では女形の歌舞使役者に姿をやつして両親の仇討ちをする剣豪の雪之丞、それを助ける義賊の志太郎、そして雪之丞の母の三役を一人でこなして国民を魅了した。以後多数の映画に出演、二枚目の風貌で圧倒的な人気を得た。
映画界に入っての長谷川は歌舞枝界との縁を完全に切ったことはなく、師の初代鴈治郎と十五代目羽左衛門を終生崇拝し、六代目菊五郎の演技を研究するなど東西の梨園の名優を手本とした。同年代の六代目歌右衛門や十七代目勘三郎とは舞台に共演したり私生活でも交友を続けていた。長谷川の舞台出演は戦後になってから本格化することになる。
 
長谷川一夫さん主演の以下の2作品では、卯之吉の人物像が嫉妬にかられた卑怯な男に描かれています。これも、長谷川一夫さんの銀平をヒ―ローとしてよりランクアップさせる演出の狙いと思われます。
これらの演出に比べて、舟木さんの「雪の渡り鳥」では、弟分の卯之吉は、腕っぷしは銀平ほどではないけれど、心根の優しい正義感の強い男で、銀平への義理も人情も充分に弁えた男として描かれています。演じられた林与一さん、そしてお市の長谷川稀世さんの好演、ベテラン安井昌二さんの押さえもしっかりしていて、まさに舟木さんがご挨拶文で書いていらっしゃる通りの安定感のある座組で、またあらたな「鯉名の銀平」像を結び、そして、銀平を取り巻く人々の人情の機微なども描かれ、長谷川伸作品の持つ温かさをも損なうことのない物語になったのではないでしょうか。
 
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~以下のあらすじはいずれも映画紹介サイトより~

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月の渡り鳥 
衣笠貞之助脚本 長谷川一夫主演 (1951年3月15日公開   83分)
配役 銀平:長谷川一夫/お:乙羽信子/卯之吉:黒川弥太郎 
 
天保の頃の下田の港。背に鯉の刺青があるので鯉名の銀平と呼ばれる鳶職の若者は、駄菓子屋の五兵衛の娘お市を心ひそかに想っていた。五兵衛の博徒時代の親分大鍋は、今では堅気の網元だが、帆立の網元丑松は下田の利権を腕ずくでも奪い取ろうとのり込んで来て喧嘩を売って来たのを銀平が引き受けて痛い目に逢わせてやった。しかしこの喧嘩のどさくさに、五兵衛が卯之吉とお市をめあわせようとしたのを、銀平はお市が卯之吉を愛しているためと早合点して旅へ出てしまった。旅から旅への渡り鳥の生活を数年してやっぱり下田とお市恋しさに銀平が帰って来て見ると、大鍋の島太郎の死後、帆立の丑松がすっかり権勢を振るい、五兵衛は中風で寝たきり、お市と結婚して卯之吉はすっかり気の弱い男になっていた。丑松は銀平が帰って来たと知って仕返しをおそれ、反抗もしない五兵衛一家を所払いにしようとした。卯之吉は銀平がお市を宿へ呼んだのを知って嫉妬にかられて丑松のところへ駆け込み銀平を斬ってくれと頼んで却って自分迄丑松に縛りあげられた。銀平は心ならずも一暴れして、丑松一家を叩き斬り、お市に卯之吉と仲よく暮らすよういいおいて、迎えの役人に曳かれて行った。
 
 
 
 
 
 
 
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雪の渡り鳥   
犬塚稔脚色  長谷川一夫主演(1957年10月29日公開  85分)
配役 銀平:長谷川一夫/お市:山本富士子/卯之吉:黒川弥太郎
 
秋祭の宵宮で賑わう下田港に隣の網元帆立の丑松一家が乗りこんできた。下田の漁場を手に入れようと、やくざの足を洗って今は堅気の網元大鍋の島太郎に無理難題を吹きかけた。島太郎は相手にしないが、かつての身内、駄菓子屋の五兵衛はこの掛合いを買って出た。その時、鯉名の銀平が兄弟分卯之吉と共に、船大工の出稼ぎの旅から帰ってきた。彼ら二人はかつての大鍋一家で鳴らした男たちだった。二人とも五兵衛の娘お市に想いをかけている。銀平は五兵衛に無断で帆立へ談判に出向いた。五兵衛は生きて返らぬ覚悟をし、お市と卯之吉と夫婦約束させた。お市の心も確めずに…。銀平はおだやかに話がつかぬと見て一人でこの喧嘩を買うつもりになり、その前お市に会い彼女の本心を確めようとした。銀平のせきこんだ質問にお市は返事をためらった。誤解した銀平はそのまま駈け去り、帆立一家へ乗りこんだ。助人にきた卯之吉から夫婦約束の話をきいた銀平は絶望した。凄絶な乱闘の末、丑松一家を追っ払った彼は、そのまま下田から消え去った。それから三年。旅を続けていた銀平はお市と瓜二つの夜鷹の女おきくに逢い望郷の念に駆られた。下田では島太郎は病死し、五兵衛は病に倒れ、丑松が良民たちをいためつけていた。卯之吉は酒屋をやっていたが、丑松から立退きを迫られた。夫の不甲斐なさにお市は口惜しがる。突然、現れた銀平にお市は三年前の怨みごとを言った。お市は最初から銀平一人を愛していた。今は、それもかなわぬ。卯之吉は嫉妬に逆上し、丑松に銀平の到着を密告した。彼の不在を怪しむお市の代りに銀平は帆立一家へ向った。彼らは矢庭に切りかかった。雪の中を乱闘が始る。逃げかける丑松に追いすがった銀平は苦戦した。助けられた卯之吉が銛で丑松にぶつかって行った。彼は本心に帰ったのだ。銀平は彼の身代りに雪の中を捕方に引かれて行った。泣いてとりすがるお市、卯之吉、五兵衛を残して…。
 

 
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下記の「鯉名の銀平」のような脚色もあったようです・・・銀平はかなり美化されて卯之吉は明らかに軽薄で卑怯な男にされてます(笑)これなどを拝見すると原作者の長谷川伸氏は、本当に寛容なお人柄であったことが偲ばれますね。後に歌舞伎界で名女形として活躍され中村雀右衛門となられた大谷友右衛門さんの「鯉名の銀平」です。
 
鯉名の銀平 八尋不二:脚色 大谷友右衛門主演 (1954年1月15日公開 102分)
 
伊豆の下田から志州鳥羽行の舟に乗りおくれた鯉名の銀平と爪木の卯之吉は、五兵衛の娘お市の美しさに心を奪われた。五兵衛は今こそ堅気だが、かつて恩を受けた親分大鍋の島太郎が落目になり、帆立一家が彼の縄張りを奪うため不法な殴込みをかけようとしているのを知り、助っ人に飛び出そうとしている所だった。そこへ帆立一家から掛合いに来た三人と争い、五兵衛は散々に痛められた。見かねた銀平は、忽ち三人をたたき伏せた。お市の美しさに、卯之吉は化病を使って出発を伸ばす。然しお市は口にこそ出さね、銀平を心底から慕っていた。
癪にさわった卯之吉は五兵衛と一緒に大鍋の賭場に乗込んだが、元も子も無くした挙句、喧嘩の助っ人になる条件で十両の借金をした。而も銀平も一緒にという約束であった。港町に祭提灯が輝く夜、帆立一家の殴りこみが来た。お市の手を振切って銀平が駈けつけると、卯之吉の姿は見えず、皆が臆病者と彼を罵っていた。銀平は彼を連れに駈け戻ると、折しも卯之吉に貞操を奪われたお市は、こうなるからはやくざの足を洗って堅気の夫婦になってくれと泣いて居る所だった。銀平は喧嘩の手柄を卯之吉に譲って姿を消してから三年、お市恋しさに下田へ来た。大鍋は死に、堅気の卯之吉夫婦は帆立に脅かされて下田から立去る一歩前だった。お市が今も心の奥深く銀平を恋している事を知ると、夫婦の幸せを守るため、銀平は帆立の丑松を斬って一人淋しく下田を後にした。...
 
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~ちょっとした資料として~
以下は、先に御紹介した「長谷川伸論」の著者である佐藤忠男氏が「雪の渡り鳥」の映画化第一作目の坂東妻三郎主演作品について書かれた文です。この作品は長谷川伸原作(昭和五年九月作)のままの脚本です。

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1931年「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」  佐藤忠男 映画評論家 日本映画学校校長
日本では無声映画は全て弁士の説明つきで上映されたが、これは日本で文楽という人形劇が盛んに上映されて強い影響を持っていたことと関係があると思われる。無言で操られて演技する人形の舞台の脇にストーリーとセリフを語る太夫がいて人気を得ていたのである。そのナレーションは多分に七・五調という韻をふんでいて、物語詩と言っていいものであった。映画の弁士たちは普通は日常的な口語で説明をしたが、作品によっては七・五調を多分に盛り込んで口語ととりまぜて朗々と謳いあげることがふさわしい作品もあり、それらは弁士の美声の聞かせどころとなったものである。
『鯉名の銀平 雪の渡り鳥』は1931 年の作品である。原作は長谷川伸。彼は当時やくざを主人公にした芝居のヒット作をつぎつぎに発表してたいへんな人気を得ていたが、その芝居のセリフは歌舞伎の影響を強く受けていて、基本的には口語だが、要所々々で多分に七・五調になり、やくざの喧嘩のときの啖呵などではそれが威勢の良さを盛り上げることになった。それらは股旅ものと呼ばれて長く続く人気を得たが、その人気のかなりの部分はセリフの調子の良さによるもので、弁士にとっても話術の技巧の聞かせどころだったであろう。
これを製作したのは阪妻谷津撮影所である。当時人気絶頂だったスターの阪東妻三郎が自分の主演する時代劇映画を専門に製作するスタジオとして千葉県の谷津に設立したものである
 
 
 
 
阪東妻三郎(本名・田村傳吉)
1901 年、東京の生まれ。小学校を出ると歌舞伎俳優の弟子になり、自分で一座を組織して芝居をしたこともある。1923 年にマキノ映画製作所に入って映画俳優になる。『小雀峠』はこの年に出演したたくさんの作品のひとつで、一部分しか残っていないが、この大スターの現存する最も古いフィルムとして貴重である。当時日本映画の最大のスターはやはり歌舞伎出身の尾上松之助であったが、彼は歌舞伎の伝統を映画にも忠実に持ち込んで、ゆっくりと大見得を切るという立ち回りを演じていた。そこに阪東妻三郎は、当時すでにアメリカのスターであるダグラス・フェアバンクスがやっていたような激しいスピードのある立ち回りを持ち込んで一躍大きな人気を得たのである。そして1925 年には自分の主宰するプロダクションを設立し、主演作品を続々と送り出した。『鯉名の銀平 雪の渡り鳥』はその時期の作品のひとつである。

鯉名の銀平(1931年) あらすじ冒頭部分  阪東妻三郎主演 (長谷川伸原作に忠実な人物設定と思います:春日局)
下田に生まれ育った鯉名の銀平は、土地の親分大鍋の島太郎一家の腕利きとして知られていた。兼ねてから縄張りを狙っていた帆立の丑松と大鍋一家が遂に決着をつける時が来た。数からみても劣勢の大鍋方は、三下奴に至る迄死を覚悟して別れの水盃をする中で、銀平は心に想う掛茶屋の娘お市に募る想いを打ち明けた。しかしお市は弟分の卯之吉といい仲だった。踏みにじられた銀平の心には卯之吉への憎悪が広がってゆく。出入りは死に物狂いの大鍋方の勝利に終わった。只二人、銀平と卯之吉は残って生死を決することに―。そこへ敵方の多次郎が現われ、卯之吉と一騎討ちとなった。冷やかに眺めていた銀平だが、遂に憎い筈の卯之吉に味方して多次郎を斬り捨てた。お市の悲嘆を思うと卯之吉を殺せなかったのである。そして銀平は一人旅に出た…

 
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大川橋蔵さんと「雪の渡り鳥」
 
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舟木さんにとって、長谷川一夫さんと同じように、時代劇についての大先輩であり様々な教えを頂いたという大川橋蔵さんも「雪の渡り鳥」の銀平を映像と舞台で演じていらっしゃいます。
橋蔵さんの「鯉名の銀平~雪の渡り鳥」も長谷川伸の原作とは違い、お市が好きなのは銀平という設定ですが、やはり、イイ男が銀平の役を演じるとなると、どうしてもこうなってしまいますよね。
長谷川一夫~大川橋蔵~舟木一夫・・・納得!(笑)

橋蔵さんにとっても、長谷川一夫さんは尊敬する先輩でいらっしゃったこともあり、長谷川一夫さんの当たり役である「鯉名の銀平」への深い思い入れもおありだったということです。
 
 
 
 
 
 
・テレビ映画 時代劇スペシャル サイトより抜粋
雪の渡り鳥 鯉名の銀平  昭和58(1983)年5月20日放映
出演=大川橋蔵(鯉名の銀平)、近藤正臣(爪木の卯之吉)、坂口良子(お市)
長谷川伸の名作時代劇、映画や舞台で阪東妻三郎、長谷川一夫の代表作となった「鯉名の銀平」を大川橋蔵の主演で描く。
下田の網元大鍋一家に、新興の帆立一家がいやがらせを続けていた。大鍋の小頭銀平(大川橋蔵)は一家の五兵衛の娘お市(坂口良子)と相愛の仲。だが、五兵衛はお市を銀平の弟分卯之吉(近藤正臣)と一緒にさせたい。そして帆立一家との出入りで凶状持ちとなった銀平は旅に出た。
 
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・舞台 「雪の渡り鳥」
橋蔵さんは、昭和59(1984)年2月、大阪新歌舞伎座で「雪の渡り鳥」を初上演されています。しかし、この頃には、既にお体の調子が悪かったそうで舞台の袖で倒れられたそうです。
もちろん、最後まで舞台は務められましたがこれが、最後の舞台となってしまったということです。
 
 
そういう意味でも舟木さんにとって「雪の渡り鳥」の舞台化の実現は感慨深いものがおありではなかったかと推察されます。

~資料のまたオマケ資料です~

橋蔵さんの師匠である六代目尾上菊五郎(音羽屋)から長谷川伸がいかにやくざの世界の決めごとなどに精通していたかを聞いていらしたと、橋蔵さんの舞台「雪の渡り鳥」のパンフレットの中でエピソードなどを話していらっしゃいます。
 
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六代目尾上菊五郎 写真は「雪の渡り鳥」 鯉名の銀平→
歌舞伎座 昭和9(1934)年10月 駄菓子店の前の場

六代目 尾上 菊五郎(1885年(明治18年)8月26日 - 1949年(昭和24年)7月10日)
大正・昭和時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に三朝がある。本名は寺島 幸三(てらしま こうぞう)。
初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた。歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指す。七代目尾上梅幸は養子で、その子が七代目尾上菊五郎(当代菊五郎)を襲名した。なお、二代目大川橋蔵は寺島千代の養子となり、六代目菊五郎とも生活を共にした。

さらに蛇足ですが・・・
六代目菊五郎の長男・清晁は二代目尾上九朗右衛門となる。長女・久枝は十七代目中村勘三郎の妻となり、十八代目中村勘三郎を生んだ。
(*一昨年亡くなった十八代勘三郎さんは、六代目菊五郎さんの孫にあたります~春日局)
 
「雪の渡り鳥」は、原作者である長谷川伸の手を離れ、良い意味でひとり歩きをして舞台作品として大きく成長していった感があります。歌も、作詩家、作曲家のみならず、編曲や、歌い手の個性などが相互に作用し合い、思わぬ化学反応を遂げて大ヒット曲が生まれるのと同じように、お芝居もまた、優れた基礎力をもつ戯曲に脚本家、演出家、そして演じ手の個性が最高の形で絡み合う時、舞台芸術としての傑作として息を吹き込まれるのでしょう。そして、時代を超えて演じ継がれ、それぞれの演じ手がさらにあらたな人物像を結んでいくのかもしれません。長谷川伸の股旅作品の中でも「雪の渡り鳥」は、長谷川一夫という大スターの存在なくしては、今日まで演じ継がれては来なかったのではないかと今回、この作品を私なりに調べていく中で痛感しました。そして鯉名の銀平というヒーローの系譜の中で、舟木さんがしっかりと座を占めていらっしゃることも何より嬉しく思いました。
また、「雪の渡り鳥」について調べているうちに、舟木さんの舞台芝居の座組で、重要なお役を勤めていらっしゃる俳優の皆さんが、「鯉名の銀平」を、演じて来られた名優のお血筋であることに気づきました。
 
舟木さんが少年時代から憧れた時代劇の世界がまぎれもなく濃密に現在にまで繋がってきているのだという感動もあらたにしています。これは単なる運や偶然ではなく、若い頃からの舟木さんのたゆみないご精進と強い想いがあればこその結果なのですね。
 
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