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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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祝!柳家小三治師匠、人間国宝認定 舟木さん歌唱「山のけむり」でお祝いを!

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   柳家小三治師匠、人間国宝認定 おめでとうございます
 
このブログは、「舟木一夫の世界」と副題を付けた、舟木さんの魅力を探る「ワン・テーマ」ブログと位置付けていますが、今回は昨晩、舟友さんから、教えていただいた小三治師匠の人間国宝認定のニュースが、あまりに嬉しく、喜ばしく、今回は、「チョー特別」ということで、私の敬愛する柳家小三治師匠のことを、少しばかり掲載させていただきます。
 
3年前の圓朝まつりでの網笠姿の師匠です。可愛い!
 
イメージ 2
今から、十年ほど前に、初めて小三治師匠の高座をナマで拝見して以来、すっかり虜になり、追っかけになってしまいました。小三治師匠は、大仰なことをお嫌いになりますが、今回の認定は、心から喜んでいらっしゃるので、上方落語の中興の祖でもある桂米朝師匠と並んで、江戸落語の世界の魅力を私に教えてくださった柳家小三治師匠への感謝と、今後の、益々のご活躍を願って私なりのご紹介をさせていただきます。
 
 
日本経済新聞web刊より
柳家小三治さん、芸の継承に向け決意新た 人間国宝に答申
                                                                            人間国宝に内定し会見する柳家小三治氏(東京・丸の内)
 
イメージ 1「落語は面白い。生きていて良かったと思わせてくれることがたくさんあった」。文化審議会が人間国宝に認定するよう文科相に答申した柳家小三治さんは、高座に上がった時と同様の淡々とした語り口で、古典落語への愛情を表現した。
 
1959年に故五代目柳家小さんさんに入門し、江戸時代の長屋の暮らしぶりなどを絶妙な間合いとともに丁寧に描写してきた。過去に挫折も味わったが、「落語をやめなかったのは、人生を引き換えにしてもいいと思うほど好きだったから」。
 
師匠の小さんさんも人間国宝。「賞や肩書にあまり値打ちを感じないタチで」と笑う一方、一番の勲章は「寄席に来てくれるお客様が喜んでくださること」と言い切る。
 
6月までは落語協会会長として若手の育成にも尽力した。「師匠は人間国宝とは後継者のための輝きだと言っていた。後の人のことを考えないでは生きていけない」と、芸の継承や後進の指導に向けて決意を新たにしている。
 
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日本経済新聞社のサイトで、小三治師匠らしい、言葉の数々を拝見して、あらためて感動しました。

 
イメージ 3落語家では3人目となる人間国宝に認定された柳家小三治(東スポWeb)
yahoo!ニュースより
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6123706
 
人間国宝に柳家小三治さんら7人
NHK NEWS WEB より
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140718/k10013123841000.html

イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三代目桂米朝(当代)などの落語家や落語を愛好する文化人らと「東京やなぎ句会」という俳句団体を組織し、活動している(同会の著書もある)。俳号は土茶(どさ)。
 
 ペンギンが空を飛んだら大燕
 ←三年前の圓朝まつりで並んで買った師匠の俳句入り の2000本    数量限定販売の扇子。暑かったぁ!
 
 
 
イメージ 5小三治師匠は、歌が大好きで、高座のまくらの時にも、ゴキゲンがいいと時々、お好きな歌を披露して下さいます。フランク永井さん、昔のラジオ歌謡、時にはニューミュージック系の曲も(笑)
そして、落語は全く抜きのコンサートも過去、3回ほど開催されています。
私は、2010年の9月1日に石川県立音楽堂邦楽ホールでのコンサートをお聴きしました。
アンコール含めて17曲と、曲の合間に、トーク(これは落語言えば「まくら」ですね)もたっぷり堪能させていただき、至福の時間を過ごさせていただきました。
舟木さんのコンサートと同じく、ご自身でMCも進行も勤められるスタイルです。まさに「独演会」です。
そのライブがCDとして発売されていますので、その中から「山のけむり」を舟木さんの歌唱でお聴き下さい。
 
 
 
 
イメージ 6歌ま・く・ら ~「僕は歌の好きな少年だった」CDより
 
柳家小三治師匠が、思い出深い抒情歌を歌い、青春と人生の思い出を語る、笑いあり涙あり、そしてソングありの、とっても人間味あふれるコンサートのライヴ盤。2004年9月28日、札幌・真駒内六花亭ホールにて収録。
 
 
 
さて、お待ちかね!ここらで舟木さんの歌声をどうぞ・・・
 
イメージ 7小三治師匠がコンサートで歌われた「山のけむり」は舟木さんもカヴァーなさっています。
山のけむり  
作詩:大倉芳郎  作曲:八洲秀章
アルバム「初恋 舟木一夫 抒情歌謡を歌う」(1971年12月/1974年6月再発売/復刻盤CD2003年7月発売)
舟木さん歌唱です。(kazuyanさんの動画でお楽しみください)
http://www.youtube.com/watch?v=bP1L5dYGD9g
 
山のけむりの ほのぼのと
たゆたう森よ あの道よ
幾とせ消えて 流れゆく
想い出の ああ 夢ひとすじ
遠く静かに ゆれている
 
谷の真清水 汲み合うて
ほゝえみ交わし 摘んだ花
山鳩の声 聴きながら
行きずりの ああ 君とともに
下りた峠のはろけさよ
 
山の煙のたそがれに
別れた人のうしろ影
あとふりかえり 手を振れば
うすれゆく ああ 淡い夕日が
染めた茜のなつかしく
 

イメージ 910代目柳家 小三治
(やなぎや こさんじ、1939年〈昭和14年〉12月17日 - )
 
東京都新宿区出身の落語家。一般社団法人落語協会顧問。出囃子は『二上りかっこ』。定紋は『変わり羽団扇』。本名、郡山 剛蔵(こおりやま たけぞう)。まれに「高田馬場の師匠」とも呼ばれる。
教師・教育者(小学校校長)の5人の子のうち唯一の男子として厳格に育てられる。テストでは常に満点を求められ、100点満点中95点を取ることすら許されなかった。その反発として遊芸、それも落語に熱中する。東京都立青山高等学校に進学。高校時代にラジオ東京の『しろうと寄席』で15回連続合格を果たす。この頃から語り口は流麗で、かなりのネタ数を誇った。卒業後、教員育成大学である東京学芸大学への入試に失敗し、学業を断念。落語家を志し、5代目柳家小さんに入門した。
以後、5代目小さん門下で柳家のお家芸である滑稽噺を受け継ぎ活躍。噺の導入部である「マクラ」が抜群に面白いことでも知られ、「マクラの小三治」との異名も持つ。全編がマクラの高座もある。
落語協会会長6代目三遊亭圓生は大変に芸に厳しい人物で、前任の会長より引き継いだ者を真打にした以外は、実質上3人しか真打昇進を認めなかった。つまり、6代目圓生から真打にふさわしいと見做されたのは、6代目三遊亭圓窓・小三治・9代目入船亭扇橋の3人のみである。小三治は17人抜き真打昇進という記録を作った。
上野鈴本演芸場初席における主任(トリ)の座を師の5代目小さんから1991年(平成3年)に禅譲され、2013年(平成25年)まで維持した。
リウマチを持病に抱えながらも、現在も高座に上がり続ける。落語協会会長5代目鈴々舎馬風が病気を理由に2期で勇退した後を受け、2010年(平成22年)6月17日開催の理事会において後任会長に就任し、4年間務めた後、2014年に4代目柳亭市馬に会長を譲って協会顧問に就いた。
 
 
 
 
イメージ 8略歴
1958年(昭和33年)3月 - 東京都立青山高等学校卒業。
1959年(昭和34年)3月 - 5代目柳家小さんに入門。前座名は小たけ。
1963年(昭和38年)4月 - 二つ目昇進し、さん治に改名。
1969年(昭和44年)9月 - 17人抜きの抜擢で真打昇進。10代目柳家小三治襲名。
1976年(昭和51年) - 放送演芸大賞受賞。
1979年(昭和54年) - 落語協会理事就任。
1981年(昭和56年) - 芸術選奨新人賞受賞。
2004年(平成16年) - 芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2005年(平成17年)
4月 - 紫綬褒章受章。
6月 - 新宿末廣亭6月下席夜の部において、東京やなぎ句会同人の小沢昭一をヒザ前に顔付けした(主任は小三治)。
2009年(平成21年) - ドキュメンタリー映画『小三治』(監督:康宇政)公開。
2010年(平成22年)6月 - 落語協会会長就任。
2014年(平成26年)
5月 - 旭日小綬章受章。
6月 - 落語協会会長を勇退し、顧問就任。
7月 - 重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。

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