中日劇場 舟木一夫特別公演 10月28日~11月15日
10月28日から19日間開催された中日劇場公演も無事に千秋楽を終えました。舟木さん、お疲れ様でした。13日の昼の部と、14日の夜の部も拝見させていただきましたので、こちらは、簡単にまとめて、千秋楽のお楽しみの、何が飛び出すかわからない「お芝居」と、特別メニューのコンサートの模様をメインにご報告します。
11月13日 昼の部 お芝居&コンサート
先ずは、13日の「いろは長屋の用心棒」の信兵衛さんの様子を・・
互いに想い合っている若侍・岡本謙之輔と綾香を、めでたく一緒にしてやろうと、一計を案じた信兵衛が姉の芳江の言うことに従ったふりをして、祝言の席についたものの、なかなかやって来ない謙之輔の到着を待つ間に、「高砂」を謡って時間を引き延ばす場面・・・
13日のコンサートの舟木さんのトークのピックアップ 舟木さんのトーク部分はピンク文字です
11月13日 昼の部 コンサート
よみがえる夜明け
先月の28日に初日を開けさせていただいて19日間の公演ですが、ゴチャゴチャやっているまに明後日は千秋楽、こちらに来た時と比べると寒くなりました。今日はようこそおいで下さいました。ありがとうございます。お芝居の時に食べてた柿は、今朝、葉山さんの楽屋に届いたもので、大きな段ボール箱に4、50個入っててこんなにたくさん、どうやって食べたらいいんだろう・・ということで先ず、私がはじめに食べました(笑)
~お芝居の時の、突然の柿の出現の理由を、ここで説明されました~
なんだか、楽屋風景の賑やかさも想像される感じで、楽しいお芝居の舞台も舞台裏もおなじように「いろは長屋的」なんだろうなとほっこりするお話でした。そして、この柿が、後ほど、ご報告する千秋楽のお楽しみヴァージョンのお芝居で、大活躍するということになるんですよ。翌日の14日の夜の部のお芝居では、柿は登場しませんでした。多分、私が拝見していない昼の部でも、柿は出てきてないと思いますので。舟木さんがこの13日に大ウケした「柿」にヒントを得て、千秋楽で小道具として使う事を思いつかれたのではないかと(笑)
舟友さんがプレゼントされた花束
東京は恋する
花咲く乙女たち
絶唱
~スタンディング(サインボール)
銭形平次
ジャケットを脱いでサインボール打ちの後・・バウンドしてステージに戻ってきていたボールを見つけて、なにげに歩いていってポーカーフェイスでボールを拾う舟木さんの一挙手一投足に客席の視線が釘付け(笑)ボールを拾うと、スタスタと無言でステージ中央に戻る途中、またしてもなにげに、後ろ向きのままボールを客席に投げる舟木さんのお茶目な様子が、とっても可愛かったです(笑)最後のボールをキャッチした人は、ひとしお御喜びだったことでしょうね。約30秒ほどのワクワクタイムでした(笑)
昭和と平成では、同じ流行歌と云っても風景がちがいます・・
私自身が、自分のふるさとに帰ってきて唄うので「ふるさと」というくくりで・・
私自身が、自分のふるさとに帰ってきて唄うので「ふるさと」というくくりで・・
日本の名曲たち~ふるさと (後半 11月8日から)
ふるさとのはなしをしよう 作詩:伊野上のぼる 作曲:キダ・タロー
(1965年発売)
(1965年発売)
ふるさとの燈台 作詩:清水みのる 作曲:長津義司
(1952年発売)
(1952年発売)
真帆片帆 唄をのせて通う
ふるさとの 小島よ
燈台の岬よ
白砂に 残る思い出の
いまも仄かに
さざなみは さざなみは
胸をゆするよ
ふるさとの 小島よ
燈台の岬よ
白砂に 残る思い出の
いまも仄かに
さざなみは さざなみは
胸をゆするよ
漁火の 遠く近くゆるゝ
はるかなる 小島よ
燈台のわが家よ
なつかしき父のまた母の
膝はゆりかご
いつの日も いつの日も
夢をさそうよ
はるかなる 小島よ
燈台のわが家よ
なつかしき父のまた母の
膝はゆりかご
いつの日も いつの日も
夢をさそうよ
歳ふりて 星に月にしのぶ
むらさきの小島よ
燈台の灯よ
そよ風の 甘き調べにも
想いあふれて
流れくる 流れくる
熱き泪よ
むらさきの小島よ
燈台の灯よ
そよ風の 甘き調べにも
想いあふれて
流れくる 流れくる
熱き泪よ
単にその歌を知っているとかだけじゃなくて、リアルタイムで間に合ったかどうかは、唄う際にはとても大切
ですね。ふるさとの燈台」は昭和27年、僕が8歳の時です。詩に出てくる言葉は、今は使われなくなったも
のがあって、例えば「歳ふりて」なんていうのは「歳を重ねてきたら」・・・ですね。
ですね。ふるさとの燈台」は昭和27年、僕が8歳の時です。詩に出てくる言葉は、今は使われなくなったも
のがあって、例えば「歳ふりて」なんていうのは「歳を重ねてきたら」・・・ですね。
舟木さんがおっしゃるように昭和と平成の流行歌が、全く異なる世界観に裏打ちされているということは確かと思いますが、さらに「舟木一夫」以前と以後の流行歌に詠われている風景もまた、少しずつ変遷を遂げてきたのでしょう。
時代の流れととともに「流れていく」流行歌というのは「リアルタイムで間に合った」ものでなければ本当の意味では、唄いこなすことがむつかしいという舟木さんの「流行歌哲学」のようなもの、それは「流行歌」の世界で半世紀を超えて生きてこられた歌い手としての「流行歌」への深い敬愛に満ちた想いなのだと胸が熱くなります。
わずか8歳の時に、耳にした「ふるさとの燈台」の描く詩と旋律の世界を、懐かしい日本の原風景として想い起こし、その原風景を唄う歌い手として、客席にいる私たちと共に分かち合いたいという舟木さんの心がしみじみと伝わってきます。「唄いたい」ということは「聴かせたい」ということ、そして「分かち合いたい」ということなんだと、あらためて舟木さんが歌を通して「お客さま」とひととき、心を通い合わせることを何りも幸せなことだと思っていらっしゃるんだと感じました。
じゃあ、次は・・とバックバンドの方を振り向いて、コレ?とジェスチャーで・・学生帽、詰襟、金ボタンを示してみる舟木さん。デビューシングル曲の「高校三年生」、二枚目の「修学旅行」、三枚目の「学園広場」で、半世紀昔にタイムスリップしてしまう空気感の中日劇場でした。
修学旅行
学園広場
大合唱~舟木さんのソロ
~「修学旅行」舟木さんのソロ「学園広場」が二度目のプレゼントタイム
「日本の名曲」というくくりで言えば、「高校三年生」も当然入ってくるんだろうと・・(拍手)
12月が来ると70(才)、唄いたいあるし、なんとなくあらためて御聞かせしたい歌も・・いろんな歌をお聞かせしたい・・・
舟木さんの歌への深い愛、唄うことへの情熱は、ますます強く大きくなってきていることを痛感し、頼もしく嬉しく、幸せな想いにさせていただきました。
どんな時代でも、どこにいても、男も女も、青春時代に必ず通ってきた風景・・・とラストブロックは若々しい初めての恋・・「ラブ・ソング」です。
高原のお嬢さん
眠らない青春 ~ジャケットを脱いで~
アンコール
~友を送る歌
最後のご挨拶で「友を送る歌」・・僕の好きな歌です。とおっしゃいました。
11月14日 夜の部 コンサート
前半はお着物で舞台中央のステップの最上段にスポットライトを浴びて登場
オープニング
~京の恋唄 作詩:西條八十 作曲:竹岡信幸
~京の恋唄 作詩:西條八十 作曲:竹岡信幸
あなたは可愛いい 薄羽の蝶々
抱くにはあんまり か弱くて
かなしく見おくる 嵐山
秋というより、今朝なんかは冬という感じでしたね。明日はもう千秋楽です。今日はお越しいただきありがとうございました。
絶唱 作詩:西條八十 作曲:市川昭介
愛おしい 山鳩は
山こえて どこの空
名さえはかない 淡雪の娘よ
なぜ死んだ ああ 小雪
山こえて どこの空
名さえはかない 淡雪の娘よ
なぜ死んだ ああ 小雪
夕笛 作詩:西條八十 作曲:船村徹
ふるさとの 蒼い月夜に
ながれくる 笛の音きいて
きみ泣けば わたしも泣いた
初恋の ゆめのふるさと
ながれくる 笛の音きいて
きみ泣けば わたしも泣いた
初恋の ゆめのふるさと
薄墨の 空はつれない 雨模様
帰るあてさえ ない人に
いくつ折鶴 恋ごころ
にじむ 吐息の もどかしさ
ふるさとは 風のかおりも 秋化粧
落ち葉しぐれる 白壁に
ゆれて やつれて 細々と
つらいうわさが 気にかかる
薄紅の 目もとやつれて 恋人形
あやめ一輪 咲く帯に
かくしきれない あの夜の
いのち 重ねた 夢のあと
帰るあてさえ ない人に
いくつ折鶴 恋ごころ
にじむ 吐息の もどかしさ
ふるさとは 風のかおりも 秋化粧
落ち葉しぐれる 白壁に
ゆれて やつれて 細々と
つらいうわさが 気にかかる
薄紅の 目もとやつれて 恋人形
あやめ一輪 咲く帯に
かくしきれない あの夜の
いのち 重ねた 夢のあと
最後の「恋人形」は、新曲です。このタイプの歌は、最近では一番出て来なくなった。この曲を書いてくださ
った山路進一さんは、いいメロディーをたくさん書いてくださった。早く亡くなったんですが・・・
舟木さんがコンサートで唄われている曲の中で山路進一氏の曲の占める割合の多い事は、舟木さんがお好きなタイプの曲を、たくさん書いて下さった大切な方だということなのでしょうね。
夜の部は、オープニングの「京の恋唄」はじめ、「絶唱」「夕笛」と最初の三曲が、西條八十作詩の作品が並んでいます。そして、最後の「恋人形」が、舟木さんの御自作の詩です。西條八十についてのお話をなさる時必ずと云っていいほど出るのが「四行詩」の素晴らしさです。日本語のもつ言葉の美しさ、心情に偏らず風景を織り込んだ叙情と叙景のほどよいバランスがあるのが、西條八十作の「流行歌」の特長ということなのですね。舟木さんの「恋人形」は、西條八十の作品と並べても、ストンとおさまりが良く、八十の詩の世界観を継承していることは、間違いないように思います。
作家の先生との出逢いにも、運・不運というものがあるし、メロディーを書く人も詩人との出会いの運・不運
があるように思うんですね。僕がデビューした頃は、浅草国際とか日劇、大阪なら大劇とか、日舞も洋舞も「舞踊」というものが近いところにあったんですが、今はあまり見る機会がないですから、今日は楽しんでいただいて・・・
があるように思うんですね。僕がデビューした頃は、浅草国際とか日劇、大阪なら大劇とか、日舞も洋舞も「舞踊」というものが近いところにあったんですが、今はあまり見る機会がないですから、今日は楽しんでいただいて・・・
日本調の威勢のいい歌から、(「舞踊」へ)つなげる感じで・・
銭形平次~サインボール打ち
舞(林啓二/長谷川かずき/川上彌生/真木一之の皆さん 敬称略)
右衛門七討入り~右衛門七節
右衛門七討入り~右衛門七節
後半は、スーツに着替えて登場、踊り手の皆さんの紹介のあと・・
「日本の名曲」ということで、このところとずっと唄ってきているんですが、絞り込むのは大変ですけど、ひとつは古典・・「荒城の月」「波浮の港」・・など、もう一方は、流行歌。今の流行歌は、「昭和の流行歌」とは形が変わったものになった・・豊かな流行歌の時代にでびゅーできたことは幸せなことでした。
今回は、昼の部の前半は「帰ってこいよ」「リンゴ追分」、後半は「ふるさとのはなしをしよう」「ふるさとの燈台」、夜の部の前半は「青葉城恋唄」「竹田の子守唄」・・・今日は三橋さんの「石狩川悲歌(エレジー)」を・・
石狩川悲歌 作詩:高橋掬太郎 作曲:江口浩司
流れの岸の 幾曲り
思い出ばかり 心につづく
あゝ 初恋の 遠い日よ
君を思えば 身にしみる
石狩川の 夕風よ
二度とは逢えぬ この道なれば
あゝ 初恋の 日が恋し
南国土佐を後にして
作詩:武政英策 作曲:武政英策
(1959年)
(1959年)
どんなジャンルの歌でも、どんな時代の歌でもいいものはいいというところへ還ってくるということでしょう
ね。その時代、その時代のものを大事にして唄っていきたい。僕の歌が(声がという意味かと)いつまでもつかわからないですが、自分がいいと思うものを唄い続けていきたい・・
ね。その時代、その時代のものを大事にして唄っていきたい。僕の歌が(声がという意味かと)いつまでもつかわからないですが、自分がいいと思うものを唄い続けていきたい・・
少年の頃のままの舟木さんの歌への純粋な熱い想いを語る言葉に、会場から共感とエールを込めた大きな拍手が起こりました。それに応えて「まいど!」と舟木さんらしいちょっとテレ気味のご返事で軽く、でも、心を込めて返す瞬間のステージと客席の一体感は、どうしてこうも感動的なんでしょう。歌い手と聴き手、双方の想いが、温かく流れ合う空間の素晴らしさに、ジワッときたのは私だけではなかったと思います。
この日の「石狩川悲歌」は、まるで舟木さんのオリジナル曲といってもいいほどでした。以前にも、この曲を唄われた際に、これは舟木一夫の持ち歌と云ってもいいような・・とおっしゃっていたような記憶があります。
三橋美智也さん独特の胸に沁みる高音が、叶わなかった初恋「悲歌(エレジー)」の切なさを心に届けてくれる曲です。1961年発売ですから、舟木さんのデビューの2年前。私が小学三年生の時です。でも何故だかこの曲はしっかりと記憶にあります。仲宗根美樹さんの「川は流れる」も1961年発売ですが、この曲も同じく私が子どもながら、とても強烈に記憶に残っている歌です。やはりマイナーな曲調と、意味はわからないながらも日本語の持つ詩の美しさ、世界観が子ども心になにかを感じさせるものがあったのでしょう。
三橋美智也さん独特の胸に沁みる高音が、叶わなかった初恋「悲歌(エレジー)」の切なさを心に届けてくれる曲です。1961年発売ですから、舟木さんのデビューの2年前。私が小学三年生の時です。でも何故だかこの曲はしっかりと記憶にあります。仲宗根美樹さんの「川は流れる」も1961年発売ですが、この曲も同じく私が子どもながら、とても強烈に記憶に残っている歌です。やはりマイナーな曲調と、意味はわからないながらも日本語の持つ詩の美しさ、世界観が子ども心になにかを感じさせるものがあったのでしょう。
何を唄いたくて歌い手になったかというと、ブルーストーンの歌・・こういうものが唄いたくて歌い手になっ
た・・2曲つなげて・・
たそがれの人
ふたつとも二十歳の時に唄ったんですが、わかってなかったんでしょうね。とくに「たそがれの人」は、とりあえず、詩の雰囲気にひっぱられて唄ってたんでしょう。
あるキャリア、年令にならないと唄えない歌もありますが、どちらにしても若い頃に何でも(わからないなりに)経験しておくことも大事だと・・
この頃はまさか、50才過ぎても自分が唄ってるとは思ってもいなかった。僕がデビューした頃は、東海林太郎さんが、65才、三橋さんが・・と次々、先輩のお名前と当時の年令を挙げる舟木さん。最後には、淡谷さん54才「あんた、なにしてんのよ」と淡谷さんの独特の東北訛りの口調もマネる舟木さんに、爆笑。
ラストブロック・・「呼べど帰り来ぬ 古(いにしえ)の幻」と前置きして「ありがとうもさようならも」のワンコーラスを受け皿に・・・
振りむけば あの頃の 歌が聞こえる
若すぎた 夏の陽射し 甦る まぶしさ
あなたにも わたしにも 時は流れて
見つめあう 白い記憶 甦る ときめき
若すぎた 夏の陽射し 甦る まぶしさ
あなたにも わたしにも 時は流れて
見つめあう 白い記憶 甦る ときめき
あゝ青春の胸の血は
修学旅行
仲間たち
君たちがいて僕がいた
高校三年生 みんなで大合唱~舟木さんのソロ
学園広場
アンコール
~眠らない青春
yahooブログの仕様が変わったからか、何度も投稿に失敗しました。困った、困った・・