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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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大川橋蔵&舟木一夫 お楽しみコラボ動画~橋蔵さん没後30年に寄せて

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今日から12月…今年もあとわずかとなりました。そして、12月は、舟木さんのお誕生日月でもあります。
中野サンプラザ、新歌舞伎座BIG3、新橋演舞場シアターコンサートなど、お忙しい舟木さんが、お元気でお誕生日を迎えられることを心から願っています。カレンダーのマークに注目
 
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先日、来年二月の新歌舞伎座舟木一夫特別公演のお芝居「花の風来坊~おとぼけ侍奮闘記」に関連して、昭和36年に、このお芝居の原作「おとぼけ侍」(北園孝吉作)が「橋蔵の若様やくざ」というタイトルで映画化されていることをご紹介しました。
 
そして、大川橋蔵さんと云えば「銭形平次」、「銭形平次」と云えば、舟木さんのコンサートでは、舟木さん
曰く「ステージの戦力」として欠くことのできない代表曲となっています。
 
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あるコンサートのトークでも「高校三年生」を知らない世代でも「銭形平次」の歌は、知っているのでは…
とおっしゃっていました。確かに、その通りなんですね。私は、三人の娘がいますが、長女は1975年生ま
れなので来年の誕生日がくると40歳になります。その長女も「高校三年生」は知らなかったのですが、「銭
形平次」のテーマソングは、知っていました。「銭形平次」の放映が始まったのは、1966年5月です。
1984年4月までの18年間、毎週水曜日に放映され、ドラマ史上最長の全888回という長寿番組として
ギネスブックに認定されているということです。そんな連続時代劇ドラマの金字塔を打ち立てられた大川橋蔵さんは、「銭形平次」の最終回放映(1984年4月4日)から、わずか8カ月後の1984年12月7日に亡くな
られました。私は、この頃は、ほとんどテレビを観ていなかったので「銭形平次」も観ていませんでしたが、
55歳というあまりに若い橋蔵さんの死を知った時には本当に驚きましたので、よく覚えています。
その大川橋蔵さんが、亡くなってから、もう30年になるんですね。本当に、あらためて自分が年をとったこ
とを痛感してしまいます。
 
二代目 大川橋蔵(にだいめ おおかわ はしぞう)                 女形の橋蔵さん
 
イメージ 41929年(昭和4年)4月9日 - 1984年(昭和59年)12月7日)
歌舞伎役者、のち時代劇の俳優。本名は丹羽 富成(にわ とみなり)、旧姓は小野(おの)。
柳橋の芸妓の子として生まれ、生後まもなく小野家の養子となる。養父は二代目市川瀧之丞という歌舞伎役者で、端整な顔立ちの富成を役者に育てようと、幼い頃から舞踊を仕込む。のち、知り合いだった四代目市川男女蔵の部屋子とした。
 
1935年(昭和10年)11月、市川男女丸を名乗って初舞台を踏む。そのとき舞台を務めていた六代目尾上菊五郎に素質を認められ、以後目をかけられるようになる。1944年(昭和19年)10月には六代目の妻・寺島千代の養子となり、その実家の「丹羽」姓を継ぐとともに、二代目大川橋蔵を襲名した。「大川橋蔵」は、かつて三代目菊五郎が一旦引退した後、舞台復帰した際に名乗った由緒ある名跡である。実子がないので養子(七代目尾上梅幸)をとったら、今更ながらに実子(二代目尾上九朗右衛門)に恵まれてしまったという複雑な家庭の事情をもつ六代目が、この名跡を橋蔵に与えて妻の養子とした意味は大きかった。橋蔵をもう一人の「菊五郎」の継承者候補とすることで、三人の子はより一層の切磋琢磨を強いられることになったのである。この頃から六代目は体調を崩しはじめ、晩年はその芸も曇りがちになったが、それでも橋蔵は1949年(昭和24年)7月に六代目が死去するまで一つ屋根の下で暮らしを共にし、音羽屋相伝の芸のみならず、役者として、そして大看板として己がいかにあるべきかを身につけていった。
 
 
六代目亡き後は菊五郎劇団に属し、主に娘役として頭角を現すようになる。菊五郎劇団の女形としては、まず七代目尾上梅幸がおり、次に七代目中村福助が控えていたが、橋蔵はその後に控える第三の地位を占めるようになった。しかし六代目という絶対の後ろ盾を失った橋蔵は、戦後という新しい時代の中で歌舞伎界の前途や自身の将来に不安を感じていた。またこのころ、一足先に大映から銀幕デビューした八代目市川雷蔵が、自分とよく似た境遇にあった橋蔵に映画界入りをしきりに勧めていたという。1953年に東映入りした中村錦之助の映画界入りの際のゴタゴタなど、保守的で硬直化した当時の梨園の内部事情も影響し、最終的に映画界入りに際して歌舞伎の世界と縁を切ったが、歌舞伎に対する敬意と愛情は終生持ち続け、映画転向後に自身の一座を組んで舞台公演を行う際には、必ず『お夏狂乱』『鏡獅子』『船弁慶』などの歌舞伎舞踊を中幕の演目に選び、観客を喜ばせた。
 
今日から12月ということですので、御命日を前にして、映像で観る日本の美男の典型のような若き日の橋蔵さんを、舟木さんの持ち歌とコラボさせた「動画」を見つけましたので、ご紹介させていただきます。
 

敦盛哀歌  作詩:村上元三 作曲:古賀政男
http://www.dailymotion.com/video/x24xssh_%E6%95%A6%E7%9B%9B%E5%93%80%E6%AD%8C-%E8%88%9F%E6%9C%A8%E4%B8%80%E5%A4%AB_music
(1966年5月 「銭形平次」カップリング)
 
イメージ 5須磨の浜辺に 波白く
よせて返らぬ 十六の
花のいのちは 匂えども
俤あわれ 公達は
無官の大夫 敦盛ぞ あゝ敦盛ぞ
  
一の谷吹く 風さむく
吹けば悲しき 横笛の
月の調べは 流れても
名こそ残れる 公達は
無官の大夫 敦盛ぞ あゝ敦盛ぞ
  
ひよどり越えに 雲荒れて
弓鳴り渡る 戦いの
雲の流れは 消えたれど
まゆずみ薫る 公達は
無官の大夫 敦盛ぞ あゝ敦盛ぞ

笛吹若武者  1955年12月4日公開
 
監督:佐々木康 脚色:八尋不二 原作:北条秀司
大川橋蔵:平敦盛
美空ひばり:玉織姫
大友柳太朗:熊谷直実
 
大川橋蔵さんの映画デビュー作。26歳の作品
 
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 「笛吹若武者」撮影中の26歳の橋蔵さん。ひばりさんと錦之助さんと
 
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イメージ 8火事とけんかと 一番まとい
そいつはおいらに
まかせておきな まかせておきな
白に黒文字 め組のとび衆
いきでいなせで 男っぷりなら
エー日本一
エンヤラヤレコノ 日本一
 
火の子恋の子 どちらがこわい
火消し若衆に
はっぴを着せりゃ はっぴを着せりゃ
何んの火事とて こわくはないに
恋の火となりゃ いつもにげごし
エー弱くなる
エンヤラヤレコノ 弱くなる
  
江戸の自慢は とび衆の木やり          
火の見やぐらの
上から聞かそ 上から聞かそ
えりの黒じゅす 恋風乗せて
茶屋のむすめが 通りすがりに
エー聞きほれる
エンヤラヤレコノ 聞きほれる
 
 
イメージ 9大江戸喧嘩纏 1957年1月9日公開
 
監督:佐伯清  脚色:松浦健郎  原作:沙羅双樹
辰五郎 大友柳太朗 
お雪 美空ひばり 
新三 大川橋蔵 

 
 
 
 
イメージ 10新吾十番勝負 作詩:植田梯子 作曲:安藤実親
https://www.youtube.com/watch?v=phidlMRayR8
(1966年11月 17cmLP「舟木一夫の新吾十番勝負」収録)
 
さびしかろうと 涙は見せぬ
耐えて育った 山と河
抜いた刀に 抜いた刀に
涙かくして
新吾強いぞ 一人旅
 
水に捨てよか 儚い恋は
いずれ一夜の 忘れ草
若いいのちを 若いいのちを
勝負にかけて
葵の剣は きょうも舞う
 
イメージ 11誰が吹くのか 横笛遠く
風に流れて 消えてゆく
今宵新吾の 今宵新吾の
十番勝負
なぜかさびしい 月明り
 
 
新吾十番勝負 1959年3月17日公開
 
監督:松田定次  原作/脚色:川口松太郎 
葵新吾/松平頼方(後の吉宗)二役:大川橋蔵 
真崎庄三郎: 岡田英次 
お鯉の方(お長):長谷川裕見子  
お縫: 桜町弘子 
梅井多門:山形勲 
武田一真:月形龍之介 
安藤対馬守:大河内傳次郎 
徳川吉宗(←頼方):大友柳太朗 
 
 
 
テレビドラマ「銭形平次」の放映と同時に主題歌のレコードが発売されたのが、1966年5月。その一年半後の1967年10月公開の劇場映画版「銭形平次」にも、舟木さんが特別出演されています。
 
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「銭形平次」の動画は、テレビ版の映像使用  1966年「第三話/謎の夫婦雛」 秋月新太郎(舟木さん)
 
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銭形平次  作詩:関沢新一  作曲:安藤実親
https://www.youtube.com/watch?v=PNfeb0fT-EA
(1966年5月 「敦盛哀歌」カップリング)
 
男だったら一つにかける
かけてもつれた 謎をとく
誰がよんだか 誰がよんだか
銭形平次
花のお江戸は 八百八町
今日も決めての 今日も決めての
銭がとぶ
 
やぼな十手は みせたくないが
みせてききたい こともある
悪い奴らにゃ 悪い奴らにゃ
先手をとるが
恋のいろはは 見当つかぬ
とんだことさと とんだことさと
にが笑い
 
道はときには 曲がりもするが
曲げちゃならない 人の道
どこへゆくのか どこへゆくのか
銭形平次
なんだ神田の 明神下で
胸に思案の 胸に思案の
月をみる
 
 
 
イメージ 19銭形平次 1967年10月10日公開
 
監督:山内鉄也 脚色:田坂啓/山内鉄也 原作:野村胡堂
 
大川橋蔵:銭形平次
舟木一夫:立花数馬
水野久美:お静
大辻伺郎:八五郎
大友柳太朗:笹野新三郎
あらすじ
 
目明しを父に持つ平次は親の跡目も継がず、鳶職の政五郎の所で働いていた。政五郎は平次の腕を買ってゆくゆくは娘のお静と一緒にしようと考えていた。ある日、政五郎は水商売らしい女と心中死体となって薬研堀に浮んだ。平次は女の体の傷から他殺と睨み、北町奉行笹野から十手捕縄を預かると、早速捜査を始めた。
その平次に材木問屋上州屋が「千里の虎」と名乗る謎の男に商売を邪魔され、政五郎に探らせていたと告げた。そんな時、火の気のない上州屋の一角から火が出て、焼け跡に平次の幼な友達辰之助と見られる死体が見つかった。このことから、平次は「千里の虎」が上州屋の商売と関係あると考えた。辰之助は平次に、この一件から手を引かなければ殺されると忠告されていたのだ。
探索の手を伸ばす平次は、松崎一角らに襲われたが浪人数馬に救われた。一方、材木を灰にした上州屋は同業の稲毛屋に融通を頼み、三千両を払い込むため、その護送を平次と笹野に依頼した。だが、三千両は途中で紛失し、しかも、稲毛屋には材木は一本もなかった。
平次は、稲毛屋こそ犯人ではないかと変装して乗り込んだが、捕った。そして、「千里の虎」の前に引き出された時、それは意外にも辰之助だった。辰之助は二十年前、上州屋の密告で牢死した父母の仇を討つため、上州屋の仕事を邪魔し、探ってきた政五郎を殺したのだった。平次は間もなく現われた数馬に助けられ三千両も見つけたが、辰之助は与力尾関に斬られた。こうして事件は平次の手柄で解決したが、数馬は実は秘かに事件を探っていた笹野の息子であることが分り、平次と数馬は、友情の握手を交しあった。
 
 
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