あれは、何十年前のことでしょう???もうはるか霞の彼方……
私たちの頃は、成人の日は1月15日と決まっていましたが、今は、1月の第二月曜日になっているようですね。(*1999年までは、1月15日だったみたいです)
私事ですが、一番年長の孫(男の子)が、多分、本日、成人式に参加しているはずです。来年は、その妹(二番目の年長の孫)が、成人式を迎えますが、そちらは、もうこのお正月に晴れ着のことが話題になっていましたが、男孫の方は、そんな話題も出ませんでした(笑)でも、最近は男子も紋付袴、しかもハデハデの色や柄モノなどを着るようですね。うちの男孫は、お正月に来たときも、いつも汚いなりをしているから一緒に歩けないと娘(母親)に叱られてました。そして、母親に連れられて無理やり服を買いにいかされていました。どうも、彼は今どきのオシャレな男子には、ほど遠いようです。
閑話休題…
「成人の日」にちなみ、舟木さんが二十歳になったころの、歌声と、その頃の芸能雑誌の資料をご紹介します。
1965年2月号/別冊・近代映画 ステキな20才の歌声 舟木一夫新春グラフ
~ワンパク大将も はや20才となりました ふるさとに帰ってなつかしく想い出す少年時代~より抜粋
~ワンパク大将も はや20才となりました ふるさとに帰ってなつかしく想い出す少年時代~より抜粋
~幼年時代から、ぼくはワンパク小僧だった。父母にかけた迷惑は、はかりしれない。ぼくが六歳の頃だった。丁度、冬だった。雪が降っていた。子供にとって雪がどんなにうれしかったことか…
家の近くにある田んぼも畑も雪でまっ白になっている。そして、田んぼの上の雪は凍ってコチンコチンになっているのだ。ぼくは近所の竹やぶから青竹を切って来る。それを小さく、割って下駄の歯裏にうちつける。即席のスケートが出来あがる。それをはいて田んぼの上をすべり廻るのだった。そのときの思い出がいまもありありと記憶に残っている。なんともいえぬ懐かしい思い出だ。その頃一緒にスケートをした仲よしの友人たちと、ぼくは小学校に入学した。ぼくらのクラスメートは15人だった。
家の近くにある田んぼも畑も雪でまっ白になっている。そして、田んぼの上の雪は凍ってコチンコチンになっているのだ。ぼくは近所の竹やぶから青竹を切って来る。それを小さく、割って下駄の歯裏にうちつける。即席のスケートが出来あがる。それをはいて田んぼの上をすべり廻るのだった。そのときの思い出がいまもありありと記憶に残っている。なんともいえぬ懐かしい思い出だ。その頃一緒にスケートをした仲よしの友人たちと、ぼくは小学校に入学した。ぼくらのクラスメートは15人だった。
この頃の舟木さん、ホントにワンパクそう!(笑)
ある日その仲よしの子供が学校友だちとケンカして泣いて帰ってきた。さあ、ぼくは口惜しくてならない。仇をとってやろうと思ったが、その相手が強すぎた。逆に殴られてしまった。あんまりシャクにさわったので十三人のクラスメートをつれて帰ってきてしまった。十五人のうちの十三人だからクラスはガラガラになってしまった。さっそく父が学校に呼ばれて先生にしぼられた。そのあとで、ぼくがオヤジに叱られたのはもちろんだ。ケンカには、なお多くの思い出がある。ある時、やはり、ケンカに負けてしまった。ぼくは家からトウガラシを持ち出し、相手の目にぶつけた。トウガラシの威力は絶大だった。あんまり効き過ぎて相手の目がつぶれそうになったのである。子供のぼくはそんな大ごとになるとは思わなかったがあとの祭りだ。オヤジが呼ばれて怒られたことはもちろんである。
しかしぼくはケンカばかりしていたわけではない。勉強もした。その中で、国語と社会はいつも一、二を争っていた。ほかの成績は平凡だった。勉強の思い出よりも、やはり遊んだ思い出のほうをよく覚えている。愉しい思い出が多いからだろう。父が劇場を持っていた。その関係で一宮の映画館には全部顔がきいた。だから顔パスでどこの館にも入れた。当時の映画で印象に残っているのは「紅孔雀」である。東映時代劇の全盛時代だった。その影響もあったのだろう。ぼくは父の劇場の小道具を持ち出しては、友人たちとよくチャンバラをやったものだ。~
←なるほど、こんな美剣士ぶりが板についているはず
ライブアルバム「歌とモノローグで綴る15年の歩み」でも、このことを語っていらっしゃいますね↓
~ぼくが人前ではじめて歌をうたったのは、たしか小学三年生のときだったと思う。あれは学芸会だった。お芝居をしたり歌をうたったりする学芸会は学校の仕事の中でも重要なものだ。そのときぼくは、
山は白銀(しろがね) 朝日をあびて……という歌をうたった。何んという題名だったかも覚えていない。
そのあとの歌詞もすっかり忘れてしまった。しかし、右のような一行の歌詞だけは不思議に覚えている。清潔な童謡調の歌だった。うたう前、ぼくはふるえるのではないかと、かすかに不安だった。なにしろ、生まれてはじめて、大勢の人の前でうたうのである。途中で失敗したら…と思うと気が気でなかった。
山は白銀(しろがね) 朝日をあびて……という歌をうたった。何んという題名だったかも覚えていない。
そのあとの歌詞もすっかり忘れてしまった。しかし、右のような一行の歌詞だけは不思議に覚えている。清潔な童謡調の歌だった。うたう前、ぼくはふるえるのではないかと、かすかに不安だった。なにしろ、生まれてはじめて、大勢の人の前でうたうのである。途中で失敗したら…と思うと気が気でなかった。
しかし、いざ、高い壇の上に乗ると、不思議に気持ちがおちついた。もちろん、大勢並んでいる人の顔などは眼に入らない。ぼーっとかすんでみえるだけだった。無事にうたい終わり、楽屋にひっこんだとき、はじめて、汗をびっしょりかいているのに気がついたのだった。そのころから、ぼくは漠然と歌手へのあこがれといったものを抱きはじめたようだ。しかし、特別に勉強するということもなかった。しかしレコードだけは、よく聞いていた。朝、目をさますと、さっそくレコードを一曲聞くのである。寝床の中でぼんやり聞いていると、次第に目がはっきりしてくる。ぼくにとってレコードは”おめざ”であった。いまでもぼくは、これと似た生活を送っている。おめざに聞くことはないが…。さいきん吹き込んだ「花咲く乙女たち」をひまなときに、たてつづけに六回も聞くことがある。~
舟木さん、20才を迎える頃の歌声です。
いずれもkazuyanさんの動画でお聴きください。