京都篇「その2」からのつづきです。
さて、いよいよ8月1日は、梅田芸術劇場メインホールでのコンサートの当日です。昼の部の開演は14時半からなので半日は充分に京都市内を散策できます。先ず、6時に起床、身支度を整えてホテルから歩いても10分足らずのイノダ珈琲本店に、ぶらぶらと出かけました。京都に住んでいた時にも、土日には早起きして自宅から徒歩30分ほどのイノダ本店にはよく行ってました。朝の7時に開店するのですがちょっと出遅れると禁煙席はすぐに満席になってしまうほど人気の高い老舗珈琲店です。三条店などほかにも店舗はありますがやっぱり本店の雰囲気が一番お気に入りでゆったりくつろげます。モーニングのミートローフセットをいただきました。1200円也
お店を出ると少し雨脚が強くなってきました。それでもめげずに予定しているスポットには行きたかったのであきらめずに歩き続けました。三条通りから三条大橋の手前の木屋町通りに右折して南へ下ると坂本龍馬にゆかりの土佐藩邸跡があります。ちなみに私の宿泊したホテルは河原町通りに面していて、少し四条方面に下ると、そこは龍馬が暗殺された近江屋跡です。(坂本龍馬 中岡慎太郎遭難の近江屋跡)晩年身の危険にさらされた頃は、この河原町の四条から三条界隈が龍馬の京都市内での隠れ場所だったんですね。
もう少し南に下ると、今は廃校になっていますが立誠小学校跡あたりに、こんな看板があります。「日本映画発祥の地」
木屋町通から四条通りに出て左折、四条大橋を東に渡って川端通りを今度は北に上がり右折すると白川南通りに入ります。このあたりの風情は祇園花見小路よりもむしろ一番京都らしい眺めであり佇まいでもあると思います。ここでお待ちかねの舟木さんに「かすり」ます(笑)このあたりの観光スポットと言えば吉井勇の歌碑でしょう。
昭和30年、吉井勇、谷崎潤一郎らによって建立された。歌碑に刻まれている歌は吉井勇作
「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」
この歌は、祇園の思いを詠んだもので石川啄木らと編集を担当した「スバル」にて他の祇園を詠んだ歌とともに発表されました。
なぜ、舟木さんに「かする」かと言えば・・・・吉井勇作詩の有名な歌があります。『ゴンドラの唄』
このところのコンサートで、舟木さんがこれからは「日本の名曲」をステージにのせていきたいと、おっしゃっていらっしゃいますがその時に必ず例に挙げられるのが『宵待草』『荒城の月』そして、『ゴンドラの唄』です。というワケで見事に「舟木さんを探せ」ました文語体の日本語の美しさと優雅なメロディーにどこか西欧風な新しさもあって「大正ロマン」の香りが漂ってきますね。舟木さんの歌唱音源は「花のステージ第7集」他に収録。
ゴンドラの唄 吉井勇:作詩 中山晋平:作曲
いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
いのち短し 恋せよ少女
いざ手をとりて 彼(か)の舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを
いざ手をとりて 彼(か)の舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを
いのち短し 恋せよ少女
波に漂(ただよ)う 舟の様(よ)に
君が柔手(やわて)を 我が肩に
ここには人目も 無いものを
波に漂(ただよ)う 舟の様(よ)に
君が柔手(やわて)を 我が肩に
ここには人目も 無いものを
いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを
「いのち短し(命短し) 恋せよ乙女」の歌い出しが印象的な歌謡曲『ゴンドラの唄』は、劇団・芸術座により1915年(大正4年)に公演が行われた『その前夜』における劇中歌として作曲された。日本映画の巨匠・黒澤明(くろさわ あきら/1910-1998)監督による1952年の作品「生きる」では、雪の降る夜ブランコをこぎながら、主人公が『ゴンドラの唄』を口ずさむシーンが登場する。『その前夜』の原作は、ロシアの小説家・ツルゲーネフによる同名の戯曲。この中で、主人公の女性・エレーナは、恋人とヨーロッパへの旅路から戻る途中、イタリアのヴェネツィアで船を待っている場面で、ゴンドラの船頭が集ってざわめくシーンが登場する。
吉井 勇(よしい いさむ、明治19年(1886年)10月8日 - 昭和35年(1960年)11月19日)は、大正・昭和期の歌人、脚本家である。爵位は伯爵。京都市東山区の祇園・白川沿いには、勇が古希を迎えた1955年11月8日(実際の誕生日からは一月遅れ)に「かにかくに…」の歌碑が建てられている。毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて勇をしのぶ「かにかくに祭」が行われている。また、高知県香美市香北町の「吉井勇記念館」の他に、蔵書や遺品の一部は京都府立総合資料館にも収められている。
白川から祇園花見小路、四条通りに抜けたあたりで、土砂降りになってきたので八坂神社手前のスターバックスで雨宿りすること約1時間。ちょっと小降りになってきたので、再び八坂神社下の東大路通りを南にちょっと下り、坂を東向きに登って霊山歴史館に向かいました。「会津の武士道 会津藩と新撰組」をテーマに「新島八重 心の支え」というサブタイトルの企画が催されています。
≪会津藩を歌う舟木さん≫
あゝ鶴ヶ城 (1965)
作詩:野村俊夫 作曲:古関裕而
作詩:野村俊夫 作曲:古関裕而
花の姿に 例うれば
蕾も清き 山ざくら
まだ前髪は 残れども
誇りは高し 会津武士
護る生命の 鶴ヶ城
蕾も清き 山ざくら
まだ前髪は 残れども
誇りは高し 会津武士
護る生命の 鶴ヶ城
年は移りて かえらねど
その名ぞ残る 白虎隊
飯盛山を めぐり行く
今宵の月に 偲ばるゝ
薫る誉の 会津武士
舟木さんの歌唱がこちらで聴けます↑
≪新撰組を歌う舟木さん≫・・・作詩のすずきじろうとは舟木さんご自身です。スゴイ!
40年前ですから、この時弱冠28歳ということですよね。恐れ入りました・・・
総司が行く 作詩:すずきじろう 作曲:山路進一
明治座公演「沖田総司」主題歌(1973)
アルバム「限りない青春の季節」収録
草葉の上の玉露か・・・
若き生命の灯がゆれる・・・
人が怖れる三段突きは
沖田総司の剣の冴
胸の病を知りつつひとり
生きる”誠”の旗の下(もと)
壬生の若獅子 一番隊の
剣の鬼だと 風が言う
笑い流して 京洛の夜を
今日も総司の 影が行く
二十余才の 生命の丈が
小倉袴の裾に舞う
孤剣ひとすじ 菊一文字
ゆくは幕末 修羅の道
写真説明
左:翠紅館広間は、三条実美、桂小五郎、坂本龍馬ら、志士たちの会合の場所となりました。文久三年一月二十七日には、土佐藩 武市半平太、長州藩 井上聞多、久坂玄瑞ら多数が集まり、さらに、同年六月十七日には、長州藩 桂小五郎、久留米藩 真木和泉守ら、各藩の代表者が集まって、攘夷や討幕などの具体的方策を検討しました。これが世に言う「翠紅館会議」です。
中央:幕末には、建仁寺の天章慈英(てんしょうじえい)和尚が、妙光寺を勤皇の志士達の密議の場として提供し、天章和尚の工作は明治政府成立の原動力にもなりました。
我ながら朝からよく歩きました。お昼になりましたので、私の大好物の「にしん蕎麦」をいただきに南座隣の「松葉」に向かいました。
結構でした。ごちそうさま
さて、阪急河原町まで歩いて、特急電車で一路、梅田へGO!
舟木さんを探すさんぽ径 ~ 京都篇 完結