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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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義士外伝「江戸の淡雪~悲恋 毛利小平太」~1972年 新歌舞伎座/芸能生活十周年記念特別公演 

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2月の新歌舞伎座特別公演の初日まで、あと数日と迫ってきました。本当に待ち遠しく楽しみですね。
舞台稽古も、もうラストスパート、追い込みの毎日なのでしょう。舟木さんはじめ座組の皆さまがお元気
で無事に初日の幕が開く事を心から願っています。
 
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さて、東の新橋演舞場での特別公演は、ここ数年、骨格のがっちりしたお芝居というイメージで、それに対して西の新歌舞伎での特別公演は、肩の凝らない軽演劇というところですが、お芝居とコンサートの二本立てで座長公演を始められた当初には、新歌舞伎座でもシリアスな作品が上演されていたのですね。
 
ファンの皆さんご周知の通り、舟木さんの初座長公演は1966年10月の新歌舞伎座、お芝居の演目が「雨月道成寺」「若君風流」です。
その後は新歌舞伎座での特別公演は今回ご紹介する1972年(昭和47年)芸能生活十周年記念特別公演「江戸の淡雪」となっています。
そして、この十周年の頃から、舟木さんの苦節の時代に入っていきますので、新歌舞伎座での座長公演は三十代の芸能生活15周年記念の「さくら仁義」(1976年4月)まで、およそ5年間のブランクがあります。15周年のあとも、いわゆる「寒い時期」が続き、さらに約15年を経て舟木さんの奇跡的な快進撃が始まる30周年あたりから再び新歌舞伎座での座長公演が定期的に興行されていくということになります。
 
芸能生活十周年記念特別公演 篠山紀信氏撮影パンフレットの表紙
 
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イメージ 1パンフレットの表紙の舟木さんのヘアスタイルは、短くカットした感じですが、この公演に先立って8月の明治座公演(8月1日~28日)で「あの海の果て」というお芝居をされています。海軍中尉役を演じていらっしゃるので、坊主頭になさったのが、まだ伸びていない時の撮影だったのかな?などど推察しています。ちなみにこの表紙の撮影も篠山紀信氏によるものですので、あるいは明治座公演の直前あたり頃に既に撮影されていたものかもしれません。あくまで私の推測ですが…
こんな短い髪形でも不思議と黒のスーツに似合っているのがさすがです。今の舟木さんとは違ってシャー
プな眼差しで、心を射抜かれるようでドキッ!としますが、とっても魅力的なお写真で、飽きることなくずっと見ていたくなります。さすが篠山紀信さんの腕ですね!

新歌舞伎座での1972年の芸能生活十周年記念特別公演のお芝居の演目は「江戸の淡雪」長らく私の手元には資料がありませんでしたが、この度、この公演のパンフレットが手元にやってきてくれましたので、ちょうど2月の新歌舞伎座公演の直前でもあり、また、このお芝居が、「忠臣蔵」に関連していることでもありますので、グッドタイミングかなと思い、御紹介させていただきます。

イメージ 2「忠臣蔵」が今の時期にグッドタイミングというのは……
赤穂浪士の吉良邸討ち入りは、旧暦では元禄15年12月14日(正確には15日未明)ですが、新暦では1703年1月30日(同じく31日未明)です。実質的な時候としては、今頃だということになります。
史実では、討入りの日には雪は降っていなかったとされていますが、時期的には一番雪の多い頃なので人形浄瑠璃や歌舞伎など視覚的なイメージとして「雪」という設定が効果的に使われたのではないかと思います。
 
舟木さんの演じた「忠臣蔵」にまつわる人物は、数多く、矢頭右衛門七、丹下典膳、清水一学、堀部安兵衛など舟木さんファンには馴染みがあると思います。その中で一番マイナーであまり知られていないのが毛利小平太ではないでしょうか?私も、舟木さんが演じているというのであらためて印象付けられた名前であり、人物です。実際、資料が、ほとんど残っていない人物のようですから、かえってお芝居の主人公として描くにはドラマチックに想像・創造できるということにもなるのでしょうね。
 
「江戸の淡雪~悲恋 毛利小平太」も、舟木さんのために書き下ろされたフィクションです。下記に毛利
小平太についての史料と作者の土橋成男氏がパンフレットに書かれた文を先ず御紹介します。

ただ、舞台写真がほとんどなく、裏長屋に身分を隠して潜んでいるわけですから武士とはかけ離れた崩れ
たイメージの衣裳でスチール写真として撮影したような形式のものしかありませんでしたのでその点は御容赦下さい。また、この公演の資料・写真などお持ちの方がいらっしゃいましたらお知らせいただければありがたいです。
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昨年12月26日の新橋演舞場シアターコンサートで私はナマで初めて「江戸の淡雪」を聴かせていただきました。
舟木さん御自作の詩です。三連の詩の中にコンパクトに過不足なく、この新歌舞伎座で演じられた毛利小
平太像が描かれていますので、併せて御紹介しておきます。
 
パンフレットのあらすじを読んだのちに、あらためてこの「江戸の淡雪」の詩をなぞっていくと、わずか五行三連の詩の中に物語の世界がギュッと凝縮されていて、しかも小平太の心のうち、情感が見事に詠いあげられています。舟木さんがまだ二十代半ばの頃の作品であることを思うと、感服の至りです。
 
この公演のコンサートでも勿論「江戸の淡雪」を唄われています
 
イメージ 4江戸の淡雪 作詩:すずきじろう 作曲:山路進一           
(1972年 大阪・新歌舞伎座「悲恋!毛利小平太」主題歌)
~1977年 アルバム「限りない青春の季節」収録~
 
女心の 哀れに負けて
武士の意気地も 乱れがち
毛利小平太 はぐれて一人
赤穂浪士の
影をゆく 影をゆく
 
群れを離れた 一羽の鳥が
迷う心を もてあます
恋の情けか 忠義の道か
胸の痛みを 
誰か知る 誰か知る
 
死ぬを覚悟の 道ゆき悲し
とけてはかなき 夢いくつ
江戸の淡雪 泣け降れ積れ
響く無情の
勝鬨に 勝鬨に
 
 
 
 
毛利 小平太(もうり こへいた、生没年不詳)~wikipediaより~
 
江戸時代前期の武士。赤穂藩浅野氏の家臣。名は元義(もとよし)とされる。
元禄13年(1700年)の「浅野家分限帳」によれば大納戸役20石5人扶持とある。大石良雄の吉良義央への仇討ちの盟約に加わり、吉良邸討ち入り前には木原武右衛門と変名して本所林町五丁目の堀部武庸の借家に入っていた。
討ち入り1ヶ月前の元禄15年(1702年)11月14日に作成された討ち入り手配(寺井玄渓宛てに送られたもの)には、裏門隊屋敷内突入部隊の中に毛利小平太元義の名がある。大石が11月29日付けで落合勝信に提出した瑤泉院への書状には、毛利小平太・瀬尾孫左衛門・矢野伊助の後に脱盟する3名を加えて忠死する者50名と書いている。
しかしその後、小平太は脱盟する旨の書状(12月11日付けとなっている)を残して逐電した。討ち入り口上書のなかには毛利小平太の名があるものが残っている。一方、12月12日に逃亡した矢野伊助や瀬尾孫左衛門の名は書かれていないことから、大石良雄らが小平太脱盟を知ったのは討ち入り直前だったと見られている。そのため小平太を「最後の脱盟者」と呼ぶことが多い。小平太の脱盟を受けて急遽、三村包常が
表門隊から裏門隊へ編成替えされている。逐電の理由として、大垣新田藩主戸田氏成に仕えていた小平太の兄に説得されて脱盟した説が残っている。
また、元禄赤穂事件を題材にしたフィクション作品では、脱盟の内訳を多様に描いており、親族によって討ち入り参加を止められる(日本テレビ『忠臣蔵』、大河ドラマ『元禄繚乱』)、討ち入りに向かう途中に死亡(戦死・病死など)する(テレビ東京『大忠臣蔵』、テレビ朝日『忠臣蔵 CHUSHINGURA』)などがある。
 
イメージ 5「毛利小平太」あれこれ  土橋成男 
 ~パンフレットより~
  ←舟木さんのお隣が土橋氏
 
忠臣蔵は芝居の宝庫といわれています。大石内蔵助を始め、討入りに参加した四十七士の一人々々に物語があるのは勿論ですが、様々な理由から、脱落していった赤穂浪士たちにも、それなりの人生がありドラマがあるのです。
今度の舟木さんの公演で、その脱落者の一人で、しかも討入り前夜に姿を消した毛利小平太を取り上げては、というお話があり、喜んでお引き受けしました。
 
種々の史料をあたってみますと、毛利小平太に関しては、殆ど記録が残っていません。それも道理で、四十七士の働きを書き残した人々の眼には小平太が許しがたい裏切り者、卑怯者と映っていたのでしょう。
僅かに、吉良邸に忍びこんで絵図面を引いてきたことだけが、目覚ましい手柄として記されていました。
それだけに、確実な死を前にした若者と、その若者を命がけで想う女を、自由に描くことができました。
なお、史料によると、毛利小平太は上方に逃れて行く姿を品川宿で富森助右衛門に見られ、その後京都の公家に仕えたようです。大詰は、清水一学との一騎打ちと共に、史実から離れて書きました。
降りつもる雪の中で、嘗ての同志たちの勝鬨を聞きながら死んで行く毛利小平太の姿がどこか蔭のある舟木さんの舞台の雰囲気に合ってくれればと思っています。

~資料:土橋成男氏による舟木さん主演の初期の舞台公演記録~
 
新納鶴千代(原作:郡司次郎正)                 1969年 明治座7月公演 夜の部
新吾十番勝負(原作:川口松太郎)         1970年 明治座8月公演 昼の部
新吾十番勝負 完結編(原作:川口松太郎)    1971年 明治座8月公演 昼の部
忠臣蔵異聞薄桜記(原作:五味康祐)         1971年 明治座8月公演 夜の部 
大岡政談・魔像(原作:林不忘)           1972年 明治座8月公演 夜の部
沖田総司(作・演出:土橋成男)           1973年 明治座8月公演 昼の部
われ永遠に緑なり(作:土橋成男)          1973年 明治座8月公演 夜の部
 
芸能生活10周年記念 舟木一夫特別公演 大阪新歌舞伎座(1972年12月1日~12月26日

義士外伝 江戸の淡雪 ~悲恋 毛利小平太~  三幕八場  作:土橋成男 演出:前田昭
 
イメージ 6第一幕第一場 播州赤穂城外 海の見える丘 (元禄十四年三月十九日の昼)
 
元禄十四年三月十九日。播州赤穂の海が見える丘で、浅野家の若侍、大高源吾、岡野金右衛門、杉野小平次、奥田貞右衛門らが花見がてらの酒盛りで話がはずんでいます。彼らの関心の的は仲間の一人、武林唯七の妹の邦江でした。彼女にはすでに意中の人があるというのです。それだけに邦江が兄の唯七と姿を見せたときはそれぞれが堅くなったり、照れたりして胸をときめかすのでした。が、兄に問い詰められて邦江が明かしたその人はまだこの席に姿を見せていない毛利小平太です。その小平太が現れ、二人は一同からやんやと祝福されるのでした。
邦江と二人きりになってみると小平太には夢のように思われます。彼はいつかは唯七に邦江を妻にほしいと申し出ようとためらっていたのです。大高源吾ほどの才能もなく、奥田貞右衛門の武芸におよばず、また杉野小平次のすぐれた働きもない自分を卑下していたからでしたが、邦江は夫に選ぶなら毛利小平太と決めていたときっぱりいいます。
そのときもたらされた知らせは、主君浅野内匠頭が、江戸城松の廊下で、かねてから遺恨の重なる吉良上野介に刃傷におよんだという一大事でした。殿中で刀の鯉口を三寸切ればお家は断絶、その身は切腹との定めがあるのです。国家老の大石内蔵助から家中の侍に総登城の触れが出されたのは当然のこと。運命の皮肉さを痛感した小平太は、一度に奈落の底に突き落とされた心境で「邦江どの、いまの話、しばらくはお忘れ願いたい」と告げると、武林唯七らの後を追って城へ急ぐのでした。
 

同 第二場 赤穂の宿外れ 漁師浜吉の家 (元禄十四年六月の半ば頃)
 
その年の夏、小平太は赤穂の外れの漁師浜吉の家に身を寄せていました。赤穂藩では城を枕に討ち死を主張する者、殿を追って殉死とさまざまな意見が出されています。が、小平太は、いのちをおろそかにはしたくなかったのです。そういう勢い立った仲間の声はむしろ空しく、彼は彼なりの武士としての生き方を考えているのでした。彼の身のまわりの世話をしてくれるおゆみは浜吉の遠縁の娘でしたが、いつしか小平太に思慕を寄せるようになっていました。浜吉は身分相応ということをさとして隣村の網元の息子との縁談をおゆみにすすめます。小平太を慕う邦江が訪ねてきました。今夜、殉死の覚悟を決めた者たちが内蔵助の屋敷に集まることになっていて、その中にはむろん、大高、杉野、岡野、奥田らも加わっていて毛利小平太の名のない事が邦江には悲しいのでした。それに、兄の唯七も殉死と決まれば家族の者は赤穂におれず、但馬の縁者を頼って赤穂を立つ前、小平太に最後の別れがしたい、いまも変わらぬ心を伝えたいと思い詰めての訪問だったのです。二人の愛に変わりはなくとも、どう間違っても二人が晴れて夫婦になれることはない淋しい別れでした。
武林唯七も小平太を訪ねてきて、今夜の殉死に加わってこれまでの汚名をそそげと忠告します。その親友のことばに小平太は犬死は嫌だときっぱり断りました。いのちを捨てるときは仇の上野介と差し違えるときだけだ……という小平太のことばを耳にして、唯七ははじめて小平太の本心を知ったのです。喜びをいっぱいにして彼も真実を小平太に告げます。実は内蔵助の考えも同じで、万難を排して生き抜き、吉良上
野介の首を亡き殿の 墓前に供えたのちに切腹する所存が決定しているのでした。小平太も喜んで内蔵助の許に馳せ参じます。そして、一緒に江戸へ行こうと小平太と唯七は久しぶりに手を握り合いました。
 
 

イメージ 7第二幕第一場 江戸深川 あやめ風呂の二階 (元禄十五年九月の半ば頃)
 
翌十五年の秋、江戸深川のあやめ風呂に大高源吾、杉野十平次、奥田貞右衛門、岡野金右衛門らが集まって騒いでいます。彼らは江戸にはいって討入りの準備をし、その機会を狙っているのです。それを悟られないように毛利小平太は木原武右衛門、大高源吾は呉服屋の新兵衛、杉野十平次はそば屋の金助、奥田貞右衛門は医者の西村先生、武林唯七は渡辺などど名前も変えていました。源吾の茶道の師匠四方庵宗匠が、吉良家の家老左右田孫兵衛に宛てた茶会の招きの手紙を届けるのを利用して、宗匠の弟子に化けて誰かが吉良邸に出向き、屋敷内の絵図面を作ろうというのです。その役目は結局小平太に決まりました。
 
このあやめ風呂に播州からきた湯女(ゆめ)がいました。小平太のことを思いきれないおゆみで、夜逃げ同様に浜吉の家を飛び出しこの江戸へ来て、三日前にあやめ風呂に住み込んだばかりです。小平太と再会できたおゆみが、十日に一度でも顔をみせてと哀願するのを、小平太もいとおしく思わず抱きしめるのでした。
 

 
 
イメージ 8同第二場  本所松坂町 吉良上野介の屋敷の庭 (前場の翌日の午後)
 
吉良邸では、赤穂の浪士が江戸入りしているという噂に、手強い剣士を抱え警戒は厳しくなっていました。その吉良邸で四方庵宗匠の弟子に化けた小平太が、返事を待つ間に懐紙に屋敷の絵図面を書き取ったのを見抜いたのは吉良家の用人で家中でも屈指の人物清水一学でした。一学は小平太に向かい、茶の門人に剣士ならではの面ずれがあることや、またふところに屋敷の見取り図をとった懐紙のあることを指摘しますので、小平太もこれまでと短刀を構えました。が、何と思ったのか、一学は自分の刀を引きます。いのちを賭けて乗り込んできた小平太の勇気、また主君を思う武士の心情に打たれた一学は、吉良家討入りの折には、まっさきに名乗り合って手合わせをしよう。それまではと再会を約して裏門への道順をそれとなく教えてやるのでした。武士は相知るということでしょう。そうして小平太は窮地を脱したばかりか、吉良
邸の絵図面を作る大手柄を立てることが出来たのです。

第三幕第一場 本所林町 毛利小平太の長屋  (元禄十五年十二月十日の夕)
 
元禄十五年も押し迫った十二月、小平太の長屋ではきょうも、大工の留吉とおてるの夫婦喧嘩がはじまっています。あやめ風呂に勤めているおてるに亭主のやきもちが喧嘩のタネです。小平太を訪ねてきた唯七はそれを聞いて開いた口がふさがりません。
実は明日に決まっていた討入りがのびたのを唯七が知らせにやって来たのですが、決行延期はこれで二度目。内蔵助が万事に慎重を期してのことなのですが、若い小平太はそれが不満でした。死を覚悟して張りつめた気持ちがそのたびにゆるむ、ともう一度張りつめるのにはたいへんな努力がいる…そういう自分を小平太は、もしかしたら仲間の内で一番だらしのない人間なのでは…と思い悩むのですが、唯七は小平太がそうなるのは、おゆみという女のせいではないかと案じます。
事実、その夜、おゆみは小平太に、今夜一夜を共にさせてほしい。この一日に一生を生きたいとかき口説いて小平太の心をゆさぶるのでした。今夜限りと覚悟していたいのちがまたのびて……小平太もおゆみの愛の中におぼれ込んでいく自分をどうすることも出来ないのです。一方、邦江もあわれでした。江戸へ兄や小平太を追ってきて、討入りの噂を小平太の許に確かめにきたのに、小平太はすげなく、兄の唯七も士官の口の相談をしていたなどと帰してしまいます。その別れのときに再び邦江はいいます。「私の心はあのときのまま、すこしも変わってはおりません」と。
 

イメージ 9同第二場 石町三丁目の旅籠小山屋 (元禄十五年十二月十四日の昼)
 
元禄十五年十二月十四日。討入りの日の昼のことです。石町の旅籠小山屋に集まった内蔵助らは今夜の決行に先立って、心にかかるのは毛利小平太のことでした。内蔵助はおゆみとの噂も耳にしていて、小平太が同志のうちから脱落しそうに思えてならないのです。小平太がおゆみと長屋から姿を消して四日。唯七は今夜を控えて必死で行方を探しても掴みどころがないのでした。内蔵助は絵図面作成に手柄を立て、討入りが成功すればその功の一部は毛利小平太にあるといえるのに、いま脱落すれば不徳義漢として後世まで汚名が残る、それが不憫なのでした。

 
同第三場 元の毛利小平太の長屋 (前場と同じ日の夜)
 
唯七、邦江もそして長屋の留吉夫婦までが探し回っても、ついに小平太の姿を見つけることはできませんでした。十四日の子の刻……これが時刻いっぱい、そのときまで長屋で待ち続けた邦江も淋しく立ち去りました。小平太がおゆみと長屋に帰り、唯七の置き手紙を手にしたときはすでに遅く、内蔵助の打つ山鹿流の陣太鼓がはるかに聞こえはじめたときです。

 
 
 
イメージ 10同第四場 本所松坂町裏 回向院の境内(前場につづく時刻)
 
討入りと知った小平太は、吉良邸近くの回向院の境内に駆けつけ、吉良家へ加勢の上杉の手勢を防ごうと立ちはだかります。その姿を見た清水一学は約束通り手合わせをして倒されましたが、小平太も傷つき、勝鬨の声に本懐を遂げたことを知り、いまはおゆみを刺した刀でみごとに頸を斬って自らを裁いたのでした。その二人を朝の淡雪が白く包みはじめます。
あの仇討の物語に咲いた白い花のように……
 
 
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イメージ 12主な配役
毛利小平太:舟木一夫
武林唯七:山内賢
唯七の妹邦江:尾崎奈々
おゆみ:宮園純子
清水一学:伊藤雄之助
大高源吾:高田次郎
左右田孫兵衛:夏目俊二
ほか
 

 

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