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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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舟木さん二十代の明治座・座長公演パンフレットより~「役者・舟木一夫」の足跡をたどる その1 

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20日間にわたる新歌舞伎座特別公演も中盤に入りました。続々と各地からファンの皆さんが駆けつけて
いらっしゃることと思います。私は、初日、2日目と拝見して、明日の9日(一回公演)に再び大阪に向かいます。ほとんど毎日のように足を運ばれている舟友さんも多く、新歌舞伎座の舞台も熱く盛り上がっていることでしょうね。
 
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1966年、舟木さん21歳の時の新歌舞伎座での初座長公演から数えて昨年9月の新橋演舞場特別公演
の「天一坊秘聞~八百万石に挑む男」で、通算80回目の座長公演となったとメディアで報じられました。
また、通算上演回数としては3300回を超えているとも言われていました。…ということは今回の新歌舞伎座特別公演は82回目(*昨秋の中日劇場公演が81回目)
の座長公演ということで、上演回数は、現在進行形で日々更新中なのですね。

一年のうち最も寒さの厳しい2月という時候の中で、共演の俳優さん、そしてスタッフの皆さんとのチームワークで元気に頑張っていらっしゃる舟木さんにますますのエールを贈りたいと思います。

ところで、1966年の新歌舞伎座初座長公演の翌年からは、明治座での座長公演が開催されています。
初座長公演は大阪でしたが、その後の7年間は、明治座の座長公演が恒例となっていくわけです。
明治座公演は1967年から1973年まで開催されました。演目は以下の通りです。
 
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写真上段左から1967~1969年、下段左から1970~1973年パンフレット表紙
 
 1967(昭42)4月 「春高楼の花の宴」「維新の若人」
 1968(昭43)7月 「坊っちゃん」「喧嘩鳶~野狐三次~」
 1969(昭44)7月 「与次郎の青春」「新納鶴千代」
 1970(昭45)8月 「新吾十番勝負」「日本の旋律 荒城の月」
 1971(昭46)8月 「新吾十番勝負 完結編」「忠臣蔵異聞 薄桜記」
 1972(昭47)8月 「魔像」「あの海の果て」
 1973(昭48)8月 「沖田総司」「われ永久に緑なる」
 
 
過日、拙ブログでご案内させていただいた「COMPANY TANK 1月号」のインタビューの中の「役者・舟木一夫として」という部分で、舟木さんが、以下のように話していらっしゃいます。
 
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「赤穂浪士」に出たそもそものきっかけは、脚本を書かれた村上元三先生のいたずら心。当時、詰襟を着
て歌を唄っていた僕をテレビで見て、「かつらが乗りそうだから、出してみたらどうだ」と思われたことから話が来た。その後に新歌舞伎座の舞台を踏むんだけど、当時はそれがイレギュラーな仕事だと思っていたんだよね。「こういう仕事もやっていくのかな?」という程度の思い。ただ、その翌年にも明治座の舞台に立ち、その公演期間中に翌年のスケジュールも決まっていて、マネージャーに「これはレギュラーとして考えるべき仕事なのか?」と聞いたら、そうだと。そんな感じで僕の役者人生は始まったわけです。
 
私の手元にある、明治座公演のパンフレットを資料にして、二十代の頃の舟木さんの出演されたお芝居についてたどってみようかと思います。現在開催中の新歌舞伎座特別公演の御報告の合間、合間の掲載になるかもしれませんが、何回かに分けて連載します。
 

舟木一夫 四月特別公演  (1967年 4月4日~4月30日開催)  パンフレットより
 
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先ずは、舟木さんご自身によるご挨拶文から。「COMPANY TANK」での舟木さんの言葉と併せて読むとさ
らに興味深く、また感慨深いものを感じます。
 
まだいくらかあどけなさの残る初々しい舟木さんの表情
 
明治座 初出演によせて
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東京での長期公演が、この明治座で実現されました。
明治座といえば、多くの名優が日本の演劇史を飾るお芝居を上演してきた伝統ある劇場で、今、同じ舞台に立つことを思うと感無量です。これもファンのみなさまのおかげだと感謝しておりますが、それだけに、この公演にはぐっと責任を感じております。
川口松太郎先生と村上元三先生が、僕のために本を書いて下さいました。二作品とも日本の夜明け明治を背景に新しい時代に生きる青年の息吹がテーマになっており、この公演に意欲を燃やしている僕自身にぴったりで若さと熱でやり抜きたいと思っています。相手役の光本幸子さんをはじめ新派から伊志井先生ほか大勢の方々、又、歌舞伎からも多数の方がこの公演に参加して下さいました。みなさまに喜んでいただける楽しいお芝居を見ていただけると思います。
ヒットパレードでも新機軸を出したいと工夫いたしました。ヒット曲は勿論、童謡や民謡も歌いますし、又、今までになかったコミカルなものもお見せできると思います。
今年は新年早々病床についてずい分とご心配をおかけ致しましたがもう大丈夫、すっかり元気になりました。ともかく体には十分気をつけてこの一ヶ月を頑張ります。
 
また、舟木さんがインタビューの中でおっしゃっているように舞台芝居の役者という道を拓くきっかけともなった村上元三氏はじめ、当時の名立たる文化人が「若手舞台役者としての舟木一夫」に並々ではない期待を寄せていらしたことがパンフレットを読むと本当にひしひしと伝わってきます。

1967年の明治座初座長公演のパンフレットの巻頭の挨拶文は、川口松太郎氏によるものです。
 
イメージ 7舟木君を迎える    川口松太郎
 
舟木君の東京初舞台を明治座に迎えたのは幸運であった。人気のある歌手の舞台出演が、人気にたよるショーであっては意味をなさない。演劇としての価値を持つための努力と精進がなければ心を打つ舞台にはなり得ない。
私は大阪の新歌舞伎座で舟木君の舞台を見た。顔にびっしょり汗をかいて松平長七郎を演じる舟木君を見て「若いのにたのもしいな」と思った。
汗をかいて舞台をつとめる俳優がだんだん少なくなる。六代目菊五郎が「汗をかいていることが見物に判るようでは駄目なんだよ。汗をかいても見物に判らせないのが本当の芸だ。」
と言ったが、その日は中幕に道成寺を踊っていた。私は一番前の席で見物したが、踊っている最中にたらたら汗を流している。夏ではあったし、引きぬき衣裳を着込んでいるからよくよく暑かったのだろう。見物の目にも見えるくらいの汗で、うしろむきになると後見が手拭いでふき取っている。幕がしまってから
「汗をかいては駄目だといいながら、ひどい汗じゃありませんか」
というと

「だからまだ駄目なんだよ」
と真面目に答えた。
六代目菊五郎ほどの名優が、汗をかいては駄目だといいながら汗を流すのだから、若い舟木君の汗は当然で、明治座でも充分に流してほしい。
若い人が骨惜しみをして、ほどほどにやっているのを見ると腹が立ってくる。汗を流して熱心に演ずる舞台には、幾分の欠点があっても見物は満足する。
舟木君を助けて新派の若手が出る。光本幸子は二代目水谷八重子といわれ、翠扇は二代目喜多村緑郎、英つや子は二代目英太郎と、二代目継承の腕っこきが出て芝居を面白くする。舟木君の人気がどれほど高くとも一人で芝居は出来ない。好い相手役を得ないと舞台が貧相になり、一つ舞台に出ている間は相手役に惚れ込まないと情が出ずに冷たさが流れる。惚れすぎると感情が先に立って芸が上辷りをする。
芸に惚れて舞台に情を出すのが俳優の心がけだが「惚れる」ということは「恋愛」の意味ではない。
舟木君が新派の女優に惚れ、女優たちが舟木君に惚れてくれることを期待する。
 
 
 1967年明治座パンフレット掲載の舟木さん着物姿                   今の舟木さんの着物姿
 
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不定期になりますがこのテーマで、随時連載していきます。
 
まだの方、是非、新歌舞伎座へGO!
 
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