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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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思い出の新歌舞伎座・舟木一夫初座長公演記録 その2 &舟友kazuyanさんの最新動画紹介

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新歌舞伎座公演フィーバーで明け暮れた如月(2月)も終わります。いよいよ弥生三月、本格的な春のスタートですね。わが家のお雛様もお出ましになりました。

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私事ですが、8年間お世話になってきたパソコンがついにご臨終となってしまい、私にとっては三台目(三代目)のパソコンを一昨日から使っています。昨年から、徐々にCドライブの空き容量というのが減り続けてきて、とうとう空き容量300MBという危険な状況になってしまいました。容量がゼロになるとパソコンを起動させることもできなくなり、データも壊れて取り出せなくなると聞いたことがあるので、まずは昨年パソコンの主電源ボタンが壊れた際に修理してもらったメーカー(シャープですが、現在はパソコンはもう製造していないとのこと)に相談したら「日本TCサービス」というパソコンのトラブル対応業者さんを紹介してくれました。早速、その日のうちに来てもえらることになり、色々質問をしたりして、データの移し替えだけをしてもらうのか、新しくパソコンそのものを買い替えるべきかを検討したのですが、作業効率とか機能性の問題点とかをトータルに考えるとやっぱり思い切って新しく買い替えたほうが正解だなと判断してNECの「LaVie 8.1」というノート型の機種にしました。ほぼ3時間ほどで、セッティング完了。散財してしまいましたが、パソコンはないと不便ですし、せっかく始めたこのブログもストップになってしまうので背に腹は代えられませんね。

処理スピードも驚くほど速くなって、これがパソコンの本来の動きだと、あらためて痛感しています(笑)これまで使い慣れてたものと使い勝手は少々変わったので、慣れるまでマゴマゴすると思いますが、まあ、なんとなく、これまで通りの作業はなんとかできそうです。

では、本題に…
先ずは、千秋楽ヴァージョンコンサートのオープニング曲「落日のあとで」もkazuyanさんが「新歌舞伎座公演思い出動画」にしてくださいましたのでご紹介します。

イメージ 3落日のあとで  作詩:秋元康 作曲:竜崎孝路
http://youtu.be/sPrfCaW_hZQ 
(1990年9月 カップリング曲「風のワルツ」) 

今日という 熱き思いは
西の空を 燃やしながら
家路へと急ぐ人波
その背中に 語りかける
*落日のあとで 何を想うか
歩いた道に 悔いはないのか
落日のあとで 何を想うか
自分の影が
きっと その答えなのだろう*

向かう風 生きる姿は
木々のように 美しくて
時が過ぎ たとえ枯れても
今の命 忘れてない
人生の途中 何ができるか
この一瞬(ひととき)に 夢を見てるか
人生の途中 何ができるか
明日になれば
きっと陽はまた昇るのだから
*くりかえし


「思い出の新歌舞伎座・舟木一夫初座長公演記録 その1」のつづきです。

文章に記名はありませんが、パンフレットの取材記者の方が書かれたであろう記事から紹介します。

イメージ 4ヒタイにかかるトレード・マークの前髪がない。クリクリ坊主だ。頬がこけている。2キロもやせたそうだ。主演映画「絶唱」がもたらした舟木一夫の変ぼうである。彼は一つの仕事にこれだけ心血をそそいだ。努力家で真摯な人柄でなければ出来ない話だ。続いて初出演の大阪新歌舞伎座の舞台。これも人気の波に乗ってポイと安易に打って出たのではなく、期するところがあるようだ。この秋は本命のレコードの売れ行きも好調。映画、舞台、歌と申し分のなない充実ぶりと言える。静謐の十月は哀愁の歌手舟木一夫にふさわしいシーズンでもある。ファンならずとも、その「絶唱」のムードは心にしみ入るに違いない。

安藤鶴夫(演劇評論家・作家)は、同じ町内の銭湯仲間で、舟木の後援会理事の肩書を持つ、いわばファンのひとり。「赤穂浪士」の作者だった村上元三もその縁で舟木のよき理解者だ。「雨月道成寺」は上田秋成の「雨月物語」を素材に、安藤鶴夫が長年あたためてきた作品でぜひ彼にやらせたいと新しく筆を執ったもの。「松平長七郎」も村上元三が、舟木のイメージで書き下ろした新作である。

38年、コロムビアがとった新人攻勢の一人として舟木一夫の「高校三年生」が売り出され、大ヒットした。橋幸夫の青春歌謡と対照的な哀愁をおびた彼の歌唱がアピールしたのである。歌手生活三年というのでことしは多忙だった。4月末、キタの梅田コマ劇場で初のリサイタル。続いて浅草国際劇場のワンマンショー。5月は九州の博多、熊本に飛び、6月は北海道の札幌に出かけた。8月、日活映画「絶唱」に主演し、その主題歌「絶唱」は発売以来一ヵ月で60万枚。ことしのレコード大賞の呼び声が高いヒットソングとなった。

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舟木のカラーは清潔と哀愁がミックスされたものである。太陽のようなギラギラした青春ではなく、月光のように知的で、ロマンチックだ。それがひとときの春を生きてはかなく散っていく右衛門七や、敦盛の役にどれほどぴったりと生かされたことか。”結ばれて引き裂かれ 七年を西東 いのち短く…”「絶唱」の切々たる歌詩も舟木が歌えば、さらに哀愁の色を増す。もう一つの舟木のカラーは気品と知性である。その点、デビュー当時の学園ものはうってつけだった。このことは、平家の公達敦盛や「絶唱」の順吉などの役々にもみることができる。「松平長七郎」も将軍家の一門の若様。彼を知る村上元三らしいイメージ(作品と俳優の)といえよう。

この三年間に歌ったのが約80曲。その半分を新歌舞伎座のステージにとりあげる。先輩歌手の舞台内容をプログラムなどで分析、研究した結果、彼が割り出した答えはヒットパレードの構成を昼と夜によってガラリと変えるというこれまでの歌手が試みなかった新しい形式であった。すべてに落ち着いたもの腰、口調で、おとなしくみえるが秘められたファイトはなみなみならぬものがあるようだ。彼が野球選手であったら、さしずめ、頭脳的ピッチングを得意とするエースというところだろう。


ここからは、舟木さんの「新歌舞伎座初出演のことば」のつづきです。

ヒットパレードを昼夜別のものにしました。一部はオーソドックスなヒットソングショーで、もう一つは、おしゃべりなどもいれたアットホームなワンマンショーです。昼も夜もみて下さるお客様がありますから、その方がいいだろうと思いまして…。全部で40曲ばかり歌いますが、昼夜とも歌う、つまりダブる曲はほんの5、6曲ていどです。未発売の新曲「ブルートランペット」も歌います。

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僕も、この12月が来ればもう22歳になります、。いろんな点で大人にならなければならないと思います。清潔であっても、こんどは大人の清潔さを出せるように成長したいものです。

こんどの新歌舞伎座の舞台に新しい僕の可能性をかけています。「絶唱」はもう二度と同じことはやれないほど全力をかけましたが、こんどの公演にも同じことが言えます。映画で2キロやせましたが、舞台でまたやせちゃったら、本当に骨と皮ばかりになるのでは…とファンの方が心配して下さって…
ファンてほんとうにありがたいですね。この5月から九州、北海道を回ったのも、日ごろ応援して下さっているファンの方たちと親しく接して心の交流をはかりたいと考えたからです。ファンレター、もちろん全部読みます。新歌舞伎座に出るについても全国の方々から激励のお手紙をいただきました。そういう力に支えられて、今月の舞台に踏み切ったといえるくらいです。

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新歌舞伎座の初座長公演は、10月1日初日で28日が千秋楽という公演期間。二十代の頃の長期公演は文字通り一ヶ月公演という長さだったのですね。しかも、お芝居も昼夜別演目、コンサートも昼夜別構成ですから、舟木さんも挨拶文でおっしゃってたように「若さと熱」で勤められたのでしょうね。

以下の内容もこの公演の前売券発売日の様子について記者の方の書かれたもので当時の舟木さんの人気のほどがうかがわれます。

9月18日、前売りがはじまった。その前日17日の昼頃には新歌舞伎座の前売券発売窓口に30人あまり、うら若い女性が花束のように群れ集まった。徹夜して翌朝発売開始の10時まで20時間近くある。係員が「整理券をお渡ししますから…」とお引き取りを願ったら一蹴されてしまった。「私たちは徹夜で並んで苦労しても自分の納得のいく席を買いたいのです!」と。ちょうど折悪しく台風22号が接近していた。雨も嵐も踏み越えたファンの心意気だ。夜になると赤い雨傘をひろげた。”花の乙女たち”の列はどんどん増えていった。とうとう、新歌舞伎座では前代未聞の1階ロビーを開放して、係員が270人のファンと一緒に徹夜した。午前五時、一番電車がついたらしい。御堂筋を数十人の女性が新歌舞伎座を目指してかけてきた。午前七時、列は二千人に膨らみ、10時の発売時間を7時に繰り上げて窓口を開いた。これも異例のことである。四国、九州からの母子連れもあった。





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