以前に、「西條八十と舟木一夫」というテーマで連載記事を掲載したことがあります。その際に筒井忠清著「西條八十」(中公文庫)から一部引用させていただきました。その引用の中に、筒井氏が「花咲く乙女たち」に触れていて、そこで、このことに関連する金子修介氏の「明るい歌も暗かった舟木一夫」という言葉に共感するというスタンスで金子氏のお名前を紹介しています。
筒井忠清著「西條八十」 十二章 復興から高度成長の時代に(中公文庫より抜粋)
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http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68480722.html
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以下に「花咲く乙女たち」についての筒井氏の文面を再掲載します。
~金子修介は「明るい歌も暗かった舟木一夫」と規定し、この歌も「不特定多数の女性を賛美するというコンセプトだから明るいはず」なのに「よく聴いてみると」「根に暗いものを感じる」といっているが、鋭い指摘といわねばならない~
私自身もこの文章を読んだときに、あくまで「暗さ」という言葉を「憂い=憂愁」という言葉に置き換えた上でなのですが、金子氏、筒井氏の舟木一夫という歌い手の個性を表現するには当たらずといえども遠からずと共感できる部分があって強く印象づけられ、また記憶に残っていました。筒井氏の文章の中では、金子氏の言質の出典については書かれていなかったと思いますので長く忘れていたのですが先日たまたま図書館で金子修介氏の著書「失われた歌謡曲」を見つけました。なんとなくお名前を覚えていたので先ず、目次を眺めてみたら、こんな感じでした。
目次の一部です
舟木さんの項は、テーマが三つに分かれていて、そのアプローチはすこし乱暴な部分もあるのでは…とも思われますがユニークで面白い視点だなと思いながら読みましたので、一部を抜き書きさせていただきます。
「失われた歌謡曲」 金子修介著 (小学館 1999年6月10日初版)
画面向かって右中央の奥のほうに「暗い」イメージの舟木さん(笑)
○舟木一夫と学園青春歌謡
舟木一夫のデビュー曲『高校三年生』こそ我がドメスティック歌謡曲の名作で、誰もが歌える日本の……なに、歌えない奴がいる?そんなもんは非国民だ……と思わず口走ってしまいたくなるほど全国民に愛された歌で、「青春は清く美しい」という思想で疑問なく統一された世界である。
この歌によって昭和38年「若者は正しく育っている。戦後民主主義は間違っていなかった。」と左翼は確認、右翼のほうは「若者は美しい。日本もまだまだ捨てたものではない。」と確認、右から左まで共感し、清らかな青春世界に浸り、国民的大ヒット歌謡となったのである。
そして舟木一夫は『学園広場』『修学旅行』『君たちがいて僕がいた』と同系統のマイナーコード演歌を、詰め襟の学生服を着て歌うというビジュアル戦略で連打、学園青春歌謡という鉱脈を切り開いていったが、そのうち、いつまでも学生服というわけにはいかないけど、脱いだらイメージが変わって大丈夫だろうかという周囲の心配~小学三年生僕でさえ、おせっかいにも心配したものだが、そんな杞憂をはねのけ、学生服を脱いで以降、本物のスターになって数々のヒットを飛ばしたのであった。
この歌によって昭和38年「若者は正しく育っている。戦後民主主義は間違っていなかった。」と左翼は確認、右翼のほうは「若者は美しい。日本もまだまだ捨てたものではない。」と確認、右から左まで共感し、清らかな青春世界に浸り、国民的大ヒット歌謡となったのである。
そして舟木一夫は『学園広場』『修学旅行』『君たちがいて僕がいた』と同系統のマイナーコード演歌を、詰め襟の学生服を着て歌うというビジュアル戦略で連打、学園青春歌謡という鉱脈を切り開いていったが、そのうち、いつまでも学生服というわけにはいかないけど、脱いだらイメージが変わって大丈夫だろうかという周囲の心配~小学三年生僕でさえ、おせっかいにも心配したものだが、そんな杞憂をはねのけ、学生服を脱いで以降、本物のスターになって数々のヒットを飛ばしたのであった。
○舟木一夫と深刻歌謡の流れ
舟木一夫は青春歌謡以外でも、持ち前の暗さを発揮して、昭和41年「絶唱」という歌謡史上に残る超暗い歌をヒットさせた。これを深刻歌謡と名づけよう。この歌は、昭和33年に作られた不幸三重奏のような同名の映画が発想の素になっている。舟木一夫自身がこの映画を観ていて、再映画化の企画を日活のプロデューサーに相談して「当たらない」と言われたが粘って実現、自分が主演、主題歌も歌って映画も歌もヒットさせたということである。
○舟木一夫のリズム歌謡
暗いムードの舟木一夫といえども、御三家の一角を担う以上、明るい歌もたくさん歌っている。ここでは舟木一夫の明るい歌について思い出してみよう。しかし…明るい歌も暗かったのが舟木一夫なのであった。例えば、「♪カトレアのようにはでなひと すずらんのように愛らしく …」と軽快に歌う『花咲く乙女たち』では不特定多数の女性を賛美するというコンセプトだから明るいはずで、いや、メロディは途中から転調して明るくなるが、よく聴いてみると、街で華やいでいる女性たちにフワフワとついて行ってしまいたいけど、そこまでは馬鹿になれない二枚目の自分、という気分を歌っているので、根に暗いものを感じるのである。
花咲く乙女たち 作詩:西條八十 作曲:遠藤実
https://www.youtube.com/watch?v=RFpbGz5Bu9Q
https://www.youtube.com/watch?v=RFpbGz5Bu9Q
(kazuyanさんの動画です)
八十の詩は、「暗い」のではなく「深い」のですよね(笑)舟木さんの歌も「暗い」のではなく「乙女でいられる時間のはかなさ、青春の季節へのノスタルジー」を謡った八十の想いを受けて、その独特の憂いを含んだ声質によって、十二分に描き出しているのだと思います。
このあと「夏子の季節」「太陽にヤア!」などを例に挙げての金子氏の持論が展開されますが、そこはかなり色っぽい内容なのでここでは割愛させていただきますね。
最後は以下のように素敵にまとめて下さっていらっしゃいます。
舟木一夫を「暗い暗い」と評してばかりいて、申し訳ない気持ちにもなるのは、今から見ると暗いのであって、当時は全くそうは思っていなかった。「陰がある」程度の認識だったのではないだろうか。文字どおりカッコよかったのである。男も惚れる男の色気がムンムンしていたのである。だから、この色気で「水着」を歌われると、倒錯した感情に襲われてしまうのである。ためしに聴いてみてくださいね。
金子修介(かねこ しゅうすけ、1955年6月8日~ )日本の映画監督。
東京都渋谷区出身。東京都立三鷹高等学校、東京学芸大学教育学部卒業。大学卒業時には小学校教員・国語科の教員免許を取得している。渋谷区立幡代小学校の同級生に劇作家の野田秀樹、大学映研の先輩部員に映画監督の押井守がいる。1995年、「ガメラ 大怪獣空中決戦」で映画芸術誌邦画ベスト10で第1位、1996年に「ガメラ2 レギオン襲来」で第17回日本SF大賞を受賞。
では、金子氏のお薦めなので、あらためて聴いてみましょう!(笑)
いずれもkazuyanさんによる動画です。
太陽にヤァ! 作詩:関沢新一 作曲:船村徹
https://www.youtube.com/watch?v=NagxNzTqdf4
https://www.youtube.com/watch?v=NagxNzTqdf4
夏子の季節 作詩:丘灯至夫 作曲:船村徹
https://www.youtube.com/watch?v=lLWYi02-g9Y
https://www.youtube.com/watch?v=lLWYi02-g9Y
金子氏が当時のご自分の感覚をたぐり寄せて書かれた文面を拝見していて、その頃、まだ二十才そこそこだった舟木さんの印象、あるいは舟木さんの歌われたヒット曲から受けた印象が男性目線(当時まだ金子氏が小学生だったとしても)と女性目線とでは、かなり視点が違っていたのかもしれないと感じました。「男も惚れる男の色気」が若いころからあったんですね。これはちょっと驚きでしたが、今の舟木さんを拝見してれば、なるほど、そうだったのか!と得心できます。