ジャ~ン!![]()
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ついに待ちに待っていた「春はまた君を彩る」のジャケットがアップされました
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まずは、なんとも心ときめく舟木さんのステキな横顔をじっくりお楽しみくださいね![]()
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さて、胸のドキドキはおさまりましたか?は~い、深呼吸(笑)
では、今回のブログのタイトルにも掲げたように、3月14日に開通した北陸新幹線が、このところニュースでもよくとりあげられているので、久々の「舟木一夫主演映画つれづれ」というカテゴリーで「君に幸福を/センチメンタルボーイ」について…
夢をあげよう 夢をあげよう
ぼくの夢をみんなあげよう
きみが倖せになれるなら
ぼくには夢がなくなってもいい
えくぼ押さえてる きみの小指に
投げキスをして
ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ
虹をあげよう 虹をあげよう
ぼくの虹をみんなあげよう
きみを美しくできるなら
ぼくには虹がなくなってもいい
涙うかべてる きみの瞳に
ほほえみながら
ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ
ぼくの夢をみんなあげよう
きみが倖せになれるなら
ぼくには夢がなくなってもいい
えくぼ押さえてる きみの小指に
投げキスをして
ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ
虹をあげよう 虹をあげよう
ぼくの虹をみんなあげよう
きみを美しくできるなら
ぼくには虹がなくなってもいい
涙うかべてる きみの瞳に
ほほえみながら
ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ
歌をあげよう 歌をあげよう
ぼくの歌をみんなあげよう
きみに微笑みがもどるなら
ぼくには歌がなくなってもいい
遠く消えてゆくきみの背中に
手をふりながら
ああ ぼくはセンチメンタル・ボーイ
「センチメンタルボーイ」はじめ、ここでご紹介する映画の挿入歌の「お菓子の好きな少女」/「星にそっと」/「恋の残り火」もすべてkazuyanさんの動画です。本当にいつも感謝です。
4月8日に放映された「ワイドスクランブル」の中で、舟木さんと対談された井筒和幸監督がご自身の映画「ガキ帝国」の中で映画の背景となっている昭和40年代初めの時代性の象徴として「君に幸福を/センチメンタルボーイ」の映像の一部を使ったということを話されていました。
右側は私が撮影した同じ場面のワンシーン
時代劇は別として、「現代」を描いた映画というのは、その作品が作られた当時から何十年もの歳月を経ると「現代」だったものが「過去の現代」となってしまうところに、映画のストーリーを追うのとは、また別の楽しみ方や興味が生まれてくるものなんですね。
この半世紀ほどの間に大きく様変わりしたもの、あるいは、ほとんど変わらないものを確認することができるという面白さがあって、舟木さんの出演された映画を観ていても別れのシーンなどで駅や列車が登場する場面で時代の変化がはっきりとわかります。ラストシーンはアメリカに渡る内藤洋子さん扮する十紀(とき)が、空港ではなく港(横浜)から出航するのですから今観るとかなりカルチャーショックです。
東京周辺の方には、北陸新幹線の開通によって北陸地方がかなり近くなったのだろうと思います。
私は、今は名古屋の近く、東海地方に住んでいて、その前は京都ですから北陸はわりとお隣の地域という親近感があります。また、金沢にはご縁があって、たった1年ですが、住んでいたこともあるので、余計に親しみがあります。
金沢に住んでいた頃は子育て真っ最中だったので、遠出することはなく和倉温泉へは行かずじまいでした。金沢からの距離感もわからなかったくらいですので、今回調べてみたら、今はなんと金沢から和倉温泉まで「能登かがり火」という特急に乗れば1時間弱で行けるんですね。
(Wikipediaより)
2014年3月15日ダイヤ改正時点で、金沢駅 - 和倉温泉駅間の特急列車は、大阪駅発着の「サンダーバード」が4往復、名古屋駅発着の「しらさぎ」と越後湯沢駅発着の「はくたか」が1往復ずつの、いずれも北陸本線からの乗り入れ列車計6往復が運行されていた。しかし、2015年3月14日に北陸新幹線が金沢駅まで延伸開業するのに伴い北陸本線系統の特急列車の運行体系が大きく見直され、新幹線連絡特急であった在来線特急「はくたか」が運行終了、「しらさぎ」は全列車が金沢止まりに、「サンダーバード」も1往復を除いて大阪駅 - 金沢駅間のみでの運行となった。これを踏まえ、金沢駅 - 和倉温泉駅間の特急本数を維持することを念頭に北陸新幹線連絡特急として運行を開始した。
この映画のロケが行われた当時の記事から抜粋させていただきます。
ロケ地メモ 和倉 風光の美しい海岸温泉
ロケ隊が宿泊した和倉温泉は、七尾市の西北端にあたり、七尾湾に突き出した弁天崎の先端にあります。
目の前に能登島の屏風崎がそそり立ち、みどりの海上にに点々と美しい小島が散らばった風光明媚の海岸温泉~中略~呼びものは、団体客の歓迎陣でとくに和倉太鼓、和倉節、まだら節などは有名です。東京からの交通は、上野発の下り北陸線で金沢まで(急行で約十一時間)行き、七尾線に乗り換えて和倉駅下車(約二時間、急行で一時間十分)新幹線(東海道新幹線のことでしょう)を利用して米原で乗り換えるとこれより二時間半ほど時間が短縮されます。(東京から和倉まで二等車で約三千八百円)和倉駅から温泉まで、バス5分。金沢から温泉まではバスで約三時間。
目の前に能登島の屏風崎がそそり立ち、みどりの海上にに点々と美しい小島が散らばった風光明媚の海岸温泉~中略~呼びものは、団体客の歓迎陣でとくに和倉太鼓、和倉節、まだら節などは有名です。東京からの交通は、上野発の下り北陸線で金沢まで(急行で約十一時間)行き、七尾線に乗り換えて和倉駅下車(約二時間、急行で一時間十分)新幹線(東海道新幹線のことでしょう)を利用して米原で乗り換えるとこれより二時間半ほど時間が短縮されます。(東京から和倉まで二等車で約三千八百円)和倉駅から温泉まで、バス5分。金沢から温泉まではバスで約三時間。
この記事を読んでいると、まさに隔世の感がありますね。同じく同誌掲載の記事に舟木さんは京都から金沢経由で和倉温泉のロケ地に向かったと記されています。以下、当時同行された取材記者の方による記事
和倉太鼓の音も冴えて! 能登半島・和倉ロケの一週間 一部抜粋
現在の和倉温泉上空からの撮影 画面向かって左の海に突き出た建物が加賀屋旅館だと思います
16時12分、京都発の急行「加賀号」に乗車、19時55分、金沢駅に着く。ここから車を飛ばして和倉温泉のロケ宿「加賀屋旅館」に着いたのが午後9時30分である。舟木くんの部屋は、8階の「雲竜の間」10畳に6畳の次の間がついた閑静な日本間である。入浴してサッパリしたからだを和服に着替えてマネージャーたちの陣取る「介州の間」に姿を見せる。薄いブルーの着物にベージュの羽織という小粋ないでたち。
左が現在の加賀屋旅館、右は映画の場面中の加賀屋旅館の船着き場
朝、7時30分起床の予定だったがあいにく外はミゾレまじりの雨。8時半ごろまでゆっくり朝寝を楽しむ。午前中、旅館内で山岡久乃さんとのカラミの場面を撮影。舟木くんの”史郎”が山岡さんの母親と廊下で行きあって「母さん、いつまで芸者をやってるんだ」と詰問する。各階から大勢の滞在客が集まって見学。「舟木一夫ってやっぱり実物もいい男だのう」などど賑やかだ。午後2時頃旅館を出発。16時36分金沢発の上り急行「白馬号」で帰京する。翌日21日、東京、代々木の武道館で行われるフジテレビ「秋の祭典」に出演するためだ。
昨夜21時26分、上野発の「北陸号」で東京を発った舟木くんが早朝7時48分に七尾駅に到着するのを待ち構えてそのまま構内で撮影しようという寸法である。夜行列車で着いたばかりの舟木くんには気の毒だがスケジュールに追われた丸山監督以下スタッフ連中は情け容赦もない。シーンは東京へ帰る”史郎”を洋子ちゃんの”十紀”と山岡さんの”まつ”がホームで見送るところ。黒山のようなファンの中にはわざわざ富山から来たという熱心な女学生たちもいる。午後、旅館内の大ホールで和倉太鼓のシーンを撮る。太鼓のリズムを譜面に写して練習したという舟木くんのバチさばきは鮮やか。「短時間の練習であんなにうまく叩けるとは…」と保存会の人たちもすっかり感心した表情だった。午後3時撮影終了。
23日(木)
午前8時起床。七尾湾の石炭置場や貨物集積所を背景に”史郎”と”十紀”の待ち合わせの場面を撮る。Vネックの白いセーターを着た舟木くん。鉛色の空、日本海から吹きつける風が冷たい。黒山の見物人はいつも通りだが、今日はその中に「東宝映画友の会」の人たちもまじっている。撮影の合間、スタッフの人たちに”差し入れ”を配って歩く舟木くん。今朝、使いをやって段ボールの大箱三個分買ってきた菓子パンである。午後、同じ七尾湾構内の現場に移動する。引き込み線のレール沿いに”史郎”が歌をうたいながら歩くシーン。スピーカーで流すメロディーにあわせて、歩度をゆるめたり、早めたり。午後3時終了。(ここで歌われているのは「恋の残り火」)
この道は恋を棄てる道
待ちかねたあの娘が
駆け寄ってきても
でも でも
笑ってはいけない
さよならをいうだけ
この道はこの道は
恋を棄てる道
待ちかねたあの娘が
駆け寄ってきても
でも でも
笑ってはいけない
さよならをいうだけ
この道はこの道は
恋を棄てる道
爪かんであの娘が
好きよといっても
でも でも
振り向いてはいけない
さよならをいうだけ
この川はこの川は
恋を流す川
でも でも
振り向いてはいけない
さよならをいうだけ
この川はこの川は
恋を流す川
この恋はひとりで消す恋
指からめあの娘が
泣いてすがっても
指からめあの娘が
泣いてすがっても
でも でも
負けてはいけない
さよならをいうだけ
この恋はこの恋は
ひとりで消す恋
24日(金)
午前11時まで「加賀屋旅館」の裏手にあたる船着き場で”史郎”と”まつ”のカラミのシーン。ロケ現場を車で30分ほど離れた瀬嵐町に移す。和倉町から七尾湾に沿って北上したところ。民家を一軒借り切ってここが”史郎”の家になる。
君に幸福を センチメンタルボーイ
(1967年12月16日公開 製作:東京映画 配給:東宝)
(1967年12月16日公開 製作:東京映画 配給:東宝)
脚本:松山善三
監督:丸山誠治
音楽:山屋清
監督:丸山誠治
音楽:山屋清
あらすじ ~キネマ写真館サイトより~
http://kinema-shashinkan.jp/cinema/detail/-/2_0640?PHPSESSID=hd7mhs86ag8lf5dts7si0mdo63
http://kinema-shashinkan.jp/cinema/detail/-/2_0640?PHPSESSID=hd7mhs86ag8lf5dts7si0mdo63
二ノ谷史郎(舟木)は能登から上京、洋菓子店に勤め、ケーキ作りを学び始めた。ガールフレンドのいない史郎は、彼女のいる同僚の木村(小鹿)から日曜日に遊園地にいくように勧められるが、突然空から落ちて来たハンドバッグを頭に受け、気絶してしまう。次の日曜日も浅草観音の社殿で三脚をぶつけられ、再び気絶。
史郎は配達にいった喫茶アムールで、犯人の女子大生・真浦十紀(内藤)と出会う。アムールは十紀の叔母が経営していた。ふたりは同郷ということで、すっかり親しくなった。女子大生の十紀にコンプレックスを感じた史郎は、大学でインド哲学を専攻し、洋菓子店でアルバイトしていると嘘をついてしまう。
何度も頭にタンコブをつくって、ついにヘルメットをかぶる舟木さん。カワイすぎるのでアップします(笑)
あの娘に贈ろう このケーキ
夢で逢うとき ほほえむ娘
お菓子を いつも手に
虹の橋を渡る
ぼくの 大事な こいびと
夢で逢うとき ほほえむ娘
お菓子を いつも手に
虹の橋を渡る
ぼくの 大事な こいびと
夜明けと一緒に 消える人
ヤイヤイ ヤイヤイ
あの娘と いつの日語るだろう
ホッホッ ホッホッ
マロンの香りが ただよう娘
ヤイヤイ ヤイヤイ
あの娘と いつの日語るだろう
ホッホッ ホッホッ
マロンの香りが ただよう娘
ひとりのはかない 夢だけど
明日を生き抜く 希望なのさ
ぼくの 大事な こいびと
あの娘に贈ろう このケーキ
あの娘にあげたい このケーキ
虹を呼ぶよに ほほえむ娘
夜ごとに 夢で逢う
可愛いあの娘だけと
歳も 名前も しらない
お菓子が好きだと わかるだけ
ヤイヤイ ヤイヤイ
あの娘に いつの日逢えるだろ
虹を呼ぶよに ほほえむ娘
夜ごとに 夢で逢う
可愛いあの娘だけと
歳も 名前も しらない
お菓子が好きだと わかるだけ
ヤイヤイ ヤイヤイ
あの娘に いつの日逢えるだろ
ホッホッ ホッホッ
チェリーによく似た 可愛い娘
ひとりのはかない 夢だけど
明日を生き抜く 希望なのさ
歳も 名前も しらない
あの娘にあげたい このケーキ
十紀の友達の誕生会に招待されたり、史郎が得意にしている和倉太鼓を披露したりと、ふたりの仲は急速に接近する。
史郎の夢の中に出てくるおなじみのファンタジーのようなシーン
史郎は次第に嘘をついていることが苦しくなり、本当のことを打ち明け、逃げるように十紀と別れた。
心にきめた別れなのに
ひとりの夜は泣けてくるさ
ふたりだけの思い出が
ひとりぼっちのぼくを苦しめる
心にきめた別れなのに
なぜか涙が
なぜか涙が
こぼれ落ちる
ひとりの夜は泣けてくるさ
ふたりだけの思い出が
ひとりぼっちのぼくを苦しめる
心にきめた別れなのに
なぜか涙が
なぜか涙が
こぼれ落ちる
ひとりの夜は泣けてくるさ
人眼さけて星にそっと
恋の日記のページを開いてみせた
未練はないと笑ってみたが
なぜか涙が
なぜか涙が
こぼれ落ちる
史郎の素性を知った十紀の叔父は、正月休みに十紀を能登へと帰郷させる。間もなく史郎も故郷に帰った。温泉芸者の母・まつ(山岡)は史郎を暖かく迎えたが、史郎は芸者である母を軽蔑していた。友人たちから太鼓打ちの誘いを受けた史郎は、和倉温泉一のホテルの舞台に立つ。そこで十紀と再会した史郎は、十紀がホテルオーナーのひとり娘であることを知る。
ふたりの仲は十紀の両親にも知られ、そのため十紀はホテル経営の勉強という名目で、米国留学させられることに。身分違いの恋を自覚した史郎は十紀に会い、別れを告げた。
東京に戻った史郎は、十紀がアメリカに発つ日、「サヨナラ」と書いた大きなケーキを作るが、見送りには行けなかった。船が港を離れても、十紀は史郎の姿を探し続けるのだった。
本日16日は舟木さんのコンサートが「ティアラこうとう」で開催されます。関東の皆さんはこの春はどっぷりと舟木さんを堪能されていることでしょうね。できれば、せっかく北陸新幹線も開通したことですし、金沢駅前にはアクセスも便利な立派なコンサートホール・石川県立音楽堂もありますから近いうちに、ぜひ金沢でもコンサートを開催していただきたいなぁと願っています。
*余談になりますが
「星にそっと」の動画をそのまま続けて聴いていただくと3曲目に「夜更けの街の物語」もアップされていました。
昭和の少女たちの「理想のお兄さん像」~「叱られたんだね」「夜更けの街の物語」「話してごらんこの僕に」 のときの記事では、「夜更けの街の物語」はyoutubeでは見つからなかったと書いてますが、なんとkazuyanさんの動画にあったんです。あらためてお聞きになってみてくださいね。
最後に再び、「春はまた君を彩る」&「そばにいるから」のジャケットでときめいて下さいね