桜が散ってしまって、ちょっと淋しくなりましたが、わが家の菩提寺の浄土真宗・桑名別院の山門脇には早々と牡丹が満開になっていました。
濃いピンクの牡丹
薄ピンクの牡丹
「月刊歌の手帖 編集部ブログ」に、先日15日に、たくみさんが「明日は、舟木さんのコンサート」と書いていらしたので、先ほど、何かご報告がないかとのぞきにいってみました。
ありました、ありました たくみさん、いつもありがとうございます
以下、転載させていただきます。
舟木一夫さんのコンサートに、南こうせつさん
2015-04-18 15:34:33NEW !
テーマ:2015年7月号
テーマ:2015年7月号
昨日、舟木一夫さんのコンサートツアーinティアラこうとう
に行ってきました
に行ってきました
夜の部開演前に
5月27日発売の「春はまた君を彩る」
を作曲された、
南こうせつさんが楽屋へ
2ショットを撮影させていただきました
こうせつさん、朗らかで優しい方で…
舟木さんのバンドメンバー・長谷川さんが
こうせつさんによく似てる!
という話から
長谷川さんとも2ショットを撮影してくださり
ワイワイと賑やかでした。
舟木さんとは、どんなお話をしたのかなぁ…
まさか、盗み聞きはできないので
機会があったら伺いたいな…。
こうせつさん、夜の部を最後まで聴かれていたそうで
感想もまた、気になります
おふたりの2ショットは
5月21日発売・7月号に掲載
コンサート本番、ほぼ満員で
「歌詞を間違えちゃった」と最初から唄い直す場面もあったりして、おトクな感じ(笑)
歌声もトークも絶好調でしたね
ちょっとオレンジがかった色合いの牡丹もありました
本日の舟木さんの歌声は「荒城の月」、kazuyanさんの動画でお楽しみ下さい。舟木さんのナレーションも入っています。
滝平二郎氏の切り絵の切手「日本の歌シリーズ」より「荒城の月」
荒城の月 作詩:土井晩翠 作曲:滝廉太郎
春高楼の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝(え)わけいでし
むかしの光今何処(いずこ)
めぐる盃影さして
千代の松が枝(え)わけいでし
むかしの光今何処(いずこ)
秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数みせて
植うるつるぎに照りそいし
昔のひかりいまいずこ
鳴きゆく雁(かり)の数みせて
植うるつるぎに照りそいし
昔のひかりいまいずこ
いま荒城の夜半の月
変わらぬ光たがためぞ
垣に残るは唯(ただ)かづら
松に歌うはただ嵐
変わらぬ光たがためぞ
垣に残るは唯(ただ)かづら
松に歌うはただ嵐
天上影はかわらねど
栄枯は移る世の姿
うつさんとてか今もなお
ああ荒城の夜半の月
栄枯は移る世の姿
うつさんとてか今もなお
ああ荒城の夜半の月
1968年6月発売 アルバム・ひとりぼっち第2集収録
明治座公演 1970年8月1日~28日開催 夜の部「日本の旋律~荒城の月」
日本の旋律~荒城の月 音楽の主題に依る2幕
作:霜川遠志 演出:松浦竹夫
滝廉太郎:舟木一夫
黒岩涙香:伊志井寛
滝大吉:花柳喜章
黒岩涙香:伊志井寛
滝大吉:花柳喜章
大吉の妻:淀かほる
広瀬武夫:内田良平
高木チカ:光本幸子
広瀬武夫:内田良平
高木チカ:光本幸子
舞台脚本のあらすじ(パンフレットより抜粋)
明治28年、舞台は大分県竹田町にある岡城址。戦勝の喜びにわきかえっている町の様子。竹田町では名士となった海軍軍人広瀬武夫中尉が帰郷しているとの噂。そこへ、竹田郡役所の小使い孫爺が東京の音楽学校の生徒滝廉太郎をさそって岡城址へ登ってきた。白絣の着流し姿で、どことなく弱々しい廉太郎である。彼は病気のため、一時帰郷しているのだ。廉太郎は、町の英雄広瀬武夫となにかと比較されるのだ。音楽がいまだ理解できない人々には音楽など、男子一生の仕事ではないときめつけられている。そこへ広瀬中尉が現れる。手に尺八を持った軍人とは見えない姿に驚く廉太郎。年代が異なっても二人の間には固い友情と尊敬の念がある。たんなる先輩後輩というのではなく心から信頼し合った美しい、燃えるような情熱で交際しているのだ。音楽を勉強する廉太郎の良き助言者は広瀬武夫であった。音楽を語り、芸術を語る二人には互いに共通するなにかがあった。廉太郎は自分で作曲した歌を彼の前で披露した。しかし、広瀬の口から出た言葉はきびしかった。廉太郎の精神が間違っていると言う。日本の音楽、西洋音楽を取り入れて新しい日本の旋律を創作するのが、滝廉太郎の目指す理想であろうと言うのだった。
廉太郎は東京麹町の叔父大吉の家に帰った。廉太郎は広瀬の言葉に励まされ新しい旋律を創作中だった。琴唄をたしなみ古い民謡にもあかるい大吉の妻の民子は廉太郎のよき理解者である。この日、廉太郎を慕う美しい高木チカ訪ねてきた。廉太郎はチカを呼び、新しく書いた曲をぜひ聞いてもらいたいらしい。廉太郎とチカは新曲の喜びを語り合った。その二人を寂しく見守る民子である。そこへ、夫の大吉が広瀬武夫と一緒に入ってくる。広瀬は近々露国へ留学するとのこと。廉太郎はそんな広瀬が羨ましい。自分も外国へ留学して西洋の音楽を研究したいと願っていたのだ。廉太郎は新曲「花」を弾きはじめた。岡城址で広瀬と誓った新しい音楽の第一作目だったからだ。それから一年が過ぎた。廉太郎は彼の才能を高く評価している「万朝報(よろずちょうほう)」の黒岩涙香に、留学して西洋人の風俗にもふれ、その音楽の精神を学ぶようにと勧められている、涙香は音楽学校が一名をドイツへ留学させることになったと告げる。涙香は「万朝報」の新聞記事で廉太郎を絶賛してくれた。しかしドイツ留学は廉太郎ではなく幸田幸に決定する。失望した廉太郎だが、気を取り直して、ピアノに向かった。新曲「荒城の月」が静かに流れていった・・。その一件以来、廉太郎は家に閉じこもりがちになったが、この頃には、童謡や唱歌にとりくんでいた。そして「荒城の月」や「箱根八里」が評判をよんでいた。しかし、留学への夢はあきらめきれずにいた。そんな廉太郎をやさしく包んでくれたのは民子であった。廉太郎に同情していた民子だったがいつしか淡い情愛をかけるようになっていた。廉太郎も民子の心やさしい好意のすべてに許されない心のうずきを感じるのだった。そんな時、念願だったドイツ留学が決まった。
明治25年、ドイツに留学した廉太郎は研究途上で病に倒れた。帰国した廉太郎は故郷の町に戻ってきた。思い出の岡城址に立つ廉太郎は今日までの過ぎ去った事が走馬灯のように浮かんでくる。「永遠」という言葉は滝廉太郎の魂であったろう。「荒城の月」の旋律が草陰にただよい流れていく中を滝廉太郎はその短い生涯を終える。