本日は一日中強い雨だったので、ずっと家に引きこもり状態…この写真は、2日ほど前に撮影しました
私が通っていた、精義幼稚園の藤棚がいつの間にか藤色になっていました
…といっても昨年から閉鎖になっています。子どもの数が開園条件の人数に満たないのです
タイトルの「智頭町の地酒・絶唱」
4月10日に、「絶唱」のロケ地となった西河克己監督の生誕地である鳥取県智頭町への舟旅を楽しんできました。その時には、こんな嬉しい名前の地酒があることを知らなかったのですが、後で舟友さんに教えていただきました。早速、智頭の諏訪酒造をネットで調べて、メールで注文して送っていただきました。私は、醸造アルコールが使われていると、どうも悪酔いする気がするので、日本酒を買う時には原材料を確認しているのですが、幸いにも、米と米こうじのみで造られているので安心して注文しました。やや甘口ですが、しっかりした吞み口です。「絶唱 克己」の書は、監督の直筆だそうです。西河監督が後年、何人かのお仲間の映画関係者の方たちと「智頭雪祭」に来訪された際に地酒として「絶唱」という銘で造られることが発案されたと某鳥取県の観光案内書に記されていました。
マコちゃん、舟木さん、西河監督のスリーショット
「1966年11月号 近代映画・別冊」に「絶唱」の撮影風景が舟木さんの日誌スタイルで記録されています。(一部を抜粋します)
どこまでも追いかける熱烈舟木さんファンの女性たち、地元の方たちもまじってるようです、これは奥多摩かな?
○月×日
本日より「絶唱」のクランク・イン。早朝、6時半出発の奥多摩ロケ。奥多摩神戸(かなと)岩でマコちゃん扮する小雪と愛を誓い合うシーンの撮影。~中略~午後は撮影所で本読み。
奥多摩神戸岩
○月×日
奥多摩ロケ。神戸岩の続きのシーンの撮影に入る。谷間の狭い道をゲタばきで走るシーンを撮影したが、足もとが悪いために足をすべらし、尻もちをつく。
○月×日
埼玉県小川町にロケ。東京から車で2時間半もゆられてロケ現場につく。ロケ現場は田舎の旧家を借りて、ここが僕の役・園田順吉の育った家ということになる。午前中は気に入らぬ縁談をすすめる父親(志村喬さん)と喧嘩をして、家出するシーンの撮影。自分の納得のいく演技ができなくて、ワンカット撮るにも二時間を費やす。
大きな荷物(花嫁)を抱いての撮影は、全部でテストまで入れると七百メートルぐらい歩かされた計算になる。久しぶりにいい運動をした。野球で九回完投しただけの疲労はある。
車から降りて小雪を抱きかかえて園田家の門から玄関に向かって歩くシーンは、この旧家の外観が使われているようです。
○月×日
奥多摩ロケ。山頂でマコちゃんとのラブシーン。西河先生にまるで丸太ん棒と丸太ん棒が二本重ねてつっ立ってるようだと批評された。ニガテなシーンが終わったとたん「おォ」と両手をあげて喜んだ。いちばん苦に思っていたところだったのだ。
○月×日
一時、撮影を抜けて石川県小松を振り出しに巡業に出たが、淡路島の洲本から鳥取に入り、鳥取ロケ第一日目を迎える。舞台が山陰地方なので、鳥取の砂丘を入れての大ロケーション。
まず最初に、材木置き場で丸太を運ぶシーン。大きな丸太を肩にかけて運ぶのだが、この作品ではまったく重いものを抱きかかえたり、運んだりで、力を強くするトレーニングに励んでいるようだ。
まず最初に、材木置き場で丸太を運ぶシーン。大きな丸太を肩にかけて運ぶのだが、この作品ではまったく重いものを抱きかかえたり、運んだりで、力を強くするトレーニングに励んでいるようだ。
撮影はこのシーンだけだったので、午後からは日本海を相手に大奮闘、といってもこの夏初めての水泳を楽しむ。東京近郊とは違い、すき通るようなきれいな水に挑戦した。白兎海水浴場といって「因幡の白兎」で有名な海岸。
○月×日
鳥取ロケの二日目。早朝から砂丘のロケ。鳥取大砂丘国立公園とあって実に素晴らしいものだ。五百人のファンに囲まれての撮影。兵隊服に身をつつんだ順吉こと僕は、さすがに軍靴を履いての砂地の上の歩きではバテ気味だった。
現場が移動すると、それにつれてファンの列が一緒に移動する。五百人のファンの人が移動するのだから大変な砂ぼこり、顔、頭は真っ白になるし目には入るしで閉口した。
写真の向かって左が兵隊服で移動する舟木さん。舟木さんについていくファン、おまりさんも大変だ!
しかし、暑い中をロケ見物にいらしたファンの方々には感謝します。砂丘では色々と珍しいものを見た。まずスキー用のリフトが砂丘を横断し、そこから広々とした砂丘見物ができるようになっていること。ラクダがいて、さながらアラビアン・ナイトの王様になっているような錯覚におちいった。馬にも乗ってみた。マコちゃんは上手に乗りこなしていたが、僕はあまりうまくいかない。
kazuyanさんの動画でお楽しみ下さい