~先に掲載した「西條八十と舟木一夫~その1」の続きです~
資料は、「西條八十」(中公文庫)筒井清忠著から引用、参考とさせていただいています。
「西條八十」の著者である筒井氏は八十に多大な影響を与えた姉・兼子について以下のように記しています。
~「当時にしては珍しい自転車で、牛込から本郷の女学校まで通った才気満々の近代女性」二歳上の姉の兼子であった。兼子は弟に多くの「文学的感化」を与ええたが、兼子がとくに心酔していたのは「明治きっての幻想小説家泉鏡花」であった。従って八十は『高野聖』を十二、三歳の時に読んだようである。
~中略~さて、この「私に文章を書くことや、詩を愛することを教えてくれた」「勝気な美しい姉」が結婚して姫路に行くことになった時の八十の嘆きは一通りのものではなかった。八十はこの時の体験を「姉君の嫁ぎたまひて けふさみし春の青空 涙してひとり仰げば 凧(いかのぼり)ただひるがえる」と詩に書いている。また昭和十五年の『誰か故郷を想はざる』(サンクスコンサートで舟木さん歌唱)の歌詞「ひとりの姉が嫁ぐ夜に 小川の岸で さみしさに 泣いた涙のなつかしさ」はこの時の体験をもとにしたものであった。こうした喪失感がひき起こす懐旧感・悲哀感は、八十にとってその文学的発想のもっとも重要な源泉であったとみてよいようだ。
~この文章のあとに、筒井氏は、先に掲載した「その1」の終盤に記した『花咲く乙女たち』の「みんなみんな 咲いて散る」に込められた八十の「喪失感」の解説を展開しますが、私は、これを読んで『花咲く乙女たち』のB面の『若き旅情』の歌詩へと繋がることの確証を得ました。
以前『若き旅情』について私はブログに取り上げています。この時には、まだ、筒井氏によるこの著作「西條八十」を読んではいなかったのですが、八十の『若き旅情』で描き上げた世界に強く心を捉えられて「気になる曲」としてふれています。以下、前掲したブログです。↓
以前『若き旅情』について私はブログに取り上げています。この時には、まだ、筒井氏によるこの著作「西條八十」を読んではいなかったのですが、八十の『若き旅情』で描き上げた世界に強く心を捉えられて「気になる曲」としてふれています。以下、前掲したブログです。↓
「ちょっと気になる曲があります~その2『若き旅情』」 2013年4月19日記
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68055727.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/68055727.html
私はこの記事を書いた頃にはまだ、舟木さんのCDもレコードも過去のものは所持していなかったので、ほとんどがyoutubeにアップされている動画から「耳だけで聴いて」いました。ですから「歌詩」を正確に知りませんでしたから、ブログ上で舟友さんにおたずねして、協力していただき最後に「歌詩」を完成したものにしてアップしています。
ここで私が「泉鏡花」の世界と八十の喪失感をリンクさせたイマジネーションがさして的外れではなかったことがわかって自己満足しています(笑)八十の詩の世界には、どこかに「鏡花」の匂いがします。
それは、やはり幼児体験に基づいた共通項があるからなのだと思います。鏡花は能楽師の家に生まれ、育っていますし、若くして亡くなった美しい母親への憧憬は人一倍強く、終生、その作品には「母への想い」が見てとれます。「母なる女性像」は八十の「姉なる女性像」とも通じます。そして、日本の心を収斂させた芸術世界(能であり、歌舞伎であり、落語であり、大衆芸能であり・・)が身の周りに幼い頃から頭で意識する以前に前提として存在したことではないでしょうか。理屈ではなく身に沁みついている・・
これは、意図せぬことではありながらも、結果的には舟木さんにも通じる少年期の原体験がもたらした「女性への想い」や八十の言葉を借りると「俗曲、俗舞」に身近にふれて育ったことの当然の結実なのではないかと私には思えます。
そして八十が、自己の若き日の「こうした喪失感がひき起こす懐旧感・悲哀感は、八十にとってその文学的発想のもっとも重要な源泉」(筒井氏)である想いを自身の少年期の心象風景として、デビュー当時のあの清新で清潔で繊細な佇まいを見せていた舟木一夫という青年の匂いを詩人の鋭い直感で見抜き、見事に取り込んで綴ったのが『若き旅情』なのだと思うとあらためて、この歌(詩)の世界を深くしっとりとした心持ちで味わうことができます。この歌は舟木一夫という素材なくしては生まれ得なかったのではないかという意味では「抒情歌の歌い手・舟木一夫」の原点ともなる歌であると私は捉えています。
http://www.youtube.com/watch?v=n3z1nisD44M ←こちらで舟木さんの歌声がきけます
若き旅情 作曲:遠藤実 (映画「花咲く乙女たち」挿入歌) 下の画像は映画「花咲く乙女たち」より
たったひとりの姉さんが
遠くへ行った淋しさに
あてなく旅に出たこころ
ああ若き日 ああ若き日
涙たたえて旅をゆく
海の匂いのする町で
たそがれ灯る灯をみれば
どこかに姉の居るような
ああ若き日 ああ若き日
波に鷗が飛んでゆく
遠くへ行った淋しさに
あてなく旅に出たこころ
ああ若き日 ああ若き日
涙たたえて旅をゆく
海の匂いのする町で
たそがれ灯る灯をみれば
どこかに姉の居るような
ああ若き日 ああ若き日
波に鷗が飛んでゆく
山にゆれてる白い百合
海辺の紅い桜貝
おもいでばかり目について
ああ若き日ああ若き日
姉を偲びて旅を行く
海辺の紅い桜貝
おもいでばかり目について
ああ若き日ああ若き日
姉を偲びて旅を行く
そして八十の「母なるもの姉なるもの」への懐かしくも悲しい憧憬の想いは、この歌でも綴られています。
~アルバム「ひとりぼっち第3集 舟木一夫懐かしの歌」(1969年発売)収録~
~アルバム「ひとりぼっち第3集 舟木一夫懐かしの歌」(1969年発売)収録~
森の青葉の 蔭に来て
なぜに淋しく あふるる涙
想い切なく 母の名呼べば
小鳥こたえぬ 亡き母こいし
なぜに淋しく あふるる涙
想い切なく 母の名呼べば
小鳥こたえぬ 亡き母こいし
君もわたしも みなし子の
ふたり寄り添い 竜胆(りんどう)摘めど
誰に捧げん 花束花輪
谺(こだま)こたえよ 亡き母こいし
ふたり寄り添い 竜胆(りんどう)摘めど
誰に捧げん 花束花輪
谺(こだま)こたえよ 亡き母こいし
母の形見の 鏡掛け
色も懐かし友禅模様
抱けば微笑む 花嫁すがた
むかし乙女の 亡き母恋し
春は燕(つばくろ) 秋は雁(かり)
旅路はてなき みなし子二人
合わす調べに 野の花揺れて
雲も泣け泣け 亡き母こいし
旅路はてなき みなし子二人
合わす調べに 野の花揺れて
雲も泣け泣け 亡き母こいし
八十の母を思う気持ちがストレートに出たとりわけ抒情的な歌詞といえよう。サトウ・ハチローは「母の形見の鏡掛け、色もなつかし、友禅模様」という歌詞を激賞しているが、これは作詞のために籠った谷川岳の麓の谷川館という宿の次の間の鏡台に掛かっていたものを見たことから思い至った歌詞だという。(筒井清忠「西條八十」より)
ここですら、八十は「むかし乙女の」と母が乙女であった頃を夢想しているのですね。八十の「乙女なるもの=少女性」へのあくなき憧憬は、いわゆる「ロリコン」とは全く次元の異なった懐旧・哀感、女性がいつまでも乙女ではいられないことへの「同情や哀れ、惜しむ」という感情を素直に醸し出していると好ましく感じます。
「純情二重奏」は、斎藤良輔と長瀬喜伴のシナリオにより昭和十四年に制作された映画の主題歌。映画よりも主題歌の方がヒットした感があるようです。霧島昇&高峰三枝子のデュエットで大ヒット。ストーリーは流行歌の著名な作曲家の家庭と過去の秘められた恋などが主軸のメロドラマのようです。
青い山脈 作曲:服部良一
http://www.youtube.com/watch?v=XbpjywuY8OU 舟木さんの歌唱で聴けます
若くあかるい歌声に
雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜(ゆきわりざくら)
空のはて 今日もわれらの夢を呼ぶ
雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜(ゆきわりざくら)
空のはて 今日もわれらの夢を呼ぶ
古い上衣(うわぎ)よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの 旅の乙女に鳥も啼く
父も夢見た 母も見た
旅路のはての その涯の
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく 若いわれらに鐘が鳴る
~以下筒井清忠氏「西條八十」より~
「父も夢見た母も見た 旅路の果てのその果ての」この箇所には八十の積極的な主張が入っていると見るべきであろう。旧世代の人々にとっても自由や民主主義の理想というものは決して全く新しいものではなく彼らにとっても大正時代から昭和初期にかけては日本はその道に進んでいたはずなのである。八十にも大いにその自負があったものと思う。従って再び登場した自由と民主主義は「父も夢見た母も見た」ものなのだということを若い世代の人にも認識してもらいたい。こうした感情がこの歌詞にこもっていると考えた方が整合的であろう。こうした親の
世代の理想を若い世代も追っていくという趣旨の歌詞が入っていることもあり、この歌はたんに当時「新しい」ばかりでなく、時代を超えた普遍性を獲得することができたように思われるのである。
世代の理想を若い世代も追っていくという趣旨の歌詞が入っていることもあり、この歌はたんに当時「新しい」ばかりでなく、時代を超えた普遍性を獲得することができたように思われるのである。
去る八月十五日は、太平洋戦争(日中戦争とも云われます)の終戦記念日でした。この『青い山脈』は昭和16年に勃発したこの悲惨な戦争によってもたらされ、心身共に国民を苛なんでいた「戦争」の暗い重圧感から解き放された安堵と歓びを若者の視線で謳った青春歌謡として爆発的にヒットしました。その「青春歌謡」は「国民歌謡」として今も他の追随を許さない金字塔となっています。
戦後の著しい復興、高度経済成長のまっただ中から生まれたポスト『青い山脈』が八十に師事した丘灯至夫氏の作詩による「青春歌謡」の『高校三年生』であるといっても過言ではないと思えます。そして『高校三年生』もまた、時を経て「国民歌謡」としての地位を確立しているのではないでしょうか。
(その3へつづきます。いよいよ『絶唱』『夕笛』登場・・・)