本日は、父の命日でしたので、母と一緒にお墓参りに行ってきました。
桑名別院の門前の白い大輪の牡丹の花、ピンクや紫系の牡丹に10日ほど遅れて咲きました
舟友のkazuyanさんが、大阪の舟友さんからのリクエストで、新しくステキな動画を作って下さいました。オリジナル盤歌唱とも今のステージでの歌唱ともちがう三十代に入った頃の舟木さんの歌声でお楽しみください。
銭形平次 1977年「限りなき青春の季節」収録の再吹込み音源です
https://www.youtube.com/watch?v=7gNEwKL036c&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=7gNEwKL036c&feature=youtu.be
銭形平次 作詩:関沢新一 作曲:安藤実親
男だったら 一つにかける
かけてもつれた 謎をとく
誰がよんだか 誰がよんだか 銭形平次
花のお江戸は八百八町
今日も決めての 今日も決めての
銭がとぶ
やぼな十手は みせたくないが
みせてききたい こともある
悪い奴らにゃ悪い奴らにゃ 先手をとるが
恋のいろはは 見当つかぬ
とんだことさと とんだことさと
にが笑い
みせてききたい こともある
悪い奴らにゃ悪い奴らにゃ 先手をとるが
恋のいろはは 見当つかぬ
とんだことさと とんだことさと
にが笑い
道はときには 曲がりもするが
曲げちゃならない 人の道
どこへゆくのか どこへゆくのか 銭形平次
なんだ神田の 明神下で
胸に思案の 胸に思案の
月をみる
曲げちゃならない 人の道
どこへゆくのか どこへゆくのか 銭形平次
なんだ神田の 明神下で
胸に思案の 胸に思案の
月をみる
平次親分には、八五郎がつきものですが、舟木さんには真木一之さんがつきもの?(笑)
kazuyanさんの、今回の「銭形平次」の動画の中にも真木さんが写ってますよ。
舞台でも役者さんとして、また舞も見せてくださっていてお馴染みですが、舟木さんの楽屋入りの時もピタリとついて、熱心なファンにはもう身内のような親しみがあります。
数日前の「月刊歌の手帖 編集者ブログ」で、その真木さんについての紹介記事がありました。
私は、まだ舟木さんと「再会」して3年足らずですので、申し訳なくも真木さんについての情報が全くないのですが、いつ頃から「舟木さんのところ」にいらしたのかな?と思って、手元にあるパンフレットをたどってみました。
1998年(平成10年)1月 京都南座「おやじの背中」
このパンフレットではまだお名前(写真)の掲載は無し
1999年(平成11年)8月 新橋演舞場「忠臣蔵異聞・薄桜記」
このパンフレットは「牧弘祐」で写真掲載 →
~ ~ ~ ~
2008年(平成20年)10月
新橋演舞場「鶴八鶴次郎」
← このパンフレットも「牧弘祐」で写真掲載
2009年(平成21年)6月 中日劇場「浮浪雲」
ここで現在の「真木一之」として写真掲載 →
パンフレットに初めて牧弘祐というお名前とお写真が載ってから10年目に「真木一之」と改名されています。
字をみれば、「舟木一夫」という名前から、姓は「舟木」の「木」、名は「一夫」の「一」をいただかれたことが想像されます。10年の修行を積まれた後に「真木一之」となられたのですね。今では公私ともに舟木さんにとっての
字をみれば、「舟木一夫」という名前から、姓は「舟木」の「木」、名は「一夫」の「一」をいただかれたことが想像されます。10年の修行を積まれた後に「真木一之」となられたのですね。今では公私ともに舟木さんにとっての
「大切な、可愛い八五郎さん」といってもいいのかもしれませんね。
そして、2015年(平成27年)2月 新歌舞伎座「花の風来坊」 喜劇役者?として大ブレイクされましたね。
舟木さん、真木さん、曾我廼家我童さん。下の舟木さんはオマケ