2015年の「ラブ・コン」では、「ふるさと」をテーマにした構成でしたが、私の実感としても、今回のステージへの反響はいつにも増して大きく、舟木さんと同世代の私たちファンの間にも共感がさざ波のように確実に広がっているように感じています。
「ラブ・コン」では歌われなかったのですが、今日のタイトルに掲げた「夕笛」は、「ふるさとの風景と初恋」というふたつの郷愁(=ノスタルジー)を内包した作品として、「ふるさと」の叙景も叙情も併せ持った作品としての最高峰と言ってもいいと思います。通常コンサートでも、「外せない作品群」の中のひとつで舟木さんファンの間でも、映画と併せて人気の高い作品ですね。
発表当時の歌唱と今の舟木さんの歌唱で、まずはお楽しみ下さい。
夕笛 作詩:西條八十 作曲:船村徹![イメージ 3]()
https://youtu.be/GUHZE4HB7ok (1967年紅白歌合戦)
https://youtu.be/JV4OkAjeQus (2014年「昭和の歌人たち」)
https://youtu.be/GUHZE4HB7ok (1967年紅白歌合戦)
https://youtu.be/JV4OkAjeQus (2014年「昭和の歌人たち」)
ふるさとの 蒼い月夜に
ながれくる 笛の音きいて
きみ泣けば わたしも泣いた
初恋の ゆめのふるさと ![イメージ 2]()
おさげ髪 きみは十三
春くれば 乙女椿を
きみ摘んで うかべた小川
おもいでは 花のよこがお
春くれば 乙女椿を
きみ摘んで うかべた小川
おもいでは 花のよこがお
ふるさとへ いつの日かえる
屋敷町 ふるいあの町
月の夜を ながれる笛に
きみ泣くや 妻となりても
屋敷町 ふるいあの町
月の夜を ながれる笛に
きみ泣くや 妻となりても
ああ花も恋も かえらず
ながれゆく きみの夕笛
ながれゆく きみの夕笛
映画「夕笛」は、言うまでもなく西河克己監督作品ですが、脚本として智頭好夫という名前があがっていて、実はこれも西河監督のペンネームです。智頭といえば西河監督の生誕地で、「絶唱」のロケが行われた鳥取県智頭町からとったお名前なんですね。シナリオのペンネームは智頭好夫ですが、小説のペンネームもあって八頭一平とか。八頭も鳥取県にある八頭町からとったものだそうです。このように西河監督が「ふるさと」への愛着がとても強い方であることは「北国の旅情」を観てもよくわかります。東野英治郎さん扮する頑固一徹なワンマン親父が、故郷の鹿児島民謡「刈干切唄」を唄う舟木さん扮する青年(上村英吉)の歌声を聴いて郷愁にかられ涙する場面が印象的に描かれています。
ですから、映画「夕笛」という作品にも「ふるさと」の懐かしく美しい風景がふんだんに盛り込まれているように思います。物語は、あまりにも悲惨ですが、風景の美しさ映像の美しさがいくらかでもその悲惨さをやわらげてくれているのかも知れません。
チャンネルNECO放映の映画「夕笛」の冒頭のインタビューで「夕笛」というタイトルについての舟木さんの説明があって、その時のお話は以下のようでした。
舟木さんが、「夕笛」の映画化にあたり、主題歌を西條先生に依頼してできあがった詩に先生が「ふるさとの笛」というタイトルを付けられました。しかし、映画のタイトルであることも考えて、舟木さんご自身が「夕笛」というタイトルではどうかと、西條先生に相談したところ快く受け入れてくださって「夕笛」となったということだったようです。
西條八十、作詩「夕笛」と三木露風の作品「ふるさとの」について
~「流行歌(はやりうた)西條八十物語」(ちくま文庫:吉川潮著)より抜粋~
~「怪傑!!高校三年生」(近代映画社:舟木一夫著)より抜粋~
「夕笛」が発売されてすぐ、西條先生の詩を盗作と決めつけたマスコミがあった。「夕笛」は「赤とんぼ」でよく知られる詩人・三木露風の「ふるさとの」から盗んだものだという。
が、西條先生は、黙して語られなかった。
「言いたい人には、言わせておけばいい」ということなのだろうと、周囲の人は受け止めていた。ところが、レコードが発売されてちょうど一年後、先生は、ある雑誌を通じて盗作騒ぎについて反論された。先生は露風の三歳年下。ともに早大で学んだ時期もあり、親しくお付き合いをしていたらしい。露風が初期の叙情的作風から次第に宗教性を深めていく過程で作られたのが「ふるさとの」で、晩年、西條先生は露風に、いずれ「ふるさとの」をモチーフに歌謡曲を作りたいと申し出たところ、露風は快諾したそうだ。その間の事情を細かく説明し、したがって盗作という性質のものではない。と書いておられた。ふつうに考えると、「だったらなぜ、盗作問題が起きたときに…」とお思いだろうが、ここらが、いかにも西條先生らしいところだ。問題が起きたとき論破するのは容易だ。が、それをせず一年後にやってのけたところに、大詩人のバランスの取れたインテリジェンスを感じさせられた。
実際に1931年8月にすでに「ふるさとの」を元にした「君泣けば」がレコード化されています。
君泣けば 渡辺光子歌唱 西條八十作詩 江口夜詩作曲 (1931年8月 キングレコード)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2913627 (出典)
この時点でも三木露風サイドとは何のトラブルもなかったことが証明できます。「夕笛」発売の折にも「露風の遺族も特段異議を申し立てなかった」(Wikipedia)そうですから、当時の一部マスコミがセンセーショナルに騒いだのは人気絶頂だった舟木さんであればこその「恰好の週刊誌ネタとしての標的」になったというわけでしょうね。
悲恋に終った四歳年上の恋人(茂代子)を想う露風十九歳の叙情。
詩は明治40年(1907)12月、18歳の時の作品。露風19歳のとき、雑誌「文庫」(第35巻第6号)に発表された。
歌曲「ふるさとの」は、大正3年(1914)に発行された斎藤佳三作品集「新しき民謡」のなかで発表されたものです。昭和3年(1928)2月、藤原義江の歌でビクターからレコードが発売されました。
兵庫県龍野市聚遠亭池畔の「ふるさとの」の詩碑
小野の木立(こだち)に
笛の音の
うるむ月夜や
少女子(をとめご)は
熱きこゝろに
そをば聞き
涙ながしき
熱きこゝろに
そをば聞き
涙ながしき
十年(ととせ)経ぬ
おなじ心に
君泣くや
母となりても
おなじ心に
君泣くや
母となりても
もう一曲「ふるさと」つながりでご紹介します。「ふるさとは屋敷町」
初めて、この曲を聴いたとき、西條八十作詩の「夕笛」の後日譚だと思いました。
初めて、この曲を聴いたとき、西條八十作詩の「夕笛」の後日譚だと思いました。
映画の「夕笛」は、究極の悲恋ものメロドラマ風ですから、主人公のふたりが死んでしまって「完」となりました。ですから、後日譚というのも妙なのですが、舟木さんがステージでもおっしゃるように「夕笛」という曲は、一つのストーリーであると同時に、普遍的な風景や抒情の世界を詠い上げていると言えます。
「夕笛」は1967年に発売されました。作曲は船村徹氏です。それからちょうど十年後の1977年に船村氏の作曲で「ふるさとは屋敷町」が生まれていますから、雄作さんをモチーフにしたかのような男性が、長く離れていた「ふるさと」に戻ってきて、懐かしくもまたほろ苦いふるさとの美しい風景に包まれて、「昔を想う」というシチュエーションをどうしても感じてしまいます。そして、そのもうひとつ向こうには露風の「ふるさとの」の世界が連なっているようにも思われます。
「ふるさとの」~「夕笛」~「ふるさとは屋敷町」……初恋のノスタルジーの連鎖という感じがします。
落葉が泣かす 秋の里
帰ってきたと 叫んでも
迎えてくれる母もない
白壁染める
夕陽さびしい屋敷町
木立ちの風を ふるわせて
こころにしみる 祭り笛
別れに泣いたあの人も
嫁いで母に なったとか
耳をすませば![イメージ 17]()
噂かなしい屋敷町
こころにしみる 祭り笛
別れに泣いたあの人も
嫁いで母に なったとか
耳をすませば
噂かなしい屋敷町
故郷の月に ひとり酌む
地酒の熱い 酔いごこち
今さらなにを 偲んでも
幼い日々は 返らない
男の胸に
涙しぐれる屋敷町
地酒の熱い 酔いごこち
今さらなにを 偲んでも
幼い日々は 返らない
男の胸に
涙しぐれる屋敷町