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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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明治座~二十代の舟木さんの舞台公演の足跡をたどる・その2(下)

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イメージ 1ひとつ前の日記、「明治座~二十代の舟木さんの舞台公演の足跡をたどる・その2(上) 」では、1969年7月の明治座公演・昼の部からご紹介しましたが、ブログの文字数制限の関係で、尻切れトンボになってしまいました。もう少しだけ、私の感想の続きを記させていただきます。
 
昼の部の第一部のお芝居は「与次郎の青春」、これは夏目漱石の「三四郎」に登場する三四郎の学友である佐々木与次郎という青年に焦点をあてて、脚色されたものだったようです。原作から読み取れる与次郎は三四郎とは対照的な自由奔放で行動的で、思慮分別に欠けるような青年として描かれています。ですから周囲の人たちは与次郎に少なからず迷惑を被ることが多いのですが、本人には全く悪気がなく、また何故だか憎めないキャラクターなのです。人の気持ちを慮るような、やさしいところもあって、その生き方は周囲の男たちからは「ちょっと羨ましい奴」・・・と思われているフシもあるようなのです。こういったかなりユニークな役を演じるには、それなりの演技力と役者本人が持って生まれた匂い、自然と醸し出す愛嬌というものが求められる役どころでもあります。舟木さんが実際に舞台上で与次郎をどのように演じられたのか、拝見していない私は想像力だけで想い描くしかないのですが、原作「三四郎」の中の与次郎と三四郎との会話部分を読んでいると、舟木さんの声や舟木さんの言い回しが聴こえてくるような気がしてくるから不思議です。なお三四郎役をなさった久保明(今も御健在です)さんは、故山内賢さんのお兄さんです。
昼の部の「ヒットパレード~夢を唄おう」では、コロムビアの先輩歌手である守屋浩さんがゲスト出演されています。パンフレットを見ると、守屋さんのヒット曲「大学数え唄」をおふたりで一緒に歌っていらっしゃるようです。
 
イメージ 2
この7年間(1967~1973)続いた明治座公演では、お芝居も昼・夜で演目を変えています。そして、もちろんヒットパレード(歌謡ショー)も昼・夜で構成が全く違っています。歌謡ショーはともかく、役者が本業ではない舟木さんが、座長として主役をはって、昼・夜で2本の芝居の主役を演じ分けていらしたことに先ず驚きました。お芝居の内容としても、脚本家、演出家のお名前を拝見しても決して御座なりではなく、一流の方ばかりです。殊に戌井市郎氏は(2010年没)文学座創立時から演出をされて、新派・歌舞伎の演出も数多く手がけられた演劇界の重鎮です。舟木さんは若い頃から、こんな人たちの中心に居て修錬を積んでこられたんだなぁ・・・と本当に感激しました。
 
さて、それでは、夜の部に入ります。
 
 
夜の部  5時開演 
   新納鶴千代   4幕12場
原作:郡司次郎正「侍ニッポン」(春陽文庫)より 
脚本・演出:土橋成男
 
イメージ 4新納鶴千代:舟木一夫
一条成久:伊志井寛
菊姫:光本幸子    
ほか
 
舞台脚本のあらすじ(パンフレットより)
日本橋の料理茶屋「山崎楼」の表で酒に酔った無法浪人たちの手から美しい町娘を救った新納鶴千代はなぜか、名も告げず立ち去った娘の面影が胸に残った。娘の本当の名は菊姫、姿こそ町娘だが京の公家一条成久の息女である。父成久は倒幕を志し、娘の菊姫を幕府の高官に近づけさせ、隠密の役をさせようというイメージ 5のだ。そしてその高官は井伊直助だった。目的のために娘に操をも棄てよと言う父が、菊姫に
は恨めしい。そして、先刻のあの若い浪人者の面ざしが心に浮かんだ。
あの日本橋で、悪浪人たちを追い払った新納鶴千代の腕前に目を付けた侍がいた。水戸藩士野村常之介だ。野村も尊王の士、倒幕のために井伊大老を倒す同志になってイメージ 6くれと鶴千代を口説く。井伊大老の命と聞いて鶴千代は何故か同志となることを承知した。鶴千代は江戸をはなれ、水戸に行ったが心にあるのはあの女のことばかりだ。一方、菊姫は菊という名で幕府の要職のものがよく来る狐狸庵につとめる。菊の美貌は老中酒井若狭守らの目に付くが菊は井伊大老以外の者にはしたがわない。そんな時、水戸から帰った新納鶴千代と菊姫は再会する。鶴千代は菊になにか仔細があるとさとり、後をつけて一条成久の隠れ家を知り、また、一条成久の野望を知った。成久は鶴千代に井伊大老を殺すように、菊姫にすすめてくれと頼む。なぜか鶴イメージ 7千代はうす笑いをうかべて承知する。その夜、菊姫に逢った鶴千代は直弼暗殺をすすめる。そして、言った、「俺の父は井伊直弼だ」と・・・井伊家にあがった菊姫は直弼の酒器に毒を入れることができない。そして、直弼の口から鶴千代を愛していると聞いた。その頃、一条成久の隠れ家は捕り方にとりまかれた。ことは露見したのだ。成久は乱闘のうちに死んだ。「井伊大老を斬れ!」の言葉を残して・・・あくる三月三日、江戸は大雪だった。桜田門に井伊大老の行列がしずしずとすすむ。
 
パンフレットでは、ここまでしかあらすじが書かれていないのですが、実際の舞台では、どこまで描かれていたのか・・・ちょっとわかりません。ご覧になった方がいらしたら、教えて下さ~い。
とりあえず、原作の「侍ニッポン」は5回(1931年初映画化)も映画化さているそうなので、その中の1957年公開のもののあらすじも掲載しておきます。映画では鶴千代は父直弼と運命をともにするという結末になっています。お芝居でもラストシーンは映画のようだったのでしょうか???
 
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~侍ニッポン 1957年公開より~  監督:大曾根辰保  脚色:久板栄二郎 
新納鶴千代:田村高廣   井伊直弼:八代目松本幸四郎   母お鶴:山田五十鈴
徳川末期、時の大老伊井直弼は開国政策強行のためこれに反対する攘夷派の人々に断罪の命を下し世情は騒然たるものがあった。彦根藩の藩医新納草庵の息子鶴千代は父の死後お鶴とともに江戸に出、沢村道場に学んでいた。だが菊乃との縁談を断られ自分の出生に疑いを持つようになってから、いつしか道場の親友、竹之介にすすめられるまま茶屋酒に溺れるようになった。実は、鶴千代は直弼がまだ部屋住みの頃、当時舞妓だったお鶴との間に出来た子であった。~中略~浪士達が桜田門外に直弼を襲う時が来た。折りしも降りしきる雪を蹴立てて駈け出した鶴千代の心中に、直弼はすでに大老ではなく一人の懐かしい父親だった。かすかに自分の名を呼ぶ我が子の声を聞いた直弼が思わず駕篭から乗り出した時、その胸を浪士の白刃が貫いた。駈けつけた鶴千代もまた竹之介の刃に倒れた。雪はなおも父子二人の死骸を真白く染めて降り続いていた・・・
 
イメージ 92 舟木一夫ヒットパレード 夏姿花のステージ
 
ああ桜田門/新吾十番勝負/敦盛哀歌/浜の若い衆/磯浜育ち/ひぐれ山唄/浅太郎月夜/おしどり道中(光本幸子)/銚子大漁節(光本幸子)/いい湯だな/阿波踊りGOGO音頭/東京百年/一心太助江戸っ子
祭り/いなせじゃないか若旦那/喧嘩鳶/銭形平次/恋のお江戸の歌げんか(光本幸子)/祭獅子
 
*「銚子大漁節」にちなんだ、プレイベントの写真(左)もパンフレットに掲載されています。
 
*「恋のお江戸の歌げんか」は皆さんよくご存知のように光本さんとのデュエットでレコード吹き込みもされています。レコーディング風景。↓
舟友さんによる動画です。若々しいお二人のデュエットをお楽しみ下さい。
 

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ああ !! 桜田門 (1969年7月発売)
作詩:西沢爽 作曲・編曲:船村徹

剣じゃ斬れない 天下の流れ
知っていながら おれは行く
新納鶴千代 唇かめば
赤い雪ふる 桜田門
 
敵がありゃこそ 今日まで生きた
夢がむなしい 江戸の春
野暮はよせよせ 勤皇佐幕
可愛い女が 泣くだけよ
 
一夜あければ 時代が変る
いつかおれなど 忘られる
せめて刻むか 桜田門の
雪にはかない 武士の名を
 
イメージ 3
ちなみに、これもよく舟木さんがステージのトークで話されてますが「新納」は「しんのう」ではなく「にいろ」と読みますが、この曲を吹き込んだ徳山という歌手が、間違えて「しんのう」と歌ったので、そのまま歌い継がれているようですが、舟木さんは「あぁ!!桜田門」では「にいろつるちよ」とされています。
侍ニッポン (1931年)は、西条八十の作詩で大ヒットしました。
これはなぜか子どもの頃から私もよく歌ってました。もちろん、意味もわからず・・・(笑)
 
作詩:西条八十 作曲:松平信博
 
人を斬るのが 侍ならば
恋の未練が なぜ斬れぬ
伸びた月代(さかやき) 寂しく撫でて
新納鶴千代 にが笑い
*左の写真は、宣伝用の扮装写真を屋外で撮影した時のものだそうです。外国人の子どもたちに取り囲まれて刀を見せている舟木さんの写真も掲載されていました。皇居のお堀が見えてるので、桜田門のあたりでしょうね。
 
 
6月の演舞場でも「花の生涯~ひとひらの夢 長野主膳」で井伊直弼にまつわるお芝居をされた舟木さん、44年前に、直弼の御落胤、新納鶴千代を演じていらしたこととのご縁が、ここでも繋がっているのも、とても感慨深く思えます。

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