2015年新橋演舞場・舟木一夫特別公演の「思い出のアルバム」を舟友のkazuyanさんが、動画にまとめてくださいましたので、二作品をご紹介させていただきます。
ガラスの架橋 作詩・作曲:上田成幸 編曲:杉村俊博
(1983年4月 アルバム「WHITEⅡ」収録)
ひとは何故 何を求め
愛の海を 渡る
細々と 透きとおる
ガラスの架橋(はし)に立ち
みち潮の 波に濡れて
くちづけを 交わす……
風に散る薔薇の 紅は色濃く
どこまでも夜を 染めてひろがる
――朝の光 うしろ姿
さ・よ・な・ら あなた――
愛の海を 渡る
細々と 透きとおる
ガラスの架橋(はし)に立ち
みち潮の 波に濡れて
くちづけを 交わす……
風に散る薔薇の 紅は色濃く
どこまでも夜を 染めてひろがる
――朝の光 うしろ姿
さ・よ・な・ら あなた――
からみつく 日々はいつか
命さえも 冷やす
音もなく 崩れ去る
ガラスの架橋は 今
ひき潮の うねりにのまれ
深々と 眠る……
息たえた愛の 影をうつして
はるばるとゆれる 蒼い蜃気楼
――朝の露を 肌にからめ
消えゆく あなた――
命さえも 冷やす
音もなく 崩れ去る
ガラスの架橋は 今
ひき潮の うねりにのまれ
深々と 眠る……
息たえた愛の 影をうつして
はるばるとゆれる 蒼い蜃気楼
――朝の露を 肌にからめ
消えゆく あなた――
ガラスの架橋の ガラスの時刻(とき)は
旅を行くひとの 愛をついばむ
――朝の白さ 空の高さ
さ・よ・な・ら あなた――
旅を行くひとの 愛をついばむ
――朝の白さ 空の高さ
さ・よ・な・ら あなた――
舟友さんの最新動画 2
2015年12月14日皇居(江戸城)周りを歩く_Bgm♪舟木さん歌唱5曲
東京百年/春の坂道/初恋/ああ!!桜田門/一心太助江戸子祭り
この公演の私自身の「思い出」も拙ブログの日記に、その都度、メモしてきましたが、今回の公演のパンフレットに、演劇評論家の上村以和於氏の筆による「舟木一夫のダンディズム」という一文がおさめられています。
舟木さんからたちのぼってくる「ダンディズム」について、私も以前、ブログでちょっと触れたことがあり、上村氏の「舟木一夫のダンディズム」というタイトルに、とっても惹かれました。私は「いき」と「含羞」が舟木さんの根底にあって、それこそが舟木一夫という芸能者の最大の魅力であり、ほかの人にはない強力な武器と言ってもいいと感じています。そのあたりを、さすがプロの眼力とまた筆力で、ピンポイントで押さえていらっしゃると感激しました。
上村氏は、歌舞伎の劇評などで、お名前は存じ上げてましたが、長年にわたる新橋演舞場公演を通じて、プロの目で演技者としての舟木さんをとらえてくださってきたことが歌舞伎ファンとしても本当に嬉しく、過去の「随談」も遡って拝見しました。
毎公演ごとに名だたる演劇評論家の皆さんが、パンフレットに寄稿されていますが、今回の上村氏の「舟木一夫評」は、とりわけ嬉しく感動しました。ですから、今回惜しくも演舞場にお運びになれなかったファンの皆さん、パンフレットをお求めになれなかった皆さんにもこの上村氏の文章をぜひともお届けしたいと思い、以下に一部抜粋して転載させていただきます。
また、上村氏のオフィシャルサイトでも、今公演についての随談を掲載していらっしゃいますので併せてご紹介いたします。(*チラシほかの写真は拙ブログで補足編集しました)
新橋演舞場 舟木一夫特別公演 巷談・勝小吉―気ままにてござ候―
~パンフレットより一部転載させていただきました~
舟木一夫のダンディズム 演劇評論家 上村以和於
新橋演舞場の舟木一夫特別公演が今年で十五回目を迎える。第一回はまだ二十世紀だった。一九九七年のことだから、歌舞伎座再建中、新橋演舞場がその控え櫓の役を果たしていた間の中断も含めれば、かれこれ二十年に近い。十五回といい二十年といい、それ自体がひとつの歴史であって、単にいつまでも若々しいとか、変わらぬ人気だとかいうだけでは、言い尽くせることではない。
この人のステージを観に集まってくる観客の核心となっているのは、二年後に芸能生活五十五周年を迎えるという舟木の歩みと共に、それぞれの生きてきた歳月を重ね合わせてきた人たちであろう。同時に、十五回に及ぶ新橋演舞場での公演を通じて、さらなる円熟を舞台の上の舟木と分かち持ってきた人たちであるだろう。そのことは、かならずしも古くからの熱心なファンであったわけでなく、むしろこの演舞場公演を通じて舟木の魅力と真価を知るようになった私などにも、よくわかる。
公演の後半部を占めるシアターコンサートで、舟木はしばらく前から、自身の新曲やヒット曲に加え昭和の日本の懐かしい歌をプログラムに加えるようになった。~中略~舟木の場合は、自分が生まれて十歳位からこっちの曲、と考えているという。十歳といえば、ひよこが卵の殻を破って外に出るように、自分のまわりに広い世界が開け、さまざまなことが目に飛び込んでくる。そのときに目に耳に触れたものが、その後の自分を作る根元となる。舟木はそこまで語ったわけではないが、かつての名歌名曲と自身の内面との関わりを大切にしようとする態度であると受け取れる。そうしたスタンスで吟味した曲をプログラムとして歌おうという、同じ歴史意識でも、昭和の歌謡史、と大上段に構える「時代物」ではなく、いうなら「世話物」の感覚である。そうした姿勢に、舟木のステージから一貫して感じ取れるダンディズムがある。
ちょうど十年前になるが、還暦を迎えた洒落に赤いチャンチャンコならぬ赤の詰襟を着て、デビュー曲の「高校三年生」を歌って見事にさまになっていた。体形のことをいうのではない。わけても私が偉とするのは、年齢と共にそのダンディぶりが深まっていくことで、その秘密はこの人の内にあるシャイネスと結びついているに違いないと私は睨んでいる。
誤解をされると困るが、私が舟木のステージで一番好きなのは、前奏や間奏のあいだに客席から差し出されるプレゼントを、ひとつも受け損なうことなく、ときには指先ひとつで受け取りながら端正なたたずまいを崩すことなく歌い続ける姿で、それだけで見事に芸になっている。合間に挟むトークは、洗練されていながら、どこかシャイで、訥々としている。なぜなら舟木は、そこでさりげなくだが己を語っているからだ。舟木のダンディズムが形となって顕れるのがここだといえる。
十八歳の舟木がレコード大賞新人賞を取った授賞式で、デビュー曲の「高校三年生」を歌いながら絶句しかけて涙ぐむ姿を、テレビの中継でじつは私は見覚えているが、そのナイーヴで清潔感の漂う一途な感じは、驚くべきことに、その後に嘗めた人生の辛酸やら何やらを物語る皺を刻み、ときにはちょっぴり隠し味としてワルの感覚さえブレンドしながら、絶妙に仕上がったダンディぶりの中に、いまも生きている。
~中略~
普通の歌手芝居とは違う、という声は共演者など玄人筋の間で早くからあったと言われるが、かれこれ十余年になるか、NHKの朝ドラ「オードリー」という、往年の時代劇映画全盛時代の撮影所を舞台にしたドラマで、林与一とふたりで、片岡千恵蔵や市川右太衛門、長谷川一夫といった大御所スターをつきまぜたような二人の人物を受け持ち合って演じたことがあった。私などはもっぱら二人の登場する場面が目当てで見ていたようなものだったが、こうした役がそれらしくつとまるには、挙措動作からものの言い様まで、相応の心得が必要になる。時代劇の舞台の骨法を知る貴重な演技者の一人として既に評価を確立しているが、舟木自身、長谷川一夫、大川橋蔵といった人たちの知遇を得たことの意義を語っている。
だがじつは、演技者舟木一夫には、忘れてはならないもうひとつの側面がある。公演記録を見ても知れるが、野口雨情や竹久夢二といった大正ロマンの時代に生きた文人や芸術家の役を演じるとき、今日の演劇界を見渡しても他には得難い人材であることを実感する。そう言えばかつて、先代の水谷八重子や川口松太郎といった人たちから新派入りを勧められたとも聞く。御三家などと呼ばれていたまだごく若き日のことである。見る人は見るべきものを見ていたのだ。
上村以和於オフィシャルサイト ~上村以和於の随談~ 巷談・勝小吉―気ままにてござ候
2015/12/14 <随談564回・今月の舞台から>一部抜粋
新橋演舞場の舟木一夫公演がなかなかよかった。このところ天一坊の伊賀亮だの物々しい役が続いたが、今度の勝小吉は、青果の『天保遊侠緑』とも子母澤寛の『父子鷹』とも違い、小吉自身の書いた『夢酔独言』から新規に作ったのがよかった。水谷八重子や林与一など、共演者にも人を得ているのがこの公演のいつもいいところで、今回特に英太郎が大活躍をする。(ちょっぴり芝翫や芝喜松に似ていることに気が付いた。)しばらく前だがテレビのチャンネルNEKOで「舟木一夫オン・ザ・ロード」という番組を見たが、なかなか面白かった。つまり、この人、芸談を語れる人なのである。
(http://iwaokamimura.jp/scgi-bin/log/menu/2015_12.htm)
(http://iwaokamimura.jp/scgi-bin/log/menu/2015_12.htm)
以下は上村氏のオフィシャルサイトの随談から舟木さんの舞台関連の記事のバックナンバーを一部ピックアップしたものです。(*チラシほかの写真は拙ブログで補足編集)
2006/08/13 随談第137回 観劇偶談(その66)舟木一夫と風間杜夫
新橋演舞場で恒例になっている舟木一夫の公演が今年で10回目になった。この公演のことは、前にもこのブログに書いたことがあるし、今月の公演のプロフラムには舟木一夫掌論みたいなものを書いたから、ここではちょっと別なことを書こう。
今月、舟木は野口雨情を演じている。第一回の演舞場公演のときも雨情だったから、いわば再演だが、四回目には竹久夢二を演じている。(この『宵待草-夢二恋歌』は脚本もなかなかよく、過去10回の中でも出色だった。)こういった、明治から大正・戦前の知識人や文化人の役をするときの舟木というのは、じつはちょっとおすすめといっていい。
演舞場公演では、『沓掛時次郎』や『雪の渡り鳥』『瞼の母』といった長谷川伸の有名作や『月形半平太』『狐の呉れた赤ん坊』『薄桜記』といった時代劇の有名作も演じていてそれも悪くはないが、それよりも雨情や夢二を演じる舟木の方が、演技者としての資質からいっても、わたしには興味がある。
今月、舟木は野口雨情を演じている。第一回の演舞場公演のときも雨情だったから、いわば再演だが、四回目には竹久夢二を演じている。(この『宵待草-夢二恋歌』は脚本もなかなかよく、過去10回の中でも出色だった。)こういった、明治から大正・戦前の知識人や文化人の役をするときの舟木というのは、じつはちょっとおすすめといっていい。
演舞場公演では、『沓掛時次郎』や『雪の渡り鳥』『瞼の母』といった長谷川伸の有名作や『月形半平太』『狐の呉れた赤ん坊』『薄桜記』といった時代劇の有名作も演じていてそれも悪くはないが、それよりも雨情や夢二を演じる舟木の方が、演技者としての資質からいっても、わたしには興味がある。
まだアイドルだったごく若いころに、川口松太郎や先代水谷八重子から新派に誘われたという話も聞いた。やはりアイドル時代に、『佐々木與次郎の恋』という脚本を演じている。いうまでもないが、佐々木與次郎というのは漱石の『三四郎』に登場する、熊本から上京した生真面目な田舎者の三四郎と対照的な町っ子で、教室を出て町へ行こう、などとそそのかしたり、小さんという名人と同じ時代に生まれ合わせたことはわれわれだけに恵まれた幸運である、などと三四郎を煙に巻いたりする男である。漱石は三四郎と対比させ、狂言回し的な役割を演じさせるために、軽薄なシティボーイぶりをやや強調しているが、時代の新思潮の空気を吸って軽やかに生きる都会派青年という、近代の日本がはじめて持った新しいタイプの人間として興味深い存在でもある。(明治十五年以後の生まれ、という世代論を漱石は與次郎の口を通してさせている。)そういう人物を主人公として描いた脚本を、アイドル当時の舟木に与え、演じさせるということを考えた企画も端倪すべからざるものがあるが、そういう企画を考えさせた舟木という才能もまた、ただの鼠ではないというべきだろう。
それから幾星霜、妙な大家などになり遂せず、いまも瑞々しさを保っている舟木一夫という才能に、私は関心を抱くようになった。
それから幾星霜、妙な大家などになり遂せず、いまも瑞々しさを保っている舟木一夫という才能に、私は関心を抱くようになった。
同じこの月、三越劇場では新派がかかり、波乃久里子の鶴八を相手に風間杜夫が鶴次郎を演じている。前にも既に『風流深川唄』を共演しているから、こんどまた無事つとめ遂せたことで、これは今後のひとつの路線と成り得るであろう。まだ発声にちょっと疑問が残るものの、『鶴八鶴次郎』という新派古典をさほどの違和感なく勤められるというのは、つまるところ、身体に新派と馴染み得る雰囲気を持っているからだ。舟木が若き日に誘われたというのも、そこを見てのことだったに違いない。それをいうなら、すっかり新派俳優になり切ってしまった菅原謙二だって安井昌二だって、もとは映画俳優だったのだ。(それにしても、風間杜夫がかつて大友柳太朗の『怪傑黒頭巾』の子役だったというのは、ちょいとしたトリビアである。)
(http://iwaokamimura.jp/scgi-bin/log/menu/2006_08.htm)
2013/06/12 随談第498回 今月の舞台から ~ 一部抜粋
新橋演舞場に五年ぶりで舟木一夫公演がかかった。前にも書いたが、私はこの公演のひそかなファンである。何と言っても、ファンが次々と手渡す花束やプレゼントを受け取りながらヒットナンバーを歌うのが見ものであり聞きものだが、芝居でも、野口雨情だの竹久夢二だの、大正の文化人の役をさせると、現在の各ジャンルを見渡してもちょっとない、いい持ち味を見せるのだ。(若い頃、川口松太郎や先代八重子から新派に入るよう勧められたという話さえあった筈だ。)
今度は里見浩太朗をゲストに『花の生涯』の長野主膳というやや物々しい時代劇だったが、それでも、セリフの緩急や身のこなしなどに、昔の時代劇俳優が身につけていた「時代と世話」の使い分けを心得た演技をするので、気持ちがいい。長谷川一夫でも千恵蔵・右太衛門でも、萬屋錦之介でも大川橋蔵でも、つまりそれが、歌舞伎で修行をした役者としての「教養」だったのだ。ちょっと大風呂敷を広げて演劇史的に見るなら、いま急速に終りを告げようとしている商業演劇としての時代劇という観点から見ても、間接的にせよそうした時代劇俳優の演技伝承の流れを汲んだ舟木あたりが、時代劇の俳優としての「教養」を身につけている最後の役者ともいえるわけだ。(演技の味付けに、いわゆる歌手芝居独特の調味料が加えられているのは是非ないとしても。)
もうひとつ、筋書に水落潔さんが書いている文章に、昭和28年に初代猿翁が演じて以来の『花の生涯』の劇化上演とテレビドラマについて簡単に触れられているが、映画のことが触れていないので蛇足を加えさせてもらうと、劇化と同じ昭和28年秋に、松竹で映画化されている。当時として、かなり力を入れた大作だった。八代目幸四郎の直弼、淡島千景の山村たか、高田浩吉の長野主膳という配役だったが、のちの白鸚にとってはこれが最初の映画出演だったということもあるので、忘れられないために書き留めておきたい。
(http://iwaokamimura.jp/scgi-bin/log/menu/2013_06.htm)
2014/09/18 随談第531回 今月のあれこれ ~ 一部抜粋
それにしても、当の「歌手芝居」という言葉もいまや死語と化した感があるが(北島三郎は今回が最終公演と謳っている)、第二部のヒットパレードというのが私は結構好きで楽しんでいる。北島サブちゃんは、ああいう感じの芸能人が大家になるとよくあることだが、人生とか何とかの道とかを唄うということがどうしても多くなって、「山」だの「川」だのと象徴的な題をつけた道歌のような歌を好んで歌う中に、「はるばる来たぜ、はーこだてー」などというのが始まると、こちらは逆に越し方に思いを馳せたりして、オオ、いいなあ、と思ったりする。舟木は、もともと、そうした勿体ぶりを照れている気配があるのが私の好みに合うのだが、それでも、「銭形平次」だの「高校三年生」などが始まると(当時は愚劣な歌だと思っていたものだが)、なんともいえずいい心持ちになる。
これはおそらく、流行歌(とか歌謡曲という言葉も死語になったが)というものの持つ、最大の価値であり意味であり効用であるだろう。それにしても(前にも書いたが)舟木がファンが客席から手渡しする花束やプレゼントを、歌いながら片端から受取ってゆく手際はまさしく名人芸というべきで、それを見るだけでも価値がある。
(http://iwaokamimura.jp/scgi-bin/log/menu/2014_09.htm)
(http://iwaokamimura.jp/scgi-bin/log/menu/2014_09.htm)
上村以和於氏のプロフィール
本名・上村巌 1940年東京都生まれ。
山村女子短期大学教授。
慶応義塾大学文学部・大学院修士(英文)修了。
77年より歌舞伎劇評・評論活動を「演劇界」などを中心に開始、94年より「日本 経済新聞社」の劇評を担当。
94年、第28回関西文学賞(文芸評論部門)受賞。
著書に『歌舞伎の情景』(演劇出版社)『演劇の季節』(関西書院)など。
山村女子短期大学教授。
慶応義塾大学文学部・大学院修士(英文)修了。
77年より歌舞伎劇評・評論活動を「演劇界」などを中心に開始、94年より「日本 経済新聞社」の劇評を担当。
94年、第28回関西文学賞(文芸評論部門)受賞。
著書に『歌舞伎の情景』(演劇出版社)『演劇の季節』(関西書院)など。
「オフィシャルサイトに「上村以和於への100の質問」というページがありましたのでご紹介します。