Quantcast
Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1510

1994年 新歌舞伎座 舟木一夫特別公演「はぐれ鴉」パンフレットから

$
0
0

イメージ 1

昨年の12月は新橋演舞場公演であっという間に一ヶ月が流れ去っていった感がありますが、年が明けて早くも半月近くが過ぎ、3月には大阪・新歌舞伎座での一ヶ月公演が待っています。
舟木さんが、ちょっと長めの~でも、その分、しっかりエネルギーを蓄えての~冬眠から覚めて、奇跡的な快進撃をスタートされた1990年代に入った頃から、お芝居とコンサートという二部制の長期公演が開催されるようになり、今では当たり前のように定期公演になっていますが、その三大拠点と言えるのが、新橋演舞場と出身地である名古屋・中日劇場、そして大阪・新歌舞伎座ということになるでしょう。
東京では明治座で二十代の頃に座長公演が七年連続で開催されましたから、新橋演舞場公演の15回と併せるとトータルとしては、やはり東京での公演数にはかないませんが、新歌舞伎座公演も二十代の頃の2回を加えると、再来月の「花の風来坊パートⅡ」で19回目となり、単独では最多ということになります。

新歌舞伎座での1966年初座長公演とデビュー十周年の公演については、既に拙ブログでもご紹介しています。よろしければ、以下ご参照ください。

イメージ 3思い出の新歌舞伎座・舟木一夫初座長公演記録 その1 
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70176244.html

思い出の新歌舞伎座・舟木一夫初座長公演記録 その2 
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70180513.html?type=folderlist

思い出の新歌舞伎座・舟木一夫初座長公演記録 完結 「雨月道成寺」&「若君風流」
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70191707.html

イメージ 10







イメージ 11






イメージ 12







イメージ 13












イメージ 14












イメージ 15









義士外伝「江戸の淡雪~悲恋 毛利小平太」1972年新歌舞伎座/芸能生活十周年記念特別公演 
http://blogs.yahoo.co.jp/ycmay26/70102265.html

イメージ 18



イメージ 16
イメージ 17


















イメージ 20


以下に、年代順に大阪・新歌舞伎座公演の演目を並べました。

若君風流/雨月道成寺*昼夜別演目(1966/10)
義士外伝~江戸の淡雪(1972/12)
はぐれ鴉(1994/12)
銭形平次捕物控(1995/12)
坊ちゃん奉行(1997/2)
銭形平次・辻切り恋供養(1998/6)
新吾十番勝負(1999/12)
鯉名の銀平・雪の渡り鳥(2001/6)
忠臣蔵異聞・薄桜記(2002/6)
てなもんや三度笠(2003/8)
銭形平次・蛍火の女(2004/5)
月形半平太(2006/1)
次男坊鴉(2007/10)
梅川・忠兵衛~恋染めて風の花(2008/8)
銭形平次・蛍火の女(2011/8)
浮浪雲(2012/9)
ぶらり信兵衛~いろは長屋の用心棒(2013/12)
花の風来坊~おとぼけ侍奮闘記(2015/2)



イメージ 2


今回は、新歌舞伎座での三回目となる1994年の公演「はぐれ鴉」について、私の手元にあるパンフレットからご紹介させていただきます。

イメージ 7


イメージ 4


1994年(平成6年) 新歌舞伎座 舟木一夫特別公演 パンフレットより

二十二年ぶりの ―――― 舟木一夫

イメージ 5当、新歌舞伎座に十二月公演でお世話になるのは、なんと二十二年ぶりのことです。
その時はたしか「江戸の淡雪」と言うお芝居をやらせていただいたと記憶しています。
二十二年ぶりと言うのは、我ながら表現の仕様がなくて”タハハ…”などとごまかすしかないのですが、実はそれよりも何よりもボクが、この新歌舞伎座の舞台に想い入れが深いのは、はじめて、一ヶ月公演をさせていただいた舞台だから。あの時、二十一才だった、ボクが今年、この公演中には五十才になります。
二十一才の少年が五十才の青年になり――どうも、この新歌舞伎座とボクの間には、うれしい因縁があるようです。当然のことながら懸命に努めます。
お芝居と歌、それぞれのスタッフ、先輩方によりかかりながら、年末の慌ただしさをひとときお忘れいただけるような楽しい舞台にしたいと思います。
本日は御来場、本当に有難うございました。どうぞ、ごゆっくりと。



第一部 はぐれ鴉   

脚本:星呂九平 演出:田中林輔 
配役 神谷新九郎:舟木一夫/おしの:三浦布美子/お雪:土田早苗/神谷彦左衛門:小島秀哉 ほか
 
~脚本の星呂九平氏の作品等についての文面から一部を抜粋させていただきました~

イメージ 8~この作品を書くに当たり、やはり舟木さんの持ち味である爽やかさ、永遠の青年ぽさなどを損なわないように、苦慮しました。そこで生まれたのが、旗本の次男坊を主人公とし、その人生流転を描いた「はぐれ鴉」です。オリジナルで初演ということでもあり、作者の欲としましては、書き足りない、描き足りない部分が力不足もあって多々あり、自分の未熟さに恥じ入るばかりですが、そこをベテラン田中林輔氏の巧みな演出が支えて下さり、更には座長舟木さんの力演は元より、三浦布美子さん、土田早苗さん、小島秀哉さんらの名演技者陣に助けられ、どうにかこうにか世話ものの形になった、と自負しております。
元禄の世に将軍綱吉のお手が付き、娘を出産しておきながら、幕府の政策によって親子の仲を引き裂かれた女、おしの。そのおしのが幾星霜を経て娘お雪を探し出すが、苛酷な運命の糸はまたもやこの親子を引き離してしまう。そしてこの親子に人間として、若者の熱き血を汐をたぎらせて助っ人する青年武士、新九郎。彼にはまた、最愛の許嫁を実兄に奪われるという悲劇を背負っていた――人の世の哀しさ、せつなさ、いつの時代にも変わらぬ男女の業、そんなものをテーマとして内在させつつ。お客様を楽しませ、尚かつ、ハートに響く作品になっていれば大成功、と思うのですが…~



なんと、舟木さんの髪型が四パターン変わります。前髪風、渡世人風、総髪、若様風。もちろん衣装も、髪型に合わせて変わるので、この舞台をご覧になったファンの方は、もうこれだけで大満足なさったのではないでしょうか?


イメージ 9第一幕  第一場  神谷家役宅・邸内(享保三年、夏・昼と翌日)

享保三年の夏、江戸の南本所六軒堀にある御書院番頭、神谷家の座敷に当主の彦左衛門と妻の花世、長男の清三郎、そして大番頭の三田村主膳と娘ひずるがそろってなにやら相談をしている。清三郎は家督を継いで御書院番頭になる道筋が決まっているが、剣術と読書に明け暮れている次男新九郎は、まだ身の振り方が決まっていなかった。そこへようやく新九郎が帰ってきた。彦左衛門は新九郎に二つの話をする。まず、ひとつは主膳が、新九郎を大番衆に取り立ててくれたこと、そして、もうひとつは主膳がひづると新九郎との結婚話を申し入れてきたことであった。二人は幼なじみで、ひづるは新九郎に惚れぬいていた。新九郎もまた彼女に好意を持っていたが、いましばらく剣術の修行と読書に励みたいと躊躇するのだった。そして、翌日、ときおり稲妻が鳴り響く中、ひづるは新九郎が貸してほしいと言った司馬遷の史記を携えて神谷家を訪れた。あいにく彼は不在で、家人は清三郎だけ。そそくさとその場を立ち去ろうとしたひづるに向かって、清三郎が突然「俺の妻になれ」と迫って、強引にひづるを犯してしまう。その少し後へ、新九郎が戻って来る。新九郎はただならぬ雰囲気からすべてを察した。清三郎を力いっぱいに殴りつけたかれは、そのまま家を飛び出して行く。


イメージ 19第一幕  第二場  居酒屋「二合半」(一年半後・夜)

それから一年半の歳月が流れた。深川元町にある居酒屋「二合半」に、酔った清三郎が深川芸者の小りんら、数名の取り巻をを連れて現れた。清三郎は新九郎が家出をした後、ひづると祝言を挙げたが、その結婚生活はうまくゆかず、彼の生活は荒れていた。ひづるは決して清三郎に心を開こうとはしなかったのだ。彼はその心の荒みを、小りんに慰めてもらうような日々を送っていたのだ。そして酔えば弟への深い罪の意識と後悔に打ちひしがれるのであった。
清三郎達が帰るのと入れ替わりに、お雪が三郎三、小文太の手下を従え、盗っ人の黒装束で現れた。それを迎える店主の丑松。彼らは盗賊の一味であり、お雪は”ましらのお雪”と二ッ名を持つ彼らの首領であった
「二合半」こそ、一味の盗っ人宿であったのだ。さらに大江戸の夜は更け、店に風月斎と名乗る茶人が現れた。この茶人こそ一味の黒幕であり、その正体は火付け盗賊改め方長官の小笠原右京であったのだ。小笠原は一度は彼らを捕えておきながら、おのれの為に盗み働きをすることを条件に放免し、彼らから盗んだ金を吸い上げていたのだ。そして小笠原はお雪の出生の秘密をも握っていた。彼に支配され、お雪の心は嫌悪感に満ちていた。


第一幕  第三場  湯治宿「もみじ屋」(数日後・冬の夕と夜と翌朝)

イメージ 21その数日後、信州伊那谷にひっそりとある雪深い湯治宿の「もみじ屋」――
今は渡世人となった新九郎を追って、貸元の岡谷五郎八、代貸の仙三たちが宿に踏み込んで来た。番頭の左右吉、女中のおみつが止めるのも聞かずに、奥に入ろうとする五郎八たちを、女将おしのは気丈イメージ 22に応対して追い返してしまう。そこへ、高熱を出した新九郎が姿を現す。渡世人姿にいったんは投宿を断ったおしのだが、苦しい様子を見かねて宿に招き入れる。おしのの懸命の看病で新九郎は快方に向かう。新九郎とおしのは互いに身の上を話すが、どちらにもまだ隠していることがあった。
翌日になり、越中富山の和平がおしのの元を訪れて来て、彼女が探しているお雪という娘について報告する。見つけ出すことは出来なかったが、江戸には、ましらのお雪と名乗る盗賊がいると言う。女賊お雪…顔を不安に曇らせるおしのであった。続いて、新九郎を探していた庄太夫が奈良平と共にやって来て、新九郎と再会する。庄太夫の話から、新九郎の素性を知ったおしのの表情が一変した。そして庄太夫は、清三郎が心臓発作で急死して、いますぐ戻って新九郎に家督を継いで欲しいという彦左衛門の言葉を伝えた。ひづるは今も後家として屋敷に残っていた。新九郎は、家に戻ることを決心する。すると、さきほどから話を聞いていたおしのが、自分も神谷家へ同行したいと申し出る。どうやらおしのは、彦左衛門を昔から知っているようだった。そんなおしのへの疑惑と謎に新九郎は茫然となるのであった。



第二幕  第一場  神谷家役宅・邸内(半月後・昼と夜)

イメージ 23
イメージ 24半月後、新九郎はおしのを伴って神谷家へ戻ってきた。おしのを見た瞬間、愕然となる彦左衛門。それは元禄四年の出来事。庄屋の娘だったおしのは、五代将軍綱吉に見初められ、女児を産んだ。しかし、彦左衛門がおしのの元を訪れて、その子を将軍家で育てるとして連れ去った。将軍はその子を殺すように命じたのだったが、彦左衛門にはそれが出来ず、その子を百姓の伝右衛門に預けたのだった。その後、おしのはお雪と名付けられた娘の居所を探し出したが、彼女は十三の時に伝右衛門の家を飛び出して、行方知れずになっていた。この話を聞いていた新九郎は、お雪を探すと約束するが、彦左衛門は娘と対面した時に母親と名乗れば断罪に処すると言う。そして新九郎はひずると再会を果たす。しかし、ひずるは神谷家に自分の居所はないと言い、新九郎への思いを残しつつ、身を引く決意をする。


第二幕  第二場  居酒屋「二合半」(数日後・夕暮れ前と夜)

それから数日後、新九郎はお雪の居場所を突き止めて、おしのと一緒に彼女が女将をつとめる「二合半」にやって来た。店では、小りんがまた酔い潰れている。新九郎は、小りんから清三郎がいつも弟にすまない、と言っていたと聞いて、兄を許す気持ちになる。一方、おしのは、お雪につい説教じみたことを言ってしまうが、そんな様子にお雪も肉親の愛を感じる。母娘と名乗れぬまま、二人はたがいにもどかしいような胸の内をぶつけ合うのであった。

イメージ 25


イメージ 26第二幕  第三場  *三十三間堂の境内(続く夜)

その夜更け――小笠原はお雪一味を三十三間堂へ呼ぶ。そこで一味の暗殺を図るが、新九郎に阻まれる。お雪は助かるが、乱闘の中で手下達は落命してしまう。
新九郎は怒りの刃を抜き、小笠原を成敗した。そして新九郎はお雪に、おしのと共に信州で暮らすことを勧めるが、彼女は罪は償わねばと、自訴して出る。

*江戸三十三間堂(えどさんじゅうさんげんどう)
江戸時代、江戸の富岡八幡宮の東側(現在の江東区富岡二丁目あたり)にあった仏堂。京都東山の三十三間堂(蓮華王院)での通し矢の流行をうけて、寛永19年(1642年)11月、弓師備後という者が幕府より浅草の土地を拝領し、京都三十三間堂を模した堂を建立したのに始まる。



第二幕  第四場  小塚原刑場(半月後・早朝)

数日後の小塚原刑場――。
お雪の市中引き回しの行列が到着した。その前へとび出し、彦左衛門が役人に土下座する。そして母娘の別れをさせてやってくれと頼み込んだ。万感の思いで今生の訣れを果たすおしのとお雪。お雪が刑場の露と消えた後、おしのはかんざしで胸を突こうとするが、そこへ飛び出した新九郎に止められる。
そこで新九郎はおしのに強く生きることを説得し、自分も新しい人生を踏み出すのだと、未来へ向かって去って行くのであった。



イメージ 27



イメージ 6


第二部 オン・ステージ

イメージ 28




イメージ 29


この当時の新曲「ありがとうあなた」をタイトルになさっている寄稿文をご紹介します。


ありがとう、あなた  神山享也(音楽評論家)

イメージ 30舟木一夫さんのファンは、ともかく行儀がいい。花束、贈りものをプレゼントする場面をご覧いただきたい。手渡す手順が、みなさん絶妙。歌の邪魔をすることなく、間奏で素早くすませる。腰をかがめ、左手に贈りものを持ち、右手でさっと握手をして左手の贈りものを手渡す。受け取る彼の手際のよさもあるが、妙にベタついたファンの多い中で、彼のファンだけは別格。この礼をわきまえた行為は、いつごろから成り立ったのだろうか?

ご存知「高校三年生」でデビューしたのが昭和三十八年六月。あのツメ襟の学生服で歌った、なんとも清潔感あふれる歌声は、たちまち若者の心を捕えた。そしてデビュー三年目。彼は映画の主題歌でもあった「絶唱」で日本レコード大賞・歌唱賞を手にしている。二十二歳の時だ。この賞は、設立されて八年目。それまでの歌唱賞受賞者は、第一回がフランク永井、ついで美空ひばり、アイ・ジョージ、三橋美智也、再びフランク永井、そして岸洋子、越路吹雪。そうそうたる顔ぶれだ。デビュー以来、歌に映画に、ステージにと超過密スケジュールに追われ、無我夢中にやってきた彼にとって「歌唱賞」は大きすぎた。いきなり、エリ首をつかまれて引き戻された感じだっただろう。ハナ高々、有頂天になれる歌手だったら、そんな感じは受けないだろうが、彼は、どこか負い目のようなものを感じて、この道を歩いていた。

イメージ 31「たかが流行歌手、されど流行歌手」。彼がよく口にする言葉だ。が、当時は”たかが流行歌手”とひらき直るだけの歌手としての自覚も自信もないままにやっていた。ともかく、レコーディングは、いつも夜十一時すぎという強行スケジュール。ちなみに、その時、昭和四十一年に、彼はシングル十枚、アルバム四枚、映画主演作四本、大阪・新歌舞伎座など一ヶ月公演が二本。これでは、ふと我にかえって…などという余裕もなかったにちがいない。
”たかが流行歌手”の二十歳前後の若僧がグリーン車に乗り、高級車で移動する。そのことが彼には普通の生活を送っている人たちへの負い目となってしまった。”されど流行歌手”と、世代を超えて生き続ける作品を、自分自身と切り離して考えられるようになるまでに、何年かかったことだろう。

彼はあるときひとつの決意をした。歌唱賞受賞曲「絶唱」の”歌断ち”。そんなこと―と思われる人もいるだろう。これが、”たかが”と”されど”にこだわる彼らしい発想だ。~中略~歌断ちなど、子どもっぽいとおっしゃる方もいるでしょう。しかし、彼は、デビュー当時の、あの清潔感を、歌手生活三十二年目を迎えた今も持ち続けている。そして、その歌へのひたむきな思いが、歌断ちにつながったのだと思う。

イメージ 32ともかく、彼がデビュー三十周年を迎える前の年、平成三年からそれまでの引っ込み気味の仕事ぶりから一転、攻めの姿勢に変わった。「銭形平次」をひっさげ全国三十ヶ所での特別公演、百六十ヶ所でのコンサート・ツアー。平成五年には、前半はコンサート・ツアーを展開し、七月には名古屋・中日劇場で久しぶりの一ヶ月公演を、そのあと、ここ新歌舞伎座での「ビッグ・イベント」、そして「瞼の母」を東京・博品館劇場で上演…。
おみごと―としか言いようのないエンジン全開だ。彼は、活動再開に当たって自分の声の調子についてスタッフに言った。「六ヶ月間、目をつぶっていてほしい。六ヶ月あれば、ファンにも納得してもらえる声にしてみせるから…。」スタッフと約束した六ヶ月は、なんと三ヶ月で克服した。みごとな精神力だ。ファンも先刻、ご承知。そして彼のエンジン全開を、わがことのように喜び、それが劇場でのプレゼント攻勢につながっているのではないだろうか。ファンにとってベタベタすり寄る必要はさらさらない。彼のステージを見て、大満足だ。彼は「ありがとう、あなた」と言い、ファンは「ありがとう舟木さん」と返しているようだ。


50歳になったばかりの頃の舟木さんの素顔…ステキ過ぎてなんともいえませ~ん

イメージ 36


イメージ 35



イメージ 33


そして、この公演のあとも舟木さんの快進撃は、とどまることなく続いて今日に至っているのですね。


2016年 3月4日~23日 花の風来坊・パートⅡ~新作/おとぼけ侍奮闘記

イメージ 34





Viewing all articles
Browse latest Browse all 1510

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>