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Channel: 舟木一夫の世界~れんげ草の咲くさんぽ径~
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ちょっと箸やすめ~アルバム「舟木一夫~ベスト16」(1977年11月発売)

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「50周年ファイナル特別公演」の記事でなくて、スミマセン(ぺこり)でも、ちょこっとかすってはいるかもなので、ご容赦を・・・
では、ちょっとばかし「道草」をさせていただきま~す(笑)皆さまからいただいてるコメントへのreコメントにも書かせていただいてるように、6月の演舞場の舟木さんからの眩いばかりのオーラにあてられて「熱中症」?の私です。今、むりにジタバタしても、とてもまともな「れぽ」は書けそうにもないので、ひたすら逃げの一手です(笑)
上手くいけば、ワキからこっそり「核心」に入り込むことができるかも・・・なんていうところです。
 
 
1977年11月発売  アルバム 舟木一夫魅力のすべて~舟木一夫ベスト16
 
収録曲(音源は同年6月発売の「限りない青春の季節」より)
高校三年生*修学旅行*学園広場*あヽ青春の胸の血は*仲間たち*君たちがいて僕がいた*花咲く乙女たち*北国の街*高原のお嬢さん*哀愁の夜*銭形平次*絶唱*初恋*旅路*レマンのほとり*一葉舟
 
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1977年6月に、歌手生活15周年記念 として発売された「限りない青春の季節~舟木一夫大全集」10枚組LPは、今となっては、舟木さんにとって大きな節目となった大全集だと思います。1963年の『高校三年生』でのデビューからの15年間の歌い手としての集大成でもあり、大人の歌い手としての新たな旅立ちを後押しするような、文字通り「記念」すべきアルバムとなったのだと思います。
 
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舟木さんご自身がおっしゃっているようにデビュー10年目あたりから「歌に対する情熱を失いつつあった」・・・これは、ヒット曲が出る出ない、あるいは人気が下降するという次元の「辛さ」ではなかったのではないでしょうか。歌い手が「歌」そのものに愛着を感じることができなくなるというのは、歌手として生きていく道の行方が見えなくなるのと同じなのですから・・・
 
 
この6月の新橋演舞場での公演期間は、舟木さんのコンサートを何度も拝見することができたのですが、今の舟木さんは歌うことが楽しくて楽しくて仕方がないという気や匂いを体中から発していらっしゃいました。歌っても歌っても、まだ歌い足りないという印象を受けたほどです。それが証拠に、千穐楽を終えた翌日のサンクスコンサートで、なんと30曲も歌われました。しかもほとんどが初めて歌う曲というのですから、これってもう「仕事」というより「趣味の世界」ではないでしょうか。もちろんプロ中のプロの舟木さんですから、初めてと言ってもクオリティの高さは文句なく、あたかも御自身のオリジナルのようにどの曲も手のうちに入っているのです。
でも、歌う舟木さんの表情はちょっと乱暴な言い方をすれば「歌の巧いカッコ好いおじさん」って感じでもあります。素人の歌の好きなおじさんが喜々として次から次へとお得意の歌を歌うような、楽しげな舟木さんを拝見していると、こちらまで幸せな気持ちに浸ってしまいます。「自分が歌いたい歌を歌う、そんなわがままをお客様はそろそろ許して下さるだろう」というファンに対する信頼感というか、良い意味での甘えというかそんな、温かで情愛の感じられる関係をファンとの間に築き上げてこられたことにも、素晴らしい歌唱そのものと同じくらいの拍手を送りたい気持ちにさせられました。
 
さて、この15周年記念「限りない青春の季節」の音源の『高校三年生』『修学旅行』『学園広場』・・・などデビュー当時の歌唱とはかなり違っています。この時期は、ヒット曲にも恵まれず、かつてのようにマスメディアや映画などへの露出もなく、いわゆる「不遇」の時代は続いていた頃ですが、舟木さんの歌声の透明感は最高潮で、澄みきった青空を映し出したような美しい歌唱は天からの声と言ってもいいくらいだと私は感じています。
私がこの時代の舟木さんの歌声にこれほど魅せられるのはなぜなんだろう?・・・ずっと不思議に思っていました。
 
舟木さんは、「歌への情熱を失う」という真っ暗なトンネルを抜け出て、この時期に本当の意味で「歌を掴んだ」~実際、77年11月の15周年記念リサイタルで後にライブ盤アルバムとなった「歌とモノローグで綴る15年のあゆみ」で「歌を掴んだ」と表現なさっています~からではないでしょうか。ふっきれた清々しい歌唱を取り戻されていて、それはそれは美しく温かな響きを奏でているのです。
 
若さにまかせて、初々しく歌っていた『高校三年生』も、15年を経て、人生の裏表、人の心の裏表、思い描いていた夢と過酷な現実との落差、そんなものを経験して、なおひと握りの真実や、数少なくとも心許せる人たちが自分の周りには居てくれているんだという幸せにも気付いた時に、舟木さんの中で『高校三年生』(その他の曲も)は、ふっくらとひと周り大きく豊かな成長を遂げたものになっていたのだと私には思えました。
 
 
これは↓15周年記念の音源の『修学旅行』です。ぜひ一度聴いてみて下さいね。
音源は舟友さんがアップして下さったものです。貴重な音源です。感謝!
 
 
 
この「ベスト16」のうちの『絶唱』までは、この再録音時点では10年ほど前の大ヒット曲ということになりますが、明らかにその歌唱は新発売当時のものとは違っています。いい、わるいではなく 否応なく舟木さんの旅路の足跡がそこに顕れているのです。どちらも、歌手舟木一夫の魂が込められていることに変わりはありません。そして今、現在の舟木さんの『高校三年生』の歌唱にも同じように舟木さんの魂が込められているのですね。
 
トシをとれば、声も身体の一部だから当然衰えてくる。でもそれはどうってことはなく今の歌を聴いてもらえればいい・・・このスタンスは舟木さんが如何に「歌」(芸)というものをよくご存知かということの証だと私は共感します。舟木さんはこういうこともよくおっしゃいます。「よくベテランの味」といわれますが、それは「ゆとり、のりしろのようなもの」と・・・つまり、お客さんとあゆんできた道のりの中でお互いにわかりあっている関係があるから余裕が持てる、ありのままの今の自分の声(でも、舟木さんは、おそらく、人知れず、いかに響きの良い、聴いていて心地よい声を出すか、常に工夫をこらし 御自身も満足できる「声」を常に追究されていることと推察します)で歌うことにひたすら全身全霊を込める。シンプルで理に適ったスタンスだと思います。舟木さんは、いわゆる「口パク」で歌い続けることに何の意味も見出さない数少ないプロフェショナル精神をお持ちの歌い手のひとりであると思います。「今、現在の貴方の歌声」を私は聴きたいのですから。
 
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