「舟木さんの曲~昔の私のお気に入り」その1が「右衛門七討ち入り」、その2が「あゝりんどうの花咲けど」、その3が「敦盛哀歌」として、既にブログ上でアップしています。その3からずいぶん時間が経ってしまいましたが、「昔の私のお気に入り」の続きを・・・
(大倉明著「青春賛歌」~舟木一夫・シングル&アルバム 一覧)参考
1963年
6月「高校三年生」(水色の人)
8月「修学旅行」(淋しい町)
10月「学園広場」(只今授業中)
11月「仲間たち」(はるかなる山)
1964年
1月「叱られたんだね」(初恋の駅)
1月「あゝ青春の胸の血は」(夕月の乙女)
3月「涙の敗戦投手」(さらば古い制服よ)
3月「君たちがいて僕がいた」(青春はぼくらのもの)
6月「まだ見ぬ君を恋うる歌」(ひとりになると)
6月「高校三年生」(水色の人)
8月「修学旅行」(淋しい町)
10月「学園広場」(只今授業中)
11月「仲間たち」(はるかなる山)
1964年
1月「叱られたんだね」(初恋の駅)
1月「あゝ青春の胸の血は」(夕月の乙女)
3月「涙の敗戦投手」(さらば古い制服よ)
3月「君たちがいて僕がいた」(青春はぼくらのもの)
6月「まだ見ぬ君を恋うる歌」(ひとりになると)
正直なところ、私自身がリアルタイムで、舟木さんの曲そのものにインパクトを受けたのはデビュー翌年に発売された「まだ見ぬ君を恋うる歌」だったように思います。当時、私は小学校六年生。その後が、9月に発売された「花咲く乙女たち」、そして「昔の私のお気に入り/その1」で挙げている「右衛門七討入り」で私的にはかなりブレイクしてしまいました。
ですから、「歌い手・舟木一夫」との出会いは、私としては「まだ見ぬ君を恋うる歌」であったと言ってもいい
のかも知れません。当時は、舟木さんはまだ詰襟でこの曲を歌っていたのかな?曲そのものはとっても鮮烈に覚えているのですが、舟木さんがどんな服装で歌っていらっしゃったかは、覚えていないんです。
ですから、「歌い手・舟木一夫」との出会いは、私としては「まだ見ぬ君を恋うる歌」であったと言ってもいい
のかも知れません。当時は、舟木さんはまだ詰襟でこの曲を歌っていたのかな?曲そのものはとっても鮮烈に覚えているのですが、舟木さんがどんな服装で歌っていらっしゃったかは、覚えていないんです。
なぜ「まだ見ぬ君を恋うる歌」に心惹かれたのか・・それは、やっぱり歌詩の美しさだと思います。
「夕陽の空に 希望(のぞみ)をかけて」「心ひそかに夢を見る」「数ある乙女 そのなかの」「やさしく肩に 手おこう」・・・など思春期の入り口にさしかかろうとしている女の子だった私には「キュン!」とくる言葉が並んでいたのが魅力的だったんだと思います。そして、何よりそのタイトルの古風な響きに心を掴まれたんですね。
「夕陽の空に 希望(のぞみ)をかけて」「心ひそかに夢を見る」「数ある乙女 そのなかの」「やさしく肩に 手おこう」・・・など思春期の入り口にさしかかろうとしている女の子だった私には「キュン!」とくる言葉が並んでいたのが魅力的だったんだと思います。そして、何よりそのタイトルの古風な響きに心を掴まれたんですね。
「まだ見ぬ君を恋うる歌」・・・舟木さんもコンサートのトークの中で「人を恋うる歌」~妻を娶(めと)らば 才(さい)長(た)けて 身目(みめ)美(うるわ)わしく 情(なさ)けあり(詩:与謝野鉄幹)~という詩のトーンを意識したようなタイトルであることにふれていらっしゃいます考えてみると、「私のお気に入り」の曲は、すべて「文学世界」への広がりを孕んだものであるような気がします。
まだ見ぬ君を恋うる歌 作詩:丘灯至夫 作曲・編曲:山路進一
(1964年6月発売)
(1964年6月発売)
心ひそかに 夢を見る
逢いたくて 逢いたくて
この世にひとり いる筈の
まだ見ぬ君を 恋うるかな
どこかで眠る その人だって
ひとり苦しい 夜もあろ
淋しくて 淋しくて
数ある乙女 そのなかの
まだ見ぬ君を 恋うるかな
ひとり苦しい 夜もあろ
淋しくて 淋しくて
数ある乙女 そのなかの
まだ見ぬ君を 恋うるかな
険しい道も 二人でならば
心強かろ 明るかろ
逢えたらば 逢えたらば
やさしく肩に 手をおこう
まだ見ぬ君を 恋うるかな
心強かろ 明るかろ
逢えたらば 逢えたらば
やさしく肩に 手をおこう
まだ見ぬ君を 恋うるかな
ちょっとばかり、話が広がり過ぎるかもしれませんが、「まだ見ぬ君を恋うる歌」の中に出てくる「乙女」という言葉は、舟木さんの初期の曲には度々登場しますので「乙女の時代」と当時の舟木さんの放っていた匂いについて・・・
清純な乙女のイメージを歌うにふさわしい清潔感を身にまとい「純愛」を抽象から具現化させた舟木一夫という歌い手の功績は遠ざかりつつある昭和に多感な青春時代を過ごした私たちだからこそ高く評価できるのだと思います。舟木さんがいつもおっしゃっている「同世代の共感」・・・男性がそれを感じるのは学園ソングのようですが、私としては、どうしても「乙女」という言葉に代表される「昭和の時代の抒情性」を帯びた曲に反応してしまいます。
「女子高生」とか「女子中学生」とかではなく「女学生」という言葉も既に遠い昭和の時代の郷愁の中に見える「後ろ姿」のような言葉になってしまったようで、口に出すと懐かしさと同時になぜか「恥じらい」を含んだ過去の言葉、「古語」のような響きが感じられます。「乙女」となると、さらにもう完全に「古語」でしょうね。
実際には「乙女」を「タイトル」で使っている曲「夕月の乙女」は「まだ見ぬ君を恋うる歌」よりも5ヶ月前に「あゝ青春の胸の血は」のB面でリリースされているのですが、当時まだ小学五年生だった私が、新人歌手のレコードのB面の曲を知る由もなく、おそらくリアルタイムでは聴いたことはないように思います。もし、この曲を聴いていたなら、「昔のお気に入り」のベストテンには入っていただろうと思います。
(1964年1月発売「あゝ青春の胸の血は」B面)
面影あわく しのばせて
ポプラにかゝる 夕月よ
この丘で いつの日か
野バラの歌を うたってた
君いずこ 君いずこ 夕月乙女
愛しむように 夕月が
ならんだ 影を 照らしてる
名も知らぬ おたがいが
さよならとだけ 云ったけど
いまいずこ いまいずこ 夕月乙女
ならんだ 影を 照らしてる
名も知らぬ おたがいが
さよならとだけ 云ったけど
いまいずこ いまいずこ 夕月乙女
青春かなし 今宵また
心にうるむ 夕月よ
露草の 花咲けど
はかなきものは 花のみか
夢いずこ 夢いずこ 夕月乙女
心にうるむ 夕月よ
露草の 花咲けど
はかなきものは 花のみか
夢いずこ 夢いずこ 夕月乙女
さらに「乙女」という言葉に関連してみていくと、「まだ見ぬ君を恋うる歌」のB面に収録されている「ひとり
になると」には、「乙女刈り」という言葉が登場しています。実際に「乙女刈り」とはどういうヘアスタイルだ
ったのか、調べてみたのですが、これだけしかわかりませんでした。画像もみつからないので、こんな感じかな?とイメージしたのが、中原淳一さんの画像です。もしかしたらこんなにモダンではないかも・・(笑)
になると」には、「乙女刈り」という言葉が登場しています。実際に「乙女刈り」とはどういうヘアスタイルだ
ったのか、調べてみたのですが、これだけしかわかりませんでした。画像もみつからないので、こんな感じかな?とイメージしたのが、中原淳一さんの画像です。もしかしたらこんなにモダンではないかも・・(笑)
おとめがり(乙女刈り
~少女の髪形の一つ。おかっぱに似るが、後頭部をやや短めに切りそろえ、えり足を刈り上げたもの~
ちなみに「乙女」の意味を調べてみると次のように書いてありました。
~歳(とし)若い娘のこと。特に、感受性が高い、上品、純粋、穢(けが)れていない、といった特徴をもつ女の子を指すとされる。「処女」と書いて「おとめ」と読むこともあり、そのまま処女を示唆することもある。~
ひとりになると 作詩:丘灯至夫 作曲:山路進一
(1964年6月発売「まだ見ぬ君を恋うる歌」B面)
桜の花が ほろほろと
散ってた夜に 背を向けて
なんにもいわず 去った人
ひとりになると 思い出す
散ってた夜に 背を向けて
なんにもいわず 去った人
ひとりになると 思い出す
いいたいことが いっぱいで
なんにもいえず だまってた
涙をためた 乙女刈り
いまでもいつも 思い出す
なんにもいえず だまってた
涙をためた 乙女刈り
いまでもいつも 思い出す
過ぎればやがて 忘れると
誰かが僕に いったけど
ふたたび逢えぬ 人だから
淋しくなると 思い出す
誰かが僕に いったけど
ふたたび逢えぬ 人だから
淋しくなると 思い出す
花咲く乙女たち 作詩:西條八十 作曲:遠藤実
(1964年9月発売)
(1964年9月発売)
さらに一年半後には「山のかなたに」のB面で「ふるさとの乙女」という曲がありますが、この曲を最後に「乙女」は姿を消してしまいます。かろうじて「夕笛」(1968年8月発売)の歌詩の中に、舟木さんファンにはおなじみの「乙女椿」という花の名前が出てくるのですが、その頃に昭和の抒情歌謡も「乙女」という言葉とともに時代の大きな波にさらわれるように消え去っていったような気がしています。
(1966年1月発売「山のかなたに」B面)
逢えなくなれば 心まで
いつかは 遠く なるだろか
さよなら 乙女
あゝ ふるさとは
ものもいえない せつなさに
夕やけまでが泣いていた
夕やけまでが泣いていた
いつかは 遠く なるだろか
さよなら 乙女
あゝ ふるさとは
ものもいえない せつなさに
夕やけまでが泣いていた
夕やけまでが泣いていた
一番から三番まで「さよなら 乙女」というフレーズが出てきます。文字通りこのあたりで「乙女」という概念も「さよなら」を告げてしまったかのような気がします。昭和は遠くなりにけり・・淋しいですね。